「それでね、海にはクジラっていうすごく大きな魚がいるんだよ」
「そうなの?どのくらい大きいの?先生たちくらい?」
「もっともっとだよ、ニーナを丸のみできちゃうくらい大きいんだよ」
「うぇえ!?そんなに大きいの!本当に!?」
はい!お久しぶり!いつもニコニコ!優しく明るい無知蒙昧の曇らせ幼女ニーナ!八歳です!皆さんは元気にしていましたか?わたしは万年薬漬けでボロボロですよ!
もうレーナがこの施設に来てから二年、最近は笑顔も見せてくれるようになり、少しずつだが年相応の明るさや子供らしさを取り戻しつつある。
始めの頃は殆ど喋らず、俺が一方的に話をして偶にレーナが相槌を打つような会話とも言えないものが続いていたし、毎晩のように泣いたり、急に悲鳴を上げてパニックになるレーナを安心させるために四苦八苦するばかりだったが、一年もするとそれも少し落ち着いた。
だが本当に大変だったのはその後だった……。レーナが俺にズブズブに依存してしまったのだ。あれは酷かった、部屋にいる間は片時も俺から離れようとはせず、寝る時は勿論、トイレの時さえお構いなしだった。お陰で俺の尊厳は失われた。
「ニーナ、離れないで」
「ニーナ、だっこして」
「ニーナ起きて、トイレ行きたい」
「ニーナ、ご飯食べさせて」
「ニーナ……」
本当に大変だった……。
流石にこのままでは駄目だと思い、俺が取った作戦が「外の世界をわたしにおしえて!」作戦である。
レーナに俺が記憶喪失で施設に来る前のことは何も知らず、外の世界について何もわからないことを伝えたのだ。今までの、唯一の味方であり頼りになる依存先というイメージを壊すために弱みを見せて、レーナに知識という優位性を持たせた。
俺は依存するに足るような存在ではなく、守らねばならない弱い存在だと思わせ、同時に今まで頼ってばかりだった相手から求められ頼られる経験をさせる事で自尊心を促し、依存からある程度は立ち直らせることに成功した。
「他には!他にもおっきな魚っているの!?」
「たくさんいるよ、私もそんなに知らないけど……水族館に行ったときに見たんだ」
実際、俺はこの世界の事は施設の中しか知らなかったので助かっている。レーナくらいの子供の知識からでも、この世界が以前とそこまで差異のない世界だという情報は手に入ったしな。
えっ?曇らせはどうしたのかって?
流石に今の状態のレーナに悪影響になるようなことは出来ないよ、それに俺はレーナがここに誘拐されて連れてこられるまでの話を聞いた、レーナの家族についても。言葉にすることもはばかられる様な話だった、改めてこの施設の異常さと非道さを理解させられた。
だから今はレーナを支えて、立ち直らせることを第一に考えている、それにこの2年間はレーナの世話で趣味を実行する余裕もなかったし。
「いつかニーナにも見せたいよ、一緒に見に行きたい」
「……うん!そうだね」
今はこの時間が幸せだ。
─────
ここ数日レーナの体調がかなり良くない、実験で使われている薬が身体に合わないようで酷い副作用が出ている。今までも副作用で体調を崩すことはあったけどここまではなかった。
「……ぇうっ、ごめん……ね、ニーナ」
「いいよ、気にしないで」
レーナの吐瀉物を片付ける、拭くものがないから俺の服で。彼女がトイレ以外で吐いたのは初めてだった、ほとんどご飯を食べることも出来ていないから出てくるのは胃液ばかりだ。
副作用は吐き気だけではない、頭痛や寒気はずっと収まる様子がないし、呼吸がおかしくなることもある。精神的にもかなり不安定になっていて、まるで二年前の状態に戻ったようだった。
「はぁ……はぁ……、ふぅっ、ニー、ナ……」
落ち着けるように背中を優しく撫でながら、いつも通りレーナを抱きしめて寝かしつける。
このまま投薬実験の薬が変わらなければレーナのこの状態が続くことになる。だけど俺にできることはほとんどなくて、少しでもレーナの苦痛を紛らわせることを考える。
俺は副作用の苦しさをよく理解してる、だから自分ならレーナの苦しみも理解して、寄り添うことができると、そう思っていた。
─────
「やめて!!」
「なんで、ニーナはそんなに元気なの!」
「私ばっかり苦しくて……」
「もういやだ、痛いのもぜんぶいや」
「なんで……なんで」
「……私は苦しいのになんでニーナは笑ってるの?」
レーナが俺を拒絶していた、声を荒げて俺を睨んでいた。
レーナの言葉を聞いてはじめて、自分がやっていたことがただの自己満足で理解の足りない行動だったと気づいた。
いつも以上に優しくして、少しでも気が紛れるように話をして、それは俺ならそういう対応をしてほしかったから。
でもレーナにとっては違っていた、当たり前だレーナは俺じゃないんだから。そんな事もわからず、レーナを傷つけてしまった。
償わないと、俺にできる別の方法で。
─────
いつもの実験室。昨日からレーナの薬を変えさせる方法を考えていた、思いついた方法は1つだけだった。
マッドに直接お願いするしかない、でも普通に頼んだって聞く耳を持たないのは分かってる、だからこの方法しか思いつかなかった。
拘束椅子に手のひら全体を触れさせる。そして、初めて異能を自分の意志で使った。
同時に首に強い衝撃が走り、俺は気を失った。
─────
「……っ!?……っう?」
痛みで目を覚ますと、目の前にマッドが立っていた。場所は……変わらず実験室で他の先生たちもいた、身体は再度拘束されたようだった。
よし、ここまでは予定通りだ、後はどこまで話を聞いてくれるかだけど……。そう考えて口を開こうとした瞬間、顔を殴られた。
「いっ!」
一度では終わらず。
「がっ!ゔっ、あぁあ!!づっぅ!」
何度も何度も何度も、顔だけじゃなく、全身くまなく痛みを教えつけるように。
「うっ、あぅ!?うぅっ!!」
気絶しようと構うことなく続いて、そして身体に痛みを感じない場所がなくなって、やっと終わった。
「っふぅ、はぁ……ひぅ……っ」
「027番、なぜ許可なく異能を使った」
……それ殴る前に聴けなかった?もう満身創痍なんだが?……まぁ、いいよ悪いのはこっちだし、こっからが本題だしな。
「っぅ、レーナに使ってる薬を……かえてください、……レーナ、すごく苦しそうなの」
口の中もズタズタで喋るだけでも痛いし、血の味がして気持ち悪い。
「……そんな事を言うために異能を使ったのか?」
「そうすれば、先生が来ると思ったから、こうしないと、ちゃんと話をきいてくれないでしょ?」
「038番の投薬実験に変更はない。もう二度と異能を許可なく使うな、次はない。027番は部屋に戻せ、処分は追って伝える」
「使うよ」
話は終わりだとでも言うように実験室を出て行こうとするマッドに聞こえるように声にした。
「レーナの薬を変えてくれるまで何回だって異能は使うよ」
「次はないといったはずだ、許可のない異能の行使は殺処分対象、つまり殺されるということだ」
「……それでも使う」
「027番、お前は何も理解していない、死ぬというのは先程の懲罰とは比べられない程の苦痛だ……」
マッドはそう言いながら俺の小指を摘みゆっくりと曲げていく。何をしようとしているのかわかり、痛みに耐えるよう歯を食いしばる。
そして、小指は枯れ枝が折れるような音を鳴らしながら手の甲に向けて折れ曲がった。
「っづい!!っああぁぁあぁあ!!!」
骨を折られたのは初めてで、鋭い痛みと共に焼けるような感覚がある。
「死ぬということは、この痛みよりもずっと苦しいことだ、それが永遠に続くということだ。まだ理解できないと言うなら、理解できるまでこれを続ける」
……死ぬのが苦しい事なんて誰よりも知ってる、もうあんなのは嫌だって心の底から思ってる、だけどレーナの苦しみに比べたら何でも無いようなものだ。
幸せだったはずだ、家族がいて愛されて。それを目の前で理不尽に奪われて、こんな場所に閉じ込められて、毎日、毎日、理由も分からない実験で苦しめられる。それが死ぬよりも苦しくないなんて思えない。
俺はそんなレーナを傷つけた、それは許されることじゃないから。
「いい、よ。指でも、腕でも、足でも、わたしのなら、全部こわしていい……。だから、レーナにこれ以上、苦しいことはしないでください、おねがいします」
マッドの目を真っ直ぐ見つめて、俺はそう口にした。
「……027番、お前は異常だ。お前は私を憎んでいないだろう、私だけではない、ここに居る職員のことも」
「普通ならば憎悪するはずだ、怒りを覚えるはずだ、だがお前は恐れはしてもそれらの感情を示さない、何故だ?」
……何を言っているんだ?この状況で聴くことか?そんなのは簡単だ、大した理由なんてない。
「いやだから」
「憎まれたり、怒りを向けられて、それで悲しんでるのを、苦しんでるのを見るのがいや」
俺は俺のために、俺を思って曇ってほしいのであって、それ以外の理由で人が悲しむのも、辛そうなのを見るのも大嫌いだ。
あと勘違いをしているから訂正しておこう。
「それに、わたし先生のことこわくないよ、痛いのとか、苦しいのはこわいけど、先生のことはこわくない、きらいじゃない」
俺を思って苦悩してくれる、考えてくれている、たとえ曇り顔を見せてくれなくても……。
「わたしは先生たちのことが好きだよ」
「……027番は部屋に戻せ。027番、処分は追って告げる、部屋で反省しておけ、次はない」
そう言って部屋を出ていく先生を見ながら、限界が来たのだろう、俺は意識を失った。
─────
部屋のベッドの上で目を覚ました、時間はわからないが丸一日は寝ていたように思える、ボロボロだった身体は既に処置が済まされていて包帯とガーゼまみれで、自分で見ても随分と痛々しい見た目だと感じる、完治にはそれなりにかかるだろう。
しかし、今は身体の事よりも解決しなければいけない問題がある。
「…………」
レーナが俺の横に座って微動だにしない、一言も発さずにただ近くにいる。
俺が目を覚ました時は、なにかを言おうとしたようだが、上手く言葉が出なかったようでそれからはだんまりだ。気持ちは理解できる、俺も看護師さんに感情をぶつけて、声を荒げてしまった後はどうすれば良いかわからなかった、同じ様な経験はある。
好きな人を傷つけるのはすごく苦しいことだ、でも本当に怖いのは、その人に嫌われることだ。だから声が出なくなる、返ってくる言葉が怖くて、それを聞きたくなくて。許されないことをしてしまったように思えているならなおさら、その一歩を踏み出すのは勇気がいる。
それは俺だって同じだ、レーナの気持ちを考えずに明るいニーナとして接してしまった、嫌われて当たり前のことをした、なのに一言「ごめんなさい」の言葉を言うことも怖くて、自分が傷つくだけでいい楽な方を選んだ、ズルをしたんだ。
だから俺は一歩踏み出すことにした、今までずっと怖くて言えなかった言葉、踏み込めなかった場所に。
「ねぇ、レーナお願いがあるの」
「……ぁ、ニーナ、私……」
「わたしと、友達になってくれる?」
ずっと、友達なんてつくってはいけないと思っていた。誰の役にもたてなくて、迷惑しかかけられない、その上いつ死ぬかもわからないような自分が誰かの大切な人になってはいけないと思っていた。今だって同じだ、俺はレーナをここから助けてはあげられない、いつ死ぬかもわからない。
でももう怖がるのはやめる、レーナを救い出してあげることは出来なくても、一緒に居てあげることはできる、いつか死ぬとしても、その日までは俺はレーナの大切な人になりたい。
「…………」
レーナと初めて目があった、少し恥ずかしい、今の俺はきっとすごく不安そうな顔をしているだろうから。
レーナは応えない。やっぱりダメなのだろうか、俺が誰かの大切になりたいと思うのは、生まれ変わっても、姿が変わっても、何も変わらなかった俺なんかが求めていいものではなかったんだろうか。
「ニーナ」
俺はレーナの声が怖くて、目をつぶってしまった、昔と同じように自分の中に閉じこもろうとした。
「ニーナ、私たちはもう友達だよ、ずっと、ずっと前から」
レーナはそんな俺を抱きしめて、いつも俺がやるように頭を撫でながらそう言った。
「ニーナは私と一緒にいてくれた、いつも助けてくれた、ニーナがいるから私は今も生きてるんだよ」
レーナの言葉はあまりに自分に都合の良いもので、夢なんじゃないかと思ったけど、身体の痛みがそれを否定していて。
「ニーナとレーナはもう友達だよ」
「……ほんとに?わたし、レーナの友達になっていいの?」
ひどく震えた声になってしまう、でもそれは不安だからじゃない、怖いからじゃない、幸せだからだ。
「ねぇニーナ、私からもお願いがあるの、聴いてくれる?」
「……うん」
「ニーナ、私と親友に、家族になって」
…………………………。
「わたし、なにもできないよ?」
「そんなことない、私はニーナにたくさん助けてもらったから」
「レーナをここから連れ出してあげられない」
「私もニーナを外に出してあげられない」
「……ほんとにわたし、レーナの家族になってもいいの?」
「ニーナだから家族になりたいんだよ、だから約束しよ」
「約束……?」
「私とずっとずっと一緒にいて、もう二度と私を独りにしないで」
「ニーナ、大好きだよ」
涙が溢れた、泣くなんて何年ぶりだろう、もうとっくに枯れて流すことなんてないと思っていたそれは、止め用もないほどボロボロと溢れて、そして、止めたいとも思わなかった。
「わっ、わだしもだいすき!レーナ、大好きだよ!!」
痛くて、苦しくて、悲しくて流す涙なら幾らだって我慢できるのに、すぐに止められるのに、嬉しくて流す涙は胸が暖かくなって、幸せで、幸せで止められなかった。
「私も、わたしもニーナが大好きだよ!」
「わたしもレーナとずっと一緒にいたいよ!!」
気づけば俺たちは二人とも泣いていて、お互いの涙が頬を濡らしていた。
「だいすき、すきだよレーナ」
でも足りない、大好きじゃまだ足りないんだ、こんなにも誰かを大切だと思ったのは、大事だと感じたのは初めてだから、この思いを、気持を伝えたいのに言葉が見つからない。
「ニーナ、愛してる」
……愛してる、そっか、これが愛なんだ、この想いが愛してるって感情なんだ。
今までずっと足りなかったものがカチリと埋まった気がした、自分が何よりも求めていたものが、無意識に願っていたものが。
「わたしも愛してる、レーナを愛してるよ」
俺はいま世界で一番、幸せだ。
─────
俺はいま、天国にいます。
「はいニーナ、あ〜ん」
「あーん!」
怪我をしてまともに身体を動かせない俺のためにレーナが看病してくれているのだ!こんな看病なんで前世で数えるのも億劫になるほど受けてきたはずだが、愛のある看病は比べ物にならなかった。
「はい、あ~ん」
「あ~ん!」
あぁ〜、こころがとけるぅ〜。
食事を終え、今はお昼寝タイム。レーナは俺の隣で怪我を気づかってか控えめに手を握ってスヤスヤと眠っています。かわいい。
あの後、俺たちは二人して泣き疲れて眠ってしまったので起きてからレーナに聞いた話なのだが、俺は二週間は部屋で謹慎と療養、レーナはその看病をするようにとマッドから言われたらしい、それとレーナに使われていた薬は次回以降は変更になるとも。
何だよマッド、お前ツンデレだったのかよ、かわいい所あるじゃん!今どき暴力系ツンデレは流行らないと思うけどな!まぁ、ここまでしてもらったんだ、次からは心のなかでも先生と呼んでやろう。
「……んぅ、ニーナ……すきだよ」
…………大先生、ありがとうございます。
【二週間後】
「027番、時間だ」
「はーい!」
あら~!大先生じゃないですか〜!
本日の実験は何ですか?新しい薬の投薬でも異能の行使実験でも何でも良いですよ!
「027番」
「なーに!先生!」
はいはい!何でしょう!わたくしに出来ることであれば何でもおっしゃって下さいよ!
「お前の首輪の出力を強化した。次は数日は目を覚ますことがないと思え」
「はいっ!わかりました!」
…………………ふっ。
はいクソー!ぬぁ~にが大先生じゃボケが!!カッ〜、ペッ!!
こっちが下手に出てやれば調子に乗りやがって、この暴力クソメガネ!陰険根暗イケメンが!少し顔がいいからって良い気になるなよ!!
お前なんか二度と心のなかでも大先生なんて呼ばねーから!やっぱマッドがお似合いだよ!このマッドサイエンティスト!!
【被検体027番/ニーナ】
愛すること愛されることをはじめて知った。もう代替品は必要ないので曇らせ欲求はほぼ消失している。生きてきた中で今が一番幸せ。
【三宮澪奈/レーナ】
失ったものを少しだけ取り戻した。レーナは掛け替えのない人、親友であり妹であり姉であり母みたいな思考回路になってる。着実に幸せになっている。
ちなみに被検体が許可なく異能を使ったら基本は殺処分もしくは再教育(意味深)です。今回はマッドが先にボコボコにしたので回避しました。