「またダメだったの?」
「いえ、
遠からず、と思ってはいたが、その日は予想よりも早く訪れた。
湊さんと宇田川さんの口論。話を聞く限りでは、湊さんがスカウトを受けたことを発端としたすれ違いらしいけれど、宇田川さんは感情的に過ぎるし、湊さんは寡黙に過ぎる。
湊さんの目標、FUTUR WORLD FES.を巡った諍いだった。湊さんが、フェスの参加権を付帯させた契約を持ち掛けられて迷ったとか、なんとか。
宇田川さんにとってはショックだろうと思う。『あこ達は必要なかったんじゃないですか』という叫びに沈黙を返した時点で、悪手を打ったなとは感じていた。ただでさえ宇田川さんは1人だけ年下の中学2年生で、相応に疎外感を覚えたりもしてきたはずだ。そしてその上で疎外感を跳ね除けるように人一倍モチベーションを高く練習していたことも、私は知っている。
「……あの、私が原因というわけではありませんよ」
「わかってるよー。そうだったら紗夜ちゃんはもっと申し訳なさそうに話すだろうし」
「はぁ」
解散すると決まったわけではないが、この手の不和が起こってからバンドが持ち直したためしがない。かと言って早々に見切りをつけるのも不義理な気がして、一応月島さんにこうして話を持ってきている。
「それで、また次のバンド探してるの?」
「それもそうなんですが、いい加減月島さんにも迷惑を掛けすぎている様な気がして……別のハコで探してみようかと」
「迷惑云々は気にしなくていいよ! 紗夜ちゃんがフリーでサポート受けてくれて助かってる部分だってあるんだし。……とはいえ紹介するアテも今は無いし、他のライブハウスも含めて広く募集するのは悪くないと思うから、反対しにくいけど……」
空中分解ということになったら、本格的に次のバンドを探そうと思っていた。なんだかんだと『CiRCLE』は私みたいなソロの活動も許容してくれるし、しばらくは独りでギターを弾いて歩くのも良いかもしれない、と思う。
選り好みしなければ、バンド探しには苦労しないことがわかっているから、いい加減自分の足で探してみてもいいかもしれない、とも。
「バンド、いくつめだっけ」
「別にそんな、数え切れないほどではないです。私がバンド活動に不向きなのは明らかですけど」
「う────ん、どうしたもんかねぇ」
会計用のカウンターに頬杖をついて、月島さんが虚空を見つめる。私としては、そろそろ厳しい言葉を投げつけられるんじゃないかと危惧するところだった。
月島さんには、大概迷惑をかけてきた自負がある。Roseliaを含めて2回ほどバンドを紹介してもらっているし、中学生だった私にライブハウスのことや、バンドマンの常識を教えてくれたのも月島さんだ。細かなやらかしを庇ってもらった記憶は幾つかあるし、なんとなく頭が上がらない相手なのだった。
その分、小さな横暴にも応えてきたつもりではあるのだけど。長時間スタジオを借りると休憩時間にはリクエストをしにやってくるし、無茶振りでライブの穴埋めや突発的なサポートを依頼されてもできる限りは受けてきた。……お古の機材を貰ったりしたから、受けた恩が圧倒的に多いのは言うまでもない。
「社会人バンド掛け持ちっていうのが、一番紗夜ちゃんには合ってそうなんだけどねぇ。良識あるところは未成年を入れたがらないから難しいところだ」
私に合っているバンドとはなんだろう。私は結局ギターが弾ければ良いというスタンスだから、適切に距離を置いてバンドを続けられればそれで良いと思ってしまう。
とにかく楽器を弾いて楽しむだけのバンド、というのは、まあもちろんあるにはあるけれど、どうにも温度感が合わない。エンジョイ勢は、得てして音楽以外にも流れがちだ。それ自体は構わないのだけど、それならばバンドの掛け持ちをして、メンバーが遊んでいる日は他のバンドに参加することを許して欲しい。とはいえそうもいかないのが現実で、ブッキングしたときにどちらを優先するかで揉めるとか、メンバーとの仲がこじれるとか、だいたい問題が起きる。
じゃあ練習に重きを置くような、例えばプロデビューをめざしているバンドに参加するのはどうかと言うと、それも上手くいった試しがない。私が中学生であることにより生じる不都合だとか、あとはそもそも、余裕が無い人間ばかりが集まったバンドが長続きするわけがないという問題がある。
例えば音大生が道楽で組んでいるバンドなんかがあれば理想だったのかもしれないけれど、身内で楽器経験者を集められる彼女達がわざわざ募集をかけることもないだろうし。
或いは、スタジオミュージシャンという選択肢もあった。そちらは私が未成年のうちは不可能だから、いずれにせよ、この3年間はふらふらと蝙蝠を続けるしかないのかもしれない。
7月の末、夏休みも目前という頃。外では蝉時雨がけたたましく響いていることだろう。ライブハウスの、空調がよくきいた屋内にいては夏の実感も薄れるというものだけれど、窓からは眩しいくらいに日が差していた。
「バンド、自分で作ってみたら?」
なんとなしに、月島さんがそう言った。……考えもしなかったと言えば、嘘になる。自分の裁量でメンバーを集めて、私が最もやりやすい形でバンドを運営すれば長続きするかもしれない、とは思っていた。メンバーが欠けたからとか、そんな些事でいちいちバンドを解散されるのには辟易していたし、私と似たようなスタンスの人間を集めたバンドの方が居心地が良いかもしれない、という期待もあった。
とはいえ、私にリーダーは務まらないだろうと思う。
家庭の用事に左右されやすいというのもあるし、人望や実績がないというのもあるし、何より主体性がない。目標なく人を募るのはなんだかんだと難しいだろう。
「自分でメンバーを集めるほどの意欲は無いです。それならどこかのサポートを渡り歩くくらいでいい」
「んー、まあ、そうなんだろうけど……」
言うか言うまいか、という態度に首を傾げる。
「紗夜ちゃんはさ、Roselia内の諍いを取りなそうとしなかったの?」
「……特には」
だよね、と首肯がひとつ。
「それでもいいとは思うよ。バンドを変えるのは面倒だと思っていても、バンドが変わること自体は紗夜ちゃんにとって不都合でもないんでしょ?」
「……はい」
「前から思ってたけど、争いごとが凄く嫌いだよね、紗夜ちゃんは。バンド内の揉め事でも、他人の揉め事でも、始まるとすぐに逃げるし」
「よく見てますね」
「大人だもん」
喧嘩は嫌いだ。自分のささやかな矜恃を曲げないために、不毛に他者を罵り貶めるのが強い人間だと言うのなら、私は弱く臆病な人間でも構わないと思う。私は私で偏った人間だから、これも健全な思考ではないのだろうけれど。
守るものなどないから、身一つで逃げるだけでよかった。ただそれだけ。
「その上で言うけど、1回くらいRoseliaで話してみたら?」
「必要ですか? もう、どうにかなるような気もしませんが」
「Roseliaに必要かは知らないけど、紗夜ちゃんには必要だと思うよ」
私には必要だ、と言われて首を傾げる。人間関係のいざこざに首を突っ込む勇気が必要だという意味だろうか。誰かとぶつかり合う経験を、月島さんが『良いもの』と捉えているような感じはしないが。
「たとえばだけど、丸山彩ちゃんと仲が良いんでしょ? それでも友達同士だったら小さな喧嘩をすることだってきっとある。そんなときも、紗夜ちゃんはたった一回で関係を切るつもり?」
「丸山さんが私に価値を感じなくなったのなら、恐らくは」
「あー……、紗夜ちゃん自身は丸山ちゃんとまた仲良くしたいと思っていても?」
「ええ。向こうが私を煩わしく思ったのなら、それが全てです。あまり想像したくはありませんが」
思ったよりも重症だぁ、と月島さんが呟いた。
重症、重症。
お節介、或いは余計なお世話と呼ぶべきなにかの足音がしていて、それでも月島さんを拒絶しようとは思っていない自分に驚く。もちろん、良い目では見ていないのだけど、受け入れる心の余白を用意しているような感覚。
「なんて言えば良いのかなぁ。人間関係ってさ、互いに維持しようとしないと成立しないんだよ。
「……私もバンドの存続のために動くべきだったと」
「まあ、そういう局面で何もしないのは、拒絶や離反と同義だからね」
宇田川さんを落ち着かせることくらいはできただろうなと思う。
それが状況を好転させるのか、一挙にとどめを刺す結果になったかはさておいて。
「私には、難しいです」
相手が私に執着しなくなった時点で、私に関わるメリットよりもデメリットが上回ったのだろうと解釈する。そんな相手に、私の要望を通そうとは思えない。嫌われることは恐ろしくないけれど、私の好意が否定されるのは恐ろしい。
そんな恐怖を自覚する前に、そもそも私が好意程の感情を覚えないこともあるのだけれど。
丸山さんにさえ見放されてしまえば、私はきっともう二度と他人を信じなくなるだろう。空き教室での拙い告白に、私は今後の人生にかける希望を委ねた。
じゃあRoseliaはと言うと、今のところは特に思い入れもないバンドだ。
今までのバンドと変わりないというか、それ以上を育むこともなく終わりかけている。
「雨降って地固まるとも言うじゃん? 何を言うことも無く分かり合える他人なんて存在しないし、多少はぶつかり合って、お互いの嫌なところも知って、受け入れあっていくもんだよ」
まあそんな道理はわかってるか、と思案顔。
「私がひとでなしだったら、そのままでいればいいって言えるんだけどなぁ。……今の紗夜ちゃんの演奏が好きだから、ジレンマだね」
自分の在り方が健全でないことは承知している。変われない理由を、変わらないでいい理由を探して逃げていることも自覚している。
私の数少ない逃避先である音楽で、冷たく澱んだ現実に向き合わされるのは御免だと思わなくもない。
「ゆっくり考えてみたらいいよ。練習もしばらくないんでしょ? アレだったら、Roseliaのキャンセル分のスタジオ使う?」
「……そうですね、じゃあ、いくつか予約は入れます」
変わるとか変わらないとか、今まであまり考えたことが無かった。
最初は全て私が悪いのだと思っていて、途中でどうにもならないのだと気がついてしまったから。『良い子』になれば愛されるのか。誰よりも優れていれば許されるのか。そのどちらでもなかったのだから、あとは自分の心を守るのに必死だった。
こうして唐突に変化を迫られているのは、ここが分水嶺だからだろうか。
間違いなく、私は子どもである。未だに愛に飢えていて、狭い世界から抜け出せないままもがいている。
そんな子どもの世界から抜け出してしまえと言われているようで、木漏れ日に覗く青空に怯む。
月島さんが「このままでは良くない」と言うからには、そうなんだろうと思う程度の信頼があった。
じゃあ、どう変わればいい?
自分の欲求に従い続けるのなら、今のままでいい。故に変化を求めるのなら、自分の心に逆らわなければならない。
自分の心に逆らって立ち上がろうにも、今度は正解が分からない。
お互いに求め合うべきだと言うけれど、私が欲しいものはなんだろう。
バンドに求めることなんて、まともに活動を続けることくらいだ。
じゃあ、丸山さんは? と考えてみて、こちらも直ぐに思い当たった。
私は、丸山さんに求められることを求めている。
愛されることで、私には得られなかったものを取り返せるんじゃないかと思っている。
どちらにせよ、きれいな感情でないことは確かだった。
堂々巡りだ。心構えひとつで日常が劇的に変わったりはしない。一つ一つの選択を繰り返して、人生の道筋を少しずつズラしていくことはできるだろうけれど。
今日のこの小さなお説教は、しっかりと私に影響を与えている。これから選択の岐路に立った時、私は話し合おうと試みるだろう。すぐに諦めるかもしれないし、上手くいくかもしれない。何度も失敗したらまた話し合いは無駄だと思うようになるかもしれないし、上手くいけば自分の意見を通すような人間になるのかもしれない。
一旦はこの程度の気構えで許して欲しいと思いながら、席を立った。
「帰るの?」
「今日のところは」
「スタジオ空いてるけど……」
「気分じゃないです」
「えー、じゃあもうちょっとお喋りしていようよ」
「仕事中じゃないんですか」
「こうやってサボるために私は偉くなったんだよ。それに受付業務はやってるし〜」
真面目な話をしたと思ったらこれだ。
好意的に捉えれば、ガス抜きをしようとしてくれているのだろうとは思うのだが、素直に感謝しにくいのは昼行灯気質が故だろうか。
「丸山ちゃんとどうやって仲良くなったのかとか、私興味あるなぁ」
「1度ライブに呼んだだけでしょう」
「ライブに呼ぶのも珍しいじゃん。それに、仲良く二人で帰ってるって聞いたよ」
「……誰から?」
「紗夜ちゃんファンのお客さん」
「実在性の低い嘘をつかないでください」
「いや、いるからね、紗夜ちゃん推してる人も」
流石に軽口だ。私のソロ活動を追ってくれている人がいることも知っているし、いちいちその存在を疑うほどひねてもいない。
彼女達の期待に応えられるかは怪しいところだけれど。
「……前のバンドが無くなった時にたまたま丸山さんに声を掛けられてから、よく話すようになっただけです」
「ほんとかなぁ」
「嘘はつきませんよ」
月島さんに言ったところで言いふらされるとも思えないし、付き合っていると言ってしまっても良かったが、一応丸山さんが「秘密にしたい」と言ったのを守ってみる。
「……何となく想像はつくけどね。だからこんな話をしたんだし」
それに、放課後に歩いている姿を見られたのなら、手を繋いでいるところまで見られているかもしれない。だから本当に、隠す意味があったかは定かでは無い。ラインを引いた以上は詰めてこないけれど、反応からして月島さんはもう知っているようだし。
「なんだかんだ6時か。流石に仕事しなくちゃ。引き留めちゃってごめんね」
煮え切らない会話が打ち切られて、月島さんがひらりと手を振る。なんだったんだろうと思いつつ、向こうが満足したのならそれでいいかと場を辞した。
丸山さんと付き合ってから2ヶ月ほどになる。身体的接触の段階を恋人関係の進行度に置き換えるのなら、私たちの進展は無に等しいけれど、私の左を歩くピンクの影には随分馴染んだように思う。
夏休みにはまた時間が取れるだろうから、何か新しいことができはしないだろうか。丸山さんとの交流を楽しみにしている自分がいて、それを1歩引いたところから冷めた目で見ている私もいる。セーフティゾーンとして冷静であろうとする私を、本当は消し去ってしまいたい。後先考えずに夢中になって溺れてしまえば、束の間は幸せでいられるだろう。
それを許せない頭でっかちな自分が、少し後ろめたかった。
冷房の効いたロビーからガラスのドアを開けて外に出る。この時間でもまだ、煌々と西日が照っていた。
冷たくなった体の表面にじわじわと熱が差して、一瞬は心地が良い。どうせすぐに茹だる熱気にうんざりするのだろうけれど。
駅の方へ歩き出そうとして、こちらへと走り寄ってくる影が見えた。ライブハウスに用事だろうかと道の端に体を寄せると、向こうもこちらに寄ってくる。
「紗夜! 待って!」
見覚えのある茶髪。羽丘の制服。月島さんに謀られたのを悟った。最後に私を引き止めたのは時間調節のためだったのだろう。
息せき切ってきた今井さんを前に、曖昧な表情で立ち尽くした。肩で息をしている彼女が落ち着くのを待つ。
「そんなに慌ててどうしたんですか」
「だってまりなさんが、紗夜が来てるって言うから……」
「連絡を貰えれば会いますよ。わざわざ走って来なくても」
「そうかもしれないけどさ、そうじゃないかもしれないじゃん」
今井さんはぱたぱたと襟を仰いで風を送っていた。この気温だったらそれでも汗が引かないだろうと思うのだが、とりあえず呼吸が整えばいいらしかった。
「時間は取らせないからさ、一言だけ言っておきたくて……」
「はぁ」
「友希那のこと、少しだけ待ってて欲しいんだ」
「別に、今すぐ見切りをつける気はありませんでしたよ。ギターが弾ければ、私はそれで満足ですから。宇田川さんを連れ戻すなり、早々に他のメンバーを探すなり、湊さんが活動を続けるというのなら残ります」
月島さんのお節介なのだろうとは思う。このままフェードアウトするのではなくて、私からもアクションを起こしてみるべきだと言われている。
でも、何を話せば良いと言うのだろう。今井さんや湊さんの事情に踏み込む気もなければ、何かを「頑張ってください」と言うのも違う。待っている、というのも消極的にすぎる気がして、結局口ごもる。
「あこは、戻ってくるよ」
「……ああ、別に宇田川さんに思うところがあるわけではないんです」
「ならいいけど……」
言葉選びを間違えたことに気がついたものの、言い訳を重ねるのも無意味だろうと黙った。
自分の憧れに否定されて、バンドをやるのが嫌になってしまわないかと思っただけだったのだが。私だったら確実に嫌になっている。
「Roseliaは、この5人じゃないとダメだよ」
今井さんの呟きが、蝉の残響に紛れて消えた。