【1年後】
「ニーナ、ここから逃げよう!君はこんなところに居ていい子じゃない!」
「せんせい?」
人気のない被検体用の浴室、その脱衣所に酷くやつれた様子の白衣を着た女性と、白色の病衣に似た服を着た真っ白な幼い少女が目線を合わせて向かい合っている。
「大丈夫だ、全て私に任せてくれれば良い、必ず君をここから無事に連れ出してみせるから……」
そう言う女性の様子は明らかにまともではなく、罪悪感に追い詰められ正常な思考は失われているように見える。
「私の命に替えてもニーナをここから……」
「だめだよ」
重ねるように紡がれた少女の声は対するように落ち着いていて、とても優しげだった。
「そんなことしたらせんせいがひどい目にあっちゃうよ?」
「それでも!もう私は君が……いや、君を傷つけるのも苦しめるのも耐えられないんだ、だから……」
「……よしよーし、だいじょうぶだよ」
頭を垂れて懺悔するように呟く女性を少女は慈しむように優しく抱きしめ、その背と頭をゆっくりと落ち着けるように撫でる。
「痛いのも、苦しいのもニーナはだいじょうぶだよ、もうなれたから」
「ニーナ……でも、でも……」
「わたしはせんせいが痛いほうが、苦しいほうがずっといやだよ?もし、わたしと一緒にいるのが苦しいなら」
少女は白衣の女性の頭を抱えながら優しく諭すように言葉を紡いだ。
「ニーナのことは忘れていいから、せんせいにはしあわせでいてほしいな」
「ニー、ナ。ごめんなさい、ごめっ、ごめんねぇ……」
はい、お久しぶりです!被検体027番のニーナです!
あの後、余りの俺の性格の変わりように直ぐに検査にまわされ、無事に解離性同一性障害による記憶障害を診断された純真無垢にして無知蒙昧の儚げな美幼女の俺は、記憶喪失設定を利用してそれなりの情報を手に入れることに成功した。
軽くまとめるとこんな感じだ。
「わたしの名前は何ていうの?」
教えてくれなかった、被検体027番。
「わたしは何歳?」
五歳、誕生日は教えてくれなかった。
「ここはどこ?なんでわたしはここにいるの?」
異能を研究する場所、あなたの異能は危険だから(まぁ、確かに)。
「いつまでここにいるの?」
決まっていない。
まぁ、基本どの質問にも子供騙しの嘘を混ぜた都合の良い答えしか帰ってこなかったが、役に立つ情報も手に入ったし良しとした。
そしてこの身体に憑依して約一年くらい、俺は素晴らしい曇らせ生活を送っていた。
ちなみにさっきまで曇らせていた白衣の先生は三ヶ月くらい前に俺の担当になった新人さんだ。
初めは慣れた様子で淡々と無感情に実験の補佐や、俺の入浴や食事の世話を行う冷たい雰囲気の女の先生だったのだが、めげることなく明るく!優しく!をモットーに懐くように対応していたらあの通り、大変に素晴らしい曇らせを見せてくれましたよ……。
「まぁ、あの先生も近々異動になるだろうから、次の楽しみは新しい人に期待かな」
俺に絆され過ぎた人や、様子がおかしくなった人は実験の進行の邪魔になるからだろう、しばらくすると異動になって新しい人員が補充される。
俺としてはもう少し楽しみたい気持ちもあるが、新人先生を曇らせる過程も楽しいのでプラマイゼロ、少しだけプラスって感じかな?
─────
【半年後】
「あきた」
本日は七日に一度の休み、部屋のベッドの上でゴロゴロしながら俺は考えていた。
勘違いしないで欲しいので言っておくと、曇らせにではない、曇らせのパターンの少なさに飽きたのだ。
俺がニーナになってから早一年と半年、俺を担当していた職員の先生達は殆ど総入れ替えになった、残っているのはマッドとメガネ美人先生の二人だけだ。
ちなみにマッドはあの威圧的な男の先生だ。まぁ、この人は俺の実験の主任の様なものみたいなので異動にならないだろう、ニーナの演技も全く通用しないし……。メガネ美人先生は普通の先生なんだが、俺との関わりを出来得る限り避けてるんだよなぁ、懸命に話しかけ続けたけど今のところ成果なし、拘束のときとか投薬のときの手付きが優しいからいい人だとは思う。
まぁ、そういうわけでこれまでかなりの人数の先生を曇らせて異動させてきた俺だが、最近の悩みがその展開のワンパターンさだ。
新人さんが来る→ニーナの演技で堕とす→曇らせてバイバイ!
このパターン、このパターンしかないんだよ!いくら中身を変えても展開と結末が全く同じだと流石に飽きてくる、どれだけ美味しい料理でも毎日それは飽きるように、どんなに素晴らしい映画も何度も連続でそればかり見続ければ見飽きるように、この曇らせパターンに飽きたのだ。
「そろそろニーナを殺すか」
明るくて優しいニーナ、しかしその顔の裏では日々の人体実験によるストレスが着実に沈殿し続けており、ついに限界が来て精神崩壊、ニーナの人格は死んでしまいました……、みたいな展開はどうだろう?
うん、悪くないな!これなら流石にメガネ美人先生も少しは悲しんでくれるだろうし、他の先生もかなり良い反応をしてくれそうだ。
そうと決まればシナリオを組まないと、どんな展開が自然にニーナを殺せるか……。
「027番」
うん?マッド?今日は実験休みじゃなかったっ……け……。
俺とは真反対の漆黒の髪、少しつり上がった真紅の瞳、その目に諦観と恐怖、そして深い絶望を色濃く写した美しい少女がそこにいた。
「038番、入れ。027番、これに部屋の使い方を教えておけ」
そう言って部屋を出ていくマッドを見ることもなく、俺はその少女に見惚れていた。
…………よし、シナリオ変更だ、まずはこの子を幸せにする。心から幸せにして、笑顔を思い出させて、彼女の掛け替えのない存在になってから死のう、まずは手始めに。
「はじめまして!わたしはニーナ!被検体027番のニーナだよ!」
自己紹介からだよね!
─────
【1週間後】
なんの!なんの成果も出せませんでした!!
いや違うんすよ、これでも頑張ったんですよ?でも思っていた以上に黒髪ちゃんの絶望が深いというか……。
彼女は部屋に来てからずっと部屋の隅で膝を抱えてうずくまって動かないのだ、一応ご飯は最低限は食べているし、トイレは行くから生きる意思は感じられるんだが、こちらから話しかけても完全に無反応、消灯時間のあとは何時もすすり泣く声がしていたので抱きしめようとしたり、手を握ろうとしたのだが、これも拒絶されている。
とりあえず話しかけるのはやめて、俺が部屋にいる時は常に近くには居るようにしてる、辛い時や苦しい時は、独りでいる事が何より辛いからな……。お陰でここ一週間は床で寝てる、少し身体が痛い……。
そして、いま何より心配なのは黒髪ちゃんの実験がもうそろそろ始まりそうだということだ。
─────
【3日後】
昨日、マッドから「038番の実験を明日から始める、伝えておけ」と言われた。やばい、今の黒髪ちゃんがあの実験を受けたら本気で自殺しかねない、だが止める方法がないのも事実だ。
だからせめて俺が彼女の絶対的な味方であることを伝えなければならない、言葉で無理なら行動でだ。
─────
「027番、038番、時間だ行くぞ」
そう言って部屋の隅に居る黒髪ちゃんに近づくマッドの前に、俺は彼女を守るように立ち塞がった。
「027番、そこをどけ」
「いや、この子はつれてかないで」
「それはできない。おい、027番を連れて行け」
何時もはマッドだけが迎えに来ているが、俺と黒髪ちゃんの実験室が別々だからだろう、今日は2人とも連れて行く為にもう一人先生がいる、だがその人は俺の担当、つまり篭絡済みだ。
肩を優しく抱くように連れて行こうとする先生の手を軽く払って俺は再びマッドの前に立つ。
「おねがいします!この子の分の薬もわたしにつかっていいから!この子はつれて行かないでください!」
今の俺に出来ることはこの位しかない、これで少しでも黒髪ちゃんが俺を味方だと思ってくれればそれで、ぐぼぁっ!!
─────
気づいたらいつもの実験室でいつも通り拘束されていたニーナです。どうやらマッドに顔を殴られて気絶したらしい。
「っづ、う……」
「ごめんねニーナ、もうすぐ終わるから」
「……ううん、だいじょうぶだよ。ありがとう、せんせい」
今は投薬実験を受けながら先生に腫れた顔の処置をしてもらっている。ていうかあのマッドかなり強く殴ったな、普通こんな幼女を躊躇いなく殴る?
ただまぁ悪くない展開だ、明日以降も俺は黒髪ちゃんの実験の妨害をする、暴力を受けても裏切らない味方だとアピールさせてもらうとしよう。
その日の黒髪ちゃんはご飯を食べなかった。
─────
「027番、また殴られたいか?」
「……」
「そうか」
軽く手を振り払うようにマッドの手が俺の顔を捉える。想像以上に強い衝撃に身体が倒れ、意識を失いそうになる。だけど大丈夫だ、来るとわかっていればまだ耐えられる。俺はふらついて上手く立ち上がれない身体で這いずるようにマッドの足にしがみ付く。
─────
「うっ、ふぃ……っ」
結局、三発でノックアウトされたニーナです、六歳の幼女にしては十分耐えたほうだと思うよ。
「……ねぇニーナ、なんで038番……あの子のためにそこまでするの?」
昨日と同じように投薬を受けながら先生の治療を受けていると、そんなことを聞かれる。今回の行動はニーナとしての俺と数ヶ月でも関わりがあれば想像の範囲内の行動のはずだ、心優しく自分よりも他人を大切に思う女の子、そんなニーナなら初めて出会った同年代の女の子の為に体を張って守ろうとする、それこそ自分がボロボロになっても。
その上でこんな質問をするのは先生にとっては黒髪ちゃんよりニーナのほうが大切で、傷つくのを見たくないからだろう。薄情にも思えるが、人としては普通の感情だ。だから俺もニーナの演技で答える。
「あの子が苦しそうだから。いやなの、もう苦しい顔をみたくない」
まぁ、全部が演技って訳ではないんだけど……。
─────
お腹を蹴り上げられ壁までふっ飛ばされて一発KO!お腹に痛々しい痣ができた幼女が完成した!……あいつマジでマッド、何のためらいもなかったよ……。
ジジジジジジジジジジジジジジジッ。
「ひっ、づぅゔっ!」
はぁ、腹いてー。
ジジジジジジジジジジジジジジジッ。
「ふっ!ぐぅぅぅうぉぇ」
ていうか身体中いたいよ〜、やっぱ異能の行使実験はいたいよ〜。
ジジジジジジジジジジジジジジジッ。
「いづぃ、っづあ゛」
黒髪ちゃん大丈夫かな……。
─────
部屋に戻ると既に黒髪ちゃんは部屋の隅でうずくまって泣いていた、震えが止まらない身体を強く抱きしめて、力が入り過ぎたのだろう爪が腕に食い込んで服に血が滲んでいる。
昨日までとは明らかに様子が違う、嫌な予想が的中したみたいだな。異能の行使実験が始まった、そう考えるのが妥当だろう、あれは普通の子供が耐えられる様な苦痛じゃない。
「ふっぅ……ひっ、ひっぅ……ひ」
これは黒髪ちゃんが壊れる前に強硬手段に出るしか無いか……。
「ひっぐ……ひぅっふ、ふぅ……いゃ」
俺は黒髪ちゃんを抱きしめた。いつもと同じように拒絶されるがその抵抗は弱々しい、押しのけようとする手も殆ど添えられているだけだ。
弱った心に付け込むようで申し訳ないが今はこれが最善のはずだ。
「だいじょうぶだよ、わたしは絶対にあなたを傷つけない、痛いことも苦しいこともしないよ」
出来る得る限り優しく落ち着けるように頭と背中を撫でる、優しく、優しく。
「ふぅっ、ゔぅううう」
背中を引っ張られる、彼女の手が俺の服を掴んでいた。
「泣いていいんだよ、どこにもいかない、ずっと一緒にいるから」
「うぁあ、あ、ああぁああっあああ!!」
黒髪ちゃんは一時間ほど泣き続けて疲れたのかそのまま眠ってしまった。そんな彼女を抱き上げ……ることは出来なかったので引きずるようにベッドまでつれていき、抱きしめたまま眠りについた。
─────
「んぅ、ふぅん〜!」
眠い目を擦って開くと、目の前には黒髪の美幼女が俺をじっと見つめていました。そういえば昨日は抱きしめたまま寝たんでしたね。
ここまでじっと見つめられると何か恥ずかしいんですけど……。どうしよ、ぶっちゃけ子供の相手とかしたこと無いから改められると接し方がわからん。
とっ、とりあえずニーナがしそうな演技で乗り切るか!
黒髪ちゃんの頭にゆっくりと手を伸ばし優しく撫でながら微笑む。一瞬、拒絶されるかもと思ったがそんなことはなく受け入れられる。
「おはよう」
そのまま撫でていると黒髪ちゃんが俺をの胸に顔を埋めてくる、そして互いに無言の時間が続く。ここからどうしよ……、どうするのが正解なんだ!?
「れいな」
「うん?」
「私のなまえ、
……まだまだ問題は残ってるけど、これは一歩前進でいい……のかな?
とりあえず、俺も改めて自己紹介しますか。
「うん!わたしはニーナ!よろしくね、レーナ!」
「……うるさい」
はい、耳元でしたね、ごめんなさい。
【被検体027番/ニーナ】
顔だけはいい幼女(APP18.5)
腰まで伸びたふわふわの白髪、新雪のような肌、少し垂れた紅い瞳をしている。
見た目はいい。
年齢:6歳 身長:110.2cm 体重:20.5kg
【三宮澪奈/レーナ】
異能の有用さ故に誘拐された少女、捜索防止と心を完全に折るために目の前で両親を殺されている。
年齢:7歳 身長:122.4cm 体重:24.6kg