色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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原作を読んでる僕「そうはならんやろ」


《3》水面の静寂

 来たる金曜日。跳ねる鼓動を抑えることもできずに、朝から放課後までで随分寿命を縮めたんじゃないかと思うほどに心は圧迫されっぱなしだった。

 気もそぞろで受けた授業では指名される度に細かな失態を披露して、紗夜ちゃんに心配される始末。低気圧直下の今日、もしや体調が悪いのではと気を使ってくれる紗夜ちゃんに、「少しだけ進展があったの」と濁して言うと、呆れ顔で納得してくれた。

 

「それなら頑張ってね」と送り出される放課後。ギターケースを背負った紗夜ちゃんと学校の最寄り駅までは歩いて、そこで解散。軽く肩を叩いてくれた感触を思い出しながら事務所へ。

 今にも泣き出しそうな曇り空が、鈍色に輝いていた。

 

 受付で名乗れば、特に支障もなくミーティングルームへ通される。2階にある、部外者も入るような大きな会議室ではなくて、7階の小さなミーティングルームだ。

 すれ違う社員さんは皆一様に時間を気にして早足で歩いていて、忙しさが窺える。これほど大きな事務所なのに、人手はギリギリらしいと聞いたことがあった。

 

「おはようございます! 丸山彩です! よろしくお願いします!」

「おはようございます、丸山さん。10分前ですね。……他の方が揃うまで待っていただけますか?」

「はい!」

 

 指定時刻の10分前に到着すると、スタッフさんが一人きり。挨拶を交わして、名刺通りの名乗りを受ける。となると、この人がプロデューサーになるのだろうか。まだ若そうに見えるのに、と用件も分からないままに考えた。

 黙々とPCに何かを打ち込んでいる彼に話しかけるのもはばかられて、気まずい沈黙を保ったままだいたい10分間。ミーティング開始時間ぴったりにドアがノックされた。

 

「寄り合いの会場はここで合っていますか?」

 

 ひょっこりと顔を覗かせたのは、銀髪の少女。

 

「寄り合い……ミーティングはここで合っていますよ。こんにちは、若宮さん」

「良かったです! よろしくお願いします、若宮イヴです!」

「……丸山彩です、よろしくね」

 

 若宮イヴと名乗った彼女は、空きの多いラウンドテーブルを見て、少し躊躇したように私の横に腰掛けた。

 名前を聞いてようやく分かった。モデルの若宮イヴちゃんだ。まだ大きな雑誌の表紙を飾ったという話は聞いていないけれど、最近この事務所で好調に活動し始めたハーフモデルの子だったはず。フィンランドだったかノルウェーだったか、北欧の方の国のハーフで、ナチュラルな銀髪と水色の瞳がエキゾチックな輝きを放っている。

 

 アイドル研究生と、モデルと。あとは誰が来るんだろうと思っていると、ほとんど間を置かずにまたノックが。

 

「すみません、前の仕事が押してしまって……白鷺千聖です、よろしくお願いします」

「大丈夫ですよ。まだ1人来ていませんし……」

「ああ、その人なら多分すぐに……」

「遅れてすみませーん!」

 

 同時に2人入ってくる。

 顔を見た瞬間に、つかの間呼吸を忘れた。

 だって千聖ちゃんが来るだなんて聞いてない。

 

 目を見開いたまま──恐らくは滑稽な表情で──固まっていた私に気が付いたのか、千聖ちゃんが意外そうに声を掛けてくれる。

 

「……彩ちゃん?」

「千聖ちゃん。久しぶり」

「ええ、久しぶり。よろしくね」

 

 絞り出した言葉にひとつ頷いて、あくまで冷静なまま千聖ちゃんは微笑んだ。

 4人が揃ったところで、スタッフさんがPCの画面を閉じた。後から来た2人に着席を促して、咳払い。

 

「では、丸山彩さん、白鷺千聖さん、若宮イヴさん、氷川日菜さん。今日は皆さんにお話があって集まってもらいました。──皆さんには、新人アイドル『Pastel*Palettes』としてデビューして頂きます」

 

 アイドル、デビュー。スタッフさんの言葉を反芻するように心の中で繰り返した。いろいろと、現実味がない。

 私が、デビュー。いや、それはいい。私だって研究生としてスクールで努力を積み重ねてきたんだし、デビューの機会に恵まれたことは嬉しい。急展開に面食らったところはあるけれど、それはまだ飲み込める。

 

 それが、どうしてこのメンバーに……。

 

「アイドル、ですか。……どうして私が?」

「白鷺さんの疑問は尤もですが、端的に言ってしまえばスケジュール管理とマーケティングの都合です。そちらのマネージャーの合意は得ていますし、後ほど詳しい説明がされると思いますので、まずは全体の話を進めさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「……はい」

 

 不服そうな千聖ちゃんが、それでも努めて冷静に尋ねたのをあっさりと聞き流して、スタッフさんが進行に戻る。

 

「アイドルといっても、ただのアイドルではないんです。皆さんには、アイドルバンドをやって頂きます」

「バンドって……私、楽器はできませんよ?」

「そこは問題ありません。裏でバックバンドの演奏を流すので、皆さんは弾いているフリをしていただくだけです。ボーカルは丸山さんですが、そちらも事前に録音したものを使いますので当日は口パクで大丈夫です。お披露目は2週間後のアイドル事業部合同イベントを予定しています」

「えぇ〜、それ、バレない?」

「もちろん皆さんには楽器の練習もして頂きます。しかし2週間後に間に合わせるにはこれしかないんです」

 

 はあ、と呆れたように浅葱の髪の子がため息をついた。その姿が髪色も相まってか紗夜ちゃんにダブって見えて、私はどれだけ紗夜ちゃんにぞっこんなんだろうと重症具合を再認識。

 でも、この子にも見覚えがあった。というか──

 

「……思っていたよりも押してしまいましたね。詳しいスケジュールは後でメールで配信しますから、細かい調整をお願いします。それから、N512をグループの個室として用意していますので、今後はそちらを使ってください。楽器もそちらに用意してあります」

 

 私は別件がありますので1度失礼します、と言って立ち去ってしまったスタッフさんの背中を無言のまま目で追いかけて、それから誰ともなく困ったような空気が部屋に立ち込める。

 

「とりあえず、その──512号室に行きましょうか。それから自己紹介と、状況の整理をしましょう」

「う、うん、そうだね。正直、あんまり状況が飲み込めてないし……」

「私もよ。……3人でさきに行っててくれるかしら。マネージャーに電話してから合流するから」

「はーい。じゃ、行こっか」

 

 3人連れ立って廊下に出る。灰色の薄いカーペットが敷かれたフロアを、北の方へ。

 

「あの、もし違ったらごめんなさいなんだけど、もしかして芳野日菜ちゃん?」

「え、どっかで会ったことある? ごめん、あたし人の顔覚えらんなくて」

 

 もう10年ほども会っていなかったからまるで自信がなかったけれど、さっきからどうしても、幼稚園でよく遊んでいた子と顔立ちが重なって見えて仕方がなかった。もしそうだったらいいなという願望半分、人の顔を覚えるのは比較的得意な方だからという自惚れ半分で言ってみたけれど、どうやら賭けには勝ったらしい。

 

「……や、旧姓で覚えてるってことは小学校か幼稚園? マルヤマアヤ……ああ! よく一緒にシール集めてた子かぁ!」

「そう! その彩だよ!」

「千聖ちゃんの方はテレビで名前を見るから覚えてたんだけど……ごめんね?」

「ううん、全然大丈夫。私も自信なかったし……」

 

 512の部屋にはすぐに着いて、鍵の掛かっていない扉を開ける。中には5人分の小さなデスクとロッカー、それからスタンドに立て掛けて楽器やその他の備品が置いてあった。それぞれに名前が書かれたステッカーが貼られていて、どれが誰のものかはすぐに分かる。

 

「お2人はお友達、だったんですか?」

「うーん、幼稚園で仲良かったきりだから、ほぼ初対面みたいなものだよ。千聖ちゃんも一緒によく遊んでたから、あたしたち3人だね」

「むぅ……ちょっと寂しいです」

 

 氷川日菜、という文字を見て、ドキリとした。芳野日菜ちゃんと呼んだときに旧姓と言ったのだから、家庭の事情で苗字が変わったのだろう、ということは想像に難くない。今後は触れないようにしよう、とひっそり考えていたのに、よりによって「氷川」! 

 

「あたしはギターだね。……ん、キミはキーボード?」

「みたいです」

「ドラムいないけど、そこだけサポート入れるのかな」

 

 楽器がない分寂しいデスクの周りを整理しながら、日菜ちゃんと紗夜ちゃんの事を考えていた。

 そういえば、紗夜ちゃんから家族の話を聞いたことがない。姉妹がいるなら教えてくれても良さそうなものだ。紗夜ちゃんと幼稚園の話をしたとき、彼女だけが私のことを覚えていたけれど、それはもしかして、私が日菜ちゃんと仲良しだったからなのではないかと思う。

 

 だとすれば、何故、紗夜ちゃんは日菜ちゃんの事を話題に出さなかったのだろう。掠れた記憶だけど、日菜ちゃんにはお姉さんがいる、という話を聞いたことがあった気がする。今となっては何故姉妹の片方とだけ仲良くなったのかも分からないけれど──

 

 日菜ちゃんの服装を見る。月ノ森の制服。紗夜ちゃんが月ノ森を辞めた理由って、もしかして。……さすがに邪推が過ぎるかな。

 

「おまたせ。そして早速悪い知らせなのだけれど、このプロジェクトがかなり急造のものだということくらいしか分からなかったわ」

「だろうね。……ほら、千聖ちゃんはベース担当だって」

「触ったこともないのだけど……何とかなるのかしら」

 

 自己紹介から始めましょう、という千聖ちゃんの一言で、一旦空気が纏まる。チェアに腰掛けて、お互いの顔がちゃんと見えるように。……うう、全員顔が良い。

 

「……こほん。丸山彩です! この事務所のアイドル養成スクールで研究生をやっています。ずっとアイドルになることを夢見ていたので、デビューが決まって嬉しいです。先行きはかなり不安だけど、私にはきっと最後のチャンスだから、やり遂げてみせます!」

「ケンコンイッテキ、ですね!」

「うん、頑張るよ」

 

 何となく気恥しい。ここにいるのは自分の力でキャリアを作れる人達だから、降って湧いたチャンスに縋っているのは私だけだ。今更その程度で遠慮したり縮こまったりするつもりは無いけれど、気構えだけで何とかなったら苦労しないわけで。

 

「私は若宮イヴです! 前はモデルをしていました! 1人でのお仕事は寂しかったので、皆さんと一緒に活動できるのは嬉しいです! アイドルのことは詳しくないですけど、ブシドー精神で頑張ります!」

「ブシドー……!?」

「いいんじゃない、サムライアイドル。面白そうだし」

 

 ブシドーってなんだ。

 

「イヴちゃんは帰国子女なんだよね」

「はい! ただ、あまり友達がいなくて……仲良くしてくれると嬉しい、です」

「もちろん!」

 

 少し話しただけでもいい子だとわかるし、日本語だって流暢だから友達もできそうなものだけど、あんまりにも美人さんだから近寄り難いのもちょっとわかる。どうしてもまず言葉が通じるのかという遠慮から入ってしまうし、そうなるとイヴちゃんも距離を感じてしまうのも。

 

「ちなみに、どこの国のハーフなの?」

「フィンランドです。でも、日本語で大丈夫ですよ!」

「Huomenta!」

「日本語で!」

「あはは、まあ、これしか知らないから安心してよ。そのうち勉強しておくけど」

「むぅ……」

 

 フォメンターって、どういう意味だろう。フィンランドの言葉なんだろうけど。

 ケタケタと笑った日菜ちゃんの「勉強しておく」という言葉に、イヴちゃんは不服そうな顔をした。私はと言えば、日菜ちゃんはこんな感じだったなぁ、と変に感動していたり。SかMかで言えば絶対にS。

 

「あ、順番的にあたしか。氷川日菜でーす。バンドのオーディションを受けた気がするんだけど、なんかここに連れてこられちゃった。アイドルバンドって肩書きなら、べつに嘘じゃないけどね。だからあたしはギター弾けるよ」

「楽器ができる人を引っ張ってきているなら、将来的に当て振りをやめるつもりはあるのかしら」

「まあ、そうなんじゃない? どう考えても2週間後のステージを最優先に無理やりスケジュール組んでる感じあるし、もっと後に進める予定だったプロジェクトを前倒しにしてるんじゃないかなぁ」

 

 長期的に続けられるかは別として、と日菜ちゃん。私としては、メンバーの執着が強い方が好ましい。私はこのグループと半ば心中する覚悟でいるから。

 そんな先のことを考える余裕がないというのには、同意せざるを得ないけれど。

 

「最後は私ね。()()()白鷺千聖です。アイドルのことはあまり分からないけれど、こういう状況になった以上は力を尽くすつもりでいるからよろしくお願いします。……フリをするのは得意だから、問題は演奏技術の方かしらね」

 

 ベースを撫でながら、千聖ちゃんは困り顔だった。

 

「実際、どうなの? バレるものなのかしら」

「んー、バレるでしょ。けど、お披露目ライブでの当て振り自体は問題ないと思うよ。生演奏で売り出すとかじゃなければ……セッティングができないイベントとかでは口パクと当て振りでやるなんて普通だと思うし。問題は、『弾けるけど弾かない』んじゃなくて『そもそも弾けない』ことなんだよね」

 

 デビューだけなら何とかなるんじゃない、と日菜ちゃんはつまらなさそうに言った。

 

「たとえば……何が分かりやすいかな。ギターとかベースで綺麗な音を出すのって意外と難しくって……ミュートって概念があるんだけど、分かる? あたしが6弦を弾きたいときに、こうピッキングすると他の弦も鳴っちゃうじゃん。それを軽く指で抑えて鳴らないようにするんだけど、当て振りならこれは必要ない技術だよね。そうやって技術を取捨選択して、2週間で『本来は弾けるけど弾いていない』ように見せかけることは、そんなに難しくないかも」

「それなら、弾けるようになるまではアテフリで凌ぐとか……」

「バックバンドって事務所のスタジオミュージシャン使うんだよね。生演奏できるようになった途端、急にヘタクソになるのはマズいんじゃないかなぁ。弾き方の癖とか、分かるもんだよ。あたしが思うに、1番傷が浅く済むのは、デビューを乗り切った次回から生演奏できるようにすることかなぁ」

「私が思っているよりも状況は芳しくないのね。……いえ、理屈はわかるのよ。エアギターをしているアイドルを応援するくらいなら、ダンスパフォーマンスとボーカルを両立させたアイドルを応援した方がよほど、ライブとしても見応えがあるものね。……不安な点や疑問点を今のうちに集めておきましょうか。あのプロデューサーは率先して情報を共有してくれるタイプでもなさそうだから、こちらから積極的に動かなければいけないと思うの」

 

 つらつらと現実を述べる日菜ちゃんの言葉を、どう受け止めれば良いのか分からなかった。泥船だ、と言ってのける。なら、泥船に縋るしかない私は、どうするのが正しいのだろう。

 

 そもそも、千聖ちゃん達は私とアイドルをやってくれるのだろうか。それさえ、私には分からない。

 デビューするとしたら、スクールの誰かとユニットを組むことになると思っていた。少なくとも幼少期から何年もアイドルをめざして下積みをしてきた子達ばかりで、そんな子達と組むのなら、多少そりが合わなかったり、動機がちぐはぐだったりしても、夢という共通項の元モチベーションを維持できるはずだ。

 

 でもPastel*Palettesのメンバーでアイドルを目標にしていたのは私だけ。アイドルバンドに参加するということさえ今日初めて聞かされた様子で、果たして意欲なんて湧くものだろうか。

 仮に私が今日から俳優やモデルをやることになったり、見ず知らずの人とバンドを組むから楽器を練習してくれと言われたとして、どこまで本気で時間を捧げられるだろう。

 

「じゃあまずはドラムどうするのってところからかな。当て振りなんて無理だし、どこから引っ張ってくるんだろ」

 

 デビューするよりも、デビューしたあとの方が大変だなんてよく言うけど、こんなにもデビューしたあとの展望が見えないことがあるものなんだろうか。

 使い捨ての企画にアサインされたんじゃ、という思考を、かぶりを振って打ち消す。千聖ちゃんもいるのにそれは無いと思いたい。

 

「心配?」

「うん。だけど、夢を叶えるチャンスだから。諦めないよ」

「そういえば小さい頃から『きらきらしたアイドルになる』って言ってたね。実際ここで会うことになるとは思わなかったけど」

「一緒にやろうって言ったのに、日菜ちゃんは『めんどくさい』って言ってたよね」

「覚えてなーい」

 

 息を吸う。

 窓の外でしとしとと降り出した春の雨。憂いを滲ませた表情で、千聖ちゃんがそちらに目をやった。

 街路樹は風に揺れ、電線がたわんで見える。空気に感化されたイヴちゃんが、不安げな瞳を銀髪の隙間から覗かせた。

 

「先行きは不安だけれど、今から落ち込んでいても仕方がないわ。それに、経験上、上手くいっているように見える現場よりも、危機感を持ってピリピリしている現場の方が上手くいくことが多いの。やれる事をやりましょう」

 

 日菜ちゃんのあくびが、LEDの照明に溶けた。

 

 

 

 

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