色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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《12》足音

 

 一番になりたい。それってつまり、恋だったりするのか、なんて自問してみる。

 結果として、よく分からない。ただ、私が紗夜ちゃんに抱いていた感情が、思ったよりも利己的で(きたな)らしいものだったことには失望した。

 

「そういう感情をあけすけに話せるのが彩ちゃんのすごいところなのかもしれないけどさ。……流石にちょっと、お馬鹿じゃない?」

 

 ゴールデンウィーク中の半日オフ。午後3時からの空き時間に、日菜ちゃんを連れ出した。キャラメルワッフルを奢る約束で原宿まで出向いて、祝日で混み合う街中を右往左往。買ったはいいけど結局座るところもなくて、行儀悪く日菜ちゃんがアーチ型の車止めに腰掛けた。

 

「馬鹿って……」

「あたしが彩ちゃんのこと手伝うと思った?」

「ううん。でも、日菜ちゃんって紗夜ちゃんのこと好きだよね」

「……それ今関係ある?」

「あるよ」

「あっそう」

 

 キャラメルソースがたっぷりかかったワッフルに齧り付いて、相も変わらず日菜ちゃんはしかめっ面だった。この場合は私が日菜ちゃんの踏み込まれたくない部分にずけずけと足を踏み入れているわけだから、悪いのは私の方とはいえ。

 

「あたし、彩ちゃんのこと苦手かも。……今までこんなやりにくい人はいなかったんだけどな」

 

 白のハイカットスニーカーをぷらぷら。日菜ちゃんは思案気な表情で、路駐してある赤色の外国車をながめていた。

 答えてよ、と急かすのも違うかと思って、私もワッフルを一口食べる。パサつくイメージがあってそれほど気乗りしなかったけれど、ここのはしっとりしていて美味しい。キャラメルソースも甘すぎずくど過ぎず、流石人気店だと感心させられた。

 

「……おねーちゃんのことは好きだよ。もう2年以上話してないけど、また話したいと思うし」

 

 でも、と続けられた接続詞に滲むのは、明らかな諦観。

 

「諦めてる。おねーちゃんはあたしのこと嫌いだろうし、嫌われるだけのことをした自覚もある。だから3年後にはおねーちゃんがどこかへ消えて、あたしたちはそれでお終い」

 

 自販機で買った水で喉を潤して、また思案気な表情。

 嫌われるだけのことをしたって、たとえばどういうことだろう。実際、紗夜ちゃんがどんな所業を受けているのか、日菜ちゃんの口から語られたことは無い。容易に部外者に話すことではないと思うし、それ自体は全く文句がないけれど、気になるのは気になる。

 

 日菜ちゃんは紗夜ちゃんが好きなのに、こんな関係になってしまったということは、日菜ちゃんも少なからず加担した側ではあるんだろう。そこに、他者の圧力が絡んでいないとは思わないけど。

 

「もしかして、彩ちゃんとおねーちゃんの仲が深まれば、間接的にあたしとおねーちゃんの縁も残る、みたいな話をしようとしてる?」

「うん」

「うわぁ……。まあ、あたしを黙らせるには悪くない手段だと思うけどさ。もしアドバイザーとしての役割を求めているのなら、あたしにその価値はないよ」

 

 ドン引きしたような表情。この一ヶ月ほど日菜ちゃんと接してきてわかったけど、これは演技だ。これくらいの小さな駆け引きをいちいち敬遠するほど日菜ちゃんは純真無垢ではないし、潔癖でもない。

 

 私の所感では、日菜ちゃんは結構千聖ちゃんと似ている。天衣無縫なフリをしているだけで、日菜ちゃんは人間関係の打算や感情の機微、力関係にかなり敏感な部類だと思う。著しく空気が読める方だ。千聖ちゃんと違うのは、その上で集団に迎合したり、あるいは音頭をとって正しい流れに矯正したりはしないこと。感情や気分で正しさを無視してしまうのが、日菜ちゃんの強さであり自由さだった。逆に、規範や正しさを守る千聖ちゃんのスタンスもまた強さだとは思うのだけど。

 

「それとも、おねーちゃんが受けた所業を一つ一つ言葉にして欲しいの? それこそ、知らなければよかったと思う羽目になるよ」

「どっちでもないかな。いや、アドバイスは欲しいけど……一番は、日菜ちゃんと紗夜ちゃんの仲を取り持ちたい」

「はぁ? 別に彩ちゃんにメリットないじゃん」

「あるよ」

「へぇ。どんな?」

「えっと、気持ちの問題、とか……」

 

 ハシゴを外されたように脱力して、日菜ちゃんは残りのワッフルを食べきった。駆け引きには乗ってくれるつもりだったんだろうか。でも、日菜ちゃんや千聖ちゃんみたいに頭の良い話はできないから、許して欲しい。

 どれもこれも感情論だ。私がやりたいから、私が望んだから、という動機に帰結してしまう以上、どんな理屈をつけても理論武装以上の意味はないし、日菜ちゃんを言い負かすすべはない。

 

「というか、なんか根拠の無い自信を抱いてるみたいだけど、あたしや家族の話をし始めたら彩ちゃんも避けられると思うよ」

「そうかも。……でも、仕方ないよね。だって止まれないんだもん」

「それでおねーちゃんを不幸にするかもしれないのに?」

「ううん。私がちょっと突ついたくらいで、紗夜ちゃんは不幸になったりしないよ」

 

 ああ、と日菜ちゃんが納得したように頷いた。

 

「ライブでも観に行ったの」

「……うん。日菜ちゃんも、行ったことある?」

「あるよ。1回だけ、隠れて観に行った。たぶん、もう行かないかな」

 

 包装を折りたたんでバッグのポケットに入れて、日菜ちゃんが立ち上がる。グッと腰を伸ばす仕草になんとなく既視感があった。

 

「なるほどね。……まあ、ちょっとだけ抗いがたい言葉なのは事実だよ。今だって独り相撲の感も否めないし」

 

 ちょっとだけなのか、と少し目論見が狂う。

 ただの言葉で説得できるかは怪しいと思っていたけど、協力してくれたりしないかな、と若干楽観視していたのも事実。

 

 どう救うのか楽しみにしている、という嘲笑を忘れてはいない。ただその上で、日菜ちゃんはけっこう、私に甘かった。日菜ちゃんの立場なら、私の預かり知らないところで私を妨害することだってできたはずだ。だというのに、日菜ちゃんはむしろ、紗夜ちゃんのチケットやらライブでのアドリブやら、私を助けてくれている。

 

「あ、嫉視してるのか、あたし」

 

 合点がいったように、日菜ちゃんはハッとした表情をした。

 

「しっし?」

「つまりあたしは、彩ちゃんを妬んでる。たぶん。……だからムカつくんだね」

「はぁ……」

 

 嫉妬なんて初めて……でもないか、と呟いて、日菜ちゃんはどこへともなく歩き出す。慌ててそれについて行こうとして、ワッフルの最後の一口を放り込んだ。

 

「おねーちゃんと目が合うのが羨ましい。おねーちゃんと言葉を交わせるのが妬ましい。……自分で選んだのにね」

 

 路駐してある車のガラスに跳ね返る日菜ちゃんの表情には、やっぱり諦観が滲んでいる。

 

「そう、選んだんだよ。おねーちゃんがこれ以上苦しまないために、あたしはおねーちゃんの手を離さなければいけなかった。ひっそりと差し伸べた手のひらが、おねーちゃんを更に苦しめるんだから。……今だったら、もう少しマシな選択ができたのかもしれないけど」

「……今からでも、やれることはあるよ」

「そうかもね。でもきっと、あたしじゃない方が良いとも思う。……あーあ、小学生1年生からやり直せたら良いのになぁ」

 

 そしたら殺人容疑で少年院行きか、という発言はとりあえず聞かなかったことにして、日菜ちゃんのあとを追いかける。どこへ向かっているのかもよく分からないまま、人通りの多い神宮方面へ。

 

「どういう理由だったかは忘れたけど、小学生の頃におねーちゃんがものすごく怒られてたんだよね。……たぶん、あたしが片付けを忘れてたとか、そんな感じの濡れ衣だったような気がするんだけど」

「……うん」

「あたしに責がある何かしらが原因でおねーちゃんが詰められてて、あたしが庇おうとしちゃったんだ。だってあたしが悪いんだもんね」

 

 さて、何が起こったでしょうか、と表情のない笑み。おどけた様子に悲痛な色が混じって、どう反応すれば良いか分からなくなる。

 

「まず、会話をしてはいけないって決まりを破った扱いでおねーちゃんが叩かれるでしょ? それから、あたしがおねーちゃんを庇ったせいで、おねーちゃんはご飯抜きで一日中床下収納に押し込められてた」

 

 やっぱり親のせいじゃないか、と言おうとして、踏みとどまる。そんなことは、日菜ちゃんだって分かっているはずだ。その上で、その選択に甘んじたことを日菜ちゃんは後悔している。

 

 今の私が日菜ちゃんの立場にいたとして、何かできるだろうか。自分のミスで、紗夜ちゃんが責められる。庇ったら虐待はエスカレートして、自分の行為が紗夜ちゃんを更に苦しめる。そんなの、何もできっこない。

 姉妹の分断として、これ以上ないと思う。

 

 日菜ちゃんは紗夜ちゃんのことしか言わないけれど、日菜ちゃんだって立派な被害者だった。

 

「今となっては遠い過去の話だけどね。おねーちゃんの苦しみの上で、あたしは裕福な生活を送ることを選んだ。あたしが反抗し続けていれば、おねーちゃんと同じところまで落ちていけるかもしれなかったのに。あたしは不干渉でいることしかしなかった」

「それは、日菜ちゃんが悪いわけじゃ──」

「わかってるよ。分かってても、取り返しのつかないことだってある。あたしが悪いとか悪くないとか、別にどうだっていい。彩ちゃんは軽くあたし達の仲を取り持つだなんて言うけど、おねーちゃんがあたしを許すってことは、おねーちゃんに今までの苦しみを呑み込ませる非道だよ」

 

 じゃあ日菜ちゃんはどうしたら救われるの。

 相対する二人の心に安らぎが訪れるには、どうしたらいいんだろう。

 

「彩ちゃんがおねーちゃんと仲良くなるのは、ムカつくけど別にいい。けど、おねーちゃんの傷を抉る必要はないでしょ。家庭のことなんか気にせずおねーちゃんと話せばいいと思うし、ましてあたしのことまで考慮しちゃダメだよ。それはおねーちゃんへの裏切りじゃん」

 

 裏切り。……そうかもしれない。

 紗夜ちゃんに寄り添おうとすれば、日菜ちゃんとの距離は開いてしまう。逆も然り。

 

 どっちつかずは良くないとわかっていても、どちらかを切り捨てるのは嫌だ。千聖ちゃんの言う通り、二人の間に立ちたいのなら紗夜ちゃんに心を傾けるべきなのだろうけど……紗夜ちゃんと日菜ちゃんの関係だけを見ていると、どうにも日菜ちゃんに肩入れしたくもなる。これは私の立ち位置の話であって、本筋には関係ないのかもしれないけれど。

 

 酷い話だ。紗夜ちゃんの境遇を知っているのに、紗夜ちゃんの弱っている姿を見たことがないから、感情はなんとなく日菜ちゃんにも向く。

 その場しのぎの感情で生きているのがありありとわかって、少しの自己嫌悪。

 

「ほら、図星」

「うぅ……」

「そもそもあたしの言い分を信じてるのがお馬鹿だよね。加害者の言い訳ほど信用に値しないものはないのに。……まあおねーちゃんにアタックしてすらいないんだから、あたしの言葉を鵜呑みにするしかないんだろうけど」

 

 お馬鹿、と日菜ちゃんが繰り返した。おねーちゃんに聞いてみたらって言ったのに。と正論をぶつけられて消沈。

 私を妬んでいる、という話をしてくれたときの歩み寄りはどこへやら、言葉尻にはいつもの棘が戻っている。

 

「……つぎは、紗夜ちゃんと話すつもり」

「ふーん。踏み込んで撃沈しなきゃいいけど」

「それでも、だよ。だって、そうでもしなきゃ紗夜ちゃんに退屈も不安も忘れさせるなんて無理だもん。私は紗夜ちゃんにとっての音楽と同等以上の存在になりたい」

 

 紗夜ちゃんが踏み込まれたくない部分まで踏み込むことを許されなければ、きっと関係は永遠に変わらない。紗夜ちゃんが引いた線の内側に入れないまま、それこそ日菜ちゃんが言うように高校を卒業してそれきりのような気がする。

 紗夜ちゃんのパーソナルスペースの内側に立って、日菜ちゃんのことや家族のこと、過去もある程度知った上で、それでも紗夜ちゃんが好きだと言い張れなければ、私の特別と紗夜ちゃんの特別が同価値になることはきっとない。

 

 必ずしも暴く必要はないと思う。日菜ちゃんから聞いたと伝えるだけでも、最悪構わない。紗夜ちゃんの苦しみをわずかでも垣間見た上で、ありのままの紗夜ちゃんを肯定できれば、いい。

 

「なんか、夢見てるのか現実思考なのかよくわかんないなー。自分が誰かにとって価値ある存在になれると思ってるのが、彩ちゃんらしいって感じ」

「……悪口?」

「好きに受け取ればいいんじゃない。あたしには絶対に生まれない思考だから、面白いことには面白いよ」

 

 嫌味じゃん、と思ったけどこれも正論なので黙っておく。

 私は誰もが心の中には他人に依存する部分を持っていると思っているし、人と人との繋がりなしには孤独に耐えられないとも思っている。アイドルを目指すからには、自分がその位置に立つ資格があると信じているのも同義だ。

 

「んー、まあ、でも。有り得るのかもね。あたしは誰かを救いにしたことはないけど、その逆はあるわけだから。アイドルなんてものがあるくらいだし、他人の存在が救いになる人も、自分が誰かにとっての救いになる人も……存在するわけで」

「逆?」

「誰かのせいで人生が台無しになること」

 

 紗夜ちゃんの事じゃないはず。じゃあ、他の家族の誰かだろう。

 日菜ちゃんは取ってつけたように「本心じゃないかもしれない」と言ったけれど、隠していることはあってもわざとらしい嘘はついていないと思う。

 

 隠していることは、たとえば日菜ちゃんの感情とか。

 日菜ちゃんは時折、私にも感情を覗かせることがある。ライブの時の苛立ちだったり、紗夜ちゃんの話をするときの諦念だったり。それは紛れもなく日菜ちゃんの本心ではあると思うのだけど、同時に、演出されたものであるとも思う。日菜ちゃんの表情が私にどう映るのか、たぶん日菜ちゃんは理解して作っている。

 その上で、弱みになるような感情を隠していると思う。──違うか。日菜ちゃんがそういう感情を見せてもいいと思うほどに信用されていないだけな気がしてきた。多分こっちが正解。

 

「……てかさ、今更だけど、別にあたしに話を通さなくてもいいよ。もうおねーちゃんの交友関係を監視するようなこともしないし、二人でやってくれればいい。なにより、ムカつくだけだし」

「そのわりには、色々話してくれるよね」

「彩ちゃんのためじゃないから、勘違いしないでくれる?」

 

 べ、と舌を出して日菜ちゃんが薄ら笑った。

 

「彩ちゃんが上手くいっちゃったらどうしようかな。嫉妬で狂うかも」

「それは困るんだけど……」

「じゃあ上手くいかないでくれる?」

「それは嫌だ」

 

 表情を隠すように、日菜ちゃんはキャップを深く被り直した。

 態度こそ気安いけれど、日菜ちゃんはきっと本心から私のことが嫌いなんだろう。嫌いというか、気に食わない? 

 それがむしろ日菜ちゃんの善性を保証しているような気がして、落ち着く。

 

「そういえば」

「うん」

 

 会話が途切れてしばらく、ふと思い出したように日菜ちゃんが口を開いた。

 

「金曜日にあたしも告白? されたんだけどさ。アレってされる側は結構困るもんだね」

「……月ノ森って女子校だよね?」

「彩ちゃんがそれ言う?」

「そうだけど……それ、断っちゃったの? 困るっていうことは」

「うん。特に興味もなかったし。それでさ、じゃあ『元のように友達でいてください』って言うんだよ。それって、結構な傲慢じゃない? 人間関係は一回性で不可逆なのに、それを巻き戻せって。あたしは『この子ちょっとめんどくさいな』って思っちゃったし、それは消せないんだもん。誰かの『特別』になるために踏み込むことは尊いのかもしれないけれど、失敗すれば相応の代償を払わなきゃいけない」

 

 どうして今その話をしたの、とは聞かなかった。

 やっぱり意地悪だ。

 




次、氷川紗夜視点、たぶん
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