色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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《16´》ここから先へは通さない

 

 

 ときどき、あなたの首を絞める夢をみます。

 

 


 

 

 ひどく雨が降った。

 あたしの心に共鳴しているようだ、というのはいささかポエティックな思考だろうかと思ってみる。

 

 嵐ではなく豪雨だった。しとどに降る大粒の雨は、ぼたぼたと質感を強調しながらアスファルトへ投身自殺を計る。

 

 彩ちゃんへの嚇怒は甚だしく、それが自己嫌悪とやるせなさで中和されて燻っている。かと言って浮かれぽんちの彩ちゃんに八つ当たりをすればするだけ惨めになるから、この嫉妬の炎が収まってくれるのを祈るばかり。

 

 夜更けに電話をしているおねーちゃんの少し明るい声を聞きながら、これまでの人生を振り返っている時間が一番惨めだ。

 高く生った葡萄は酸っぱいと思い込むしかないのだろうけれど、あたしにとってのおねーちゃんの価値はいささかも衰えてはくれない。のっぺらぼうばかりの世界で唯一あたしの目に映るおねーちゃんだけを、愛していられれば良かったのに。

 

 誤ってしまった。

 あたしが庇えば、それ以上におねーちゃんが虐げられる。そんな状況に、あたしは怯んだ。

 おねーちゃんを連れて逃げ出せばよかった? そんなアテは無い。経済的にも、法律上でも。

 

 そのくせ、独占欲に暴走して、おねーちゃんの隣に立つことに執着して。

 自分が著しく共感性に欠けていることに気が付いたのは、中学生になってからだった。

 

 のっぺらぼうの群れに混じって、通学路を歩く。ごきげんよう、と気取った挨拶の飛び交う正門前を抜けて、教室まで避難。教室の入口で挨拶を交わせば、あとは後ろの方の席でぼうっとしているだけで時間は過ぎる。

 

「日菜ちゃん、先輩が呼んでるよ!」

「んー、今行く。ありがとね」

「どういたしまして」

 

 午前中は静かに過ごしていたのに、昼休みには呼び出しがかかった。もう9年もの付き合いになるクラスメイトに礼を言って教室の入口に目をやると、生徒会の先輩がこちらを見て手を振っている。……うん、生徒会の人、でいいはず。それ以外に心当たりがない。

 おねーちゃんお手製のお弁当を食べ終えたばかりだった。ランチバッグに弁当箱を片付けて、席を立つ。慎ましい後輩なら一も二もなく駆けつけるべきだと思うけど、生憎あたしはそこまで真面目じゃなかった。

 

「どうかしました?」

「お昼にごめんね、氷川ちゃん。生徒会に入ってくれる気があるなら、そろそろ申請書を出して欲しいんだ。……入ってくれるんだよね?」

「仕事があるからあんまり頻繁に顔を出せないと思うんですけど、それでも良いのなら」

「もちろん! 助かるなぁ」

 

 じゃあよろしくね、と申請書が入ったクリアファイルを手渡してきた先輩にお礼を言って、自分の机に戻る。確かあの先輩は秋の生徒会選挙にも出馬する気だと言っていたから、あたしを引き込む意味も相応にあるだろう。

 なんの自慢にもならないけれど、あたしはそれなりに人望がある。去年生徒会長をしていたら勝手についてきたものだ。特に役立ちはしないが。

 

 そんなこんなで、名前を書き込んで生徒会の顧問に提出しておく。次のオフに顔を出せば良いか、と放課後にはやる気もなく学校を逃げ出した。

 藍色のギターケースを背負って歩く。箱入りのお友達には、ギターが物珍しく見えて仕方がないらしい。クラスでも廊下でも、視線を集めているのを自覚する。流石に、弾いてみてとは言われないのだけど。

 

 身にならない退屈なレッスンへ向かう列車で、ぼんやりと座っていた。ガタゴトと揺れる列車は、あたしを星の向こうまで連れて行ってくれたりはしない。現実から現実へ、つまらない世界からつまらない世界へと橋渡しをするだけ。

 

 途中、スーツ姿の男性と、小さな女の子が乗り込んできた。学校を早退した子の迎えだろうか。それとも幼稚園の送迎か。ランドセルを持っていないから後者の可能性が高い気がした。

 相も変わらず覚えがある顔立ちではなかったけれど、なんとなく既視感を覚えた。……立ち姿に? よくこの路線で出会う人なのだろうか。

 

「パパ、これから病院に行くの?」

「そうだよ。薬をもらって寝ていれば直ぐに治るからね」

「うん」

 

 話し声を聞いて、瞬時に疑問が氷解する。聞き覚えのある話し方と声だった。立ち姿に既視感があるのも当たり前だ。

 まさか、電車内で鉢合わせるほど生活圏が被っているとは思わなかったけれど。

 

 あたしの視線に向こうも気が付いたらしく、目が合った。瞬間、息を飲んだのが伝わってくる。そりゃあ驚くだろう。捨て去ったはずの過去と直面したら、誰だってそうなるに違いない。

 おねーちゃんによく似た、少しタレ目がちな目元に、迷いの感情が浮かんでいるように見えた。

 

 パパ、とあたしも呼んであげようか。そんな八つ当たりの悪戯心が沸き立つのを抑えて目を逸らした。

 

 恨みには思っている。けれど今更どうしようもないし、次の幸せを見つけたのなら、そのまま順風満帆に暮らせば良いと思う。わざわざかき乱してやろうとまでは思わない。

 裏切られてもまた他人を愛せる人だったんだね、と思うくらい。そういう意味ではちゃんとおねーちゃんと似ているかもしれない。たとえば、あたしに話しかけてこないところとかも。

 

「おねえちゃんも、つらいの?」

「んー、あたし?」

「うん」

「ううん、身体はどこも痛くないよ」

 

 何を思ったか、女の子の方に話しかけられた。話しかけやすい位置にいたことは確かだけど──父親と目が合ったところを見られたのかな。

 反応に困ったけど、無視するのも違うかと思って無難に返事を返した。

 

「じゃあ、こころ?」

「そうかもね。……きみ、きょうだいはいるの?」

「うん、妹がいるよ」

「ふーん。大事にしてあげてね」

 

 名前は? と尋ねると、父親の顔色を1度伺ったあと、ヨシノ ユウカと答えられる。ユウカ……夕香とか? さすがにそんなに安直じゃないか。

 

「おねえちゃんは?」

「あたしはヒナだよ」

「ヒナ……ヒナちゃん」

「うん」

 

 子供ならではの図太さというか勇猛果敢さというか、隣の席に座ってきた。……なんて言うんだろう。半妹? は違うか。普通に異母妹と呼ぶべきか、戸籍上の繋がりがないのだから妹と呼ぶのも変かもしれない。

 ──はぁ。馬鹿なことを考えているな、と自虐。本当に疲れているのかもしれない。

 

「ヒナちゃんは、妹はいる?」

「んっとね、おねーちゃんがいるよ」

「いいなー! わたしもお姉ちゃんが欲しかった!」

「あたしは自分が姉になりたかったかもな〜」

 

 あたしが姉だったら、あたしたちの関係はもう少し違っていた気がする。そんな夢想を、どうにも捨て去ることができないでいるのが、あたしの弱さなのかもしれなかった。

 目的の駅に着いたらしく、バイバイと手を振りながら父親と手を繋いで乗降口の方へ歩いていくのを見送る。名残惜しそうに振り返った父親と、また目が合う。

 

「しばらく前、紗夜に会ったよ」

「ふーん?」

「日菜も、元気そうでよかった」

「見捨てた癖に、よくもそんなことが言えるよね」

 

 口をついてでたのはそんな言葉。何も言えずに立ち去る背中を、ぼんやりと見送った。後悔が滲んだ表情。乗り換えのアナウンスが、車内の澱んだ空気を無味乾燥させる。

 おねーちゃんは、何を思ったのだろう。きっと、あたしと同じ感情を抱いたに違いない。

 

 ……妹を大切にね、と言ったのは、あたしの醜悪な心の顕れだと思う。駅の人混みに流れていく親子の背中が、瞼の裏に染み込んでいた。

 

 

「今日は一段と、機嫌が悪そうね」

 

 レッスンの最中、ふと生まれた空白の時間に、千聖ちゃんがからかうように言った。頭から追い払おうとしていた親子の背中が、忽ち網膜へ引き返してくる。辟易して、指板から指を離した。

 

「そういう日もあるよ」

「……そうね。何か嫌なことでもあった?」

「ん、まあ。べつに、彩ちゃん絡みじゃないよ」

「私っ!?」

「違うって」

「いや、うん……うん。ごめん……」

 

 理不尽、と呟いている彩ちゃんを無視して、気分転換に伸びをする。あんまり立って弾くのに慣れてないからか、集中すると姿勢が悪くなりがちだ。意識していればもちろん直せるけれど、練習だとつい疎かになる。

 

 千聖ちゃんもイヴちゃんも、最初に比べれば見違えるほど楽器が上手くなった。特に千聖ちゃんは取り繕うのが上手い。実力で言えば結局は歴が1ヶ月くらいの初心者に過ぎないのに、最低限鍛える技術を絞ってそれなりに聴ける領域まで届かせている。

 あとはリズム感を徹底して鍛えているおかげか、初心者特有のリズムの乱れが少ない。

 

 その場しのぎに過ぎないのは事実でも、そのうち実力がついてくれば問題ないだろうとは、千聖ちゃん自身の少し楽観的な意見。いや、違うか。千聖ちゃんのプライドなのかもしれない。問題ないようにするという矜恃。そちらの方が解釈としては好ましい。

 

「日菜ちゃん、この後時間はある?」

「んー、遅くなりすぎなければ」

「すこし、話があるの」

「はあ」

 

 まあ、メンバーの前で堂々とお誘いをかけてくる辺りは別に疚しい話でもないんだろう。疚しい話と言っても心当たりはないけれど。

 あたしの家のことも彩ちゃんから何となく伝わってはいるようだし、あたしもそれを黙認している形ではあるから、今更改めてなにかアクションを起こされるような感じもしない。

 

 ベースの相談とかかな、と何となく当たりをつけて頷いておく。

 

 レッスン自体は退屈だ。新曲も触るようになって多少バリエーションが増えたとはいえ、まともなアドバイスが貰えるわけでもなければ、ほかのメンバーと音を擦り合わせるだけの作業。やることが少ないなら楽でいいとは思う。

 今日も今日とてつまらない作業を終わらせて、レッスンスタジオを出る。

 

 学校の部活よりは面白みがあるだろうけれど、このアイドル活動を楽しんでいるかといえばそうでもない。かと言ってやめたいという程でもないような感じ。どちらにせよ、おねーちゃんとの繋がりを保つためにはやめるわけにはいかないんだけど。

 

「また明日ね!」

「明日はあたしいないよ」

「あれ、そうだっけ」

「ジブンと日菜さんはレコーディングです」

「じゃ、じゃあ、また明後日!」

「ん、じゃあね」

 

 千聖ちゃんのあとについて、夜の街に繰り出す。どこへ行くのかと問うこともせずに、新譜のことや、仕事で会った人の話なんかをしながら歩く。業界の仕事に慣れている千聖ちゃんの話は、けっこうためになる。役立てるかは別として。

 

「千聖ちゃんの家ってこっちの方だったよね」

「ええ。電車一本で通える範囲だから助かっているわ」

「近い方がいいよねー。月ノ森からだとちょっと通いにくくてめんどくさいよ」

 

 どこかの店で夕食でも食べながら話をするのかと思っていたら、千聖ちゃんは駅前のうどんチェーン店に立ち寄った。テイクアウトのゾーンに並んで、メニューの立て看板を眺める。

 

「日菜ちゃんはどれにする?」

「んー、すだちおろしにしようかな。……でも、どこで食べるのさ」

「もちろん、私の家よ」

「外でできない話?」

「できないことはないけれど、そっちの方が都合が良いから」

「ふうん」

 

 夕食を買って、薄いビニール袋をぶら下げながら歩くことしばらく、いかにも住宅街らしい街並みを形作る一軒家のひとつに、白鷺という表札が下がっていた。

 

「ここよ。どうせ誰もいないから、遠慮せずに入って頂戴」

「はーい。おじゃましまーす」

 

 誰もいないと言う割に灯りがついているのを不思議に思っていると、玄関から足音がきこえた。人ではなくて犬の足音。

 

「ただいま、レオン」

 

 赤いスカーフを巻いたゴールデンレトリバーが玄関で待ち構えていた。

 少し慣れさせてから上がらせてもらおうと思ったのに、初手でお腹を見せられて少し困惑する。ウチのと180°性格が違うらしい。

 靴を揃えて部屋に上がって、あたしにも擦り寄ってくる背中を撫でながらリビングへ。犬を飼っているというのに驚くほど生活感のないテーブルに、テイクアウトした夕食を置いて手を洗う。

 

「日菜ちゃんの家でも犬を飼っているのだったわよね」

「ボーダーコリーがいるよ。こんなになつっこくないけど」

「ええ、まあ……そうかもしれないわね。警戒心が強い犬種だと聞いたことがあるような気がするわ」

 

 2人で夕食をとって、出たゴミを袋へ。冷蔵庫を覗く機会があったけれど、本当になんにも入っていない。

 

「……で、ここの方が都合がいい話って、なに?」

「襟を開くのに良いかと思ったのよ。……なんとなく、私の家庭環境がどんなものかわかるでしょう」

「んー、まあ、そうだね。なんとなく」

 

 モデルハウスみたいな家だった。もしくは、ビジネスホテルの一軒家バージョン。千聖ちゃん以外、ほとんどここで暮らしていないんじゃないかと思うくらい。

 

「父は……もう10年ほど海外にいることになるわね。母も今はほとんど家に帰ってこなくて、最後に会ったのは……そうね、高校の入学手続きを頼んだときかしら。月に1度会えれば良い方、という感じね」

「千聖ちゃんが小さい頃から?」

「ええ。だから、大概歪んで、ませた子供として育った自覚があるわ」

 

 なんで急にそんな話を? と思うけれど、とりあえず話の腰を折らずに黙っておく。それって育児放棄にならないのかな、という疑問が、子役という言葉にかき消されていく。仕事や習い事の間は、親が見ていなくても扱い的には問題がない。

 

「ライブのとき、『大きなお世話』と言ったのを覚えている?」

「うん、まあ。理不尽だな〜って思ったからね」

「そうね。少し、悪かったと思っているわ」

 

 やり方や言い方は良くなかったにせよ、あのライブでのあたしの独断は、間違いなくPastel*Palettesの生存に寄与したはずだ。アレ以上の上手いやり口は……思い付くけど、現実的じゃない。

 

「女優もアイドルも、辞めるのにちょうど良い機会だったから、つい」

「辞めたかったの?」

「ええ、辞めるつもりだった」

 

 初耳なんだけど。

 てっきり、また女優に復帰するつもりでアイドルをやっているのだと思っていた。千聖ちゃんから話を聞いているらしい彩ちゃんの反応を鑑みても、あたしの予想がそう外れているとは思えなかったし。

 

「子役をやっていると、褒めて貰えたの。母にも、周りの大人たちにも。幼時の私にとって、それが唯一のポジティブなコミュニケーションだった。家にいるときは疲れた顔をしてばかりの母が、私が出演したドラマの録画を観る時はいつも、目を輝かせて私を褒めてくれた。家でひとりぼっちの私も、撮影の現場ではたくさんの人に囲まれて、笑っていられた」

 

 くだらなさそうに、千聖ちゃんが下を向いた。食後のコーヒーをぐるぐるとかき混ぜる。ミルクが混ざったブラウンが、渦を巻いた。

 

「そのうち芝居そのものに興味を持つようになって、演技を評価されるようになって、テレビ的な人気も出て──そして全てが無に帰した。成長した子役に価値は無いもの。当たり前よね。思い上がりも、積み上げたものも否定されて、事務所にとっての私の価値を知らしめられて、もう良いか、と思ったの」

「やめどきかなって?」

「ええ。芸能界をやめて誰からも見向きされなくなれば、私には何も残らないんじゃないかと怯えていた。けれど結局のところ、芸能界にいたところで私の手には何も残らなかった。それならよほど、友達を作ったり、放課後や休日に遊びに出かけたりする方が、手のひらからこぼれ落ちるものは少ないかもしれない」

 

 ──寂しかったのよね、きっと。

 コーヒーを一口飲んで、それから夜の8時を示す時計を見ながら、千聖ちゃんが呟く。アメシストの瞳には、あたしにも真贋の見抜けない感情が浮かんでは消え、千聖ちゃんの化粧の巧みさを実感する。

 

「この家で1人、夜を待つのが恐ろしかった。風邪をひいて寝込んだ日だって、ベッドの上で秒針が鳴るのを独り聴き続けていた」

 

 テーブルの木目に視線を落とす。胸襟(きょうきん)を開くつもりだという言葉を真に受けても良いのだとすれば、これは千聖ちゃんからの歩み寄りなのだろうと思う。いささか唐突にも思えるけれど、近頃のあたしの態度があまり宜しくないこともあって、動機は理解できないこともない。

 

「辞めるつもりだった、ってことは、今はそうじゃないんだ」

「そうね、今は。女優に戻るために食らいつく気もあまりないけれど、夢を追いかける彩ちゃんを見ているのも良いかと思って。少なくとも、1人ではないわけだし」

「そうなると、イヴちゃんと同じような動機になるのかな。……あたしは否定しないよ。熱くなるほどアイドルに想いを賭けているわけでもないし」

「なにか決意を抱えて明かしたわけじゃないわ。強いて言うなら、フェアであるためかしら」

「あたしの家庭事情を知ったから、とかそういう話?」

「それもあるし、私の個人的な主義でもある」

 

 犬──レオンがあたしの方に寄ってくるのを撫でる。千聖ちゃんが何を求めているのか、あたしの視野ではまるで見通せなかった。そもそも、あたしは杓子定規な心の動きしか予測できないから、こういう分野は不得意なのだけども。

 

「あなたの学校での様子を聞いたのだけど、私に見せている性格とまるで違うのね」

「そうかな……そうかも」

「品行方正、気さくで成績優秀。生徒からの人望も厚く、誰にでも分け隔てなく接する平等主義者」

「誰に聞いたのそれ」

「あなたの9年来の学友だけれど」

「ふうん。そんな立派なもんじゃないけどね」

 

 品行方正なのは小さい頃におねーちゃんに口酸っぱく言われたのを守っているだけ。気さくなのも、平等主義なんて言われてるのも、全員どうでも良いから。成績が優秀なのは、学校の授業が簡単だから。人望があるのは、生徒会やら部活でその方が便利だと思って人気を取りに行ったから。

 実際にはずっとそんな調子で生きてきたわけじゃないし、たとえば1部の派閥から嫌われていたりもするのだけれど、千聖ちゃんと話した子はそこまでは言い含めなかったみたいだ。

 

「あなたの素はどっちなのかしら。私に見せているような、姉想いで気まぐれで、そのくせ変に理屈っぽい氷川日菜? それとも、月ノ森で過ごしているときの、少しニヒルな優等生? 或いは、そのどちらでもないのかしら。あなたが家族だけに、紗夜ちゃんだけに見せる表情があるのだとしたら、そちらが氷川日菜の(まこと)?」

 

 あたしのまこと、と来た。

 それは、あたしにだって知りえないものだ。

 

「どれが嘘、というものでもないと思うよ。全部あたしの1部に過ぎない、という答えは不服?」

「いいえ、それが正解なのでしょうね。……正しくは、あなたの核はと問うべきかしら。たとえばあなたの心に薪をくべる感情が、私と同じ寂寥なのではないか、と邪推したりもするのよ」

「……確かに、フェアだね。自分の胸の内をさらけ出してしまえば、相手に同じことを求めても公平なままでいられる。(ズル)い思考だ」

「答えてはくれないのね」

「あたしにメリットがないじゃん」

 

 あたしの拒絶に、千聖ちゃんは苦笑した。予想通りだっただろうな、とは思う。その予想を覆す意味も特になかった。

 馴れ合いやら同情やら、傷の舐め合いやらを求めてパスパレにいるわけじゃない。

 

「分かってはいたけれど、上手くは行かないものね」

「どういう風の吹き回し?」

「……あなたが答えてくれるまでは内緒にしておくわ。……はぁ、振られてしまったわね」

 

 少し待っていて、という言葉と共にリビングから出ていった千聖ちゃんの背中を見送って、ため息を吐いた。こういうのには慣れていない。

 

 好意ではあるんだろう、と思いたい。今まであたしの内面に切り込んで来ようとする人はいなかった。それこそ、おねーちゃんとの関係を聞いてきた彩ちゃんくらい。それ以外は、あたしが軽く線を引いてみればそれを守ってくれる人ばかり。

 

 面倒臭い。

 この感情が弱さだと知っている。

 今でも世界にただ一人の同族に焦がれている。

 見向きされないと知っていて、あたしの音を届けようと執心している。

 慰めたり、同情したり、寄り添って欲しいとは思わない。

 あたしの罪過は、あたしだけのものだ。

 千聖ちゃんを特別扱いする気はなかった。

 特別を作ってしまえば、ゼンマイ仕掛けのあたしの心がたちまちに狂ってしまうことを、嫌という程思い知らされている。

 

 階段を昇降する足音を聞きながらレオンと待っていれば、タブレットを持った千聖ちゃんが戻ってくる。

 

「話はまるで変わってしまうのだけど、パスパレのことで相談があるの」

「ん、まあ、あたしで良ければ聞くけどさ」

「端的に言えば、自分たちで仕事を取ってこよう、という提案よ。……今の私達の活動は、少しずつ楽器の練習をして、シングルを売って、小規模なイベントを開いて、という程度じゃない? 明らかに、急拵えでデビューした皺寄せが仕事の空白に出ていると思うの」

 

 千聖ちゃんの言葉を吟味する。

 あたしたちの露出の少なさを危惧している、という解釈で間違いはないと思う。周年のイベントに間に合わせるようにスカスカのままデビューしたあたしたちのスケジュールは、今のところほとんどがレッスンで埋まっている。

 楽器初心者がいるのだから当たり前と言えばそうなのだけど、デビューした瞬間の話題性に乗り切らないのは確かに、少し勿体なく感じる。

 

「ただ、私はまだ技術的に未熟でしょう? 発言に説得力もないし、判断に自信もない。イベントの規模を見定めたり、プロデューサーへの説得材料を探すのを日菜ちゃんにも手伝って欲しいと思ったのだけど……協力してくれないかしら」

「そっちが主題? ……手伝うのは良いけど、あたしもイベントのこととかよく知らないよ」

「いいの。どうせ、1から調べるところから始まるのだから」

 

 千聖ちゃんがリストアップしているイベントの詳細を流し読みしていく。字面だけじゃ詳しいことは分からないから、後で動画なり、知り合いに訊くなりしてもう少し情報は集めなければいけないだろう。自分たちが通用するイベントかどうかは、あたしなら判断できる。

 

「それと、主題。……主題ね。それなら、ひとつ訊いても良いかしら」

「答えられることならなんだって答えるけど、なに?」

「日菜ちゃんが顔を覚えている人はいる?」

「そんなことが知りたいの? ……1人だけいるよ」

 

 千聖ちゃんが安堵の息を吐いたわけを、あたしは知らない。

 あたしに何を求めているんだか、と目の前のチームメイトの顔を見つめてみる。目を瞑ればもう思い出せなくなるだろう表情を、網膜に留めようと意識する。

 

 いくら覗き込もうとしても、あたしの中身は空っぽだ。情熱も、積み重ねた努力もありはしない。真っ白な世界に直線で引かれた道を、ただ歩いてきただけ。徒労を返してしまうのがすこし、申し訳ないような気もする。

 

 アメシストに透ける憂いが、打算やご機嫌取りでなければ良いと願う。

 そしてこの感情が、期待に育ってしまわないことも。

 




 
 
 
 
 
次の話を書ききってから感想を返しているので、返信の時に語彙が枯れきっているのだけは申し訳なく思っています。
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