「027番入浴の時間よ、ついて来て」
「え……?今日は先生が担当なの?」
そう声をかけてきたのはメガネ美人先生だった。少しだけ驚いた、先生は今まで一度もわたしの入浴を担当したことがなかったからだ。彼女はわたしと触れ合う事を避けていたから。
はい、お久しぶりです、ニーナです。ちなみに一人称を変えました。というのもレーナと仲直りして家族になった日から、心のなかで俺という一人称を使うことに違和感をおぼえるようになったからだ。恐らくレーナと家族になったあの日、わたしは前世から地続きに感じていた「俺」から、本当の意味でニーナに「わたし」に生まれ変わった、お陰で表でわたしという一人称を使うのも楽になった。
もう二年近く前のことだけど。
そして今はメガネ美人先生との初お風呂に向かっているんですが。
「……」
「……」
無言だ。入浴室へ向かって先生と歩いている、今までずっと先生には避けられていた、話をするときも基本は事務的なものばかりで、それ以外はわたしが一方的に話しかけるだけだったから、こうして二人切りになると何を話していいのかわからなくなる。
そのまま会話と言えるようなものもなく浴室に着き、服を脱ぎ、身体を洗ってもらう。もう随分前から入浴は自分で身体を洗うようになっていたから少し恥ずかしい。
「ありがとう、先生」
「いいえ、お礼はいいわ」
そう言う先生の顔を鏡越しに見る。いつも掛けている眼鏡は曇るからだろう、外していて、長い髪も一つに結って纏めているからよく見える。やっぱりとても美人だと思う、何でこんなに綺麗な人がこんな場所で働いているんだろうとも。まぁ、顔の良し悪しなんて関係ないのだろうけど、それを抜きにしても先生はいい人だと思うから。
先生は決してわたしからの感謝やお礼の言葉を受け取ろうとしない。自分が許されないことをしているという気持ちがあるのかもしれないが、それは他の先生も同じだ、この施設で働いている先生たちの中に好きで子供の人体実験をしている人は居ないと思う。
この五年で理解したがこの施設を運営している組織か企業は相当に強大だ、投薬実験に使われる薬は多種多様、実験室の機材も高頻度で新調されているし、人員の異動があったとしても直ぐに新しい人が補充される。
そしてわたしが知っている限り、被検体になった子供たちは147番まで存在する、つまりわたしがこの施設で目を覚ましてからおよそ五年で最低でも120人は子供を誘拐か買収でもして施設に運び込んでいる。これだけの事をして何ら支障も見せず施設の運営を続けられるだけの力が、権力が背後に居る。
だから、この場所から逃げ出すことはできない、何度も考えたけれど答えは同じだ。わたしもレーナも、ここに囚われた時点で運命は決まっている、いつか死ぬまで、殺されるまで、わたしたちは逃げられない。
そしてそれは先生たちも同じだ、騙されたのか脅されたのか、どんな理由にしろ、一度でもこの場所に踏み入れてしまえば逃げ出すことは許されない。
逃げた先に待っているのは考えるまでもなく悲惨な最後だけだろう。
もし逃げ出すことができる可能性があるとすれば、この施設の人間を皆一斉に外ヘ逃がす以外は無いだろう、追っ手が来るよりも前に世間に大々的に取り上げられるような問題にしてしまえれば、可能性はある。そんな事は不可能だけど……。
「目を瞑っていて、顔も流すわ」
「んっ」
シャワーがわたしの顔を流して止まる。髪も身体も洗い終わって、もうする事は無いはずなのに先生は立ち上がろうとはしない。鏡越しに先生と目が合う、躊躇いと恐怖を感じさせる瞳、先生は口を開こうとして、噤んだ。
「先生、わたしに何か言いたいことがあるんだね」
「っ……!」
「教えて?わたしが知らなきゃいけないことなんだよね、わたしに伝えないといけないと思ったことなんでしょ?」
十中八九、いい話ではないだろう。だいたい予想はつく、できれば外れていてほしいが……。
「……二日後、あなたに異能強化薬という薬を用いた実験が行われる」
「今まで、この投薬実験での生存率は0%よ」
何時でも現実は残酷で、それは予想通りの答えだった。
─────
その後、先生が語ってくれた内容を要約すると、上の人達にとってわたしを生かして実験を続けて得られるメリットを、生かし続けるのに必要なリソースの消費が上回ったそうだ。だから処分する前に普通の被検体には使いづらい死亡率の高い薬品の実験台にしてしまおう、死ねばそのまま処分すればいいし、万が一にでも生き残ることがあれば、それは生かすに足るメリットがあるという事らしい。
清々しいほどにクズで笑いそうになる、彼らにとってわたしたちは消耗品のモルモットと変わりないのだろう。
「……」
酷い顔だ、何時も無表情だったから尚更に苦しそうに見える。よく見れば隈もかなり深く刻まれ、化粧で誤魔化しているのが分かる。
この事をわたしに伝えるまでにどれ程の葛藤と恐怖があったのかわたしには想像できないけれど、その顔はもう好きではない。
「ねぇ先生、そっちを向いてもいい?」
「え?……えぇ、いいわ」
椅子から立ち上がり後ろへ向き直る、目を合わせた先生は今にも泣き出しそうに見えて、それでもわたしの前では泣くまいと決めているようだった。
「先生の名前、聴いてもいい?」
「……
「モモカ先生……。わたしね、最後は笑顔で見送ってほしいんだ」
以前のわたしなら逆だったろう、出来得る限り悲しんでほしかったし、苦しんでほしかった。でも今はもう違う。
「だから、今は泣いていいんだよ。それで約束して?最後は笑顔でさよならを言ってくれるって」
「……ふっ、つ……くっ……ひっ」
わたしは先生が涙を流すよりも早く背を向けて椅子に座り直し、シャワーからお湯を出して冷めた身体を温めた。
先生の泣き声はシャワーの音にかき消されて、わたしには聞こえなかった。
─────
部屋のベッドの上で思考する。レーナはとっくに眠っていて、わたしの胸に顔を埋めている。
後二日、たったそれだけの時間でわたしの人生は終わる。死ぬこと自体はずっと前から受け入れている、それこそ前世から。それでも死ぬのは怖い、何よりもレーナを残して逝くのが、彼女との約束を果たせないことが。きっとレーナはわたしが死ねば後を追ってしまう。
だから、レーナが死なない状況をつくらなきゃいけない、レーナが死ねない状況を。
異能強化薬の効果がどれ程のものなのかは判らない。だがもし、わたしの考えを実現出来るだけの効果があれば……、レーナを、この施設の皆を救えるかもしれない。
─────
「おはよう!レーナ!」
「おはよう、ニーナ」
今日は実験が休みの日だ、つまり一日中レーナと居れる日である!だから何時も通りに過ごす。
「レーナ!お昼のご飯にリンゴがあるよ!久しぶりのデザート!」
「本当に?やったね」
他愛のない会話。
「それでね、先生としりとりをしたんだけど1回も勝てなかったの、レーナとこんなにしてるのに」
「しょうがないよ、大人だし」
「次は勝てるように練習する!レーナにも負けてばっかだし、今日は負けないよ!」
「いいよ、じゃあ私からね。アジサイ」
違和感を抱かれないように……。
「ねぇ、レーナ」
「なに?」
「もしここから出れて、外に行けるならどこに行きたい?何がしたい?」
「……え?」
今まで決して話題にしなかった話、この場所で希望を持たせてしまうような話はしないようにしていた。だからこれは、わたしの我儘だ。
「わたしはね海に行きたいんだ、山にも行ってみたい、学校にも行ってみたい、水族館で生きてる魚を見て、動物園や遊園地で遊びたい……。レーナは?」
「……私は、私も……ニーナと同じだよ、たくさん行きたいところがある、水族館も動物園も遊園地も、ニーナと一緒ならどんな場所にでも行きたい、一緒の学校に行って……」
「……レーナ、外に出れたらきっと新しい友達とか家族もできるよね?」
「……うん、でも私はニーナがいればいいよ、今でも幸せだから」
「……うん、わたしもだよ」
でも、それじゃあ駄目なんだよ。わたしはずっと一緒には居てあげれないから。
「レーナが幸せなら、わたしも幸せだから」
わたしは貴女に、何も残してはあげられないから。
─────
「027番、038番、時間だ」
いつも通りの時間に迎えが来た、いつも通り部屋を出て。
「いってきます!レーナ!」
「いってきます、ニーナ」
いつもと同じ挨拶でレーナと別れる。
マッドと一緒に実験室に向かうのは久しぶりだ、最近はわたしの実験を見に来ることは無かったから、本当にわたしは今日で死んじゃうんだなと、改めて実感した。
「027番、今日投与する薬は」
「知ってるよ」
「……そうか」
「先生、強化薬はどのくらい異能を強くするの?」
「……前回の実験では情報干渉力と干渉範囲が最低でも700%、異能の出力は十倍近く上がったという記録がある。今回使われる物は更に効果を高めた物だ」
「わたしはどのくらい持つかな?」
「最長でも二時間が限界だろう」
「ありがとう。だけど、わたしに教えても良かったの?」
「構わん、知ったところで意味はないだろう?」
「……そうだね」
実験室の前に着く。さあ、ここからが正念場だ。
─────
いつも以上に厳重な拘束、頭から指まで、微動だにも出来ないほどの拘束がわたしに施されている。明らかにいつもとは違う実験を行うことが分かる。
それに、みんな酷い顔だ。
以前のわたしであれば、これ程までにわたしを思ってくれていることに喜びを覚えていただろう。まぁ、今も全く嬉しくないと言ったら嘘になるけれど……。
「027番、今から投薬を開始する」
マッドが直接わたしに投薬をするのは初めてだ、すこし申し訳ない気持ちになる。この薬を打つのはわたしを殺す事と同義となってしまうから。
「先生、ごめんね……」
「……027番、この薬は耐え難い苦痛を伴う、猿轡は必要か?」
「いらないよ、大丈夫」
「そうか」
注射器の針が腕の血管に刺される。注射器1本分、いつもの実験で投薬される量と比べると少ない薬液。
「投薬開始」
何度も経験してきた、ゆっくりと冷たい液体が血管に入ってくる感覚、そして薬液が全て身体に入りきって……。
今まで経験したことのない苦痛が身体を襲った。
「ぁっ!…………っ、ぅっ………?!」
声も出せないほどの痛み、喉が閉まって上手く呼吸ができない、身体が内側から裂けていくような異質な感覚。
「っ、ぐぎっ……、ふっ……」
あぁ、モモカ先生ありがとう。これは何も知らずにいたら耐えられない苦痛だ、何もわからないまま苦しみ抜いて、わたしはただ死ぬだけだった。
意識を異能の行使に向ける、そうすると確かに感じる、今までにない程の全能感。僅かに痛みが薄れ気分が高揚する。良かった、これならわたしの望みを叶えられそうだ。
「……くっ、ふぅっ」
わたしは全身の拘束具とわたしを縛ってきた首輪に意識を向け。
実験室の隅に"転送"した。
「ぐっ!」
身体が床に落ちる、異能を行使したからか、それとも脳内物質の影響か、もしくは薬で神経がイカれたからか、さっきまで全身を襲っていた痛みはかなりマシになっている。
床から起き上がり、一番近くにいた先生の前までフラつきながら進んで行く。
そして手の平が先生に触れた、先生は全てを受け入れているような顔でわたしを見ている。きっと、殺されるとでも思っているのだろう、そんなことしないのに……。
「先生、みんなを守ってね」
そう言って、わたしは先生を施設の外の道路へと転送した。
わたしの異能「転送」は本来、これほどの距離を正確に座標移動させることは出来なかった「手のひらで触れたものを自身を中心とした半径十数メートルの観測領域内に転送する」その程度の能力しか無いものだった。
しかし、今はもう違う。もはや手で触れる必要はなく、身体に接触していれば転送出来るし、観測領域も数百メートルまで拡張され、今まで以上に正確に領域内を把握できる。
「こんなとこにあったんだ」
この施設は意外にも普通のビル街の地下にあった、人通りも少なくない。もっと森の中の隠れた場所を想像していたから少し驚いた。ただ私にとっては都合がいい、ここならすぐに人が集まって大きな騒ぎになるはずだ。
二人目、三人目、四人目……。
先生たちに触れて転送していく、そして実験室内に残っているのはわたしとモモカ先生とマッドだけになった。
「モモカ先生」
「……なに?」
「ありがとう」
「……えぇ」
今日のことを教えてくれて、約束を守ってくれてありがとう。
お陰で悔いのない死に方ができそうだよ。
「……ニーナ、さようなら」
「……うん、さよなら」
さて、最後はマッドか。
「ねぇ先生」
「なんだ」
「わたし先生のことずっとマッドサイエンティストだと思ってました」
「……そうか、そんな言葉をどこで覚えた」
「ふふっ、今日までありがとうございました、それじゃあ……」
「027番、038番の実験室は扉を出て左側、4つ目の部屋だ」
「……あり」
「礼は言うな、さっさと転送しろ」
「……うん、やっぱ先生はマッドじゃないよ。……さよなら」
先生を転送して一息つく、段々と薬が回り始めたのか、強化薬による身体の異常は強くなっている、余り持たなさそうだ。
「ふぅー。よし、がんばるぞ」
施設内の子供の数と配置は把握済みだ、もちろん職員の数と配置も分かる、時間はない、頑張らないと。
わたしは実験室の扉を後ろに転送し、外に駆け出した。
─────
目標は思っていた以上に簡単に達成できた。異能強化薬が身体に回りきったからか、わたしの異能は時間とともに強化され、今では視界に収めるだけで対象を観測範囲内に転送できるようになっていた。
この施設内にもう子供は一人も残っていない、職員はまだ何人か残っているようだけどそれも問題にならない人数だ。
でも、もう時間はそんなに残ってはいないだろう。少し前から身体の感覚がない、血を流しすぎたからだと思う、目や鼻、吐血も何度も、全身の血管が破けて皮膚からも血が滲んでるし、お陰で服も肌も血まみれでひどい有様だ。
歩くたびに水音が聞こえる、血に滑って転びそうになりながら、わたしは最後の目的地にたどり着いた。
「ハァッ……ハァ……よかった、お別れくらいは……できそう」
目の前の扉を転送して部屋の中にはいる。部屋の中ではレーナが拘束されていた、視界に収めすぐに胸の中に転送し、抱きしめた。
「ニー、ナ?」
ごめんね、今のわたしはひどい顔をしているから、血の気が失せて、流れた血を何度も拭った醜い顔を見せたくない、レーナの中では少しでも綺麗なままでいたかった。
これが最後になるから、伝えなきゃいけないことを、伝えたい言葉を……。
「……レーナ、わたしと出会ってくれて、ありがとう」
レーナにとっては、わたしなんかと出会わないほうがずっと幸せだっただろう、父親と母親と幸せに暮らし続けられていれば、今よりはるかに幸せだったはずだ。
「わたしと、友達になってくれてありがとう。すごく、うれしかった」
本当に嬉しかったんだ、友達なんて初めてだったから、わたしなんかにはできるはずのないものだと思っていたから。
それをレーナは変えてくれた……。
「親友に、家族になってくれて、ありがとう」
あの時は涙が止まらなくなるほど嬉しかった、幸せだった、わたしの人生はレーナに出会うためにあったんだって思えるほど、幸せだったんだ。
「……ずっと一緒にいよって、約束してくれて、本当にうれしかった」
でもごめんね、その約束は守れない。
「約束をやぶってごめんね……」
後は……これだけは伝えないと。
「わたしに『愛してる』をおしえてくれて、ありがとう」
誰かを愛することが、愛されることがこんなにも幸せで、綺麗で、掛け替えのない感情だと、想いだとは知らなかった。
レーナがわたしに愛を教えてくれたんだ。
だから。
「レーナ、心の底から愛してるよ」
さよなら。
わたしはレーナを転送した。
レーナに支えられていた身体が倒れて真っ白な床に打ち付けられる、もうとっくに目は見えなくなっていて、辛うじて残っている聴覚が心音だけを捉えていた。
それもゆっくりと遠ざかっていく、それはまるで真っ暗な水の底へ沈んでいくような感覚で……。
忘れたくても忘れられなかった、死の感覚だ。
あぁ、もし今のわたしを、ニーナの生涯を知る人が居ればどう思うだろうか?酷い人生だと、可哀想だと盛大に曇ってくれるかな?
生まれ変わったら何をしようなんて妄想は、病院のベッドの上で何百、何千と繰り返していた。
海に行ってみたい、山に登ってみたい、学校に行って友達をたくさん作って、走り回って遊んでみたい。お母さんとお父さんにたくさん親孝行をして、兄妹なんかがいればきっともっと楽しいかも、なんて妄想……。
結局それは叶わなかったけど。でも、ニーナとして全力で生きてきたこの五年間は、意味も目的もなく生きて、死んだ、前世の十五年よりもずっと幸せだった。
心から愛してる人のために命を使えるこの最期は、満足のいく最期だ。
でも、最期に少しだけ我儘を言って良いのなら。
「レー、ナ……しあわせ……に……なって……ね……」
……うん、それだけだ。
【被検体027番/ニーナ】
『愛してる』を理解した。
今回の行動に相手を曇らせようという考えは一切ない、心からレーナの幸せを願ってる。享年十歳。
【三宮澪奈/レーナ】
全てを失った。
もう二度と心の底から幸せにはなれない。
「自分だけ幸せに死んで関わった人はみんな曇る」個人的にはこれぞ模範的な曇らせだと思うんです(持論)。
という事で本編は完結です、よろしければ感想、評価いただけると幸いです。
バットエンドが過ぎる、という方はハッピーエンドIFも少し投稿しますのでそちらもよければ。