色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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《4》痛みと嵐

 

 再生速度を半分にしたお手本の動画を観ながら、ひたすら身体にダンスを染み込ませる。ただでさえ要領が悪い私は、一つ一つ段階を踏まなければまともに振り付けさえ覚えられない。集合時間の2時間前からの自主練にそろそろ一区切りをつけて、クールダウンをしておこうとスタジオを出た。10分ほど休んだら、またゆっくり振り付けをなぞって時間を潰そう。レッスン前に体力を使い果たすのは馬鹿らしいけれど、他人の倍は練習しなければ置いていかれることがわかっている。

 

 デビューが決まった翌日の土曜日。休日だからかさすがにいつもよりは人が少ないけれど、芸能関係の職場だからか事務所は開いている。時計を見れば朝の8時。張り切りすぎたかな。

 

 朝からずっと雨だった。昨日の帰り際から降り出した雨は、春嵐という程でもなく程々の勢いでアスファルトを濡らしている。用事があれば傘を差して出掛けてもいいかな、くらいの雨足。ほんの少しだけ憂鬱な朝。

 

 ウェアの上に上着を羽織って廊下へ。平時に比べれば閑散とした空気の事務所を、自販機の方へ歩く。自主練に遅刻の心配なんてないのに、朝から焦って準備をしたから飲み物を忘れた。

 マイクが前提だからそれほど難しくも複雑でもない振り付けを、脳内でループする。簡単な振り付けほど、細部を詰めなければただわちゃわちゃしているだけの不格好なものになる。細かい指摘はトレーナーさんにしてもらうにしても、自分で気づける部分は直しておきたい。

 

 各階にあるロビーの近く、エレベーターにほど近い場所で、ふと千聖ちゃんの声が聞こえた。思わず立ち止まってしまったのは何故だろう。

 

「……それで? 私はまだ納得していないのですが」

「白鷺千聖としてのキャリアのためだと説明しているでしょう。子役の白鷺千聖が女優の白鷺千聖としての評価を得るまでの間、貴方が沈んでしまわないようにと──」

「今の私では継続的に芝居の仕事が取れないと仰っているのですね」

 

 お仕事の話だ、とすぐに気がついた。会話の相手は千聖ちゃんのマネージャーさんだろうか。普段だったら絶対に聞かないようにしていたのに、無意識に息を潜めていた。

 そこに千聖ちゃんの本心を知りたいという魂胆があったのは、疑いようもない。

 

「そう言っています。今の貴方に大した価値は無い」

 

 言い切った男の人の声に、すっと心が冷たくなった。

 それは、まるで、千聖ちゃんのこれまでの人生を否定するような言葉だった。

 

「子役としての消費期限切れです。小学生や中学生ならともかく、高校生を演じられる女優なんて幾らでもいます。学業でスケジュールに融通も効かない、かと言って際立って芝居が上手いわけでもない、知名度や人気が頭抜けているわけでもない、今の貴方の女優としての価値はどれほどでしょうね」

 

 ひどい。どうしてそんなことが言えるんだろう。だって千聖ちゃんは小さな頃から頑張ってきて、テレビにだってずっと出ていて──お芝居への努力だって欠かしていない。私が眩しくなるくらいにひたむきで、熱心で。情報を追いかけるのに劣等感が首をもたげるほどには、彼女は俳優としての自分に努めていたはずなのに。

 

 どんな表情をしているんだろう。思わず物陰から飛び出して駆け寄りたくなった。

 

「ティーンで完結できるアイドルグループでしばらく活動して、成人してから女優業に戻ってもいい。フェードアウトしてしまうのが一番良くないと、分かるでしょう」

「……言い分は、理解しました。では、あのプロジェクトは何? 急拵えで、まだメンバーさえ揃っていないようなグループに放り込むのを受諾した理由は? この2年ほどの御付き合いで、貴方に真っ当な判断力があることは知っています。無能を言い訳にすることは許しません」

「そこまでわかっているのなら、自分がどういう扱いを受けたのかは理解できるはずでは? ……言っておきますが、私の決定ではありませんよ。それに、急拵えではありますが、それなりに勝算を持って組まれたプロジェクトだと聞いています。過不足なく、事務所にとっての貴方の価値が反映された人事だと思っていただければ」

 

 聞いているこっちにも流れ弾が。やっぱり、泥船扱いされてるよね、と分かってはいたけれど落胆。逆境を跳ね除けてやる、と思えるほどの気概を持てないのは私の弱さだ。自信が無い。

 

「当初、『Pastel*Palettes』は昨今のガールズバンドの流行に合わせて立ち上がった企画でした。オーディションを開いてメンバーを集め、周年の目玉企画として打ち上げる予定だったと聞いています。それが拗れた理由は、メンバーが集まらなかったからですね。アイドルにふさわしいビジュアルを備えていて、楽器ができて、手垢がついていない人間なんてほとんどいません。それこそ、氷川日菜さんが4人いれば良かったのでしょうが」

「それで、どうして私やイヴちゃんのような初心者を入れてまで──」

「顔はあとから良くなりませんが、楽器は上手くなるでしょう。丸山彩さんをセンター、ボーカルに据えることはしばらく前から決まっていました。研究生ながらSNS上での評価も上々、固定ファンもいますから、メジャーデビューにあたって初速を担保できるだろうという判断です」

 

 自販機に硬貨を入れる音。それから、休憩用の椅子に腰掛ける衣擦れの音が聞こえて、男性が深く息を吐いた。

 

「不安な点は多いですが、力は入っているんです。わざわざ他分野の畑からもメンバーを掘り出してきているわけで。……私も近いうちに貴方の担当を外れるわけですし、ともかく、アイドルとしてある程度成功しなければどうにもなりませんよ」

「…………はぁ。いえ、もう何も言いません。あと2週間、よろしくお願いします」

 

 カーペットの上を歩く足音。こちらへ近付いて来る気配を察知して、別の曲がり角へ引っ込んだ。遮蔽物の影に隠れれば、千聖ちゃんの気配は遠ざかって行った。

 少しばかり跳ねた心臓の音を落ち着けながら、ベタに盗み聞きしてしまった内容を整理する。

 

 もし、仮に、Pastel*Palettesが頓挫したとしたら。例えば口パク絡みの炎上で、千聖ちゃんの評価にも大きく傷が入ってしまったとしたら。そうしたら、白鷺千聖としてのキャリアも、断ち消えてしまうということ? 

 

 私の肩にも、千聖ちゃんの人生が掛かっている。そう認識してしまえば、気負わずにはいられない。

 悪く言えば踏み台にされていることは承知の上で、それでも私は千聖ちゃんが好きだ。幼少期からずっとその輝きに憧れていたし、立ち居振る舞いを尊敬してきた。その輝きを、私の手で終わらせたくはない。

 

 当初の目的通り、自販機で水を買った。千聖ちゃんのマネージャーさんももう姿を消していて、誰にも盗み聞きが悟られなかったことに安堵する。

 もときた道を戻る。気分転換の休憩だったのに、さらに気重くなるばかりだった。

 

「あら、彩ちゃん。おはよう。自主練習?」

「おはよ〜。千聖ちゃんも早いね。まだ45分くらいあるよ?」

「私は少し用事があったから。それに、あまり足を引っ張りたくはないのよ。芝居でも勉強でも、そして楽器でも。如何に効率的な練習をしようとも結局、時間をかけるのが最適解だと思うのよね」

 

 スタジオに戻ると、千聖ちゃんがベースのセッティングをしていた。恐らくは初心者用の教則本や動画を観ながら、コードをアンプに繋げて、首を捻りながらチューニング。

 ついさっき手酷い扱いを受けたばかりなのに、千聖ちゃんはそれをおくびにも出さない。

 

「音を出しても大丈夫かしら」

「うん」

 

 メトロノーム(多分)にイヤホンを挿して、それを右耳だけにつけた千聖ちゃんの右手が、一定のリズムで弦を弾く。昨日既に練習したんだろうか。私が想像していたよりもずっと綺麗な手付きで、心地の良い低音が鳴る。

 

「……彩ちゃんには、嫌な思いをさせているわよね」

「えっと、何の話? ベースのことなら音は大丈夫だよ?」

「いえ、私たちの意識の話。……私はやっぱり、自分が俳優であるという意識が強くて、まだアイドルという職分に大しての意欲とか、そういうものがあまり無いの。……それって、真剣にアイドルを目指している彩ちゃんに対してはとても失礼でしょう?」

「気にならないと言えば嘘になるけど、あまり何も思わないかな。私の気構えはあくまで私だけのものだもん。お仕事だから仕方なく、という動機だったとしても、真剣に向き合ってくれるんだったら私には感謝しかないよ」

 

 例え私が千聖ちゃんに不満を持っていたとしても、さっきの話を聞いた後に何か言えるわけもない。

 実際千聖ちゃんに不満があるわけではなくて、それでもやはり少し気にしてしまう部分があるのは否定できないけれど。

 私だけがやる気なのかな、とか。それも千聖ちゃんが悪いわけではなくて、どちらかと言うとメンバー集めの都合の皺寄せが来ているだけなのだと知ってしまったし。

 

 少し悲しいかも、くらい。

 私の夢は、私一人で完結するものだ。

 夢や希望を与えられるアイドルになるために必要なものは沢山ある。周囲の人の助けなんかもそれには含まれているけれど、グループのメンバーのせいで私の夢が叶わない、なんてことは、相当の不祥事でグループが壊れるくらいのことがない限りは起こり得ない。

 

 最終的に必要なものは我が身一つだ。そもそも同じグループのメンバーさえ感化させられないようじゃ、言葉一つも交わせないテレビ越しのファンを勇気づけられるはずもないのだから。

 

「そう。それなら良いのだけど」

 

 千聖ちゃんに倣って、私もイヤホンを片方耳に挿す。目下の課題は振り付けよりも歌唱だった。

 

 自覚している限り、私は歌が上手くない。単体で歌って映える声でもないし、かと言って合唱では埋もれるタイプの声質。技術が備わっても、楽器にあたる喉が平凡ではマイナスだ。

 アイドルとしてはプラスにも転じる、というのがボーカルトレーナーさんの評価だけれど、そこに「アイドルとしてしか通用する可能性はない」というある種の、否定の文脈が存在したことは間違いなかった。

 

 歌に合わせて振り付けをトレースを続けること30分。休み休み弦を弾いていた千聖ちゃんが顔を上げて、そろそろねと言った。指の疲労が堪えるといったように何度か左手を握ったり開いたり。

 私もキリのいいところで1度中断して、また休憩。普段だったらもっと根を詰めてやるところだけれど、まだレッスン前だから程々に。

 

「あ、メール。お昼からサポートの人と顔合わせだって」

「唐突ね。早い方が良いのは間違いないけれど」

 

 メンバーに欠けているドラマーは、しばらくサポートで補うと聞いていた。事務所のスタジオミュージシャンの人が入ってくれるらしい。日菜ちゃんなんかは「どうせ演奏しないなら打ち込みでいいじゃん」なんて言っていたけど、確かに1人だけサポートというのもアンバランスだなとは思う。

 

「ごきげんよー」

「おはよう日菜ちゃん」

「おはよう。早いのね」

「んー、ウチにいてもヒマだし」

 

 集合時間の10分前にドアを開けたのは日菜ちゃんだった。まだ少し眠たげな表情で、小さなあくび。

 

「千聖ちゃん、弾けるようになったの?」

「……まだよ。かなり危機感を煽られているところね」

「ふーん。まあルート弾きだけだし、何とかなるんじゃない」

 

 もぞもぞとギターケース(ギグバッグともいうらしい)からギターを取り出した日菜ちゃんは、その水色のボディを撫でくりまわして、それから慣れを感じさせる動作でコードを挿した。

 スコアを一通り眺めて、白いピックを摘みあげる。

 

 パーカーのフードにギターのストラップが干渉するのを煩わしそうに調整してから、日菜ちゃんは私たちに渡された曲『しゅわりん☆どり〜みん』を弾き始めた。

 私には日菜ちゃんが間違えずに弾けているのかなんて分からないけれど、素人目には完璧に弾けているように聴こえる。間奏や2番の後のギターソロも、恐らくは難しいフレーズだと思うのに、特に苦戦した様子もなく涼しい顔で飛び越えていく。忙しなくフレットの間を踊る左手の指先が、否応なしに実力を思い知らせる。

 

「よく考えたらさ、併せでやらないならあたしいらないよね」

「いえ、駄目よ。これから顔合わせがあるの」

「ドラマー? 結局サポートなんだっけ。上手い人だと嬉しいけど」

 

 言いながら、興味なさげな表情。実際、どうでもいいんだろうとわかってしまっていた。昔からこんな感じだったなぁ、と苦い感情。悪い人では無いのは間違いないんだけど、良くも悪くも他人に依存しないし協調性を重んじない。

 私の立場からは、それがちょっと苦しい。

 

「それと、ついででも構わないから私のベースについてもアドバイスを貰えないかしら」

「えー、あたしそういうの得意じゃないや。おねーちゃんは得意なんだけどなぁ。あたしは感覚でできちゃうから」

「日菜ちゃんのお姉さんって、紗夜ちゃん?」

「………………あー、うん。そういえば2人とも花女だったっけ」

 

 学校での癖が出たなぁ、とよく分からないボヤき。それっきり口を閉じた日菜ちゃんに、恐らくはわざと空気を読まなかった千聖ちゃんがなおも話を続ける。

 

「彩ちゃんと仲がいいわよね。廊下でもよく一緒にいるのを見かけるし」

「え、ほんとに???」

「たぶん。学校ではほとんど一緒にいるし……えっと、紗夜ちゃんがどう思ってるかまでは分からないけど」

「…………おねーちゃんは人間関係には誠実な方だから、そこは感じた通りでいいと思うよ。でも、そうなんだ。彩ちゃんかぁ」

 

 日菜ちゃんが見定めるように私を見た。それからすぐに、気の抜けた表情に戻る。

 もしかして仲が悪いのかも、なんて思っていたのは邪推だっただろうか。日菜ちゃんの反応は、姉に悪い虫がついていないか確かめるような感じだった。

 

「意外……んー、いや、そうでもないか。納得し難いけど理解はできるもんね」

「そうかな」

「彩ちゃんがグイグイ行ったんでしょ? 多分だけど」

「……はい」

 

 私の浅ましいミーハー精神を見破られたようで、少しバツが悪かった。

 紗夜ちゃんと同じ琥珀の瞳には、たちまちのうちに様々な感情が浮かんでは消えていくように見えた。その色を見分けることは、私には難しいけれど。

 

「あたしたち、正反対だもん。だからちょっと、分かるかも。髪の色も水色とピンクだし」

「髪は関係ないんじゃないかな……」

「千聖ちゃんは? おねーちゃんと接点とかあるの?」

「私は特に。日菜ちゃんと姉妹だということも初めて知ったのよ? ……苗字も違うし、同じ幼稚園とはいえクラスも違う子のことなんてさすがに覚えていないわ。学校でも違うクラスだから、話しかける機会もないし」

「それもそっか〜」

 

 気がつけば集合時間になっていた。同時にスタジオのドアがノックされて、イヴちゃんが顔を覗かせる。

 

「遅れてしまいましたか……?」

「いえ、時間ちょうどよ」

 

 恐る恐るといった様子の彼女に千聖ちゃんが柔らかく答えて、空気が弛緩した。

 

「講師の方はまだ来ていないけれど、やれることはやっておきましょうか」

「あたし何すればいいんだろうね。練習するのはいいけど、バンドの講師って何さ」

 

 思考をパフォーマンスの方へと切り替える。何があろうと、私には努力しかできないのだから。

 誰かの人生を背負う自信も、誰かのモチベーションを引き出す魔法も、私は持っていない。だからせめて、姿勢だけは正していたいと思う。

 

「わ、春雷。風情だねぇ」

「日菜ちゃんにもそういう感性はあるのね」

「シツレイしちゃうね。あたしは世間的には月ノ森のお嬢様なんだけど」

 

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