前編
百合小説書くの初めてなのでちょっと緊張しますね。
Roseliaというバンドに抱いている印象は、そう間を置かずに解散しそうなバンドだ、という随分失礼なものだった。
湊友希那というリーダーの実力、カリスマはともかくとして、経験が欠如している。メンバー選びの時点で既に雲行きは怪しいと思っていたが、5人揃ってしまえば予想通り、見事にモチベーションが揃っていない。
ストイックにやりたいなら、ビジネスライクな関係を心掛けるべきだ。半端な覚悟でやりたいと言う人間を歓迎するべきではない。
湊さんいわく及第点スレスレのミーハードラマーと、同じくバンド初心者のキーボード、白金さんと、湊さんの幼馴染らしいベース。メンバー集めに難航していたと言う割には少し探せば見つかりそうな実力のメンツだから、湊さんが何を条件に最終決定を下したのかは分からない。
ただ、ライブ後の一喜一憂を見ていると、目指す場所の差や視座の高さが後々響いてきそうだと切に思う。
「紗夜さんのギター、すっごく良かったです!」
「……ありがとうございます」
「なんというか、練習と全然違いますね」
「そうですか? 自分ではよく分かりませんが」
「練習のときは『ギター大好き!』って感じですけど、本番は『生きてる』って感じで」
「はぁ」
次を探すのは面倒だから、最低でも1年、理想を言えば3年もってくれると嬉しい。
まあ、どうでもいいか。そういうのは湊さんの仕事だ。私はすすんで輪を乱したりしないし、逆に積極的に関係を取りまとめようともしない。なるべく良い環境でギターを弾かせて貰えればそれで満足だった。
テンション最高潮! といった様子で撤収の準備を進めている宇田川さんを尻目にギターケースを背負う。
丸山さんは満足してくれただろうか。ライブ後はバタバタしてあまり話せないだろうから、また学校でと言ってある。何も無ければ連休明けになるだろうか。詳細な感想を欲しているわけでもないから、わずかでも楽しんでくれていたら良いなと思うくらい。
ステージからでも白鷺さんと二人で来ているのが見えたから、とりあえず約束は果たせただろうと安堵。
「お疲れ様〜! 全然心配してなかったけど大成功だったね!」
「……ええ、ありがとうございます。今日もお世話になりました」
「そこはお互い様だから。でも驚いたよ、紗夜ちゃんがお友達をライブに呼ぶなんて」
「観たいと言われて拒否する程のクオリティでもなくなりましたから」
「中学時代は恥ずかしいから断ってた感じ?」
「……いいえ? 特に興味を示されなかっただけです」
待機時間中に月島さんが話しかけてきたのに答える。何故個人的な交友関係が知られたのだろうと思ったが、そういえば、丸山さんにバンド名を伝えていなかったような気がする。直前で決まったから仕方がないけれど。
「2人にサインもらっちゃった。受付の横にPastel*Palettesのポスター貼ってあるよ」
「ここでライブをするわけでもないのに良いんですか?」
「お客さんとして来てくれたんだからいいんじゃない?」
「それもそうですね」
見たくない顔を見る機会が増えると思えば少し憂鬱だったが、いちいちアレルギーが出るわけでもないし、仕方がない。グロテスクな画像を見せられるくらいの不快度は飲み込むべきだ。
「ところでさ、やっぱり聞いてもいい?」
「……どうぞ」
「氷川日菜ちゃんって、紗夜ちゃんの関係者?」
日菜の顔と名前が知れてしまえば、訊かれるようになるだろうことは分かりきっていた。こういった音楽関係の場でも、学校でも。丸山さんのデビューの後、彼女のグループが取り上げられるようになってから、何度か日菜についても訊かれたし、その度に適当に答えてきた。
「妹です」
「へぇ、姉妹揃ってギターやってるんだ」
「そうみたいですね。……知ったのは最近ですが」
「あ、仲良くない感じ?」
「ええ。あまり関わりがない感じでしょうか」
そっかぁ、と呟いて、月島さんはそれ以上尋ねてこなかった。こういう大人の優しさに少なからず救われている自覚がある。このハコを活動の主拠点にしている理由のどれほどかに、彼女の存在が含まれていないとは言わない。
「ともかく、お疲れ様。……どう、楽しめそう?」
「楽しいですよ、いつも通り」
「うーん、そうかぁ……」
「……? なにか?」
「んーん、なんでもないよ。……打ち上げ行くんでしょ? 奢ったげよっか」
「結構です。打ち上げも……行くんですかね。何も聞いていませんが」
打ち上げを拒否するほど付き合いが悪いつもりもないが、そういう話は湊さんから出ていない。明日も明後日も予定を詰め込んでいるし、特に何もないような気がしていた。
精算を済ませてライブハウスを出る。湊さんのファンであろう数人に出待ちされて少しぐだついた。バンドごと推します、と宣言されたものの、宇田川さんのはしゃぎようが増したくらいか。今井さんは複雑そうな表情だったし、どうにもその感情が湊さんがらみな気がしてならない。何か事情を抱えているのは間違いないと思うが、それがこちらまで波及してこないことを祈るばかりだ。
「みんなでご飯行きましょうよ! 打ち上げです!」
「いいね、初ライブを乗り切ったわけだし」
「……ミスばかりで、到底成功とは言い難い出来だった。これで満足しないで欲しいものね」
「まぁまぁ、反省と練習は明日やるでしょ? 今日は一旦Roseliaの出発を喜ぼうよ。ね、燐子も打ち上げ行くよね!」
「え、えっと……はい」
「紗夜も!」
「……湊さんが是と言うなら」
はぁ、と湊さんが溜め息を吐いた。行くらしい。
♦
ゴールデンウィークの連休はほとんど家に帰らず過ごした。連休の定めというやつで、家人がずっと家にいる時期は最低限の家事をするくらいであとはずっと追い出される。
……幾分気楽なくらいで、私としては構わないのだが。食費が出ないのが少し苦しいくらいか。
というわけで、高校生になって最初の連休はバンド活動に明け暮れたことになる。チケットのバックをスタジオのレンタルに注ぎ込んで、いつも通り月島さんに訝しげな視線を向けられながら、朝から晩までギターに没頭していた。
昼休憩のときに私が借りている部屋で暇つぶしをするのだけはやめて欲しいと切に思う。邪魔されるわけでもないし、普段お世話になっている自覚があるから強くは言えないけれど、すこし気が散る。
Roseliaの練習と、個人の趣味と、夕方のライブと。指が痛くなるまで弾いて、家に帰っては眠っての繰り返し。連休明けに貧血で倒れそうになっている以外は、私の人生においてはこれ以上なく充実した時間だったとも言える。
スピカの散歩を済ませた後、ギターケースを背負って登校する。
朝から席替えをしよう、という提案があって、今の出席番号順からくじ引きの席順に変わる。教室の右側の席の方が良いな、という密かな願いが通じたのか、私が引きあてたのは右前方の席だった。丸山さんとは少し離れてしまったから、それは残念だけれど。
「じゃあね、紗夜ちゃん……」
今生の別れだとでも言うように暗い表情で手を振って、机を引きずっていく丸山さんを見送った。踏んだり蹴ったりだ、と言っていたから、朝から既に踏まれているらしい。
「……そういえば、ライブの方は満足して貰えたのかしら」
「うん、すごく良かった。……けど」
「けど?」
「ねぇ、紗夜ちゃん。今日の放課後って、空いてたりしない?」
ふと思い出してライブの話を振ってみたら、思いの外難しい表情が返ってきた。なんとなく丸山さんの意図がわかるような、当たって欲しくないような。
「まあ、空いていると言えば空いているけれど」
後回しにできる用事しかない、という意味だ。
教室の対角まで離れた距離をわざわざ歩いてきて、私の机に手をついている丸山さんは、何かを躊躇しているようだった。
「……私ね、紗夜ちゃんのこともっと知りたいの」
──耳鳴り。
ちょうど静かだった教室に、丸山さんの言葉が響いた。にわかに耳目がこちらへ集まったのを認識しながら、私の思考は狂った方位磁針のようにぐるぐると進むべき道を探して回転していた。
丸山さんの言葉の意味は分かる。
私が「踏み込んで欲しくない」と引いた線の内側に入りたい、ということだろう。
そして、私はそれを望まない。
丸山さんのことを好ましく思っているのは事実だ。
私なんかに話しかけてくれるのも有難いし、夢に向かって努力する姿勢を尊敬できるし、彼女のライブで多少なりとも心が揺れ動いた気がしたのも確か。
それでも──むしろ、それ故に。
私に触れてほしくない、と思う。
鼓動が早くなる。息が切れるように錯覚するほど。
「……放課後、待ってるね」
ついぞ言葉を返せないまま、予鈴が鳴った。
大丈夫だ、と言い聞かせる。いつも通り、二者択一をするだけ。
自分を守るために、無償の愛を信じることをやめたように。心を損ねないように、日菜を嫌わざるを得なかったように。密やかな平穏を守るために、友情を切り捨てるだけ。
腐った枝葉を間引いて、ほのかに芽生えた新芽も蕾も切り落として、氷川紗夜という人間の幹を生かす。腐り始めた根っこの方は、もうどうにもならないけれど。
久方ぶりに、手の中の鋏を意識した。
冷たい金属の刃が、生暖かい私の心を切り分ける。
放課後になるまで、私は1度も口を開かなかった。
代わりに、丸山さんのことを考えていた。
指先から凍りついた血が心臓にまで巡って、消えてしまいたくなる。
大丈夫。友情だって切り捨てられる。
──耳鳴り。
丸山さんには知られたくない。
彼女が惹かれているのは、懐いているのは、氷川紗夜という人間を極限まで良く見せた虚像に過ぎない。
知られれば嫌われる、とは思わないけれど、少なからず失望されるのは避けられないと思う。
たまたま映画館で鉢合わせて映画を観て、それ以来丸山さんは積極的に私に話しかけてくれるようになった。月ノ森では話す相手こそいたものの、日菜と私の関係もなんとなく知れ渡ってしまっていたから、友人関係にあると言えるかも怪しいような距離感だった。
無遠慮に友誼を結べたのはそれこそ、小学生の頃までだろう。
だから、なんというか。柄にもなく舞い上がっていた自覚がある。
孤独じゃないのが久しぶりだった。
私の言葉が、誰かの心に届くのが。誰かの言葉が、私のために紡がれるのが。
丸山さんの右側に立って、日常の取り留めもない出来事を聞くのが心地良かった。文字の性格診断の話。パーソナルカラーの話。事務所に良い香りの生花が飾ってあったこと。憧れのアイドルとすれ違ったこと。以前見た映画のインタビュー記事のこと。私が勧めた曲の感想。丸山さんのオススメの曲の布教。新作のスイーツ。勉強のこと。
私がこれまでの人生で取りこぼしてきたものに気付かせてくれるような気がして、そんな雑談さえも私に色をつけた。
返す私の話は、きっとつまらなかっただろうと思う。誰かと雑談をするという経験さえも私にはほとんど無くて、話題を面白おかしく展開する方法も知らなかった。テレビを見てこなかったから芸能人の話にもついていけないし、ファッションにも疎いし、甘味も私の手には渡らないものだったから、何がどんな味かなんて遥か遠い記憶の彼方だ。
人間としての形を、最低限の尊厳を取り戻しつつあるような気がして、退屈な学校生活の間に挟まる丸山さんとの時間を、私はきっと、自分が思う以上に尊んでいた。
帰りのホームルームが終わると、丸山さんと目が合った。
確かな決意が宿った眼差しに、どう言ったものかと考える。先程までの躊躇の色は失せていて、やんわりとした拒絶は通用しなさそうだった。
「ついてきて」
「……長話をする気はないのだけど」
少し強引に手を取られた。クラス中の視線を集める。丸山さんと特に仲の良いグループの幾人かは呆れたような顔をしていた。私はそれよりもさらに苦みばしった表情をしているのだろう。
未だに学校の地図を完全に把握しているわけではないけれど、丸山さんが人気のないほうへと進んでいることくらいは分かる。高等部旧校舎の二階、突き当たりの教室。雨の日の運動部がトレーニングに使っているくらいだ、というようなことを聞いた覚えがある。
「ここ、告白スポットに使われたりするんだって」
「はぁ」
女子校だし、告白スポットなんて概念が定着するほどそういうイベントがあるとも思えない。それに、空き教室なんて風情も何もあったものではないから、ああそう、という以上の感想も出てこない。
耳鳴り。立ちくらみが酷くて、なるべく自然に見えるように椅子に腰掛けた。耳鳴りが重なると平衡感覚さえ怪しくなる。とっくに聴こえない癖に、耳鳴りだけはやかましく響かせてくる右耳を切り落としてしまいたい。
「……日菜との事が聞きたいの? 丸山さんのことまで嫌いたくない、と言ったはずだけど」
「うん。でも、先に謝っておかなきゃいけないことがあって……大まかなことは、もう日菜ちゃんに聞いちゃったんだ」
「……そう」
日菜はベラベラと話すようなタイプではないと思っていたが、予想が外れた。数年前の記憶があてになるわけもないか。
いつもいつも、余計なことばかりしてくれる。
「なら、もういいでしょう。家庭環境が原因で、日菜とも仲が悪い。それだけよ」
もう知られてしまっているのなら、失望を恐れる意味はないか。私の手の届かないところで私の評価が歪んでしまっただろうことは間違いないけれど、変わってしまったものを受け入れることには慣れている。結局は良い顔をしたいだけの私の虚飾が剥がれてしまったのなら、繕い直す意味はない。
それよりも、家庭の話を学校に持ち込まれたくない。あと3年は抜け出せない呪縛を、それでもつかの間忘れられるこの時間が惜しかった。
「首を突っ込んで面白いこともないわ。丸山さんが関与できる話でもない。それとも、なにか? 私のミジメでカワイソウな境遇が、貴方の同情心を擽るのに値した?」
「可哀想だとは思ったよ。悲しいとも。だから、もともと話す気はなかったの。私にはなんにもできないけど、紗夜ちゃんと友達でいられればいいと思った、のに──」
丸山さんを拒絶した場合、いずれにせよ私に安寧は戻ってこないだろう。丸山さんだからこんなにも私と親しくしてくれたんだろうし、そんな彼女を拒絶してしまえばほかのクラスメイトにも遠巻きにされるだろうことが目に見えている。特にこれは、経験則だった。
そういう打算を抜きに、丸山さんのことを信用したいという思いももちろんあったけれど──
「紗夜ちゃん?」
「……なに?」
「顔色が悪いけど──」
「いつも通りよ。……貴方が話をすると言ったんでしょう」
耳鳴りが酷くなる。増していく吐き気と頭痛から逃れるために、深く息を吐いた。肺が震える。
程度はともかく、こうなるのはわかっていた。PTSDに入るのだろうか。未だ家族の前に立つだけで足が震えるのだから、多分死ぬまで治らないだろう。
丸山さんが私の手を取った。振り払うのをほんの少し躊躇する間に両手で包み込まれて、冷たくなった指先に体温が伝わる。
パステルピンクの瞳には心配と、それからほんの少しの後悔が滲んでいた。
「……紗夜ちゃんのライブを観てね、すごく悔しかった。ステージの上の紗夜ちゃんは輝いていて、楽しそうで、本気で生きてたから。私といるときはやっぱり、ほんの少し苦しそうで……音楽の中でしか、紗夜ちゃんは幸せじゃないんだって思った」
予想外の言葉を投げかけられて、少し思考が遅れた。音楽の中にしか居場所がないと思っているのは真実。それを言い当てられたことはまあ、良いとして。
「それでね、私、気付いたの。私は、紗夜ちゃんにとっての一番になりたいんだなって」
「既に、一番仲が良いのは丸山さんだと思うけれど」
「ううん、そうじゃなくて。音楽と同じくらい、紗夜ちゃんの安らぎになりたいんだよ。私、紗夜ちゃんのギターに嫉妬したの!」
「からかっている……わけではないのよね。意味が、分からないのだけど」
「だから、その──」
私が家族のことに触れずに、辛気臭い顔をしているのが気に食わなかった、ということだろうか。確かに、仲が良い相手には悩みも打ち明けて欲しいものだ、という一般論は分かる。
……その場合、一般的な感覚からズレているのは私の方になるのだろうか。そうかもしれないとは思いつつ、瞬時に思想を翻すほど浅く生きているつもりもなかった。
だから、と躊躇いがちに続けた丸山さんは、その髪色と同じくらい、頬を染めていた。繋いだままの指先が、驚く程に熱かった。汗ばんだ感触を知覚しながら、丸山さんの感情の熱量におののく。
はぐらかす意図を込めて否定を混ぜた返事を乗り越えて、丸山さんの瞳が私の内側を覗き込む。
「──私は紗夜ちゃんのことが好き。紗夜ちゃんの一番になりたいし、紗夜ちゃんの苦しみも弱さもひっくるめて、好きになりたい」
言うつもりはなかったのに……! と言うつぶやきとともに、耳まで真っ赤に染めて突っ伏した後頭部を眺める。
瞬きを忘れて、目が乾く。焦点が合わなくなって、固く瞼を閉じた。
頭だけが浮いているような感覚。ふわふわとした思考に目が回る。水を差す耳鳴りだけが私の冷静さを保証していた。指先から感染する熱を、心の痛みが遮断する。
「そ、その、付き合って欲しいとか、まだそういうのじゃなくてね、えっと……ううん、これは本心だから、誤魔化せないや。……私は紗夜ちゃんが、好き」
私は──私は、どうすればいい。
だってこんな色を、私は知らない。