じゃないと永遠に終わらんので
「ちょっと、相談に乗って欲しいのだけど」
「え、うん。なんでも言って!」
お昼休みに、紗夜ちゃんがぽつりと言った。1番右側の席でお弁当を広げて、相も変わらず気だるげな色を滲ませた瞳が私を見つめる。
「空中分解しそうなバンドを繋ぎ止めるのには、どうすればいいのかしら」
「え、えっと、えーっと、……それって、Roseliaのこと?」
「ええ」
「原因とかは……」
「メンバー間の不和ね」
なんでもないように大きな話を放り込んでくるから、噎せそうになった。
けれど紗夜ちゃんの表情には、あまり深刻そうな色がない。バンドそのものはどこでもいいのだと言っていた記憶があるから、ダメで元々くらいの話なのだろうか。パスパレに芸能人生を賭けている私とは感覚が違うだろうなとは思う。
「それなら、二人の間に入って取り持つしかないんじゃないかな」
「まあ、そうよね。……丸山さんは、私欲のために年下の子に聞こえの良い虚言を並べ立てる私を許せる?」
「許す、けど、そういうことはして欲しくないから止めるよ」
「……仮定の話よ。……私にできることはない、という結論になってしまうわね」
具体的な人名や内容は出てこないから、あくまで一般論の話しかできない。紗夜ちゃんだってそれは分かっているはずだから、求められているのは一般論的な答えなんだろう。
虚言というのは、例えばバンドに戻って欲しいとか、あなたの演奏が好きだとか、あなたが必要だとか、そんな感じの内容なのだろうか。励まして説得する人間がいるに越したことはないと思うけれど、紗夜ちゃんはその立場に立つのに向いていないと思う。美辞麗句を並べ立てて唆す、というのは些か露悪的にすぎる表現なんじゃないかという疑念はさておいて、紗夜ちゃんはそんな自分が嫌いになるだろうから。
「人間関係を維持するためには、互いにそう努める必要があると言われたの」
「うん。……私も、そうだと思う」
「きっと根本的に、私がバンド内の揉め事に関心がないのがダメなのよね。無関心な人間が首を突っ込んでも、良い結果にはならない」
「それなら、戻ってきやすい空気を作っておくとか、そういうのはどうかな。いつも通りフラットにいてくれるだけで、随分楽になると思うな」
「実質的には何もしないのと同義だけれどね。……メンバーを連れ戻すのは、今動いている人に任せるべきよね。そうなるとますますすることがないわ」
上辺だけの言葉に価値がない、とは思わない。たとえ本心からそう願っていなかったとしても、励まされれば明るい気持ちになったりするし、必要だと言われれば立ち上がろうという気力になったりもする。気持ちを誇張して言葉にしたりすることを全て否定するわけもない。
それはそれとして、紗夜ちゃんには口先だけの言葉を吐いて欲しくはなかったし、紗夜ちゃんの言う通り、無関心な人間は引っ掻き回して役割を持とうとしてはいけないのだろう。
でも、紗夜ちゃんがこうやっていろいろと考えることには価値があると思う。実際には行動を起こさない方がいいという結論に至ったとしても、それが「関係を維持するのに努めなかった」ことにはならないはずだ。
「……その、今のところは上手く行きそうなの?」
「全く分からないわ。……ああ、いえ、知っていそうな人がいるわね。聞いてこようかしら」
紗夜ちゃんは時計を見やってから、お弁当に口を付け始めた。本人曰く、「最近は手抜きし始めたお弁当」は、私からみればものすごく手間がかかっているように見える。紗夜ちゃんに言ったら、夕食の残りばかりだからそうでもないと言われたけれど。
「白金燐子ちゃん?」
「ええ」
「大人しい子だよね。ほとんど話したことないや」
「私も、仲が良いわけではないのだけどね」
早々に食べ終えてしまってから、紗夜ちゃんは少し躊躇するように私を見た。いってらっしゃいと手を振ると、少し困ったように笑って教室を出ていく。
「フラれた?」
「フラれてない!」
紗夜ちゃんの席にぽつんと取り残された私を面白がるように、クラスメイト数名に取り囲まれる。
薄々分かってはいたけれど、私たちの関係は1週間も経たずにバレた。紗夜ちゃんは隠しても隠さなくてもいいというスタンスだったから私に合わせてくれていたのに、肝心の私が耐えられなかった。
一緒にいられる時間の大半は学校なのだから、学校でイチャつけなかったら苦しい、というごく当たり前の事実に気がついていなかったのだ。放課後に手を繋いで帰ろうとして、紗夜ちゃんに呆れ顔を向けられたのを思い出す。
いいんです。バレてた方が私が逃げられなくなるから。──いや、逃げる気は毛頭ないんだけど。
私の欲望が割合の大半を占めていたとはいえ、紗夜ちゃんにお付き合いを申し込んだのには打算的な理由もあった。好意を伝えただけの曖昧な関係ではなくて、恋愛関係にまで進展させることで、私たちの繋がりに形を持たせられないかという目論見。
ただの友達が疎遠になるのと、恋人が別れるのでは重みが違う。もし私が紗夜ちゃんに酷いことをしてしまったとして、この関係をオープンにしておけば紗夜ちゃんの味方が増えるんじゃないかという考えがあった。もちろん、そうならないつもりではいるけども。
「氷川ちゃん、重そうだよね。あ、悪い意味じゃなくて」
「いや、わかる。真面目だし」
「振るとしたら彩から?」
「別れないよ! ……もう、勝手なこと言わないで」
「ごめんって。でも実際どう? 重いタイプだと思ってるんだけど」
「え、えぇ……」
重いか重くないか、という尺度で考えたことがなかったから、少し迷った。世間一般的な感覚で言えば──いや、女子高生の感覚で言えば重いのだろう。
そう仕向けたのは私だ。紗夜ちゃんに、たった一度だけで良いから信じて欲しいと言って、日陰から連れ出した。
私が紗夜ちゃんを裏切るようなことがあれば、紗夜ちゃんはもう二度と誰かを信じて心を委ねたりはしないかもしれない。それくらいには重い決断をさせた自覚があった。
たぶん、気楽なお付き合いを求めようと思ったら紗夜ちゃんはそれを許してくれたんじゃないだろうか。著しく自己肯定に欠けていて自分を大切にしない紗夜ちゃんを見ているとそう思う。偽りで粗雑な愛が、もしかすると紗夜ちゃんには毒になるかもしれない。
端的に言えば、悪い人について行ってしまいそうな危うさがあった。
それを縛り付けたのが私。一人で完結していた紗夜ちゃんを半ば無理やりに連れ出したことを鑑みれば、悪い人とはつまり丸山彩のことなのかもしれなかった。
「重くはないよ。……私に真面目に向き合ってくれてるだけ」
むしろふらっと消えてしまいそうだから、やっぱり一般的にも重くはないんじゃないかと思う。うーん、よく分からない。
紗夜ちゃんの内心は未だに理解できたとは言い難いけれど、それでも最初に比べれば幾分、内側に入れて貰えるようになった。
「うーん、でもそっか、彩があしらわれてる感じするし」
「え」
「経験値の差を感じるね。それか、精神年齢」
「ひどい! 私だってリードして──して……る、はず」
ほんとかな、と意地悪い笑み。からかわれるのが嫌なわけではないけど、ちょっと不安になってきた。よく考えたら、節々で主導権を握っているのはいつだって紗夜ちゃんだ。私がもっと頑張らなくてはいけないのでは、と思ったり。
「語るに落ちるってやつ?」
「うぅ」
まあまあ、と慰めモードに入った友達の一人の視線が、ふいと私の後ろへ向いた。
「あまり虐めないであげて」
「保護者が来た」
「保護者って……」
留守だったわ、と私に言って、戻ってきた紗夜ちゃんが自分の席に座り直す。
「氷川ちゃん的には、彩ってどうなの?」
「どうって、どういう答えを期待しての質問?」
「ほら、可愛いとか頼りないとか、あるじゃん」
紗夜ちゃんは少し面倒臭そうな表情で、曖昧に唸った。これはもしや私を傷付けない表現を探しているのでは、という危惧を他所に、やがて口を開く。
「貴方たちが普段接している丸山さんとさほど変わりはないと思うわ。それよりも幾分、ひたむきで真摯かもしれないけれど」
さほど変わらない、と言われたことには少しショックを受けた。
でも、言われてみればその通りかもしれない。友達には「そのピアス似合ってるね」とか、「この動画面白かったよ」とか何気なく言えるけれど、紗夜ちゃんにはそうじゃないのだ。遊びに誘うのだって緊張する。好きな動画をオススメすることにさえ、これをみせることによって自分がどう見られるのかを意識する。
結果的に、他の人を相手にするのとは比べ物にならない積極性を発揮しているつもりでも、他の人と同じくらいの対応に見えてしまうのかも。
自分の言葉が相手に与える影響を意識するようになった。何気なくこぼした言の葉のひとつが、自分をどう飾るのかと立ち止まって考えるようになった。
このもどかしささえ、すこしだけ愛おしい。
「ふーん、じゃあ、氷川ちゃんは? 彩にしか見せない態度とか、あるの?」
矛先が私に向いた。悪気はないんだろうけど、この好奇心には胃が痛い。紗夜ちゃんは良い思いをしないだろうとハラハラしてしまう。
「それは──」
「秘密よ」
私がなにか言い出す前に、紗夜ちゃんがぴしゃりと言い放った。冷たく突き放すような感じではなくて、明朗ではっとさせるような声音。
「それは、丸山さんだけの特別なの」
「ざんねん。氷川ちゃんのこともちょっとは知りたかったんだけどな」
「有難いことだけれど、順番は守って頂戴」
友達がケラケラと笑って、紗夜ちゃんがそっと微笑む。私のときはこんなに厳しかったっけ、と回顧してみる。ダメなものはダメ、とぴしゃりと言われていたような気もするし、今思えば紗夜ちゃんのパーソナルな情報に踏み込むような話題を全部流されていたような気がする。
……私が鈍すぎて気づいていなかっただけ!?
「じゃあ、なんて言って口説かれたのかも訊いちゃダメな感じかな」
「ええ。歯の浮くようなセリフを言われたことは確かだけれど」
あの、あの、あの……!
休み時間が早く終わって欲しいと思ったのはたぶん初めてだった。