神血を使った押印。
それは強制力は無くとも、神として正式に交わした契りとなる。それを下界の子供と交わしただけでなく、破ることがあれば、後世まで他の神々から軽蔑される事柄となる。それこそ"品"が疑われるようなもの。その辺りの価値観をフレイヤが持っていることは、既に分かっていた。
「女王、貴女はやはり素晴らしいお方だ……まさかこれほどまで速やかに女神フレイヤを説得するとは」
だからこそ、容易く交わす筈がない。
故に必要だった、言葉と会話が。彼女をその気にさせるための回りくどい方法が。単に打倒するだけではそう簡単に話はつかないと、それもまた最初から分かっていた。
「しかし、少々優し過ぎたのでは?もう少し強引に事を進めてしまっても良かったかと思いますが」
「……ヴィトー様、貴方はどうやら未だに闇派閥の気が抜けていないようですわね」
「っ、申し訳ありません」
「悪なり善なり、思想や信仰を理由に極端な選択肢を盲信するのは容易い事です。しかし目的や理想を真に重視するのであれば、悪も善も理解し、その全てを利用しなければなりません。……悪も正義も必要であれば成すのです。手段を選んでいられるほど、我々は優れてなどいないのですから」
「……申し訳ありません」
下を見ればキリがないが、上を見ても際限がない。自分より優秀な人間が隣に居るというのは酷く心安らぐ事であると思っていたが、その人間に着いて行こうとすることは、割と地獄なのではないだろうかと今更になってヴィトーは思う。
何故彼女ほどの人物に側付の人間が居ないのかと不思議に思っていたが、今なら分かる。きっと着いていけなかったのだと。自分の不足が、彼女の足手纏いになる。故に次第にこう思い始める。自分が居ない方が彼女は楽なのではないかと。自分は足手纏いにならない程度の存在にもなれない。事実はどうであれ、そう思ってしまう。
「謝罪は不要ですわ。今は撤退の準備を急いで下さい」
「はっ、直ぐに」
「……ふぅ。どうやらまだ納得出来ていないようですので、一応説明しますが」
「っ、そのようなことは」
「説明しますが。もしロキ・ファミリアが仕掛けて来るのであれば、今正にこのタイミングです。勿論そうならないようになるべく穏便に終結させた上に、ギルドにも手を回しておきました。理由付けとしても十分、彼等には我々と敵対する理由がありません。ヴィトー様の想像通り、普通であれば彼等がここに現れることはありませんわ」
「……しかし、例外はいつでもあり得ると」
「ええ、わたくしは過去にその油断で友軍を壊滅させた事があります。"あり得ない"という結論が最も危ういのです。……人は本当にふざけた理由で、とんでもないことをするものなのですから」
「……?」
そう言いつつ、彼女は今にもため息を吐きそうな顔をしながら、大穴の空いた上空を見上げる。ヴィトーも同様にその視線の先を追ってみれば、逆光になって若干見難いものの、確かにある3つの人の影。
そして魔法を扱うようになった今のヴィトーには分かる。
その人物達から放たれる、溜め込まれている、凄まじいほどの魔力の奔流を。ヴィトーが今の今まであり得ないと思っていたことが、実際に起きてしまったという衝撃を。
「まさか、あれは……」
「やれやれ、一体何が気に食わなかったのか。……来ますわ、ヴィトー様」
「っ!!」
【ディア・フラーテル】!!
【ハティ】!!
上空から放たれた白光の砲撃。
弾丸の如く放たれた獄炎の凶狼。
張り巡らされた蜘蛛の巣を焼き払うように、喰らい尽くすように、それはクノッソスに汚染の如く広がる呪詛と魔法の全てを消滅させられるほどの重撃。
クノッソスの床面に直撃した光の砲撃は凄まじい魔力量を持ってグラナが敷き詰めた呪詛のシャルトーを焼き尽くし、それを追うようにして弾け飛んで来た灰狼は灼熱の業火を持ってヴァレッタが敷き詰めた魔法のシャルトーを焼き尽くす。
その襲撃に対しヴィトーは思わず身を構えたが、反して横に立っていたグラナは面倒そうな顔を崩す事なく佇んでいる。
……まあ実際、これまでの戦闘を見ていたのなら、先ずはこのシャルトーを焼き払いに来るということは想定出来ていたことだ。
ヴァレッタのシャルトーは横方向への動きに反応するが、グラナのシャルトーは縦方向への動きにも反応する。その分、効果量は少ないが。だがそれ故に地下に降りて来る、落とされる時点で、能力低下は起きてしまう。フレイヤの眷属達は既にその時点で蜘蛛の巣に囚われていた。
それについても、彼は既に見抜いていたのだろう。
そのまま無防備に降りて来てくれていたのなら、彼等もまた楽に屠ることが出来ていたというのに。流石に一度見せてしまった小細工に引っかかってくれるほど、容易い相手ではない。
「やあ、久しぶりだね。グラナ」
「……出来れば、今この場で貴方の顔を見たくはありませんでしたわ、勇者様。正式な場で仕切り直しません?」
「いいや、この場でいいよ。逆に僕は正式な場で君と相対したくはないからね」
「……本当に、気の合わないお方」
アミッド・テアサナーレによる治療魔法:ディア・フラーテルは、全回復・解呪・解毒のあらゆる治療を広範囲に対して行えるだけでなく、解呪の効果に特化した光を今のように砲撃として放つことも出来る。
ベート・ローガによる付与魔法:ハティは、両手両足に魔力吸収と損傷吸収の効果を持つ紅蓮の炎を纏わせる。無制限に魔法を吸収してしまうが、逆に言えばどのような魔法であろうと喰らい尽くせる。
結界呪詛と結界魔法。この両者を破壊するために行使された2つの魔法は、どちらも規格外の性能を持つ希少魔法。事前にこちらのステイタスが漏れていたとは言え、ここまで有効な手を持っているとは正直グラナも思ってはいなかった。アミッドの魔法でさえ、過小評価してしまっていたということだ。
「それで?今更フレイヤ・ファミリアを助けに来たという訳でもないでしょう。わたくしの目的についても聞いていた筈、何の用でこの場に?一応、あなた方にも利益のある方法を取ったつもりですが」
「ああ、そうだね。個人的には正直、君の意見には賛同する。その目的に協力したいとも思っている。我儘な言動の目立つフレイヤ・ファミリアを改善してくれるというのなら、これ以上もない」
「では、単に挨拶でもしに来たのですか?」
「いや、君を連れ戻しに来た」
「……」
あからさまにグラナの目が細くなるのを見ながら、フィンは地上に向けて合図を送る。そしてそんな彼の合図を見て、次々とクノッソスへ降りて来る人影達。
……目の前の者達も含めれば推定19人。想定していたより数自体は少ないが、問題はその質。明らかにLv.4以上の上澄ばかりを集めたような、少数ではないが、少数精鋭。
「グラナさん……」
「……ご機嫌よう、レフィーヤ様。随分と雰囲気が変わりましたわね。お似合いですよ、今の貴女も」
「……本当に、そう思ってくれていますか?」
「……」
フィン、リヴェリア、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナ、ベート、レフィーヤ、アキ。シャクティ、アミッド、アイシャ、アスフィ、リュー、ベル。そこには何故かフェルズも居て、ロキとヘルメスとヘスティアさえもここに来ていることに、グラナは眉を顰めていた。彼は本当に上澄の戦力を掻き集めて来ている。
「はてさて、いつの間にこんなに嫌われたのやら。……いえ、これはむしろ好かれたと言うのでしょうか。まあどちらでもいいですが」
「Lv.6が7人、Lv.5が1人、Lv.4が7人、そこにアミッドを連れて来た。出来ればこのまま素直に連れ戻されて欲しい」
「……さっきの解呪魔法、わたくしの結界を破壊することだけが目的では無かったのでしょう?そこにLv.7をもう1人加えてもいいのでは?」
「っ」
「やります?オッタル様。……いえ、というよりは、参加したいです?この戦に。それで丁度20人になりますが」
「……お前はフレイヤ様と契約を結んだ筈だ」
「耳でも詰まっているのですか?そこの女神に話しかけた訳ではありません、わたくしは貴方に聞いているのです」
「!」
「「「………」」」
わざわざ敵の戦力を増やすような真似をし始めた彼女に、困惑の目を送るのはヴィトーも同じである。
まるでこれほどの戦力差があったとしても、何の脅威も感じていないかのように振る舞う彼女に、フィンは武者震いさえ感じていた。
「ヴィトー様、Lv.4を4人ほどお任せいたします」
「……簡単に言ってくれます。ですが、それが貴女の命令であれば」
「お母様にはベート様を止めて頂きましょうか。彼の魔法は厄介ですので」
「……」
「アステリオス様は……まあ、言うまでもないでしょう。彼と存分に楽しんで来てくださいな。これまでのご協力、感謝いたします」
「……感謝する」
戦力3人を使って、Lv.4を5人と、Lv.6を1人。あまりにも偏ったその指示に、しかしフィンだけは納得していた。今のグラナはそれほどに強い。
……だがそれ以上に、彼女の背後に立つ"フリュネ・ジャミール"。彼女が完全な怪物と成ったであろうことを、フィンはなんとなく勘付いている。以前まであった大量の贅肉は全て筋肉に変わり、痩せたようには見えるが、巨体はそのままに、むしろ以前より確実に胆力は上がっているだろう。
「フリュネ様。リヴェリア様とガレス様、ティオネ様とティオナ様をお任せしますわ」
「「「!?」」」
「っ、そこまでなのか……!」
Lv.6を4人任せるという、あまりにも異様な指示。それが事実なのだとすれば、彼女は単独でオッタルに匹敵するほどの何らかの脅威を持っているということになる。
見積りを誤った、フィンは早速そう直感する。
「残りの皆様は全員わたくしがお相手いたしましょう。……勇者様も、こういう振り分けがお望みでしょう?わたくしに特に熱い目線を送って下さった方々を集めたつもりですが」
「……恥ずかしいな、僕はそんな目で君を見ていたかい?」
「ええ、それはもう。……恐らく、我々の間には何らかのスレ違いがあったのでしょう。わたくしも冷静ではありませんでしたからね。それを解決するために、会話は必要でしょうから。お付き合い致しますとも。本当に仕方がなく、ですが」
「……相変わらず、話が早い。だからこそ君は厄介だ。正道と悪道の狭間で、どちらも利用しながら優しい君と。こうして対峙したくはなかったよ」
「貴方が勝手にそこに立ったのでしょう?」
「そうだね、だから言おう。その計画を僕達も手伝う、代わりに帰って来てくれないかい?」
「拒否します。この役割を担うのはわたくしであり、あなた方には別のすべきことがあります。そちらに残る理由が無くなった以上、戻るつもりもありません。……御自分がわたくしに行った仕打ちを、よもや忘れているということもないでしょうに」
「……ギリギリまで君を信用出来なかった。それについては謝罪したい」
「ふふ、まあそうさせたのは他でもないわたくしなのですが」
最初から分かり合おうとしていない。仲間になる意識さえもない。ただ利用し、利用される関係。それこそがこれまでだったにも関わらず、今更なにを言っているのかという彼女の主張も、フィンには分かる。
彼女の主張は正しい。やろうとしていることも支持する。本来であれば、ここで袂を分かち、別々の立場で別々の集団を率いて行くのが効率も良い。それこそがオラリオの、そして世界の将来のためにもなる。
「だが別に君の役割は、君が人生を賭けてまですべき事じゃない」
「……」
「他ならぬ君が言った筈だ。自分の死後にその役割を信用の出来る神々に任せる予定だと。……君が必要なのは最初だけだ。それ以降に君がどうしても必要だという理由はそれほどない」
「だから、戻って来いと?」
「そうだ」
「……ふふ。いえまあ、正直に言えばその通りですわ。別にわたくしが死ぬまでこの役割に座り続ける意味はありませんとも。ただ逆に、わたくしがそちらに戻る理由も無いでしょう?そもそも永遠の別れになる訳でもあるまいに、何の意味があってそこに立っているのです?オラリオの敵になった覚えはありませんが。貴方はただ振り上げた拳の行き先を探しているだけでしょう」
「……違うよ、グラナ。話はそんな面倒なことじゃない」
「?」
「僕達はただ、未だに君を"身内"にしたいと思っているだけだ」
「……」
そこで明確に、グラナの表情が歪んだ。
彼女がどんな理由で、どんな感情でその表情に至ったのか、きっと普通の人間には分からない。しかし今日の今日まで、フィンはずっとグラナ・グレーデという女についてシャクティやレフィーヤと共に考えていた。
だから最初から彼女がこんな表情を見せることも、分かっていたことだ。
「これだけの戦力を連れて来たのも、戦力としてじゃない。君と同じ場所に立つためだ。上からでも下からでもなく、対等で。……ただ1人の人間として、君という人間と話したいと思った。だからこの場の勝ち負けなんていうものは、正直どうでも良い。ただ君と話したい。それが僕達の総意だ」
「……片腹痛い。わたくしには、あなた方が自身の欲のために武力を持って立ち塞がっているようにしか見えませんが」
「けれど、こうでもしなければ君は1人の人間として僕達と話してはくれなかっただろう。もし正式な立場が付いてしまったら、君はその役割の人間としてしか接してくれなくなる。絶対に。だから今この瞬間に、こうするしかない」
「それも否定しませんわ、そのつもりでしたから」
そこで一息を吐いたフィンの横に、レフィーヤは進み出る。
髪をバッサリと切って、服装も変わって、その雰囲気さえも変えてしまって……きっと、彼女とそれほど関わりのない人間では、彼女が誰なのか分からなくなってしまう程にレフィーヤは変わった。
それがグラナにとって良いことだったのか、悪いことだったのかは分からない。ただレフィーヤもまた決意をしてここに来た。
「グラナさんがロキ・ファミリアに残る理由が無くなったのは……やっぱり、私のせいですか?」
「……さて、誰のせいかと問われれば困ってしまいますが。敢えて言うのであれば、まあ自分自身のせいでしょう。謝罪が必要であればいたしましょう、それとも償いを?」
「私のこと、もう好きじゃなくなっちゃいましたか……?」
「ええ、勝手ながら。正直もう少し自分に期待をしていたのですが。どうやら思っていた以上に、わたくしは損得勘定でしかレフィーヤ様のことを見ていなかったようです」
「っ」
「今の貴女からは、もう何も感じない。……勝手でしょう?わたくしもそう思います。ですが、それがどうしようもない事実。故にもう2度と同じことを繰り返すつもりはありません」
「グラナさん……」
「もう2度と、わたくしは美しさに目を奪われることはない」
「っ」
フリュネが背負っていた武器を投げる。
そうしてグラナとレフィーヤを引き裂くように突き刺さったのは、彼女の身丈程ある巨大な大剣。黒く光り、圧を放ち、普通ではない。そしてその大剣を、それと似た武器を、少なくともこの場において4人は知っていた。
「あれは……」
「ウダイオスの、大剣……」
単独で階層主ウダイオスと対峙した時、骸の王は剣を抜く。その討伐に成功した者だけが手に入れることの出来るそれは、未だアイズとオッタルしか手に入れた者はいなかった。
アイズとリヴェリアの持ち帰ったそれは18階層でベルが使い潰し、オッタルの持ち帰ったそれは職人の手によって彼の主要武器となっている。それほどのポテンシャルのある素材を、彼女もまた手に入れて、自身の武器へと変えていたのだ。
「さて、こうなってしまえば仕方ありません。何処かで決着を付けなければ、永久に付き纏って来そうな勢いですから。ここでしっかりと説得するしかないようです」
「……もう少し会話に付き合ってくれてもいいんじゃないかい?」
「分かっているでしょう?勇者様。貴方とわたくしの会話に意味などない」
「……」
「結局のところ、どちらかがどちらかの心を折るしかない。そのために敵を追い詰め戦意を喪失させるのは、確実に有効的な手段です。……何をどう言い繕ったところで最終的にそうなるのであれば、余計な過程など省略するに限る」
「っ」
「あなた方全員を叩き伏せた上で、改めて宣言することにしましょう。わたくしに居場所など必要ないと」
「どう、して……」
「まあ安心してくださいな。勇者様の仰る通り、この役割にわたくしの人生の全てを賭ける意味はない。……故に役割を成した後、このオラリオに残るつもりはありませんので。出来る事なら世界中にいくらでも転がっていますからね」
「グラナ……君は……」
「さあ、道を開けなさい。"あなた"の立つべき場所はそこではないでしょう」
王剣は抜かれる。
歩むべき道を切り開くために。
歩みを止めることなどある筈もない。
歩みを止めることが許される筈もないのだ。
それこそが王の道。
それこそが彼女の才。
凡人にはなり得ない、なることの出来ない。
女王の背。