色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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あやさよはいいぞ。


《1》夜風吹く窓辺

 

 高校1年生の春。新生活が始まったことへの高揚と、またもや大きな選抜オーディションに落選したことへの落胆で、ぐちゃぐちゃになった心を連れて歩いていた。それも、運の要素が含まれる1次選考ではなくて、それなりに手応えがあった2次選考で。同じ頃にアイドル養成スクールに入った同期の名前が呼ばれる中で、丸山彩の名前はついぞ呼ばれなかった。

 

 引きずっていても仕方がない。次に繋げられるようにレッスンをしなければと思うのに、焦りと失望が渦巻く心は桜の彩りまで褪せさせるようだった。

 下校時刻を知らせるチャイムが鳴るのとほとんど同時に、私は教室を抜け出した。中高一貫の花咲川女子学園でも、内部生と外部生が入り交じるこの進学のタイミングだけは独特の緊張感がある。関係性の探り合いと、親睦を深めるステップ。昨日は大人数でカラオケに行ったから今日は何も無いだろうと思って、挨拶もそこそこに学校の外へ。

 部活へ向かう生徒たちばかりで、直帰するのは私を含めてもほんの数人だろう。時間帯の割に人通りの少ない校門前の道を、とりあえず駅の方へと歩いた。

 

 昨日と今日は休みだ。自主練やトレーニングはこなすつもりではいるけれど、それよりも気分を入れ替えたい。

 

 ショッピング──の気分にはならないか。いま自分で自分のご機嫌取りは難しい。映画にしよう、と思いたって足はそちらの方へ。

 

 養成校に入ってから早3年。それだけあれば、自分の才能の有無をいやでも思い知る。同期でいちばん優秀だった子は、とっくにデビューしている。それどころか後輩たちだって続々と。

 ダンスを覚えるのが遅い。歌が下手。表情を作るのがぎこちない。みんなが一足飛びにクリアしていく課題を、居残り練習までしてようやく一つ一つ乗り越えていく。

 

 いつかデビューができるのなら、周りのことなんて気にしない。けれどここは競争社会で、落ちこぼれたものにチャンスは巡ってこない。私と同じように躓いていた子達は大半がスクールを後にしていて、いよいよ売れ残りのレッテルを貼られつつある今日この頃。

 同じ実力なら当然年下の子の方が有利だから、私がデビューできる可能性というのは歳を重ねるごとに下がっていく。どんなに粘っても高校三年生まで、という両親との約束は、現実を見ても賢明だった。

 

 そりゃあ焦りますとも。夢見る少女でいられるタイムリミットは、案外すぐそこまで来ている。

 

 花咲川の制服のまま映画館のチケット売り場へ。何を観ようかな、と吊り下げられた映画の広告と、上映開始時間が載せられたパネルを眺める。気になっているのは、一昨年に大ヒットを飛ばしたアニメ映画の監督の最新作と、ハリウッドの大ヒットアクション映画の続編。

 

 興味の度合いで言うとちょうど同じくらいで、上映開始時間も10分違い。どちらにしたものかと優柔不断を発揮して眉間に皺を寄せている間に、見覚えのある影が目の前を横切った。

 

「……紗夜ちゃん?」

「ああ、丸山さん。奇遇ね」

 

 クラスメイトの氷川紗夜ちゃん。外部進学してきた子で、入学から2週間程度しか経っていない今はまだ、微妙に距離感が掴めていない相手だ。教室でいつもきゃあきゃあと騒いでいるタイプではなくて、雰囲気通りの優等生っぽいことくらいしか分からない。

 

 浅葱色の、少しだけウェーブがかかったセミロングの髪と、琥珀を思わせる、吸い込まれそうな瞳。

 気だるげな瞳で、それでいて億劫そうな色は滲ませずに彼女は私を見た。

 

「さっきぶりだね。紗夜ちゃんは何を観に来たの?」

「アレです。気分転換にちょうど良いかと思って」

「アクション映画とか、観るんだ」

「あまりジャンルを気にしたりはしないわ。陰鬱なものは好まないけれど、あとは面白ければなんでもいいわね。丸山さんは?」

「私はあの2つで迷ってたんだけど……ええと、せっかくだから一緒に観ない?」

「ええ、もちろん。席が空いていると良いのだけど」

 

 紗夜ちゃんはハリウッドアクション映画の方を観るというので、それなら私もそっちにしようと同行を誘ってみる。とは言っても上映中に喋ったりはしないから、ただ隣に座るだけになるかもしれないけど。

 構わない、と二つ返事。私が思っているよりもずっと気さくな人なのかもしれなかった。

 

「ポップコーンは食べる派?」

「気が向けばね。今日はいいかしら。丸山さんは?」

「うーん、私もいいかな。ドリンクだけにしよっと」

 

 映画に集中できていない時はポップコーンが気を紛らわす手段になったりもするけど、映画館だと音を立てないように気を遣ったりとか、どうしても面倒くさい印象が先立つ。紗夜ちゃんも食べるんだったらシェアもありかなと思ったけれど、感触的にナシかな。

 チケットを買って、それから売店でオレンジジュースを買う。紗夜ちゃんはジンジャエールを買って、薄まると美味しくないのよね、と言った。

 

「紗夜ちゃん、中学校は月ノ森って言ってたよね。どうして花女に来たの?」

「校風があまり合わなかったの。……ほら、お嬢様学校だから雰囲気も独特でしょう?」

「そうかも。私だったら落ちこぼれちゃいそう」

「そんなに厳しくもないわよ。社交性とか礼儀とか、そちらの方が気にされるわね」

「紗夜ちゃんはそういうの得意そうだけど……」

「まあ、いろいろあるのよ。ネガティブな理由だけじゃなくてね」

 

 入場時間になったから、隣同士のチケットをスタッフに見せてシアターに入る。後ろの方の、なるべく真ん中よりの席を取った。とはいえ真ん中は取れなくて、少し右側から観ることにはなってしまったけれど。

 最初に何も考えずに前の方の席を取ろうとしたら、紗夜ちゃんが「首が疲れるわよ」と言った。確かに、見上げる形で長時間姿勢を固定していると大変かもしれない。

 

「丸山さんは、部活には入っていないの?」

「うん。実は私、アイドルを目指してて……外部のスクールに通ってるんだ。だから部活には入ってないの」

「アイドル……凄いわね。私には想像もつかない世界」

「デビューもまだだから、本当にひよっこ未満なんだけどね。つい最近も、オーディションに落ちちゃったし。……紗夜ちゃんは、部活に入らないの? 花女は一応、部活は強制じゃないけど……」

「弓道部が気になってはいるけれど、どうかしら。放課後に時間を使いたいから、入らないかもね」

 

 アイドルを目指している、と言うと、優しい友達は「頑張って」と言ってくれる。周りの人は大抵、私の夢を応援してくれる。

 出会ったばかりの紗夜ちゃんの言葉はフラットだったけれど、やっぱり否定の言葉は投げかけられない。「お前には無理だろう」と言う架空の言葉に怯えているのは、私ばかりだ。

 

 深く瞬きをして、自傷感情を吹き飛ばす。まだ何者にもなれていないコンプレックスは、ちりちりと導火線を炙り続けている。

 

「弓道部、なんだ。経験者だったり?」

「中学校でも少しね」

「へー。なんて言うか、似合いそう」

 

 我ながら浅い感想に呆れる。それでも、身長が高い方で、凛とした雰囲気を纏う彼女が袴を着て弓を携え髪を靡かせ、静謐な弓道場に佇む姿を容易に想像できるのだから、私の言葉は真を纏っているはずだ。

 真隣の紗夜ちゃんも私の言葉に似たような感想を抱いたのか、浅く息を吐いた。

 

「放課後にやりたいことっていうのは、バイト?」

「バイトもそうだけど、どちらかと言うとバンドね」

 

 ……バンド? 一瞬、耳を疑った。バンドって、ロックバンド? だとしたら私が抱いている氷川紗夜像からはとてつもなくかけ離れている。

 

「バンドって、音楽の?」

「ええ、ロックバンド」

「ってことは、なにか楽器やってるってことだよね。ギターとか」

「ギターは弾けるわ。まだまだ課題は多いけれどね」

 

 ぎょええ、と出ちゃいけない声が出そうになった。ギター! 紗夜ちゃんが、ギター! 

 ……うん、アリ。私は音楽の巧拙に疎いからどうしてもビジュアルで判断してしまいがちだけれど、紗夜ちゃんはギターがとても似合いそうだった。風紀委員に立候補していたり、学校でのお堅い印象が強く残っているものの、こうして私の誘いに乗ってくれるような気さくさを鑑みると、アレだ。中学の文化祭とかで生徒会がバンドをやる、みたいな印象。

 

 今日初めてまともに言葉を交わすようになったくらいの相手の何がわかるんだ、とも思う反面、私の中の紗夜ちゃんの株は急上昇中。ちょっと近寄り難いかも、と思っていたのを猛反省する次第。

 

「本当は今日もライブの予定だったのよ。トラブルで立ち消えになってしまって、こうして時間を持て余すことにはなったけれど」

「そういうライブって、私みたいな学生でも観れたりするものなの?」

「……興味があるの? ライブ自体は誰でも参加できるわ。チケットを買ってライブハウスに行くだけ。特別な会員登録とかそういうものもないし……ああ、最初はライブハウスの使い方がよく分からないかもしれないけれど、それもスタッフに聞けばすぐに理解できる程度のものよ」

「じゃあ、紗夜ちゃんのライブを観てみたいなぁ」

「それは……しばらく先になるかもしれないわね」

 

 ライブハウスの存在は知っていたけれど、どんなバンドがどんな風にライブをしているのかはまるで知らない。そんな世界に知り合いがいるのなら、少し興味が湧く。私が目指しているのはアイドルだけれど、芸能という括りではだいぶ近いジャンルでもあるし。

 そう思って関心をほのめかしてみると、意外とつれない返事。バンドのトラブルって、よく揶揄される「音楽性の違い」とか? ライブが中止になるくらいのトラブルなんだから、結構重大なものだったりするのかもしれない。少しアクセルを踏みすぎたかな、と速度調節。

 

「少し話は変わるけど、実は私たち、高校が初対面じゃないのよ。……覚えてはいないでしょうけど」

「え? うそ、小学校も違うよね? 習い事とか?」

「もっと前よ。同じ幼稚園だったの。ほら、白鷺さんも同じだったでしょう? 私と丸山さんは違う組だったから、ほとんど面識はないようなものだけど」

「うーん、ごめん、思い出せないや。言われてみればそんな気も……?」

「いえ、良いのよ。私が覚えていたのだってたまたまなのだし。白鷺さんと貴方がよく遊んでいたのを覚えているから、何となくね」

 

 初対面じゃない、と言われて、すわ特大失礼をかましたかと背筋が伸びた。それから幼稚園の話だと言われて、安堵のため息。

 そっか、千聖ちゃん絡みか。当時から子役としてテレビに露出していた千聖ちゃんの付属品としてなら、違うクラスでも覚えられていて不思議は無い。

 

 千聖ちゃんともまた仲良くしたいなと思う。なんとなく疎遠になったまま、売れっ子で多忙な彼女と何も無い私では、生きる時間がズレたっきりだ。

 私がちゃんとデビューできたら、改めて向き合いたい。もしかすると、これも先送りの現実逃避なのかもしれないけれど。

 

 一緒に頑張ろうという約束を果たせないまま、千聖ちゃんの前に立つ勇気がない。私と、千聖ちゃんと、ヒナちゃんと。それぞれきらきらした夢を掲げた元幼馴染で、今も立派に立っているのは千聖ちゃんだけだ。みんな疎遠になって、テレビでの活躍から千聖ちゃんの近況をなんとなく知るくらい。

 

「どこかで丸山さんにこの話をしようと思っていたから、良い機会だったわ」

 

 シアターの灯りが落ちる。

 紗夜ちゃんが目尻を溶かして微笑むのに、つかの間見惚れた。

 見つめあっていたのも須臾のあいだ、映画泥棒のコマーシャルが流れ始めて、スクリーンに向き直る。コミカルな動きで画面の中のアクターが動くのに、思考を棚上げすることにした。

 

 120分強の映画は、ハリウッドの名に見合った超大作だった。王道の人間ドラマに、派手なアクションシーン。ただそれだけで見応えとしては十二分。

 

「挫折から立ち上がる主人公に、あまり共感できないのよね。故にこそ、そこにヒーロー性や憧れを見出したりするわけだけれども」

「私の場合はすごく感情移入しちゃうなぁ。何度挫けそうになっても折れない姿に勇気づけられるし、私もそうなりたいって思うから」

「……そうね、アイドルはきっと、そういうものなのでしょうし」

 

 感想戦のためにカフェへ寄りたかったけれど、もうじき夜7時になるので断念。暖色の照明が灯るカフェの店内を名残惜しそうに見つめる私に、紗夜ちゃんは「親御さんが心配するでしょう」と呆れ顔で言った。

 主人公に共感できない。そう言ってから、取ってつけたように「憧れる」と言った紗夜ちゃんは、それでも映画そのものを楽しんではいたらしい。あそこの展開が熱かったとか、あれは意外だったとか、駅までの帰り道の感想戦を、ことのほか饒舌に盛り上げてくれた。

 

 春の夜はまだ少し肌寒くて、それでも桜が散り始めたこの頃は明らかに夏の足音が聞こえてくる。制服越しに吹き付ける春風の涼やかさと、昼の陽だまりの名残のせめぎあい。車のヘッドライトがチカチカ視界をよぎって、街をテールランプが赤く色付ける。

 

「……初めて誰かと映画を観たの」

「お邪魔だった?」

「いいえ、楽しかった」

 

 そういえば月ノ森だもんね、と納得。勝手な偏見で、お嬢様学校の人たちは気軽に友達同士で映画館に行ったり、カラオケに行ったりしなさそうだと思った。自宅に大きなスクリーンとオーディオがあったりして。

 

「じゃあさ、また一緒に観に来ようよ」

 

 楽しかったと言ってくれるのなら、と誘ってみる。

 私の方こそ気分転換にはなったし。一人でぼんやり映画を観て帰るだけだったら、今でも陰鬱な気分を引きずったまま、帰路が億劫になっていたかもしれない。

 

 それに、紗夜ちゃんとも仲良くしたい。第一印象で怖がっていたよりも優しくて丁寧な人だと知れたし、せっかくのクラスメイトなんだから、仲良くできた方が良いに決まっている。

 

「……」

「あ、あの、もし良ければって話で──、その、紗夜ちゃんの演奏も聴いてみたいし──」

「ふふっ。いえ、嬉しい。先程もだけど、あまり誘われる経験がなかったもので、驚いてしまって。……丸山さんが忙しくないタイミングで、是非」

 

 ああ、焦った。私の言葉に、紗夜ちゃんが目を丸くして黙ったものだから、てっきり迷惑に思われているのかと。そりゃあ、私は紗夜ちゃんみたいに教養や蘊蓄のあるお淑やかな美人ではないし、かと言って人を楽しませるようなユーモアに満ちているわけでもない。なんなら、映画のお誘いだって紗夜ちゃんからしてみればほぼ話したことの無いクラスメイトが強引に誘ってきたような感じで、ちょっと感じが悪かったかもしれないけど──

 

 でも、紗夜ちゃんが笑ってくれてよかった。学校では無表情のイメージが強かったから、笑顔を見せてくれると安心する。むしろ、こんなに柔らかい表情ができる美人さんなのに、堅く見られているのが勿体ない。

 

「勉強とか、習い事ばかりで生きてきたから、あまり友人と遊んだりしたことがないの」

「それじゃあ、色んなことしてみようよ! カラオケとか、カフェでお茶したりとか……」

 

 くすりとわらって頷いてくれた紗夜ちゃんに気を良くして、私はすっかりテンションが上がっていた。

 だって、ちょっとした漫画みたいじゃない? 馴染みの顔ばっかりのエスカレーター進学で、パッとしない私が、少し近寄り難い雰囲気の外部進学生とプライベートで出会って仲良くなれるだなんて。

 

 排気ガス混じりの夜風が鼻をくすぐった。改札を抜けて、駅のプラットフォームの独特の匂いに包まれる。列車を待つ列に加わって、同じ列車を待つ。

 中学時代と地続きだと思っていた高校生活に、新しい風が吹いたのを今になって実感する。ほんの少しだけ活力を貰って、気分転換は成功だったな、と思った。ショッピングじゃなくて映画を選んでよかった。紗夜ちゃんと出会って、勇気をだして誘ってみてよかった。

 

 取り留めのない──紗夜ちゃんがまだ知らないだろう、クラスメイトについてや学校についての話なんかをしている間に、すぐに最寄り駅へ到着する。

 

 また明日ね。何度も交わしてきたはずの言葉が、今日は少し違う響きを纏った気がした。

 

「ええ、また明日。今日は楽しかったわ、ありがとう」

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