色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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大変な状況に居られる皆様。どうかお大事に、ご無事で。
当方も余震に揺られております。……が、これを投稿しているということは余裕があるということですのでお気になさらず。
直接被害には遭われなかった皆様。遠くの惨事に気が塞くようでしたらテレビを消して、音楽でも聴きながら温かいものを飲んでください。
 
本当は新年の挨拶を書きたかったのですが、ままならないものですね。
 
 



《20》ROAR

 家を出た瞬間、不貞腐れた表情の日菜ちゃんと鉢合わせた。

 

「遅い!」

「えぇっ!?」

 

 あまりに理不尽なことを言われたものだから、思わずスマホの通知を確認したけれど、日菜ちゃんと約束した覚えは無い。今日は紗夜ちゃん──Roseliaが音楽イベントのオーディションライブに参加するというので、それを観に行く予定だった。

 

 一時期空中分解目前だったらしいRoseliaは、なんとか持ち直したらしい。らしいと言うのも勿論伝聞だからで、情報源である紗夜ちゃん自身も「勝手に直った」とでも言うような口振りだったからだ。紗夜ちゃんが悩んでいたことを知っている身としては上手く行ってよかったと思うものの、肩透かし感があると言われれば「そうかもね」と同意せざるを得ない。

 

 そんなこんなで迎えた、Roseliaにとって最初の挑戦、『FUTURE WORLD FES』の参加権をかけたオーディション。観に行けるものなのかな、と呟いたら、チケットを手渡された。そういうわけで会場へ向かう第一歩だったのだが、目の前にはどういうわけか日菜ちゃんが。

 

「……ジョーダンだよ。あたしも行くつもりだから一緒にどうかなーと思って」

「んー、うん、一緒に行こう。一人だとちょっと心細いし」

「まあ、断っても会場までは一緒だけどね」

「それは気まずいかも」

 

 軽口を返すと、日菜ちゃんはけらけら笑った。

 なんだかいつもと違う雰囲気の服装。フレアパンツと半袖の白シャツ、キャップにミドルカットのスニーカーという些かラフ過ぎる装いに気がついた。

 

「珍しいね、そんなにラフなの」

「ああ、これ? 後でウィッグ被って変装するから、そっちに印象合わせてるの」

「変装って、紗夜ちゃんに見つからないようにってこと?」

「うん。まああたし一人だったら絶対視界にも映らないと思うけど、一応ね、イチオウ」

 

 蝉時雨が降り注ぐ町を、建物の陰に沿って駅の方へ。12時からのオーディションに間に合わせるために家を出たのは10時。あまり慣れない道程だったから、少し余裕を持って動くつもりだった。

 

「日菜ちゃんはどこでチケット手に入れたの?」

「んー、ナイショ。結構大変だったけどね。なんせ数が少ないから」

 

 最近は私に対してもかなりフラットに接してくれる。そもそも、日菜ちゃんは私のことを恨んでいるわけじゃないのだろう、というのはずっと感じていた。私のことが嫌いだとか妬んでいるとか散々言いながら、仕事の現場でなんだかんだと私の足元を支えてくれるのは日菜ちゃんだった。今だってこうして、普通に外出に誘ってくれるわけだし。

 

 夏休みに入って混雑するお昼の電車に乗り込む。汗の匂いと制汗剤の匂いと香水の匂いでなかなかの地獄。これだけは電車の悪いところだよな、といつも思う。

 列車を乗り継いでライブハウスに辿り着いたのは、開場してすぐのタイミングだった。

 

「ちょっとトイレ行ってくるね」

「はーい」

 

 日菜ちゃんのドリンクを受け取って、その背中を見送る。しばらく前に紗夜ちゃんに「CiRCLE」は入りやすい方だって教えてもらった記憶があるけれど、ここも流石に規模が大きいからか、入りにくい雰囲気はほとんどなかった。あとはイベント事だからか、常連さんの雰囲気に染まっていないとかそういうこともあるのだろうか。

 

 ちょん、と肩をつつかれて振り返った。

 

「わ、日菜ちゃん! 脅かさないでよ!」

「ぼーっとしてて気付かないんだもん。ほら、どう? 似合わないでしょ」

「いや、逆に似合ってる気がする……」

 

 戻ってきた日菜ちゃんは、黒髪のウィッグをつけていた。自前の髪をきっちりネットに仕舞ったのか、普段の髪よりも短いセミショートボブ。ストレートヘアーのウィッグだからかいつもと雰囲気がかなり違って、目新しかった。

 

「思ったよりぐちゃぐちゃになって大変だったよ。慣れないと難しいもんだね」

「そうなんだ。結構早く戻ってきたような気がするけど」

「そこはまあ、あたしって器用だし。でも髪直すの面倒だからウィッグで帰ることになるかもなー」

 

 いつもよりも冷たい、尖った印象を受ける。元来日菜ちゃんは目力が強くて、目元だけだと結構強く鋭い印象があったけれど、黒髪のミディアムボブだとそれがさらに強調されるらしい。真昼の黒猫みたいだ、と思った。

 さらりと揺れる前髪の隙間から、満月の瞳が覗く。普段の浅葱の髪よりも白い肌が映えて、美しさに神秘性がプラスされるような。

 

「歩き方も変えてるんだよ。コルセット入れてるの」

「そこまでするの?」

「や、千聖ちゃんが『簡単に歩き方を変える工夫』として教えてくれたから試してみよーと思って」

 

 ドリンクを受け取って、日菜ちゃんがモデルみたいに歩いた。イヴちゃんが少し前にやっていたやつだ、と思ったのもつかの間、これは目立つか、とあっさり修正してのける。

 私は歩き方を見てそれを見分けられるわけではないけれど、後ろ姿を見てパッと日菜ちゃんだと分からないのだから上手くやれているんだろうと思う。

 

 フロアに入って、後ろの方のスペースを確保した。意外にも人が多すぎて入れないというようなことは無かった。知り合いの出番だけ観に来る人が多いからこんなことになるのだとか。

 

「紗夜ちゃん達、通るかな」

「どうなんだろ。審査員相性が良ければ通ると思うけど。オーディションなんて運も絡むし、五分五分とかじゃないかなぁ」

 

 紗夜ちゃん達の順番は真ん中の方だった。これから何時間も待つことを考えたら、確かにお目当てとその前後くらいしか観に来ない人たちの気持ちも分かる。クラシックのコンテストなんかもそうなのだろうか。

 

 座れる場所に避難して、オーディションライブの開始を見守る。審査員の軽い紹介があって、フェスの説明、採点の説明が入る。簡易的な説明のあと、早速最初のバンドがステージに立った。

 

 サティ、と名乗ったバンドははやばやとセッティングを済ませて、軽い挨拶のあとにさっさと演奏を始めた。

 

「サティって、そのサティ?」

 

 ジムノペディじゃん、と呆れたように日菜ちゃんが呟いた。聞き覚えのあるイントロだと思ったけれど、名曲からの引用だったのだろうか。テレキャスターの軽快なリードに、これまた軽くクリアな印象のタムが(はず)む。ベースの音色も芯がぶれていない感じで、低音もちゃんと響いているはずなのに軽やかな印象を受ける。

 なんというか、バレエのジャンプみたいだ。着地の瞬間にはちゃんと重力加速が乗った体重が突き刺さっているはずなのに、重さも感じさせずにつま先でピタリと降り立つ。

 

 2組目はヴィヴィッドでエレクトリックなサウンドだった。3組目は邦ロックの流行りのど真ん中という感じの、ハイトーンの男性ボーカルがメインを張るキーボード入りの編成。4組目と5組目はメタルとかハードに片足を踏み入れているような、ツーバスの迫力満点の演奏で、6組目は一転して爽やかで明るいポップ・ロックに立ち返る。

 

 日菜ちゃんはしばらく前から退屈そうに欠伸をしていて、普通に楽しめている自分がズレているのかと少し不安になった。私なりに彼女の天稟を信用してはいるので、自分よりも物を知っていて感性が磨かれているはずの日菜ちゃんの反応を窺ってしまう、ということが極たまにあるのだった。

 

「今のところ、一組目が通りそう」

「そうなの?」

「あたしは審査員じゃないからわかんないけどね」

 

 次じゃん、と立ち上がった日菜ちゃんに引っ付いて、比較的人が多いフロアの真ん中へ移動する。ステージが鮮明に見える位置に移動したところで、ちょうどRoseliaがステージに出てきた。

 

 青の薔薇と黒を基調にした衣装。そのほとんどを白金さんが手がけていると聞いたときには驚いたものだけど、未だにちょっと信じられない。

 

 他のバンドに倣ってか、MCは挨拶と軽いメンバー紹介、曲の説明だけだった。持ち時間が少ないから必然そうなるのだとか。

 

「『LOUDER』」

 

 ドラムスティックのカウントから、紗夜ちゃんの強烈なギターリフで始まるイントロ。ストラトのラウドなサウンドがこれ以上ないくらいに主張して、曲の中心に一本の幹を聳え立てる。

 

 吠える、吼える、哮える。明転と暗転を繰り返すステージで、紗夜ちゃんの瞳が爛々と輝いていた。前髪がかかっても、何故だか手元を見つめるその眼に惹き付けられる。

 

 曲の雰囲気を完全にワンマンで作り上げるギターを、ドラムが支える。緩衝材のように入り込むベースが所々で主張して、キーボードがメロディに色を乗せる。演奏に負けないボーカルがいてようやく成立するような、エネルギッシュなストローク。

 

 異様な光景だった。退屈そうに後ろの方へ控えていた客が、いつの間にか顔を上げている。

 会場が飲まれていた。紗夜ちゃんの音色にねじ伏せられた観客が、同等の威力で降り注ぐボーカルを無防備に受け入れる。

 

 LOUDER(もっと大きく)LOUDER(もっと喧しく)、嵐のようなギターの旋律が吹き荒ぶ。

 比例するようにボーカルに熱が入って、ボルテージは最高潮。前のバンドとは比較にならない熱量が、会場を茹で上がらせていた。

 

 とにかく、ギターの主張が大きい。私が紗夜ちゃんの音ばかり追いかけているからそう聴こえるのかと思えば、そんなことは無いようだった。ギターが前面に出てくる曲調であるという理由もあるだろうし、私が紗夜ちゃんに意識をかたむけがちというのも一因ではあるのだろうけれど、それだけではないのは明らかだった。

 音量が大きすぎるわけではなく、色が着きすぎている。一瞬たりとも単調な音色になる瞬間がなくて、一音一音に情報が敷き詰められているからこんな聴こえ方になるのだと直感した。四分音符ひとつの重みが、まるで違う。

 

「『ONENESS』」

 

 2曲目に移っても、勢いはまるで変わらない。キーボードのフィルやソロでは意図的にスポットライトを明け渡しているのが分かるくらいには、旋律の質量と呼べるものが違っていた。

 

 魂が呼ぶままに駆ける光、プライドも愛憎も捨ててひた走る獣のウタ。夢を噛み砕いて、未来へと叫ぶ。遠吠えの残響に滲む後悔を置き去りにして、希望も願いも残像の中へ置いていく。

 走る、走る、走る。衝動は闇からの逃避でもあって、生への飢えでもあった。

 

 私が以前感じたものと同質の情動。音と夢想のあわいにのみ居場所を見出した紗夜ちゃんの呼吸。

 

 演奏を聴いている私たちも、その世界に巻き込まれている。呼吸が浅くなる。ライトの明滅と共に景色が流れていく。夜の海岸を月へ向かって駆ける。翔ぶようなストライドで砂を蹴り上げて、熱を上げる心臓を唸らせるほど酷使する。血潮が全身に行き渡って、熱を持った血管の感覚さえ肌で感じる。

 

 私の歌だったら聞こえなくなっていそうだと思うくらいの嵐の中、爛然と北極星の如く光を示し続けるボーカルにも大概呆れながら、逆にボーカルがここまでやれるから紗夜ちゃんが好き勝手に振舞っているのかもしれない、とも思った。

 

 Roseliaは好き勝手弾けるからやりやすい、というような発言を、紗夜ちゃんから聞いた覚えがある。その「好き勝手」というのが立ち居振る舞いの話ではないことは私にも分かっていたから、曲調があっているとかそういう話なのかなと思っていたけれど、ボーカルその他の実力の話だったのかもしれない。

 

 不思議と、あの日感じたような嫉妬や焦りは浮かんでこなかった。

 紗夜ちゃんと私の関係性はかなり深まって、恋人という形式を取った。実際には性的な繋がりというのはほとんどなくて、紗夜ちゃんの内心に私が踏み込むための大義名分のようになってしまっているのだけれども、それでもその許しが、私の心を慰めている。

 

 自分が紗夜ちゃんにとっての音楽と同等の存在になれたとは全く思っていない。紗夜ちゃんを取り巻く事実を教えては貰えても、感情の全てを委ねられるには程遠い関係のまま、私たちは手を繋いでいる。

 

 けれどいつかは、と思う。こればかりは一足飛びに叶えられるものじゃないけれど。

 

 歌詞に紡がれるのは、立ち上がる強さだった。弱さを捨て、あるいは抱きしめ、誰かの手を取り、あるいは手を引かれてでも立ち上がり、光の方へと歩いていく。自らを飾っていた醜いプライドや執着を捨てて、信念のためにのみ心を震わせる。

 強く、ひたすらに強く、救われるものの道理を描いた歌詞だ。

 

 走ると歌う。ギターが(はし)り、私の網膜で狼が駆ける。

 未来へ向かうものは皆走ると歌う。

 

 ソロ。

 音が大きくなる。テンポが早くなったように錯覚するほどの情報量。リバーブが染み渡って、ギター1本で成立させているとは到底思えないほどの粒立ったカッティング・フレーズと、ボーカルの癖に合わせたような局所に潜むビブラート。鋭利なのに伸びる音色。

 

 たった一人荒野で遠く吼える紗夜ちゃんは、この歌詞を受け取っていない。この歌詞の通りの強さを奏でてはいない。渇望を、飢えを、恐怖を、その上にのみ微かに見える光を奏でる。

 

 それがむしろ、曲を引き立てているようだった。

 ボーカルが希望を歌う。それだけで色としては充分で、そこに相対する孤独を紗夜ちゃんが奏でる。すると音の質感がグッと増して、曲が一気に現実味を帯びる。

 

 Roseliaの演奏が終わったとき、会場は異様な熱狂と疲労に包まれていた。意図せず感情を揺さぶられる名演に出会った幸運が聴衆の心をざわつかせる。

 

「あたしね、おねーちゃんの演奏嫌いなんだ」

「……そう、なんだ」

「だってこんなの、おねーちゃんが持つべき感情じゃないもん。だから、嫌い。後ろめたいし、死にたくなる」

 

 休憩しよう、ということで私たちは途中退場した。再入場はできるようになっているけど、結果発表までに戻るかは怪しいところだ。近くのチェーンのカフェに入って、奥まったところの2人席に座る。アイスカフェオレで熱を冷まして、頼んだパンケーキにナイフを差し込む。日菜ちゃんはフライドポテトを摘んでいた。ウィッグを取るかしばらく悩んでいたみたいだけど、結局諦めたらしい。

 

「その後を見てないからなんとも言えないけど、技術的な話だけで言うならおねーちゃんと……ユキナちゃんだっけ。あのボーカルはトップクラスだと思うんだよね。そもそもそれまであたしより上手い人すらいなかったし」

 

 あそこまでやったら問題なく入賞しそう、とまで言う。観客の反応は採点には加算されないとはいえ、フェスが結局のところ客商売である以上はちゃんと力のあるバンドを選ぶはずだから、というのが日菜ちゃんの論だ。

 私も実際その通りだと思うけれど、あまり期待しないで見ておくことにした。こういう場面で何らかの思惑が働かないと思うほど私もお気楽な世界で生きてきたわけじゃない。無意識レベルの贔屓や嗜好が積み重なったりして結果が思わぬところに着地することも、ないではない。

 

「Roseliaが入賞してもしないでも、あたしはどっちでもいいんだけどね」

「え、そうなの?」

「おねーちゃんはそんなに気にしなさそうだし、ならあたしもどうでもいいかな」

「じゃあ、もう帰るの?」

「どうしよっかな。……彩ちゃんが残るなら残る。チケットもタダじゃないし」

「私は最後まで見るつもり」

 

 んじゃあ残る、とつまらなさそうにストローでフロートを啜るのを見ていたら、スマホに通知が来ていた。「来てくれてありがとう」というメッセージ。ステージから見えていたとは思わなかった。目が合った感覚はしなかったけど……チケットを渡しただけで決めつけきったようなメッセージを送ってくるとは思えないから、私が来たことは確認したんだろうと思う。

 

 日菜ちゃんに気が付いたかな。そうだとするとちょっと気まずいような、でも紗夜ちゃんは怒らないだろうから、勝手に気まずくなってるのは私だけかもという思考がぐるぐる回る。とりあえず演奏の感想を短文で返して、それ以上は言及しないでおく。

 

「前から思ってたけどさぁ、彩ちゃんってあたしの顔好きだよね」

「えっ──そ、そうかな」

「おねーちゃんに似てるからなのか、そもそもあたしたちの顔がタイプなのか知らないけど。……幼稚園の頃もあたしの顔じーっと見てた気がするし」

 

 急に図星をつかれて、スマホを落としそうになった。日菜ちゃんの表情には嫌悪も照れもなくて、ただ思い出したから話題にした、というような態度。

 

「あんまり意識はしてなかったけど、そうかも」

 

 紗夜ちゃんのお顔も好きだし、と内心で付け足す。

 実際に、氷川姉妹の顔立ちに惹かれるものがあるのは確かだった。タイプとか抜きにしても美人さんだし。

 

「でも、どうしたの急に」

「んー、髪とかじゃないんだなぁ、と思っただけ」

 

 目に惹かれるらしい、というのをなんとなく自覚していた。紗夜ちゃんの月みたいな目。日菜ちゃんの琥珀みたいな目。

 もともと、人と目を合わせるのが好きだ。話す時は目を合わせて話しなさい、と小さな頃に教わってから、私は視線を通して意思を交わすのが好きになった。目は口ほどに物を言うということわざがあるとおりに、目は感情を写す。拒絶も、好意も、悪意も、善意も、言葉にならなかった感情が、瞳に色を残す。

 

 日菜ちゃんは、時折ゾッとするような無機質な目をする。いつもは表情や感情をあまり隠さないし、隠すにしても(たぶんわざと)分かりやすく、例えば怒りを笑顔で覆い隠したりする日菜ちゃんだけど、たまに全く感情が読み取れないことがある。それがどうにも美しくて、目を惹かれているのかもしれない。

 

「次の次くらいに人気のバンドが出るんだって。そろそろ戻る?」

「うん。日菜ちゃんが食べ終えたら」

「はーい」

 

 小休止を終えて会場に戻る。バンドが入れ替わるタイミングでフロアに入って、また後ろの方のスペースを確保。Roseliaが演奏していたときよりも客の入りは多そうだった。

 終盤だしそういうものか、と勝手に納得して、それから3組の演奏を聴いた。気に入ったバンド名と曲名はメモしてあるけれど、後で聴き返せるものかさえ分からない。

 

 Roseliaと同程度の盛り上がりがあったのかさえ分からない。あの熱の当事者だった私には、あの時の盛り上がりの絶対値を測れなかったから。でも、紗夜ちゃんのあの演奏が評価されないわけはないと思う。

 

 全ての演目が終わって、審査を待つ間、自分のオーディションでもないのに緊張しっぱなしだった。隣でなんでもなさそうにしている日菜ちゃんが、呆れたように半目で私を見た。

 

 やがてステージに審査員が上がって、マイクを手に取る。おまたせしました、という挨拶から程々に長い前置きが重ねられて、本題に入るまでにもしばらく待たされることになった。

 エネルギッシュな笑みの壮年の男性が深く息を吸って、声を張る。

 

『では、結果を発表します。【FUTURE WORLD FES】への参加権を得た2組のバンドは──1番【サティ】と、9番【レッド・アンダーライン】』

 

 途端に沸き上がる歓声。周囲を見回せば、項垂れる影もちらほら。

 

 ──Roseliaは、呼ばれなかった。

 

 それがどういう意味なのかを飲み干すのに一呼吸を要して、ようやく理解する。紗夜ちゃんはどんな表情でこれを聞いているのだろう。フロアの明かりに恋人の横顔を探して、ついぞ見つけられないまま、観客は退場を促される。

 

 

 

 

 ♦

 

【《20´》永遠青天症】

 

 

 

 バンドでギターを演奏するとき、私はあまりレベルを合わせるようなことはしてこなかった。そもそもわざわざ下手に弾く意味がないと思っているし、バンド内の演奏技術を均一化させる意義を理解できないからでもある。

 

 ただし、表現の密度という観点で考えるなら別だ。正確に和音を奏でることはバンドの邪魔をしないけれど、そこに自分の個性をねじ込むことは和を乱し得る。

 だからこれまで私は、どこまで主張して良いのかをバンドに合わせて常に調整してきたし、それを苦にしたことはなかった。

 

 それを今、Roseliaではまるっきり放棄している。

 湊さんの表現力を鑑みれば私が抑える必要もないだろうという考えもあったし、肝心の湊さんも私に「出過ぎている」とは言わないから、これで問題ないのだろうと高を括ってもいる。

 

 今日の演奏でもそうだった。全霊で歌う湊さんに追従して、私も全霊で奏でる。途中で丸山さんを見つけたり、日菜に気が付いたりするくらいには精神にゆとりを残してもいたけれど、間違いなく私の全てを込めたいつも通りの音楽を全うした。

 

 

 そして、結果として。

 Roseliaの名前は呼ばれなかった。

 

 

 湊さんが脱力したように息を吐いて、目を瞑る。今井さんがその肩に触れて寄り添った。納得がいかないという表情の宇田川さんを白金さんが宥めて、舞台袖から掃けていくオーディエンスを見送った。

 

 講評を聞きたいバンドは残ってください、というアナウンスを受けてほとんどのバンドが残る中、私たちも残ることになった。

 1番から順番に良い点と悪い点を挙げられる中、私たちの番になって審査員の一人が口篭るように息を飲んだ。

 

「最初に確認しておくけど、ボーカルとギターの2人バンドとサポート、というわけではないのよね」

「5人ともメインです」

「なるほど。……正直に言います。あなた達がユニットであれば、通すことも考えました。……けれど、これはバンドのオーディションなのよね」

 

 少し毛色が違う講評に、どうしたことだろうと黙って耳を傾ける。少し偏頭痛が残っていて、イヤモニのせいだろうかと首の後ろを抑えてみる。

 

「今日、一番アトラクティブな演奏をしたのはあなた達よ。それは審査員の全員が認めるはず。それでもあなた達が門をくぐれなかったのは、あなた達が……未熟というのも違うわね。伸び代を大きく残している、未完成なバンドだから」

 

 あなた、と指をさされて、心臓がはねた。

 

「ギターは独学?」

「はい」

「そう。表現も巧みで素晴らしかった。けれど些か、独善的ね。ボーカルとギター、その二人だけでバンドの色を決めている。まして、その二つが微妙に同じ方向を向いていないからバランスが悪い。ギター1人だけで自己完結しているのだもの。そこは改善すべき」

 

 虚をつかれた。

 落ちた要因は、私か。

 

 酸素が薄くなった気がする。

 

「ドラムがギターの顔色を窺っていて、キーボードはドラムに合わせている。ベースはボーカルを見ていて、ボーカルもギターの方に意識を割きすぎているように思うわ。以上」

「……ありがとうございます」

 

 やり過ぎた? そうかもしれない。今まで通りに弾いてきたつもりだったが、独りよがりに主張し過ぎた可能性も拭えない。

 それとも、元から私がノイズになっていた? それも有り得る。湊さんが指摘しなかった理由は分からないけれど、改善が見込めないと思ったのかもしれない。

 

「……紗夜、気にしないで。貴方のせいじゃない」

「そうだよ、アタシ達楽器隊が紗夜のレベルに届いてないのが──」

「いえ、すみません。少し考えさせてください」

 

 湊さんの顔が見えなくなった。

 今井さんの顔が見れなくなった。

 

 背中を伝う汗が、心臓を圧迫する見えざる手が、あの日の恐怖を想起させる。

 

 私は、私の音楽は──

 

 

 

 ──耳鳴り。

 

 視界にノイズが走ったように明滅した。

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