色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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前話のあやさよが電話してる描写がNTRモノっぽいという感想を多方面から貰って笑ったんですが、同時にトラウマが掘り返されて悶えていました。
初めてR18を書いたとき、TS百合の睡姦を書いたのですが、淫夢の4章みたいだねと言われたのを未だに覚えています。
 
 
白鷺千聖視点です。ひなちさはここで一旦区切りかな。寄り道しましたが、あやさよを書きたいので。
 



《17´》翼を広げて孤独に気がつく

 飾り羽根を振りかざし、翼を広げる。

 スポットライトの太陽の下、光を跳ね返すレンズの波を睨みつける。

 蹴立てるように前へ。

 然し振り上げた翼は空を掴むことさえできず、私は地に落ちる。

 

 私は、あの鳥のように飛んではゆけない。

 河岸に白く立ち尽くす威容、恐ろしい程に大きな翼を広げて、黒黒とうねる魚を丸呑みにする黄色いくちばし。

 海を越えて飛び去っていく彼を見送って、落ちてくる青天井に押し潰される。

 

 誰にとっても特別になりたかったわけじゃない。誰かの特別であれば良かった。

 褒められたかった。存在を認めて欲しかった。誰かに肯定されたかった。

 大多数は家庭でそれを得るのだろうけれど、私にとってはそれが舞台や劇場だった。

 家族や兄弟に求めるべきものを、監督やキャストや、マネージャーに与えられてきただけ。それでも良かった。鳥籠の中でも、私は飛べたから。

 

 飛べなくなれば、何も残らないのだと知っていた。鳥籠の中で羽をばたつかせて、人工の太陽へと私は羽ばたいた。

 長じるにつれて、私の体は重くなった。自意識も、心も、欲も、感情も。

 ある日、私は飛べなくなった。誰の特別でもなくなった。

 

「消費期限切れです」

 

 無機質に、そんな言葉が私を影へ落とした。

 翼から腐っていく。目は白く濁り、足は歪み、羽は抜け落ち、くちばしが欠けた。頭から水中へと飛び込んで、息が詰まった。

 

 この世界で認められるには、誰にとっても特別でなければならなかった。

 家庭では無条件に許される『特別』も、この世界では並べられた数字が高い方にのみ許される。

 誰にとっても特別でいられるほど、私の翼は大きくはなかったということだ。

 

 足掻かなければ、辛くはないはずだった。

 夜の家は広くても、昼には教室にすし詰め状態で誰かと笑い合える。

 子供の頃とは違って、僅かな寂しさに耐えられないほど弱くもない。

 そんな諦める理由を探して、冷たい春の水の中でもがいていた。川の流れに拐われて、氷のように冷たく刺す岩に当たりながら、光射す方へと首を伸ばす。

 

「あたしが助けてあげるよ」

 

 言い放った当人にとってはきっと大した意味を持たないであろうその言葉が、私の心に驚くほど焼き付いた。

 夢色の泉へ流れ着いた私の翼を乾かした陽の光が私に笑いかけて、それからすぐに関心を失ったように東の方を向いた。

 

 特別な誰かになることは、もう諦めていた。代わりに、誰かにとっての特別でありたいという欲求は残っていた。

 

 彩ちゃんの恋愛相談に乗る度、この子の感情が愛とか恋とかいう名前で呼ばれるのだとしたら、私のこの感情はどう名付けるべきだろうかと悩む。

 執着の一種であることは間違いない。かと言って、崇拝というほど盲信しているわけではなく、愛や恋と呼ぶには穢れすぎている。

 

 所有欲、という言葉が浮かんで、シャボン玉のように弾けて消えた。

 

 才能への嫉妬があった。

 まず間違いなく、氷川日菜という人間は『特別』になり得る資質を秘めていた。機運を読み、掴み取る能力。窮地に立ってなお笑える度胸。言葉一つで一万人を乗せられるカリスマ。

 

 記憶力がどうとか、覚えが早いとか、そういう部分はどうだって良かった。羨ましくはあるけれど、少し時間をかければ私にだって手に入るものだ。それよりももっと根幹的な、存在の格と呼ぶべきものを私は妬んだ。

 

 彼女の、日菜ちゃんの目に私が映っていないことを知って、きっと、誰よりもショックを受けた自信がある。唯一彼女の魂に疵を残せる紗夜ちゃんとは、会わない方がお互いにとって吉だろう。私はきっと、嫉妬の感情を向けてしまう。

 

 躊躇や葛藤が浮かんでは消え、私はついぞ、日菜ちゃんを自宅に招いた。食卓を挟んで向き合う彼女の姿を目に焼き付け、ようやく自分の感情を認める。

 

 特定の誰かに執着心を覚えたのは、恐らく初めてだった。

 

 

 ♦

 

 初めて日菜ちゃんと夕食を摂った日から約2ヶ月。紫陽花から朝露滴る6月を飛び越して、しらさぎが川べりを闊歩する7月になった。

 私と日菜ちゃんの企みは凡そ成功していると言っても良いだろう。先輩アイドルのオープニングアクトや、商業施設でのイベントに出演することも増えてきて、小規模なタイアップや、夏フェスの数合わせくらいの仕事はこなせるようになった。

 正直なところ、まだ俳優をしていた頃よりもアンダーグラウンドな世界で活動している感覚は否めない。SNSや動画サイトを広報に使って、知名度を広げつつあるとは思う。伸び代はまだまだ残っていて、それを埋めるだけの筋道もみえている。

 

 けれどもなんというか、アイドルという狭い界隈の、そう高くもないところに居場所を定めようとしているような、居心地の悪さがあった。

 

 それが私が身を置いている世界だ、と言われてしまえば言い返す言葉もないのだけれど。

 

「あのさぁ、千聖ちゃんって案外暇なの?」

「わざわざあなたに時間を割いているとは思わない?」

「そうなのかなって思い始めたところ」

 

 カフェの窓越しに、雨に打たれる紫陽花を眺めながら、日菜ちゃんがぽつりと言った。

 私のお誘いに特に躊躇(ためら)う様子もなくノってくれるあたり、別に嫌われてはいないのだろうとは思う。けれど、いまいちどれくらい日菜ちゃんに心を許されているのかは分からなかった。

 

「あんまりそういうの、わかんないんだよね。顔も覚えらんない上に、表情も曖昧でさ。そのときは『こんな表情をしてる』ってわかるんだけど、数秒経つともうダメ」

 

 人間関係下手くそだと思ってね、と補足。

 頬杖をついて、退屈そうに瞬きをする。

 

「……千聖ちゃんって、なんか月ノ森の先輩に似てるかも」

「私はあなたと同い年なのだけど」

「でも、あたしに駆け引きを求めがちじゃない? そこがちょっと似てる」

「……不本意ね。反省した方が良いかしら」

「その方がいいよ」

 

 駆け引きを求めているつもりはなかったけれど、日菜ちゃんなら察してくれるだろう、というラインが高くなっていた自覚はある。それが多少なりとも負担になっていたのだろうか。発言に逐一謎解きじみた面倒臭さを滲ませる女になるのは御免だった。

 彩ちゃんや、ほかのメンバーには同じことをしていないから、余計に。

 

「先輩と違って、千聖ちゃんは良い人だけどね。わざわざ孤立しないようにしてくれるし」

「……待って頂戴。もしかして、私がこうしてあなたを連れ出しているのは、パスパレ内のバランスを保つためだと思ってるの?」

「え、違うの? ほら、あたしはどうしても彩ちゃんと仲良しこよしって感じになれないからさ、気をつかってくれてるのかなーって」

「それは……いえ、違わないのだけど、そうじゃないのよ」

「えー?」

 

 膝から崩れ落ちそうだった。

 滲ませる好意を信用しないのが癖になっていたりするのだろうか。それとも、ハナから伝わっていなかったのか。

 

「まあ、なんでもいいや。最近は結構、いろんな仕事ができて楽しいし。これは千聖ちゃんのおかげだよね」

 

 なんでも良くはない、と言いたかったけれど、一旦黙っておく。

 

「日菜ちゃんは、あまり音楽一筋という感じではないわよね。……それを言うなら麻弥ちゃんも機材方面に向ける情熱があるけれど」

「んー、ギターはちょっと飽きてるかなぁ。嫌いじゃないけど、ずっとは嫌だって感じ」

「それは、私たちのレベルが低いから?」

「ううん、元々飽き性だから」

 

 パスパレの方も飽きられると困る、と思ってから、紗夜ちゃんのことがあるから大丈夫かと思い直した。彩ちゃんが紗夜ちゃんとの仲を破綻させない限りは。そして、そんな思考に少しの自己嫌悪。

 

「台本ありきのイベントはイマイチかなぁ。アドリブ強めのイベントが1番好きかも。彩ちゃんがやらかしてくれるから、どっちにしろあんまり退屈しないのはこのバンドのいいとこだよね」

「私はハラハラして気が気ではないのだけどね」

「あたしは失うものとかないから。……千聖ちゃんだって、もういいんでしょ? 最近はかなり根を詰めてる気がするけど、もっと気楽にやればいいのに」

「そういうわけにもいかないのよ。また、欲しいものができたから」

「ふーん?」

 

 喫茶店と言えばこれだよね、と注文していたメロンソーダのストローに口をつけるのを、自然と目で追った。

 自分の感情に整理をつけるのに難儀する。今まで緩やかに距離を詰めようとしてきたこの2ヶ月ほどは、あまり効果を及ぼさなかったらしい。時折一緒に夕食をとったり、出かけたり、企画を動かしたりしてきたが、あまり手応えは無い。

 

 頭が良いし、観察眼もあるし、蘊蓄もある。そのせいでどうにも、人間関係においても匂わせる程度で伝わると思ってしまうのが良くない。私の過大評価というか、幻想の押しつけに過ぎないというのに。

 

 ならば直球で勝負するしかない、というのが結論。

 そしてその動力となる勇気を、私は探していた。

 まさかここで、彩ちゃんが先駆者として心強い存在になるとは。

 

「あのね。私があなたをこうして誘っているのは、あなたと仲良くなりたいと思っているからよ。そこに打算の色が全くないとまでは言わないけれど、私は純粋に、あなたと心を通わせたいと思っているの」

「つまり、あたしのことが好きなの?」

「……それはまだ、審議中よ。判断材料を増やしているところ」

 

 そうなんだ、と素っ頓狂な声が返ってきた。冗談のつもりで発した言葉に、思いの外真面目な返答を寄越されて流石に動揺したらしい。

 

「ちなみに、きっかけとかは」

「……あるけど、幻滅されそうだからまだ内緒にしておくわ」

「そんなことある?」

「多分ね」

 

 感情が揺れたのは、「助けてあげる」と言われたあの瞬間。感情に気が付いたのは、日菜ちゃんの目に自分が映っていないことを知ったあの日。これが恋なのか欲なのか分からないままゆらゆらと揺れて、どちらかと言うと欲なのではないかという方に今は天秤が傾いている。

 

「あなたの記憶に残りたいと思っているの」

「そればっかりは、あたしの意思じゃどうにもならないからなぁ。……うん、言われて嬉しい言葉ではあるかもしれないけど」

 

 相貌失認──失顔症についていくつか調べた。症状の重軽はあるにせよ、基本的には脳の特定部分の機能が喪失していることで人の顔を認識できなくなる症状だ。副次的に、表情が読み取れなかったり、名前が覚えられなかったりするらしい。

 日菜ちゃんは、認知の工夫によって一応は欠落した機能を補っているらしい。声や歩き方と名前を紐付けるとか、同じく声のトーンや仕草で表情を推察するとか。

 だから対面して話していてもほとんど違和感はないし、日常生活でも大して困ってはいないらしい。

 

 ただ、日菜ちゃんの内心では違うのだと思う。日菜ちゃんが紗夜ちゃんに執着するのは、きっとそういう理由だろうから。

 

「訓練でどうにかなるものなのかな。うーん、検査……嫌なんだけど」

「検査は受けて頂戴。脳の機能に関わる問題なんでしょう」

「わかってはいるんだけどね。知りたくないことまで知っちゃう気がして、どうにもしり込みしてる」

 

 アンバーの瞳に、拒絶の色は無い。

 ただ、日菜ちゃんが私を、紗夜ちゃんと同じ『特別』にまで引き上げてくれるかは別の話だ。

 

 自覚しているのか、それとも無自覚なのかは分からないけれど、紗夜ちゃんの顔だけを覚えている、という現象はかなりおかしいんじゃないかと思う。症状の重さによっては親しい人の顔なら判別できることはある、と調べた記事には書いてあったけれど、それならもう10年近い付き合いのクラスメイトや、それ以上に付き合いの長い家族の顔を覚えていないのは不自然だ。紗夜ちゃんとは絶交状態が続いているらしいのに、それでも顔は鮮明に思い出せるとか。

 

 汗をかいたグラスを手に取る。アイスカフェオレが入っていたそれは既にほとんど飲み干されていて、クリーム色が溶けた氷に引き伸ばされていた。

 

「もしあたしのことが好きだったらどうするの?」

「……どうしようかしらね。その時考えるわ」

「えー、対応決めといてよ。あたしも準備しとかなきゃじゃん」

「なんの準備がいるのよ」

「……心の準備?」

「それは大事ね」

 

 恋と愛の違い、という言説を読んだ記憶がある。恋は利己的で、愛は利他的な感情なのだとか。だとするならば、私のこの感情は恋に分類しても良い気がする。

 しかし、恋によく絡められる「甘さ」は、私の胸には存在しない。ひたすらに独善的な欲が、ぐるぐると黒く渦巻いているだけだ。

 

 だから恋ではないと思う。拡大解釈すれば、嫉妬でしかないはずだ。

 特別な存在への嫉妬。落ちぶれた元子役に過ぎない私には足りなかったものを持っている日菜ちゃんへの嫉妬。そこから派生した支配欲、所有欲。

 

 私の心に焼き付いた、ステージ上での言葉。

 

「……べつに、どうもしないと思うわ」

「告白されてみたかったんだけどなー」

「経験はあるんでしょう? 彩ちゃんから聞いた気がするわ」

「彩ちゃんなんでもチクるじゃん。……仲が良い人からされたことはないもん」

 

 拗ねたように言う日菜ちゃんに、どうしたものかと息を吐く。

 

「受ける気がないのに、されてみたいとは思うの?」

「気が変わるかなって」

「彩ちゃんに感化された?」

「そうかもね。あたしは、もう彩ちゃんのことも無視できないし。……千聖ちゃんだってそうでしょ?」

 

 彩ちゃんに嫉妬している日菜ちゃんと、紗夜ちゃんを羨ましがる私。あの二人に影響されていることは言うまでもなかった。

 

 それと、ああ、なるほど。

 ──紗夜ちゃんの真似がしたいわけか。ふと気がついてしまった。ならば私は彩ちゃんの真似をしてあげるべき? 

 それとも焦がれる少女を演じて、心が凍りついた俊才を溶かして見せるのが正解? 

 演じるのは、どちらかと言えば得意だ。

 

 逡巡する。ぐらぐらと煮立つ欲望を、川面を見つめるしらさぎを、ぬいぐるみを抱きしめた少女が窘める。

 

 日菜ちゃんが恐らく無意識にそう願っているように演じてみせれば、私にとっては得だ。この話をしている時点で、日菜ちゃんに拒絶の意図がないのは明白。

 先程からの日菜ちゃんの反応を整理してみても、私の行動が打算からではないと言ったときの反応だけを切り抜いてみても、なんとなく見えてくるものはある。隠す気がないのか、隠すのが下手なのか。日菜ちゃんの不自由を考えれば、おそらくは後者だと思う。

 

 打算であって欲しいけれど、打算であって欲しくはないのだろう。

 紗夜ちゃんのことを考えれば、日菜ちゃんだって真っ当な家庭環境におかれているとは思えない。そして話を聞くに、学校でも日菜ちゃんは心を開いていない。それで全く狂わないわけは無いと、私は思う。

 

 相貌失認も、その一つではないのかという邪推。紗夜ちゃん以外を認め難いという心理が、失顔症を助長している可能性を疑わずにはいられない。

 

 孤独を埋めて欲しいと思っているはずだ。私と同じように、特別な何かを求める衝動はあるはず。それを紗夜ちゃん以外に求めることを恐れているのか、嫌っているのか。

 そうでなければ、告白されてみたいだなんて言ったりはしない。面倒ならば先に釘をさしておけば良いだけなのだから。彩ちゃんに言ったように、告白されるのが面倒だ、と一言添えるだけで、私は決してその一線を踏み越えはしないだろう。

 

 私が紗夜ちゃんの代替として、日菜ちゃんの孤独を埋められる可能性。

 日菜ちゃんが紗夜ちゃんのロールを纏って、彩ちゃんのロールを纏った私の告白を受けることでその情動をトレースできる可能性。

 

 私が目を背けるには、抗いがたい餌だった。

 その先に広がる道が決して平坦なものでは無いと知っていても。

 

 罪悪感と自己嫌悪が胸に巣食うだろう。えも言われぬ焦燥感が急かすだろう。

 

 だとしても。だとしても私は──

 

 

「私は、それほど彩ちゃんに引っ張られてはいないわ。だってきっと、これは恋ほど純粋な感情じゃないもの」

 

 結局、私は答えを先送りにしてしまった。

 いつまで間違えないでいられるだろう。自分の弱さが恐ろしくて目を瞑る。

 

 この感情だけ抱えて、どこへなりとも飛んでゆければ良いのに。

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