色褪せた空の下で   作:おいかぜ

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なんか思ってたよりとっちらかっちゃったので日菜視点も書きます。
実力不足で申し訳ない。


《8》月に漕ぎ出している

 

「彩ちゃん。彩ちゃーん! ……ダメだ、ガチガチで聞こえてないや」

「彩さーん! 大丈夫ですか……?」

 

 ばしん、と肩を叩かれて現実世界に意識が戻る。緊張のあまり思考がトリップしていたのを自覚して、バンドメンバーに囲まれながら頬をかいた。

 

「ごめん、緊張しちゃって……」

 

 デビューライブ当日。すっかり周りの空気に飲まれて、私は無様を晒していた。リハーサルも緊張で震えながらなんとか乗り切った、といえるくらいの有様で、今は楽屋で縮こまっている。

 

「まあ、最悪マイクの前で突っ立ってればいいんじゃない? 黙ってても音は出るわけだし」

「日菜ちゃん、その言い方はどうなの?」

「えー? だってそうじゃない? 麻弥ちゃん以外別にやることないじゃん。それで緊張する方がよくわかんないけど」

 

 楽屋の椅子に深く腰掛けて、日菜ちゃんはつまらなさそうに天井を眺めていた。先程までは麻弥ちゃんとライブの設備を見に行っていたようだけど、邪魔になるからと途中で戻ってきてからはずっとあんな調子だ。

 ただでさえ鋼の心臓っぽいのに、失敗する要素さえほとんど排除されているのだから、日菜ちゃんが緊張するはずもないというのはなんとなく分かる。

 

「1万人の前に立つのよ? 緊張しない方が少数派だわ」

「そういう千聖ちゃんも平気そうだけど」

「慣れよ。人前に立つのも、嘘をつくのもね」

「ふーん。それにしたって大袈裟だなぁ」

 

 今日のライブは、音源を流すだけだ。私はマイクの前で振り付けをなぞりながら口パクをするだけだし、他のみんなも楽器を弾いている振りをするだけ。麻弥ちゃんだけは実際にドラムを叩くことになるけど、彼女はプロミュージシャンだ、心配する必要も無い。

 だから、MCさえ不安になるほど震えている私がおかしいのだ、とも思うけれど、これからの人生が懸かったライブに緊張しないわけもない。

 

「千聖ちゃんだって、今後の人生がかかってるのにね」

「……キャリアという意味では、そうね。でも、いつもの事よ。テレビに出るのも、オーディションに参加するのも、一つ一つが私の今後に繋がっているのだから。失敗が許されないのなんて、ただの日常のひとつに過ぎない」

「失敗したら不祥事扱いされるのとは違くない?」

 

 千聖ちゃんも、いつも通りの雰囲気を崩していない。イヴちゃんの衣装を直してあげたり、細かい段取りの最終チェックをしたりしている。

 たった10分程度のお披露目だ。それもトリだから、入退場くらいしか細かい指定はないけれど、一度グダると一気に崩壊する豆腐メンタルの持ち主としては、頼れる人がいるのはありがたい。

 

 弱った精神状態のまま、こんなところまで来てしまったから、余計に緊張している。紗夜ちゃんとの仲もぎこちなくなってしまったし、相変わらずパフォーマンスにも自信はないし、今だってアイドルに相応しい精神の有り様を保てているとは到底思えない。

 

「彩ちゃんも、しっかりしなさい。貴方は研究生ではなく、アイドルとしてステージに立つの。やれる限りのことはやってきたでしょう? 身の丈以上のことを求められるわけじゃないのだから、心を落ち着けてやれば大丈夫」

「……うん」

 

 セットの組み換えがどうとか、慌ただしく廊下を歩いていくスタッフさんの声を聞きながら、深く息を吐く。まだ身体は震えたままだけれど、しばらくそうしているうちにガタついた心が平静を取り戻していく。

 

 やるべきことは決まっている。それなのにこんなにも心が揺らぐのは、たぶん、紗夜ちゃんと上手くいっていないせいだ。

 

 少なからず、彼女のことを励みにしていた自覚がある。あきらめから始まった高校生活の最初に、新たな風を吹かせてくれた友人。綺麗で、静謐で、穏やかな彼女の優しさに、幾度となく心を上向きにしてもらった。

 そんな関係を、私は崩してしまった。

 

 紗夜ちゃんは、大きく態度を変えたりはしなかった。いつも通り話しかければ普通に話してくれるし、勉強も見てくれる。新しくバンドを組んだことも教えてくれた。

 最初に変わってしまったのは、私の方。紗夜ちゃんに踏み込むことができなくなった。浅い同情を抱いてしまうことを恐れている。憐れんでしまえば対等ではいられない。知らない方がいいよ、なんて日菜ちゃんの言葉がリフレインした。

 

 私を見兼ねたのか、紗夜ちゃんはあまり私に話しかけなくなった。

 

 手首のアームカバーの意味に気が付いてしまった。ワンちゃん以外の家族の話をしない理由を知ってしまった。日菜ちゃんが「家族旅行で行った」と言っていた場所に、紗夜ちゃんは「行ったことがない」と言った。

 内情を知ってしまえば、紗夜ちゃん自身は公にしていなくても、察せられてしまうことがいくつもある。

 

『Pastel*Palettesさん、出番です! よろしくお願いします!』

「はーい!」

 

 ……今日は関係ない。私が如何に友人関係で躓いていようと、今日私が相対するのは彼女じゃない。これから先、私たちを見てくれるかもしれない1万人の誰かだ。

 

「だいじょーぶ? 話すこと飛んでない?」

「飛んでないよ、ほとんど話すこともないし……」

「つまんないの」

「日菜ちゃん、今日はいつにも増して意地悪だね」

「そう? 今日のあたしは今までで一番親切だと思うな」

 

 イヴちゃんはニコニコと笑っていて、麻弥ちゃんは私程ではなくとも緊張した様子で。千聖ちゃんは大丈夫よと優しく励ましてくれて、日菜ちゃんはなんだか楽しそうに笑っている。

 

 頑張ろう、と言うと、イヴちゃんが「おー!」と応えてくれた。

 

『続きまして、新星アイドルバンド《Pastel*Palettes》の登場です! 今日この舞台が初披露となる彼女たちの演奏を、どうぞ聴き届けてください!』

 

 ステージに立つ。パステルカラーを基調とした衣装に弱気を隠して、フリルの意匠に想いを乗せる。たとえ、どんな形だったとしても、私はこの事務所を背負ってアイドルとして立ちたかったんだ。その思いだけは嘘じゃない。

 

 ステージの中央、最も客席に近い最前のマイクの前に立つ。期待の声がどよめきとなってステージに届く。千聖ちゃんの名前を呼ぶ人もいた。

 

『みなさん、はじめまして! 《Pastel*Palettes》です! 略してパスパレって呼んでくださいね!』

 

 千聖ちゃんがベースのストラップの位置を修正した。他のみんなは、特に問題がなさそう。

 改めて、ステージから客席を一望する。視界の上の方、3階席まで埋め尽くすペンライトの波。まばらに揺れる夜景みたいな一つ一つが、人の心を持って私を見つめている。

 

 ステージに立ってしまえば、幾分か緊張はマシになっていた。

 代わりに、これだけの人数を騙している自分に不快感が湧いてくる。この状況に甘んじていることへの嫌悪と焦燥。

 

『私たちのことを知ってもらうために、まずは一曲、聴いてください! 《しゅわりん☆どり〜みん》』

 

 イヤモニのクリック音に合わせて、麻弥ちゃんがスティックを叩いてカウントする。歌い出しからボーカルが入る曲だから、私もマイクとの距離に気をつける。電源は落としてあるから、口パクの音を拾ってしまうことはないと思うけれど。

 

 電子音が彩るイントロに、ギターとドラムが主張を強めてバンドの色が加わっていく。リズムに合わせてペンライトが揺れる。振り付けも問題なく、指先まで細やかに意識が届いている。

 良かった、少なくとも顰蹙は買っていない。それどころか、かなり印象は良さそうに見えた。

 

 イントロの部分を歌いきって、観客に手を振った瞬間、だった。

 

 ぶつりと、ノイズが走ったような音がして、音楽が途切れた。数瞬遅れて、音が消えたことに気がついた麻弥ちゃんがドラムを叩く手を止める。

 

 ──機材トラブル。

 真っ先に脳裏に過ぎったのはそんな言葉で、そして、恐らく正解だった。

 困惑したようなどよめき、心配と疑念の眼差しに、声が出なかった。

 

 最も恐れていたことだ。

 仕切り直し? 機材が復旧するかは分からない。別の機材にセットを組み換えようにも、私たちは演奏ができないから、音源が入った機材──PCが使えなければライブが成立しない。

 

 どうにかしなきゃとマイクに向かってはみるものの、何を言えばいいのかも分からないまま、喉がカラカラに乾いて言葉が出てこなかった。

 反射的に千聖ちゃんの方を見た。

 

 デビュー失敗。

 

 そんな言葉が脳裏を埋め尽くす。千聖ちゃんもまた私と同じように動揺が抜けきらないまま、それでもなにか言葉を捻り出したようだった。

 

『みなさん、申し訳ありません! 機材のトラブルで、演奏ができなくなってしまいました! ですから──』

『──だから、10分だけ待って貰えないかな。それで機材が直らなかったら、あたしたちだけでなんとかしてみるから』

『……日菜ちゃん?』

『折角のデビューライブでこんなことになるのは不本意だし、今後にも響くと思うから……もし許してくれるよって人は、ペンライト振ってくださーい!』

 

 恐らくはスタッフさんの指示を仰ぐために場を辞する言葉を続けようとした千聖ちゃんの言葉を遮って、日菜ちゃんが「10分だけ待って」と懇願する。千聖ちゃんの焦った表情とは裏腹に、観客席では歓声と共にペンライトが揺れていた。

 

「どういうつもり? 私たちでどうにかなる問題じゃないのよ」

「んー、でも、パスパレが潰れたら千聖ちゃんのキャリアもおしまいなんでしょ? ここでデビューが失敗するのは困るんじゃないの?」

「だからといって、勝手なことを──」

「まあまあ、千聖ちゃんに無茶振りはしないから。……あたしが助けて“あげる”よ」

 

 私達のだれもが急展開に戸惑う中、日菜ちゃんだけが楽しそうに笑っていた。これまでに見てきた退屈そうな表情とはまるで違う、好奇心と期待に満ちた表情。

 

 日菜ちゃんはギターをスタンドに置いて、私の目の前に置いてあるマイクをスタンドから外した。コードを外して、そのままそれを千聖ちゃんに手渡す。

 

「これを持って音響スタッフさんのところに行ってきて。生音でやるから調整よろしくって宣言してきてくれるだけでいいよ。生音を拾うのにもっといいマイクがあるならそっちを貰ってきて。別になかったらこのマイクをそのまま持って帰ってきてくれればいいから」

「……はぁ。何をするつもり?」

「何って、ライブだよ。……イヴちゃん、今から楽屋に戻ってあたしのギターケースからアコギ持ってきてくれない?」

「えっと、わかりました!」

 

 千聖ちゃんとイヴちゃんが日菜ちゃんの指示に従ってステージを降りていく。麻弥ちゃんは、既に何をやる気か察しがついているようだった。マイク越しのドラムの生音で、音がどこまで響くかを確かめている。

 

「パスパレがコケれば、千聖ちゃんの女優人生はおしまい。なんとなくそうじゃないかと思ってたけど、やっぱりあってる?」

「日菜ちゃんはどうしてそれを──」

「あ、彩ちゃんは聞かされてたんだ。あたしはそうなのかなーって思ってただけだよ。だって、女優の仕事が取れるんならこんなアイドル企画に参加する必要ないじゃん。最初は不本意そうだったのに、今は真剣にベースの練習してるし、千聖ちゃんにはあとがないんじゃない?」

 

 言いながら、やっぱり日菜ちゃんは楽しげだった。千聖ちゃんの現状を憂うでもなく、爛々と目を輝かせて私を見つめている。

 

「ねぇ、なんで歌わなかったの?」

「なんで……って」

「音が切れちゃったときでも、彩ちゃんのマイクは使えたよね。千聖ちゃんやあたしのマイクが使えたんだから、スピーカーの問題じゃないみたいだし。なら、彩ちゃんは歌えたでしょ?」

「アカペラで、ってこと?」

「うん。だって、そうじゃないとデビューできないじゃん。アイドルになりたいんじゃなかったの?」

 

 言いながら、日菜ちゃんはマイクスタンドの位置を下げた。ギターのピックアップにほど近い、腰の高さほどの位置へ。

 

 なんで歌えなかったの、って。判断ができなかったからだ。何が起こったのか、状況判断が遅れて、咄嗟に何をすればいいのか分からなかった。もちろん思考の端には「歌うべきだ」という考えもあったけど、瞬時に「代わりにアカペラでやります」なんて私には言えない。

 

「きらきらしたアイドルになるんじゃないの? 他人を勇気づけられるような存在になりたいって言ってたのに、これくらいで折れるのかってガッカリしちゃった」

「私は──」

 

 そうだ。私は未だ、歌う覚悟もないアイドル未満だった。日菜ちゃんの言葉に、言い返す言葉を持ち合わせていない。

 

「そういえば、今日はおねーちゃんも来てるよ」

 

 思い出したかのように軽く投げ掛けられた言葉。きっと日菜ちゃんも意識していたはずなのに、敢えてそんな言い方をするのは、たぶん私の反応を見るため。

 

「紗夜ちゃんが、来るって言ったの?」

「まさか。おねーちゃんはあたしに話しかけたりしないよ」

「じゃあ、日菜ちゃんが?」

 

 紗夜ちゃんが日菜ちゃんに話しかけることはない。そう言った日菜ちゃんの表情に、逆光で陰が差した。

 

「──助けになりたいって、言ったよね。おねーちゃんと、仲良くしたいって」

「……うん」

「あたし、すっごくムカついた。何も知らないくせに、不幸の一欠片も知らないくせに、上辺だけの浅い覚悟をひけらかすんだもん」

 

 初めて、日菜ちゃんの感情を見た気がする。作り物だということを隠そうともしない、いつも通りのわざとらしい感情ではない、()のままの日菜ちゃんの感情。

 薄ら笑いの裏に滲む苛立ち、諦念、無力感、執着。

 ぐらぐらと煮立つ感情に、ひらいた瞳孔の奥まで見通せる。

 

「歌わないアイドルが、いったい誰を救えるの? 歌えないアイドルが、いったい誰の心を癒せるの? ねぇ、教えてよ」

 

 気圧(けお)される。感情の圧が、波濤となって私のちっぽけな勇気を攫っていく。

 思い上がりを正される。自虐ではなく他人から、お前はアイドル未満だと突き付けられる。

 

「……ああでも、歌えなくて惨めったらしく挫折したほうが、おねーちゃんには慰めてもらえるかもね」

 

 体感時間で5分も経たずに、イヴちゃんが戻ってきた。その手からアコースティックギターを受け取って、日菜ちゃんが肩にかける。

 

「……これは八つ当たりだから、黙っていても救ってあげるよ。……千聖ちゃんも可哀想だし」

 

 だから選んで、と不気味なくらい優しい声色。

 

「マイクを誰が持つのか、彩ちゃんが決めていいよ。彩ちゃんが立てないのなら、あたしが歌ってあげる」

 

 ピックで弦の幾つかを引っ掻いて、音を確かめる。もう私のことを見てはいなかった。激情を滲ませた(とび)のような瞳に、私の心はすっかり射すくめられてしまって、視線が外れてようやく呼吸ができたような心地になる。

 

 私は──

 

 ──私は。

 

「私が、歌う。……この場所(ポジション)は、日菜ちゃんにも譲れない」

 

 そっか、と日菜ちゃんが呟いた。さっきまでの感情はとうに引っ込んで、つまらなさそうな表情。たぶん、予想通りだったんだろう。

 

 アイドルになりたいと思ったのは、物心ついてすぐの頃だった。日曜朝の女児アニメの魔法少女への憧れや、着せ替えアーケードカードゲームのキャラクターへの憧れと同じベクトルで、テレビの向こうの「ステージに立つ誰か」に憧れた。

 

 アイドルへの憧れは、歳を重ねるごとに強まった。

 

 落ちこぼれの私を慰めてくれたのがアイドルだった。彼女達みたいな輝く存在になれたなら、私も友達に囲まれたり、自分の不出来さを許して笑うことができるだろうかと思った。

 生きていくための希望を、テレビ画面越しのアイドルに見出していた。

 学生の頃は不登校だった、というアイドルのエピソードを聞いて、私も変われるなら、と夢想した。

 

 研究生になって、現実を知った。アイドルの世界は輝いてなんかいなくて、むしろ学校よりもよほど、エゴに汚れた場所だった。

 アイドルという肩書きは、私を助けてくれなどしない。アイドルになったから強くなれたんじゃない、自ら変われたから彼女は強いアイドルになったんだ。

 

 ことここに至って震えている私が最たる例だ。

 

 羽化することも出来ず、蛹のまま揺籃にうずくまって震えていた私。

 アカペラで歌えたはず、なんて言葉はさすがに無茶ぶりだと思う。だけど、できることはいくらでもあったはずだ。口パクに甘んじていた時点で、私は逃げていた。

 

 千聖ちゃんが帰ってくる。相も変わらず不本意そうな表情で、私の前のマイクスタンドにマイクを置いた。

 

「トラブルの原因はまだ究明中だそうよ。あと3分で復旧は無理ね」

「残念。……じゃあ、あとは彩ちゃんが好きにしていいよ」

「……うん」

 

 大丈夫? と再三心配してくれる千聖ちゃんに、問題ないと首を振る。ここまでお膳立てされて立てないようなら、私は最早アイドルではいられない。

 

『お待たせしてごめんなさい! 楽器編成はだいぶ変わっちゃうけど、リベンジさせてください! Pastel*Palettesで、《しゅわりん☆どり〜みん》!』

 

 紗夜ちゃんがどうとか、そういうことは棚上げする。日菜ちゃんの言う通り、何の覚悟もなく踏み込んだのは私だ。この場で心を改めたところで、今すぐ何かが変わるわけじゃない。日菜ちゃんと話をして、紗夜ちゃんにも嫌われる覚悟で踏み込めないのなら、大言壮語を吐く資格さえなかったのだから。だから、今は一旦ナシ。

 

 力不足でも、手が震えていても、背中を押されていても、まずはアイドルとして立つ。

 

 ──私は、アイドルになる。

 

 麻弥ちゃんのカウントから、イントロへ。マイク越しの日菜ちゃんのギターの音は、思いの外綺麗に響いた。

 

『手が空いている人は手拍子お願いします!』

 

 千聖ちゃんの機転でハンドクラップが加わる。イントロから、ドラムパートの音が少し変わっていた。今の楽器編成で映えるように麻弥ちゃんが調整したんだろうか。手拍子も相まって、驚く程に色彩豊かなパーカッション。ドラムとギターの2つだけで演奏しているとは思えないほど、音が拡がっていく。

 

 スポットライトの熱が、私の心の怖張り(こわば)(ほど)いた。

 

 紗夜ちゃんへの想いも、アイドルへの想いも。このステージへの不満も、日菜ちゃんとの蟠りも。千聖ちゃんの未来も、イヴちゃんの寂しさも、麻弥ちゃんの憧憬も、シャボン玉に乗せて宙にはじける。

 

 アイドルになって、誰かを救いたいと思っていた。最初に救われたかったのが他ならぬ自分自身だったとしても、私が抱いた夢には確かに質量が宿っている。

 

 一面に揺れるサイリウムの海原に帆を立てる。日菜ちゃんの前に吹き飛ばされた初心を波の間から拾い上げて、千聖ちゃんの指さす灯台を導に、日菜ちゃんの善意ならぬ風を背に受ける。

 

 何度だって、思い知らされてきた。私は一足飛びには進めない。半人前のままこのステージに立って、日菜ちゃんの手を借りてようやく一歩、前に進めただけ。

 乗り越えなければならない壁は遥か聳え立って、助けたい人は光の届かぬ暗がりにいるとしても、道が続いていることを信じて歩くしかない。

 

 客席のボルテージが上がる。トラブルですっかり冷めきっていたのを忘れるくらい、世界が茹だっていた。

 

 このライブ一つで、何もかもが変わるわけじゃないのに、昨日までの私はどこか勘違いしていた。アイドルになれば、名実ともにアイドルを名乗る資格を得れば、私の心も変わるんじゃないか、なんて。

 そんな愚かささえ、いまは愛おしい。私が一歩踏み出せた証左だ。このライブで、私はスタート地点に立つ。

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