色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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恋愛ってよォ!こんなんでいいのかなぁ!?
なんもわからん




《15》ただ青く凪いだ光の方へ

 

 夢じゃないよね、と何度も確認した。

 私の隣を紗夜ちゃんが歩いている。

 

 一日、二日、一週間と経っても一向に慣れない感覚に、紗夜ちゃんが呆れたように笑う。貴方がそう望んだのに、と言われても、一足飛びにここまで来るとは思わなかったんです。

 

 私の片想いだということは分かっていたから、行く所まで行っても私の感情をぶつけて終わり、だと思っていた。紗夜ちゃんが言うところの非対称な感情で、恋人関係にまで発展するとは到底期待していなかったから。

 実際のところは、私が後先考えずに突っ走っただけ。紗夜ちゃんが随分と私に甘い裁定を下してくれただけとも言える。

 

 付き合ったことはクラスメイトには秘密にすることになった。紗夜ちゃんは別にどっちでもいい、と言ったけれど、私が恥ずかしいのと、大袈裟に喧伝するとトラブルになりそうだなと思ったから。

 

 代わりに、日菜ちゃんと千聖ちゃんには報告した。

 千聖ちゃんは「良かったわね」と言ってくれて、日菜ちゃんは荒れ狂っていた。「裏切ったらお前も終わらせてやるから」という言葉には今でもまだ震える。完璧に表情を隠されて、真顔で言われるのだから心臓に悪い。

 日菜ちゃんの本心はよく分からない。多分に怒っているというか、本人が言う通り嫉妬してるのだろう、ということはわかるけれど、感情と行動が切り離されているように思える。私のことを嫌っていると言いながら助けてくれるところとか。

 

 それだけ日菜ちゃんの中で紗夜ちゃんの順位が高いということなのだろう。紗夜ちゃんからはどうなのだろう。全くどうでも良いのだろうか。それとも、嫌いだとは言っていても情はあるのか。少しずつ知っていけたら、と思う。

 

 私も紗夜ちゃんも忙しくなってしまったから、学校での時間は大切だ。それだけに席が遠くなってしまったのがちょっと惜しい。紗夜ちゃんはどうせ休み時間にしか話さないのだからと言うけれど、少し退屈そうに授業を聴いている紗夜ちゃんの憂い顔は眼福だったので悲しい。

 

 もっぱら私たちが時間を使えるのは、下校時間とか、あとはオフが被った日の放課後だ。土日は大抵パスパレの仕事やレッスンが入るし、紗夜ちゃんもバンドの方で用事が入るから、比較的時間を取れるのが逆に平日になる。

 

 学校から離れて、紗夜ちゃんの家に近付く人通りの少ない家路。必ず私の右側を歩く紗夜ちゃんの手を握った。私よりも大きくて、それでいて華奢な印象を受ける指先。すべすべの肌の感触と、少し固くなった指の先端からさえ紗夜ちゃんのパーソナリティがほんの少し覗ける、ような。

 

「同じ人間なのに、触れる体温が違うのは不思議よね」

「私がドキドキしてるから体温が高いだけなんじゃ……」

「……そうなの? そういえば、まともに他人の肌に触れるのも久しぶりね」

 

 記憶にないわ、と紗夜ちゃんが呟く。

 手を握る力が少しだけ強まった。春の陽気と、上がった心拍数で手汗をかいていないだろうか。

 

「……本当に脈が早いわね。慣れないものなの?」

「慣れないよ! ……うん、でもまあ、そのうち」

「そのうち慣れる、ね。良い事なのかしら。感情が風化してしまうようで、寂しい気もする。……見ていて面白いというのもあるのだけど」

「風化するんじゃなくて、馴染むんじゃない? ……それとも、一週間前は紗夜ちゃんもドキドキしてくれてたのに、それも褪せちゃった?」

 

 少し考え込んだ後、紗夜ちゃんが緩やかに首を振る。

 

「色褪せてはいないわ。私の日常になっただけ」

 

 夕暮れというにはまだ遠い、黄色い日差しが照らす。身長分より少し伸びた影が、私たちの距離を鮮明に意識させた。

 紗夜ちゃんの家まではもうしばらくかかる。私たちの逢瀬はその後も続くけれど、なんというか、夕暮れの下校路というシチュエーションには特別な感傷を抱いてしまうのだった。この時間が、長く続けば良いと思う。

 

「じゃあ、次のステップを期待してもいいんでしょうか」

「貴方は慣れていないのに? ……それに、次って」

「私のペースだといつまでも進めないもん。……つぎは、膝枕かハグかなぁ」

「外で膝枕は無理ね。ハグも……道端では少し、嫌かもしれない」

「部屋で改まってする方が恥ずかしくない?」

「そうかしら」

 

 じゃあ、と紗夜ちゃんが手を引いた。

 スクールバッグを後ろ手に、腰に回された腕がぐいと私を引き寄せて、紗夜ちゃんの香りに包まれる。思わず取り落としたカバンが、瞬く間に意識の外へ。それは聞いてない! 

 

「すごい脈拍。……ドキドキする?」

「ちょ、心の準備が──」

「私のペースでなくとも、と言ったのは誰だったかしら」

 

 柔らかな感触。柔軟剤のやわらかな香りと、ドキリとするような力強さ。額をくっつけ合うような距離で、視線ひとつぶん高い紗夜ちゃんの身長を意識する。5センチくらい違うんだっけ。

 

 目と鼻の先、というのはこういうことを言うんだろうか。紗夜ちゃんの瞳に反射する自分の顔が見える。

 おずおずと私も紗夜ちゃんの背中に腕を回す。しなやかな筋肉と、肩甲骨、背骨の感触。

 

「髪、サラサラだ」

「あまり気を使った手入れはしていないのだけど、お気に召したのなら良かったわ」

「心臓が張り裂けそう」

「先週はあんなに凛々しかったのに、ずっとそんな調子ね」

「期待はずれだったりする?」

「いいえ、今のままでいいわ。どうにかなってしまいそうだもの」

 

 寿命が一日分は縮んだかというところで、紗夜ちゃんが手を離した。ようやく我に返った私はカバンを拾い上げて、動悸をおさめるために深呼吸をしてみる。

 

「……どうにかなってしまうところでした」

「まだ早かったかしら」

「死んでしまいそうなくらい幸せな方がいいよ。だから今日でよかった、と思う」

 

 ドキドキも幸せに変わるのなら、最大限ドキドキできるタイミングで体験した方が良いと思う。恥ずかしさと愛おしさと未知とでキャパシティが埋まりきる感覚と多幸感。これは良くない、癖になる。

 

「ああ、左を歩いてくれる?」

「うん。……前から気になってたけど、なにかこだわりがあるの?」

「右耳が聴こえないのよ。それだけ」

「……それ、大丈夫なの? 治る?」

「良くも悪くもならないわ。まず治らないとは言われたけれど、健康に関わる病気ではないから気にしないで」

 

 あっさりと耳が聞こえないと言う。

 夢見心地でふわふわとした思考が、あっさりと冷たい現実に引き戻される。私がおきらくな恋愛を享受している相手は、現実という名の鉄格子に囚われているのだった。

 

「ステレオの音源をイヤホンで聴くときは少し困るくらいね」

 

 空気を壊したかしら、と呟く紗夜ちゃんに、否と返す。こうやってポツリと弱さを見せてくれるのも、信用してくれた証なのだろう。悲しいけれど、少し嬉しいような。それでいてやっぱり悲しくて、もう一度紗夜ちゃんを抱き締めたくなる。

 握り直した左手に、ぎゅうと力を込めた。握り返された紗夜ちゃんの人差し指が、私の手の甲を撫でる。

 

 紗夜ちゃんのバンドの方の進捗を聞きながら、体感時間でしばらくも経たないうちに紗夜ちゃんの家に着いた。

 少し待っていて、という紗夜ちゃんの言葉に従って、薄暗い玄関の奥へ入っていく背中を見送る。チャリチャリとフローリングを叩く軽い足音はスピカくんのものだろうか。

 

 紗夜ちゃんが写真を見せてくれるようになったスピカくんの話を聞く度に「会ってみたい」と言っていたら、夕方の散歩に同行するのはどうかと提案された。

 

 一も二もなく頷いて、そうして今に至る。

 

「おまたせ。行きましょうか」

 

 スクールバッグを置いて、代わりに別のカバンとリードを持った紗夜ちゃんが、傍らに黒白に少し茶色が混ざった毛並みのボーダーコリーを侍らせて戻ってきた。

 

「この子がスピカよ。目線を合わせて、ゆっくり手の甲を差し出してみて」

「うん」

 

 おすわり、とぴしりと言った紗夜ちゃんの指示に従って、スピカくんが後肢を折り曲げる。私と紗夜ちゃんを交互に見上げる瞳には、私が何者かを尋ねるような愛嬌があった。スピカくんの頭を軽く撫でた紗夜ちゃんの言葉通りに、屈んで目線を合わせてみる。手の甲、というか袖口の匂いを嗅いだ彼は、しばらくしてからなにかに納得したように警戒の色を薄れさせた。

 

「良いみたい」

 

 顎の下を撫でてみれば、されるがままに笑ったような表情。たぶん紗夜ちゃんよりは撫でるのが下手だと思うけれど。

 リードを短く握り直した紗夜ちゃんが歩き出すのに並んで、二人と一匹で元来た道を戻る。

 

「すごい賢いんだね。ワンちゃんってこんな感じだっけ」

「牧羊犬として飼われてきただけあって、頭の良い品種ではあるらしいわね」

 

 少しだけ歩くペースが早くなる。……これが普段の紗夜ちゃんのペースなのだろうか。それとも、スピカくんの速度に合わせているのか。もしかすると、一生分からない問題なのかもしれない。

 

「賢いのだけど、余裕が無い人間が飼うのには向かないと思うわ。人の態度を物凄く見ているし、何より必要な運動量が多いから、時間を食う」

「すごい紗夜ちゃんのこと見てるよね」

「私が1番怖いから、顔色を窺っているのよ」

「そうかな。紗夜ちゃんのこと大好き! って感じだけど」

「……まあ、嫌われているとは思っていないわ」

 

 私の方には目もくれない。紗夜ちゃんの方を頻繁に振り返る姿になんとなく既視感。

 紗夜ちゃんは顔色を窺っていると言うけれど、スピカくんとの間には信頼関係が築かれているのが傍目にも分かる。少なくとも、怯えている犬の態度では無い。本来はもっと懐っこい子なのかもしれないし、よく知らない私がとやかく反論するのもどうかと思って黙る。

 

「散歩の時間を長く取ってはいるのだけど、思い切り走らせてあげられるタイミングが少ないのよね。リードを外すわけにもいかないし、私が全力疾走に追いつけるはずもないし」

「ドッグランとかは?」

「頻繁には行けないわね。……休日に行っているのかもしれないけれど」

 

 貰った予定表でも、散歩の時間は長かったなと思い返す。

 足は花咲川沿いの堤防へ。春と夏のあわいに伸びた草丈に、少し歩道が狭く感じる。何度かちょっかいをかけていたら、スピカくんの意識の中にも私の存在が定着したらしい。時折目が合うようになった。

 

「初対面でも気を許されるのは珍しい気がする。丸山さんって、動物に好かれ易かったりする?」

「え、どうだろ。攻撃されることは多いかも。落ち着きがないからかな」

「……言っていて悲しくならない?」

「なります。猫ちゃんとかに好かれたことってないかも。ワンちゃんは触らせてくれたりもするけど……」

「じゃあ、少し試してみましょうか」

 

 ベンチがある広場で立ち止まって、紗夜ちゃんがそう言った。

 おすわり、お手、ターン、伏せ。ハンドジェスチャーと毅然とした声色を組み合わせて紗夜ちゃんが出した指示に、スピカくんが完璧に従う。カバンから取り出したおやつをご褒美に渡してから、紗夜ちゃんが私にやってみるように促す。

 

「お、おすわり!」

「……やるのね」

「思い切り紗夜ちゃんの顔を見てたけど……」

「普段は私がいてもやらないのよ」

 

 私からもおやつを渡してみる。なんとなく表情が分かりやすく見えるのは、ワンちゃんにも白目があるからだろうか。

 

「……かわいいね」

「そうかしら。愛嬌はあまりないタイプだと思うけれど」

「紗夜ちゃんに似てる。……ほら、その顔」

 

 仕方がないな、という表情。見下ろした紗夜ちゃんの動きと、見上げるスピカくんの動きが重なってちょっと面白かった。

 

「いい子なのも似てるよ」

「そう」

 

 太陽を追いかけて西へ。赤いリードが揺れる。

 

「……何気ない貴方の言葉が、驚く程私の心に沁みる。それに動揺している私がいて、同時に、心には期待を孕んでもいる」

「私は、喜んでいい話?」

「喜んでくれないの?」

「いえ、嬉しいです!」

「冗談よ。……でも、予感はあるの」

 

 雑草が風にそよぐ。

 私が鮮やかに恋をしている彼女は、微笑む度にその魅力を増す。

 紗夜ちゃんと目が合うことが増えた。普段はあまり人の顔を見ないようにしていると言っていたけれど、私はその縛りの外に出られたということだろうか。

 

 夕方の風に髪がなびいて、スピカくんが紗夜ちゃんを窺うように立ち止まった。

 

「──私は、もっと貴方を好きになる。この感情が貴方と同じ色に育つのかまでは分からないけれど、それだけは断言できる」

 

 黄色に朱を差した太陽が、紗夜ちゃんの肌を舐める。私は言葉を返し損ねて、この感情を整理できる語彙を探して駆け回っていた。

 

「貴方が好意を示してくれるのが嬉しい。貴方の感情の渦の中でだけ、私は自分の感情に怯えずに向き合える。自分が何を望んで、何を好んで、何を安らぎとしているのか。それさえ曖昧に生きてきた私が、目を開けることが出来る」

「その結果、私を嫌いになったりはしない?」

「貴方が貴方でいるかぎり、これよりも嫌いになることなんてないと思うけれど……私の半分は、人を憎む遺伝子でできているようだから」

 

 言い切れはしないのがもどかしい、と続く。

 紗夜ちゃんは、まっすぐだった。私が紗夜ちゃんに向けた感情を、ひたむきに咀嚼して、そのまま返してくれようとしている。

 

「その点で言うのなら、丸山さんのせいで痛みに自覚的になったというのはあるかもしれないわね。こんな家庭環境なんてありふれているし、学校に通えて、衣食住が保証されているだけ、私は恵まれているとも思っていたのよ。……いえ、それもまた事実ではあるのだけど」

 

 それは、良い事だと思う。

 いくら生活が保証されていたって、存在価値を認められない以上の苦しみはないだろう。境遇がどうとかじゃなくて、幸せかどうかは主観で決められるべきだ。

 

 自己否定を繰り返してきた紗夜ちゃんが、自らの境遇に怒りを抱くことができるようになって欲しいと思う。こびりついた諦念を拭い去って、あのライブのように心の底から吠えて欲しい。

 麻痺した心を溶かして、柔和に笑う姿が見たい。

 

「あと3年で解放されるとばかり思っていたけれど、きっと、10年後も、その先も、私は自身の生まれを憎まずにはいられない。大人になってから取りこぼしたものに気がついていくのだろうと思うと、大した希望も抱けない」

「それでも、私は隣にいるつもりだよ。あとから拾い集められるものはそのときでいいじゃん。手に入らなくなっちゃったものもあるかもしれないけど、きっと代わりの何かで隙間を埋められるはず」

「その優しさが、嬉しくて痛いの」

 

 紗夜ちゃんが自分の苦しみを話したがらないのは、言葉にしてしまえば自分の痛みに気が付いてしまうからだ、という話を以前聞いた。つい1週間前のことだ。

 麻痺させていた心を動かすのに痛みが伴うのは必然で、紗夜ちゃんには必要なプロセスだと思う。

 

 紗夜ちゃんは不幸に浸るのが嫌いだと言うけれど、もっと浸っていいはずだと思ってしまう。不幸に浸って心を守って、痛みを自覚して、自分を慰める時間だって立ち上がるのには必要だ。

 私が思うよりも紗夜ちゃんは強いから、そんな弱さを嫌ってしまうのかもしれない。

 

「私が弱くなるのは、貴方のせい。失いたくないものができると、私の心は脆くなる」

 

 堤防を抜けて駅の方へ。言ったきり黙り込んでしまった紗夜ちゃんとの間に流れる空気は穏やかな静寂に包まれていた。返事がないことを気にした様子もなく、思索に耽る私の隣を、少し早いペースで紗夜ちゃんが歩く。

 言葉を交わす度に惹かれているのを自覚する。紗夜ちゃんの気高さと、ほんの少しの穢らしさと、微笑みに隠された孤独に、どうしようもなく心がかき乱される。

 

「……ここまでね。私ももう引き返すから、遅くなりすぎないうちに解散しましょう」

「うん。……帰り道も気を付けてね」

「ええ、また明日」

「……あとで、電話してもいい?」

「それは構わないけれど。まだ話し足りない?」

「えっと、なんて言うか、面と向かっていると言葉に詰まっちゃうことがあって。少し整理してから、紗夜ちゃんが話してくれたことにお返ししたいなぁって」

「……そう。共有している予定表の空き時間ならいつでも構わないから、待っているわね」

「ありがとう。それじゃあ、あとでね」

「丸山さんも気を付けて」

 

 駅の光が紗夜ちゃんに影をさした。立ち止まった紗夜ちゃんに約束を取り付けて、手を振る。人通りが多くなりすぎない位置で見送ってくれる紗夜ちゃんが遠慮がちに手を振り返してくれて、そういうところが愛しいなぁって思う。

 

 紗夜ちゃんの3年間に、私が色を付けたい。

 音楽にしか生きられないというのなら、それ以外の止まり木になってあげたい。紗夜ちゃんを縛る鎖から、紗夜ちゃんを覆う檻から解き放ってあげたい。

 だと言うのに、すらすらと言葉が出てこないのが悔しかった。紗夜ちゃんが零してくれる弱音に、完璧な答えを用意できればいいのに。……なんて、高望みが過ぎるだろうか。




 
 
 
 
 
【宣伝】
フォロワーがバンドリ二次創作の企画をハーメルンでやるらしいので宣伝させてください。
締切が1月の中旬です。
下記リンクから要項に飛びます。
https://x.com/misoyakibuta774/status/1734511436100215293?s=46
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