マイナーカプ……? クラスメイトなのに?
朝から緊張していた。GWは仕事とレッスン漬けでゆっくり思考をめぐらせる余裕もなかったけれど、1週間近くもあれば感情に整理もつく。日菜ちゃんにボロボロに言い負かされたり、レッスンで実力の差を見せつけられてへし折られたりしつつ、紗夜ちゃんに会えない寂しさに、この感情を恋と名づけることを決めた。
となれば、今日紗夜ちゃんに話すことは、告白の近似に他ならないのでは? と思いつつ。
拒絶されてしまえばここからは灰色の青春が待っている気もして、実はかなり脅えていた。諦めの悪さだけが取り柄だから、それでもなんとか縋りつこうとするんだろうけど。夢への執着ならともかく、色恋において諦めが悪いのはちょっとみっともない気も。
そろそろ夏の足音が聞こえてくる5月。朝の過ごしやすさは相変わらず、五月病に苛まれた教室をだるっとした空気が覆っていた。
気分転換のための試みか、席替えがなされる事になって、出席番号順の席順からくじ引きの配置に変わる。せっかく紗夜ちゃんの隣だったのに、という恨み言が誰かに届くこともなく、くじを引く前の神頼みも祈りが通じなかったのか、私と紗夜ちゃんは教室の対角線上の、限りなく遠い席どうしになった。
「じゃあね、紗夜ちゃん……」
よよよと手を振ってみたけれど、紗夜ちゃんは別に気にしていなさそう。それもショック。私の片想いなのは分かりきっているけれど、期待してしまうのが悲しい性だ。
机だけ移動して、紗夜ちゃんの新しい席の方で話していると、ふと思い出したように紗夜ちゃんが口を開いた。
「……そういえば、ライブの方は満足して貰えたのかしら」
「うん、すごく良かった。……けど」
「けど?」
「ねぇ、紗夜ちゃん。今日の放課後って、空いてたりしない?」
「空いていると言えば空いているけれど」
ライブの話を切り出してもらえて、決心がついた。約束を取り付けて、内心で安堵の息を吐く。今日は無理だと言われてしまえば、また決心を固め直す必要が出てくるところだった。
「……私ね、紗夜ちゃんのこともっと知りたいの」
紗夜ちゃんの柔らかな表情が引き締まる。私の言葉の意図が過不足なく伝わったのを理解して、後戻りができる最後のラインに立っていることを自覚した。
「放課後、待ってるね」
予鈴が鳴ると同時にそれだけ言い残して、自分の机に戻る。今更ながら、教室中の視線を集めていたことに気が付いて恥ずかしくなった。違うんです、そんな、愛の告白とかではないんです。……そんなに違わないかもしれない。
紗夜ちゃんへの想いを恋と名付けるのなら、この感情の始まりは、映画館での偶発的な遭遇に端を発するのだろう。
最初は、よく分からない人だった。あまり表情を変えないから少し怖いような気もして、内部生の結束が強い花女では浮いていたように思う。爪弾きにされるわけではないし気を使われてもいたけれど、クラスの中心にはいかないような、そんな印象だった。
話してみると落ち着いた人で、なんだかちょっとお姉さんっぽいと思ったり。それは間違いではなかったんだけど。
何に惹かれたんだろう、と具体的な要素を挙げてみようと思うと、やっぱり私とは正反対な落ち着いた雰囲気とか、案外気さくな態度をとってくれたりするギャップとかが真っ先に出てくる。
それと、顔?
見た目は大事だ。第一印象もそうだけど、人を好きになるにおいても、きっと。見た目一辺倒は失敗の元になるとしても、人を好きになる要素のひとつくらいには、数えていいはずだ。
アイドルなんてルッキズムも甚だしい業界に身を置いているから特に、私はそういう傾向が強いのかもしれないけれど。
紗夜ちゃんが美人さんでなくともあの日、声はかけたと思う。けれど、あの日挫けそうになっている私が、悩みを吹き飛ばしてくれる青嵐を期待したのは、紗夜ちゃんの超常的で浮世離れした雰囲気に惹かれたからだ。
なんかちょっと思考が変な方向にねじ曲がっている。
意気込みが空回りしそうで恐ろしかった。
連休のあいだ、紗夜ちゃんとどう話そうかずっと考えていた。日菜ちゃんとのアレコレは話さない方が良いだろうと思ってはいるけれど、それ以外に何を話せば良いのか分からない。
用意し過ぎると紗夜ちゃんには見抜かれるだろう。かと言って、無策で突撃してなんとかなる気もしない。千聖ちゃんなら上手くやれるんだろうか。
悩んでいるうちに、あっという間に一日が終わってしまった。
帰りのホームルームで担任の諸連絡がなされて、礼をして解散。クラスメイトが部活へと各々散っていく。
「頑張んなよ」と背中を叩かれる。なんか勘違いされてるような、結局激励の意味は間違っていないような。
苦みばしった表情の紗夜ちゃんの手を取る。逃げられるとは思わなかったけど、私の本気を示すため。余計に注目を集めることになったのも、気にしないことにする。どうせあとから問い詰められる気がするし。
「ついてきて」
「……長話をする気はないのだけど」
怒ってる……
明らかに苛立ちの混じった返事。なんかちょっと言い回しが日菜ちゃんみたいだ、と考えてしまった。
「ここ、告白スポットに使われたりするんだって」
「はぁ」
もう既に失敗している気がする。旧校舎の二階、ひとけのない教室に入って向かい合う。紗夜ちゃんはさっさと椅子に腰掛けてしまったので、私も同じく隣の席に座った。
光の加減でターコイズブルーの色が強く滲む、日菜ちゃんと同じ色の瞳に、諦念と落胆の影がさす。
「……日菜との事が聞きたいの? 丸山さんのことまで嫌いたくない、と言ったはずだけど」
以前地雷を踏んでしまったときよりも鋭い語調。
紗夜ちゃんも少なからず私に情を感じてくれていたのかな、と思うと嬉しくなる。そしてその分、そんな紗夜ちゃんの心を傷付けるようなことをしでかそうとしている後ろめたさも増す。
「うん。でも、先に謝っておかなきゃいけないことがあって……大まかなことは、もう日菜ちゃんに聞いちゃったんだ」
「……そう」
紗夜ちゃんは深く息を吐いて、目を瞑った。思案に暮れるような、決断を迫られるような。
ここまで理性的に言葉を返してくれていることに、少しだけ安堵している。じゃあさよなら、と言われないだけ、私が紗夜ちゃんに募らせた想いの積み重ねには質量があったということだろうか。
「なら、もういいでしょう。家庭環境が原因で、日菜とも仲が悪い。それだけよ。首を突っ込んで面白いこともないわ。丸山さんが関与できる話でもない。それとも、なにか? 私のミジメでカワイソウな境遇が、貴方の同情心を擽るのに値した?」
「可哀想だとは思ったよ。悲しいとも。だから、もともと話す気はなかったの。私にはなんにもできないけど、紗夜ちゃんと友達でいられればいいと思った、のに──」
お前が関与できる話じゃない、と言われるのは分かっていた。同情はいらないと跳ね除けられるのも。
私の中に、憐れみや同情に類する感情がなかったとは言わない。家族を含めた周りの人間に恵まれて、夢を応援されてのうのうと生きている私の目には、紗夜ちゃんが「恵まれない人間」に映る。
でも、上から目線の感情を抱いてはいない、と思う。どんなに辛い環境にあったとしても、紗夜ちゃんは私にそれを滲ませなかったから。私だったらそんな境遇で紗夜ちゃんみたいに強くは在れないだろう、という尊敬もあった。
結果として残ったのは、紗夜ちゃんと日菜ちゃんが手を取り合えないことに対するもどかしさだけ。
だって、知らないのだ。紗夜ちゃんがどんな思いで生きてきたのか。家族や日菜ちゃんをどう思っているのか。何も知らないで同情だけを押し付けるようなことはできない。
「紗夜ちゃん?」
「……なに?」
「顔色が悪いけど──」
影がさしていて分かりにくかったけれど、顔色が悪いような気がした。心做しか呼吸も粗いような。
無造作に投げ出された右手をとる。少し震えていて、驚く程に冷たかった。
「いつも通りよ。……貴方が話をすると言ったんでしょう」
一瞬躊躇した私を、紗夜ちゃんの言葉が射抜いた。
今更立ち止まるのは許さないと言われて、握り返された指の、爪の感触に言葉を紡ぎ直す。
「……紗夜ちゃんのライブを観てね、すごく悔しかった。ステージの上の紗夜ちゃんは輝いていて、楽しそうで、本気で生きてたから。私といるときはやっぱり、ほんの少し苦しそうで……音楽の中でしか、紗夜ちゃんは幸せじゃないんだって思った」
私の隣で微笑んでくれる紗夜ちゃんが、実は苦しみと退屈を抱えたまま私を見ていただなんて信じたくなかった。
諦念に支配された紗夜ちゃんしか知らなかったから、自由に笑っている紗夜ちゃんを見て本当に衝撃を受けたのだ。私は紗夜ちゃんにとっての何にも成れていないと突き付けられて、それで。
「それでね、私、気付いたの。私は、紗夜ちゃんにとっての一番になりたいんだなって」
「既に、一番仲が良いのは丸山さんだと思うけれど」
「ううん、そうじゃなくて。音楽と同じくらい、紗夜ちゃんの安らぎになりたいんだよ。私、紗夜ちゃんのギターに嫉妬したの!」
「からかっている……わけではないのよね。意味が、分からないのだけど」
「だから、その──」
私は、友達じゃ満足できないんだって気がついた。
家庭の悩みも受け止めたい。紗夜ちゃんを苦しみから解放したい。それが友達としての感情の枠組みを超えているのなら、私が成りたかったのは紗夜ちゃんの友達じゃなくて、それ以上だったということだ。
紗夜ちゃんにとっての音楽と同枠に、唯一無二に。
私の言葉が予想外だったのか、困惑する紗夜ちゃんになおも言葉を紡ぐ。
「──私は紗夜ちゃんのことが好き。紗夜ちゃんの一番になりたいし、紗夜ちゃんの苦しみも弱さもひっくるめて、好きになりたい」
ああ、ここまでは言うつもりがなかったのに、口が滑った。感情が溢れて止まれなくなっていた。
頬が熱い。手汗が滲んでいるのには気付かれているだろうか。
指先から体温を
案外、真面目に意識してくれるんだな、なんて。
「そ、その、付き合って欲しいとか、まだそういうのじゃなくてね、えっと……ううん、これは本心だから、誤魔化せないや。……私は紗夜ちゃんが、好き」
少し利己的に主張しすぎたかと言い繕おうとして、諦めた。
紗夜ちゃんは困ったように瞼をとじて、俯いた。
女同士なんて、と言われるだろうか。それは正しいと思う。だから保身に走ってしまいそうになったんだし。
「……どうして、日菜じゃないの?」
「日菜ちゃん? どうして日菜ちゃんが出てくるのか分からないけど、私が紗夜ちゃんを好きなのに日菜ちゃんは関係ないよ?」
「…………いえ、そうね。忘れて。……本当に、どうかしてるわ」
日菜ちゃんの名前が出てくる意味が一瞬分からなくて、上手く答えられたかは分からない。なぜ日菜ちゃんじゃなくて紗夜ちゃんを選んだのか、という意味だろうか。
見た目も性格も違うのに、比較する意味はない。
……もしかして本気で、紗夜ちゃんより日菜ちゃんの方が優れているんだから、そっちを好きにならないのはおかしい、みたいなことを考えていたりはしないだろうか。
「私の何処が好きなの?」
冗談めかした口調に変わる。だと言うのに、紗夜ちゃんの態度は疑わしげだった。
「優しいところ。真面目なところ。楽しそうに話を聞いてくれるところ。芯があるところ。他人を思いやれるところ。……挙げると全部になっちゃう。見た目も、中身も」
「それは、なんとなくと同義なのではないかしら」
「違うよ! えっと、じゃあ、私を好きじゃないところは好きじゃない」
「……屁理屈ね」
「だって……弱さも、汚さも、嫉妬も、悪意も、嘘も、後暗いもの全部を見てもきっと、紗夜ちゃんのことが好きだって言い張れるくらいにはぞっこんなんだよ?」
毒気を抜かれたような表情。もしや、深く考えるだけ無駄だと思われてしまったのかな。
間違ってはいない。私のこれは、ただ惚れてしまった相手へのラブコールなのであって、紗夜ちゃんが如何に裏を読んでもそれ以上の中身は出てこないのだから。
「でも、付き合いたいわけではない?」
「……うぅ」
「ああ、アイドルだものね。男性でも女性でも、そういうのはご法度か」
「あ、っと、そういうわけじゃなくて……できればお付き合いもしたいし、別にうちの事務所は恋愛禁止じゃないから……じゃなくて。好意の押し売りみたいじゃない? 善意と好意を取り違えて、弱みにつけ込むみたいな」
「……つまり、日和ったということ」
特に言い返せる言葉もない。
今の私はしょぼくれた表情をしているのだろうか。紗夜ちゃんの顔を見上げると、やっぱりその瞳は思考の海に沈んで、はるか遠くを見詰めている。
「人を好きになったことがないの。……丸山さんは今私に、キスをしたり、その先のことをしてみたい、という感情があるということよね」
「……うん」
改めてそう言われると恥ずかしいけれど、何も間違っていないから頷いておく。
「私が丸山さんに向けている感情は、ただの友情のような気がする。こうして手を繋いで、体温が伝わってくることを心地よいと感じたりはするけれど……」
これはたぶん別物、と言って紗夜ちゃんが手を離した。行き場を失った指先が空を切る。
「非対称な感情でも恋人にはなれるものかしら」
「なれると思う。……嫌いじゃないなら」
「丸山さんのことは好きよ。でも、丸山さんのものとは色が違う」
「付き合っていくうちに色が変わるかも。一緒にいる時間も増えるし、相手の仕草ひとつに対する意識も変わるだろうから」
「……そうね、そうかもしれない」
困ったような表情。
もしかして好感触? と自惚れつつ、これはもしやなるべく傷付けずに振る手段を考えているのでは、と思い直す。
私と紗夜ちゃんの関係が成立しない理由を、一つ一つ
「気持ち悪いって思う?」
「いいえ。けれど、好意を向けられるのは好きじゃないのかもしれない。友情でも、思慕でも」
「それは──経験がないから?」
「随分と踏み込んでくるのね」
「私はほら、もう後がないと言いますか……」
後がない。言ってから、そうだと気付く。もう私が出せるものは出し切ってしまった。
貴方が好きです。貴方の一番になりたいです。できれば付き合いたいです。どんなに言葉で飾っても、私の主張はこれくらい。そこに紗夜ちゃんを想う利他的な感情があることは間違いないけど、それの大元だって私が紗夜ちゃんを好いているという1点から生まれたものには違いない。
「後を無くしたのは丸山さん自身でしょう。私たち、知り合ってまだ2ヶ月も経っていないのよ」
「恋に時間は関係ないよ! 私なんて一目惚れみたいなものだし……」
「でも積み重ねには価値がある……と思うのだけど、それを実感したことはないかもしれない」
高まり過ぎた緊張はとっくにピークを過ぎて、紗夜ちゃんの沙汰を待っている間、もうどうにでもなれ、というような思考が首をもたげ始める。
賽は投げられた。振り出しに戻るのでも最悪は構わないけれど、ゲームオーバーだけは勘弁して欲しい。祈るのはそれくらい。
「……ともかく、丸山さんの想いを信じて受け止めたい、とは思うのよ。けれど私は、貴方の想いが数ヶ月後も続いているとは信じられない」
「未来のことは、私にだって断言できないよ。信じて欲しい、としか言えない。……でもそんなことを言ったら、紗夜ちゃんはこれから先ずっと、人を信じられないことにならない?」
「ええ、そうかもしれない。血の繋がりも、親の愛も、無償の愛も、私には与えられなかったのだから。私はずっと、愛情を否定されて生きてきた。これからも、そうなのかもしれない。愛も恋も信じられずに、全て否定して、遠ざけて生きていくのかも」
それは悲しい、と思う。
先程は空を切った手で、もう一度紗夜ちゃんの左手を取った。成長を期待してか少しダボついた長さの袖の下の、リストバンドが少しズレている。さっき私が手を引いたからだろうか。
「家族の愛も信じられないなら、きっと、名前も実体もない思慕なんて信じられないよね」
「……証拠が欲しい、と言ったら、高飛車で高慢に聴こえるかしら」
「もしかしたら、そうかも」
横一線に引かれた傷跡にキスを落とした。
唇が触れた瞬間、ぴくりと手首が震える。
触れた場所から色づくように、白い肌に桜が差した。
指が簡単に回るくらい華奢な手首に、紗夜ちゃんの小ささを見つける。
「やり直してもいい?」
「まだ1度目の返事もしていないのに」
それだと絶対振られるやつだ。
最初に踏み込めなかった1歩は、この、友情以上恋愛未満の、名前のないふわふわした空気を生み出した。何の覚悟も伴っていないどっちつかずの見切り発車な思い切りを、紗夜ちゃんはきっと飲み干せない。
紗夜ちゃんの言葉を無視して、両の手のひらで紗夜ちゃんの左手を包み込むように握った。
自分勝手な仕切り直し。ここまでの会話を踏まえての、私の決意。
紗夜ちゃんのための逃げ道を残したように言いながら、自分が後戻りできる余地を残した逃げの一言を切り捨てる。
「未来の保証は私にはできないけど、関係に名前をつけることはできる。一緒に歩いてみることも、愛情に証拠を探してみることも」
シャボン玉のように浮ついた感情に、のぼせそうなほど頬が熱い。
黄色がかった斜陽が、雲の切れ間から明るく教室を照らして見せた。
「紗夜ちゃん、私と付き合ってくれませんか」
何故だか、失敗する気はしなかった。紗夜ちゃんの右手が、私の手を握り返して。目と鼻の先にいる紗夜ちゃんの整ったかんばせが、根負けしたように薄く笑うのを見た。