色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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《11》灯台

 

 本当は気が付き始めている。

 私が思うよりも世界はずっと冷たくて、軽薄で、悪意に青ざめているってこと。

 

 私が恵まれた境遇にあるってこと。純粋に愛されて、夢を応援されて、そして夢を叶える段階にまで来ている。

 だからといって環境に恵まれない人に遠慮するわけじゃない。私には与えられた幸運を享受する資格がある。ただ、その幸運に努力を乗せた分の成果を、周囲の人たちにお裾分けできるのがアイドルだと思う。

 

「ライブハウスって、もっと怖いイメージだったわ」

「ここは特にカジュアルだって紗夜ちゃんが言ってたよ」

「そうなのね。……怖気付いて道連れをお願いしてきた人間が言うことではないと思うけれど」

「だってぇ……」

「気持ちはわかるけどね。バンドに参加している以上はどこかで見に行こうと思っていたから、都合が良いといえばそうだし」

 

 金曜日の放課後、制服のままライブハウスのドアを開けて、ベルの音を聞きながら店内に入る。隣の千聖ちゃんが、もしかするとスタッフさんに聞き咎められそうな発言をしたので少し焦った。

 

 千聖ちゃんを誘ったのには、いちおう2つの意図がある。

 1つは、私がちょっとビビったから。一人で行くつもりではあったけれど、同行者がいれば心強いなという魂胆で、千聖ちゃんを誘ってみた。初めて行く場所って、少しだけ恐ろしい。最初の1回の緊張を味わわないで済むのなら、それに越したことはないと思う。

 もう1つは、千聖ちゃんと紗夜ちゃんの接点を作るため。私がわざわざ裏工作するようなことでもないとは思うけど、その方が後々良い方向に働く気がした。

 

「お、前売り。お名前お願いします」

「丸山、です」

「ああ、紗夜ちゃんの。……はい、こっちがドリンクの引換券。あっちで交換できます。ライブのフロアはあっちね。もう開いてるから入ってもいいけど、まだ暇だと思うからロビーでゆっくりしててください」

「はい」

 

 受付でチケットを渡したら、するすると案内された。店の内部には色んなタペストリーやフライヤーが飾ってあって、それを見ているだけでも面白い。

 

「お連れさんは?」

「当日券を頂きたくて」

「はーい。2500円です。……どのバンドを見に来られました?」

「えっと……彩ちゃん、紗夜ちゃんのバンドってなんて名前なの?」

「え、知らない……」

「あー、同じく紗夜ちゃんね。Roseliaってバンドだから、覚えておいてあげてください」

「はい、すみません」

「いえいえ、友達のライブを見に来る子も結構いるし、珍しいことじゃないから。……それに、君たちも近いうちにここで演奏してくれたりして、ね」

「……確かに、可能性はないでは無いですね」

「君たちを呼ぶには、ウチはちょーっと狭すぎるかもしれないけどね。いや、今の内なら……まあナシか」

 

 なんで知らないのよ、と小突かれた。ごめんなさい。

 さすがにバンド関係者の人はアンテナが高いのね、というつぶやきとともに受付を辞して、ドリンクを貰いに行く。

 チケットは奢りか割り勘にしようと言ったのに、無視された。

 2人揃ってレモネードを選んだ。コーラやオレンジジュースじゃ勿体ない気がする、というちょっと卑しい考えに基づいたチョイスだった。いや、千聖ちゃんはこんなせせこましいこと考えてないだろうけど。

 

「実は、ライブに来るのって初めてなの」

「え、ほんと? その割に、先週は手拍子のコールとか様になってたけど……」

「勉強したもの」

 

 実は、千聖ちゃんのこともよく知っているとは言い難い。

 もちろん、芸能活動は追い続けてきたからそれなりに知っていると思う。テレビや雑誌のインタビュー、ドラマや映画への出演、モデルの撮影やバラエティーへの出演。女優であり子役である白鷺千聖の姿を、私はずっと見てきた。

 

 一方で、私人としての千聖ちゃんのことはあまり知らない。小中では結局クラスが1度も同じにならなかったし、千聖ちゃんは忙しいから、そうなると話す機会なんてほとんど無くなってしまう。昔仲が良かった元幼なじみ、みたいな関係性が長く続いた結果として、親しみはそのままに距離だけが開いている。

 

「だから少し、楽しみだったのよ。……まあ、私が楽しめるかどうかは紗夜ちゃん側にかかっているわけだけれど」

 

 紗夜ちゃんだったら大丈夫だろう、みたいなことを言おうか迷って、結局やめた。私だって何も知らないから。

 

 しばらく生まれてしまった待ち時間に、スマホを弄ったり、ロッカーにスクールバッグを預けたりして、あとは取り留めのない話をしていた。今年のゴールデンウィークは忙しくなりそう、だとか、仕事以前にレッスンを詰め込むことになるのは間違いない、とか。

 フロアの方に人が流れ始めたあたりで「そろそろ行くべきか」みたいな空気が漂う。

 

「あ、いたいた。おふたりさん、少し相談があるんだけど」

「はい?」

 

 さっきのスタッフさんが、何やら丸めたポスターを持ってこちらへ歩いてくる。それに首を傾げて答えれば、彼女はポスターを広げて見せた。

 

「ほら、君たちのポスター」

「わ、すごい! ……貼ってくれるんですか!?」

「もちろん。候補が2箇所あるんだけど、ついでだし選んでもらおうと思って」

 

 玄関の横と、カウンターの横。2つの候補を示されて、千聖ちゃんと2人で唸った。

 

「どっちが見て貰えますか?」

「たぶんカウンターの横かな」

「じゃあ、そっちで」

「りょうかーい。……あ、サイン貰えたりしない? カフェのドリンク無料券付けちゃうけど」

 

 喜んで、とサインペンを受け取る。私たち5人が写ったポスターの、自分の胸の辺りにサインを書き込む。私も千聖ちゃんもサインは比較的描き慣れているから、結構収まりよく書けたと思う。ご褒美、とチケットを貰った。お店の中でも、外のカフェテリアでも使えるからね、とのこと。

 一口飲んだレモネードは美味しかったから、外のカフェにも期待できる。頻繁に通うには自分の動線から外れているけれど、たまに来る分には苦労しないくらいの距離感にあるこのライブハウスに、次足を運ぶのはいつだろう。

 

「それにしても、感慨深いなぁ。紗夜ちゃんがお友達を連れてくるなんて」

「今までになかったんですか? こういうこと」

「記憶にないかも。……まあ、中学から通ってるからねぇ。友達でも中学生はちょっと、誘いにくいだろうし。特に月ノ森の子は……」

 

 紗夜ちゃんはここの常連さんらしい、という情報を得た。昔から通っている、とは言っていたから既出の情報といえるかもしれないけど、昔なじみのスタッフさんがいるのは初めて知った。

 

「丸山ちゃんと白鷺ちゃんは、紗夜ちゃんと仲良いの?」

「私は付き添いで、ほとんど話したこともありません」

「私は……クラスで1番くらいには仲良くしてると思います」

「ほーん。あんまり想像つかないなぁ」

 

 スタッフさんは手持ち無沙汰なのか、私たちの前のスツールに腰掛けた。

 紗夜ちゃんの事を、聞いてもいいのだろうか。ある程度なら答えてくれる気もするし、チャンスではある。

 

「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」

「うん?」

「紗夜ちゃんは、学校ではすごく優しいんですけど……その、バンドのことで嫌な噂を聞いたことがあって……バンドを幾つも解散させては渡り歩いてる、みたいな……」

「あはは、もしそんな悪女だったら、私は彼女にバンドを紹介したりなんかしないよ。紗夜ちゃんが参加したバンドが幾つか解散してるのはほんとだけど、それも別に、変なことじゃない。何年も続けられるバンドの方が少ないんだから」

 

 安堵の息を吐く。友達が悪く言われているのって、結構キツい。それが明確に否定されて、思ったよりもずっと嬉しかった。

 

「学校の紗夜ちゃんは優しいんだ」

「はい。そんな印象、ないですか?」

「うん、ないかも。いや、いい子だとは思うんだけど。他人に興味が無いというか、自分の世界に浸るのに忙しいんだろうね」

「……?」

「誰目線って感じだけど、これからも紗夜ちゃんと仲良くしてくれると、おねーさん嬉しいなぁ」

 

 そのつもりです、と答えた。にっこりと笑ったスタッフさんは、仕事に戻らなくちゃとフロアの方へ消えていく。その姿を見送って、言葉の意味を飲み込もうと反芻した。

 優しいとは思わない、だって。

 スタッフさんは紗夜ちゃんや私たちよりも歳上だから、そんな人に優しさを発揮する機会なんてほとんどないだろう、という想像はできる。同時に、バンドメンバーとの交流も少なからず見ているはずのスタッフさんの印象がそれなら、本当にこの場での紗夜ちゃんには学校にいる時のような優しさはないのかもしれない、とも思う。

 

 結局、よく分からない。

 

 千聖ちゃんに促されて、ライブが始まる5分前に後ろよりの立ち位置を確保した。ステージからは少し遠いけど、演者の顔もちゃんと見えるくらいの位置。前列で他の観客に揉まれるよりは、という判断だった。みんなドリンクを持っているし、滅多なことはないと思うけれど。

 

 ステージには、既に紗夜ちゃんが立っていた。楽器のセッティングをして、音を確かめている。センターに立っているのがユキナちゃんだろうか。紗夜ちゃん曰く、「厳しい人」。立ち姿は堂々としていて、落ち着きを感じさせる。立つ舞台の質は違えど、私も見習わなければ。

 

「白金さん、学校とは雰囲気が違うわね」

「いつもより堂々としてる?」

「ええ。姿勢も良い」

 

 音を確かめ終わったのか、ユキナちゃんがメンバーそれぞれとアイコンタクトをとって、それからこちらへ向き直った。

 

『初めまして、Roseliaです』

 

 同時に、ステージが照らされる。まず目につくのは、薔薇をモチーフにした髪飾り。バンドの統一モチーフなのだろうか、全員が同じような意匠の髪飾りをつけていた。

 黒や紫を基調とした衣装で統一された五人は、いやに迫力があった。場の雰囲気からは逸脱しているけれど、浮いているかと言えばむしろ逆で、むしろフロアの空気を支配している。その要因は、このフロアの観客のほとんどが熱視線を向ける銀髪の少女にあるのだろうと、なんとなく察せられた。

 

『ユキナという名義でソロ活動をしてきましたが、バンドを組むことにしました。以後、よろしくお願いします』

 

 彼女が頭を下げて、それから背を向ける。指揮者のように右手を振り上げたのを合図に、燐子ちゃんと紗夜ちゃんが同時に弾き始めた。

 

『一曲目、《BLACK SHOUT》』

 

 オルガンの音色と、その荘厳な響きに芯を持たせるギターの音色。

 丁寧な音だ、と思った。日菜ちゃんのギターとはやっぱり質が違う。どちらが上手いとかは私には分からないけれど、そんな私にもわかるくらいに音が違った。

 

 そう思った直後、圧倒的なボーカルに鼓膜を叩かれる。

 耳からだけじゃなくて、全身に叩きつけるような声量、ノビ。ビブラートでも全く音ブレのない安定感。

 ボイトレも、肺活量のトレーニングも積んできた私にはわかってしまう、圧倒的な格の違い。持っているものが違う。声帯なのか、そもそもの才能なのかは分からないけれど、単純な努力では説明がつかない、彼我の差。

 

 厳しい人、じゃないよ。凄い人だ。持っている側の人間には、相応のものを求める権利がある。

 たとえば、紗夜ちゃんを隣に立たせることだって。

 

 無意識に、他の観客に目をやった。

 ユキナちゃんに、Roseliaの演奏に夢中になっている表情。瞳の輝きは、アイドルを見ているときの私と同じだ。

 

 じゃあ、と視線をステージに戻す。瞬く間に観客を魅了したユキナちゃんの表情はというと、少し楽しそう。でもあくまでパフォーマンスに努めるという感じもあって、千聖ちゃんに抱いている印象に近い。

 

 紗夜ちゃんは、と目をやった時にはちょうど暗がりだった。後ろからスポットライトが射し込んで、逆光から紗夜ちゃんの表情が浮き彫りになる。

 いつもの表情をしているんだろうと予想していた。授業中の、問題を解いている時の表情。あるいは、本を読んでいる時の表情。

 少し楽しそうで、ある程度真剣で、ほんの少しの退屈を孕んだような、表情のある無表情。

 

 そんな予想とは、まるで違った。

 

 紗夜ちゃんは、呼吸していた。歓喜していた。生きていた。

 瞳に光を映して、口角を上げて、肩を揺らして、歓喜にむせいでいた。

 

 ──知らない。

 

 左手がなめらかに指板を滑る。白く細い指先に血潮が通って、力強く弦をストロークする。

 翼を授けられた少女のように足取りが弾んで、ステップを踏む。

 ぎらぎらと輝く瞳に、私が1度でも彼女から感じたことの無いエネルギーと衝動を宿して、彼女のギターは唸りを上げ、吠えた。

 

 こんな表情は、初めて見た。

 

 ドキュメンタリー映像で見た獣の走りを想起する。

 

 息は白く、月の光を跳ね返す瞳は黄金色に瞳孔を窄める。砂浜を駆ける野生の馬のようだった。寄せては引く波を背景に、浅葱のたてがみを揺らす。足の回転数は加速度的に上昇して、砂を蹴り飛ばしながらギャロップで駆ける。石英がダイヤモンドダストのようにキラキラと舞って、疾風に尾を引いた。

 翼が生えていたら飛び上がりそうなほど、それでいて蹄は地面を掴んで、痩せた流線型の体躯を世界の外へと送り出す。捕食者から逃げ出すための四足で、しがらみ全てを蹴破っていく。

 

 恐怖と、安堵、全てを凌駕する興奮だけが音波に乗って押し寄せた。

 

 或いは、その貪欲さは、狼のものなのかもしれなかった。

 満月の瞳に、耐え難い飢えを湛えて、枯れ草の荒地を爪が引っ掻く。視線の先には飢えを満たすはずの何かがあって、ひたすらにそれを追いかけて走る。獲物が左に曲がれば、尾をひいて身体を傾け、足に力を入れて遠心力の浮遊感を堪え、唾液に濡れた牙を剥き出しに、ただ走る。

 

 

 ──幸せじゃ、なかったんじゃん。

 

 恨みがましい声が漏れた。

 

 私といるときも、学校にいるときも。絶えず紗夜ちゃんに付き纏っていた厭世の空気が、諦念が、残酷なまでの退屈と達観が、この瞬間だけは取り払われていた。

 音楽の世界にしか居場所がないとでも言うように、紗夜ちゃんは心の底から笑っていた。

 

 只々悔しい。友達だなんだと言って、私はやっぱり、紗夜ちゃんの苦しみを和らげる一助にさえ成れていない。

 

 どうしようもなく、紗夜ちゃんは飢えていた。それを埋めるものがなんなのか、私にはこれといった答えを提示できないけれど、紗夜ちゃんは決して満たされてなんかいなかった。

 追われて、苦しみから逃げて、それでもこんなに美しく疾走する姿に、悔しくて、もどかしくて、拳に力が入る。

 

 黒くうねるストラトキャスターの海に、涙が零れた。温度が上がった目頭を押さえつけて、ぼやける視界で紗夜ちゃんを脳裏に焼き付ける。

 

 いいじゃないか、と理性が囁く。紗夜ちゃんが音楽の世界では幸せでいられるのなら、それで構わないじゃないか。悔しがる必要なんかない。少なくとも学校生活での紗夜ちゃんは苦しんでいないのだから、止まり木のひとつにでも成れているのは間違いない。それで十分だろう。

 

 嫌だ、と感情が裏切る。

 紗夜ちゃんの幸せがどうだと言いながら、この胸に込み上げる悔しさの理由は。

 

 はじめて気が付いた。

 

 ──私は、紗夜ちゃんの一番になりたかったんだ。

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