また、今日投稿するのはここまでとなります。
次回の第一話「非科学的な出会い」は来週に投稿されます。
どうか次回をお楽しみに。
この世界では三つの超大国─すなわちアメリカ合衆国、大ゲルマン帝国、大日本帝国─が最も強力な国々だが、何もこの世界においての強者は彼らだけではない。
以下に記されているのは、この世界において、超大国ではあらずとも、冷戦という世界を舞台にしたチェスへの参加が認められた4つの大国が、どうやって現在の状況に至ったかを綴ったものである。
第二次世界大戦において、黒い鉤十字の旗と侍の剣が世界を切り裂いた中で、アフリカに広がる大帝国があった。
その名はイタリア帝国。
イタリア帝国は統帥たるムッソリーニの指導の元、バルカン半島・中東・アフリカでの進撃によって、枢軸国が打ち立てた『新秩序』内で独自の偉大なる覇権を打ち立てた。
しかし、はっきり言って待ち受けていたのは、戦勝の栄光が霞む闇そのものだった…。
大戦後に各地に残った占領地域でのでの激しい利権争い─ドイツとはバルカン半島において、トルコとはレパント地域において─は深刻な物となった事でイタリアと他の枢軸国の間に不信感が湧き起こり始めた。
その後も貿易政策により順調に経済は伸びていたイタリアだったが、ある時、遂にドイツとイタリア、いや南欧全体の間に決定的な亀裂を産む外交問題が引き起こされたのだった。
ドイツ改め『大ゲルマン帝国』はヨーロッパ各地の国に共通通貨でのマルク発効を強要し、統一を推し進めようとした。
しかし、急速な通貨統一による信用悪化とそもそもの大ゲルマン帝国の信用の無さにより、この通貨を導入させられた国は経済的大打撃を被る結果となってしまったのだ。
ムッソリーニ自身は親独的だったが、ベルリン・ローマ枢軸の解散を世論の圧力により実行せざるを得なかった。
しかし、今度はイタリアのために代わりとなる同盟の作成を進めなければ、大ゲルマン帝国によって軍事侵攻を受けてしまう危険が産まれた。
イタリアは既に単独では自らを防衛できないほどの、致命的なほどの軍事力の差が大ゲルマン帝国との間に開いていた。
そこでスペインのフランコ政権がサラザール政権のポルトガルと国家合併をすることで築き上げた『イベリア連合』や、かつて領土問題を抱えていたトルコとの交渉を何とかまとめあげ、これらの三国は新しい陣営:『三頭連合』を結成する事となった。
しかし、それはロドス島の問題や、北アフリカのアルジェ領等の別の外交の問題を無視したに過ぎず、同盟には結成時点で既に亀裂が入っていた。
内政の問題─主に経済の問題である─を抱えたイタリアだったが、さらに致命的だったのが統帥だったムッソリーニの死去だった。
これによりイタリア帝国はより暗い時代へと引きずり込まれた。
その帝国に再び太陽を登らせるために尽力したのが、ファシスト党創設者ベニート・ムッソリーニの義理の息子であり、そして二代目の統帥に選ばれた男:ガレアッツォ・チャーノだった。
チャーノは義父の打ち立てた、イタリアの古くなってしまったファシズム体制の解体を決意し、党内の改革を進めた。
しかし、三頭連合の面々が集まるマルタ会談の途中に爆破テロが発生した事で三頭連合が遂に崩壊してしまった。
幸いなことに、大ゲルマン帝国でのヒトラー死後の内戦の裏で行われたトルコとの国境紛争では、結果的にイタリア帝国が勝利した。
また、改革を目指すチャーノは現地人との会談の結果、中東のレバント総督府を解体し「イスラエル」「パレスチナ」「レバノン」「ヨルダン」「中立都市エルサレム」に平和的に分解する事でレバントでの民族間紛争の問題を解決した。
そしてチャーノは仕上げにファシズム大評議会などの保守派を抑え込み、遂に万雷の拍手の元イタリア帝国の民主化を成し遂げた。
しかし、民主化した後のイタリアの運命は、混沌としたものだった。
イタリアの民主化後初めての選挙では、なんと左翼のイタリア社会党が与党になり、さらにその中でも最左派のエンリコ・ベルリンゲルが首相に就任したのだ。
他の社会党のメンバーの多くが穏健な社会主義者であるのに対し、彼は革命の手段として議会制民主主義を重視するものの、れっきとした共産主義者であることは自他共に認める事実であり、彼の当選は国中を驚かせた。
彼自身は決して無能ではなく、また個人としても十分尊敬の置けるような人間ではあったが、『赤い異端尋問官』と党内でも呼ばれて恐れられていた彼の政権下では、イタリアが経験したのは混沌だけだった。
彼は共産主義者だったため、互いにイタリアを自らの陣営に入れようとした日本とアメリカ双方から距離を取り、この中立化の決断はのちに石油危機の際に不利に働いた。
国民の共産主義への反感は増していき、政情が不安定化する中起きた『フォンターナ広場爆破事件』は、民主化したイタリアの政情の不安定さを象徴する事件として人々の記憶に残った。
やがてこういったことから人々は安定を次第に求めるようになり、次の選挙ではイタリア社会党は大敗した。
その代わりに与党と首相の座に収まったのが、今でも政権を維持している極右政党の『イタリア社会運動』とその創設者のジョルジョ・アルミランテだった。
彼が首相に就任した後は政情はなぜか次第に安定に向かい、彼はイタリアの多数の国民から支持を得た。
アルミランテはかつてのファシスト政権に深く関わっており、またかつてのファシスト政権を彷彿とさせる政策を多数実行に移したため、国内の自由主義者・社会主義者の両方から『ネオファシスト』と批判された。
このことに対して彼自身はキッパリ否定した。
しかし、それはあながち間違っていなかった。
彼は自由民主主義の範囲内でのファシズムの持続のために、民主化後の政界に躍り出たのであったからだ。
また、これは殆どの人が知らないことだが、彼はフォンターナ広場爆破事件の真犯人のファシズム復権を目指すグループと繋がりがあった。
彼は自らが政権を握るために、あえて彼らにフォンターナ広場を爆破させたのだ。
彼はその証拠隠滅にも努力を欠かさなかった、実際に爆破事件の主犯として逮捕されたのは無政府主義者グループだった。
こう言った事情にも関わらず、彼はOFN加盟とまではいかずともアメリカからの支援を受けている。
これはひとえに同国のカークパトリック大統領が制定した、日本とドイツを止めるためには独裁国家をも支援するというドクトリンの対象として、アルミランテ率いるネオファシズムのイタリアが当てはまったからであった。
こうして、自由民主主義を隠れ蓑として、イタリアにおいてファシズムの精神は存続したのだ。
かつての結束から自由となった半島の舞台裏に、未だ聳え立つ結束の斧あり。
第二次世界大戦中、イギリスはドイツ軍の圧倒的な上陸作戦、アシカ作戦によって降伏に追い込まれた。
イギリスの権威は失われ、イギリスの勢力圏は手から零れ落ち、多くの政治家がカナダへと逃亡し…イギリスの繁栄は打ち砕かれた。
だが、その旧来の制度─議会政治、貴族制度、そしてその他のイギリス的な伝統─は概ね維持された。
しかしそれだけではドイツ側も終わらず、既に戦いと逃亡で数が減っていた英国軍のほとんどを解体してイギリス政府をドイツの保護に依存させ、かつて婚姻に関するスキャンダルで1936年に退位した元国王・エドワード8世を新たに王位に据え、さらにブリテン島のそこかしこにドイツ軍のイギリス守備隊を常駐させた。
さらにイギリスでもドイツの人種政策は実行され、多くのユダヤ人が連行されて行方不明になった。
そうして、ブリテン島のみがその手に残った敗戦国、落ちぶれたイギリスではドイツに協力するための政府の支配下、時折レジスタンスが武力攻撃などを起こす不安定な状態が続くまま月日は流れていた。
そんな中で、ドイツの停滞とともにイギリスも少しずつ不安定化していった。
1950年代に入って、歴史は大きく動いた。
この年代にまずあった大きな事件は、ドイツで発生した経済崩壊であった。
これはドイツによる新秩序の不安定さの象徴たる事件として当初は記憶された。
しかし、苦難はそれだけで終わらなかった。
宗主国のドイツをロシアから赤軍が襲ったことで西ロシア戦争が勃発、さらにドイツでハインリヒ・ヒムラーによるクーデター未遂が発生し、ドイツの勢力圏『統一条約』全体が危機に陥ると、かつてカナダに亡命した元女王:エリザベス2世を正統な女王だとする反独レジスタンス最大派閥、元イギリス特殊空挺部隊のデイヴィッド・スターリング率いる『陛下の最も忠実なるレジスタンス』が、ビル・アレキサンダー率いる共産主義者の占める『左翼レジスタンス』と同時に大規模反乱を開始、ここにレジスタンスの「56年蜂起」が始まったのだった。
この戦いは結果的にレジスタンスに対する当時のチェスタートン内閣(強硬なファシスト)側の勝利で終わり、スターリングとアレキサンダーは処刑された。
しかし、その爪痕は大きかった。
内戦以前は曲がりなりにも一つの党「イギリス人民党」としてまとまっていたイギリス政府で革命的なファシズム派と改革派が拡大し、それぞれ『思想派』と『実用派』を結成した。
それから7年後の1963年、チェスタートンの友人で後継者であった元海軍提督のバリー・ドンヴィル首相(当時)がレジスタンスに暗殺された。
続いてレジスタンスは再び蜂起し、1963年の「イギリス内戦」が発生したものの、これは政府側の奮闘によって鎮圧された。
政府側に紛れ込んでいた裏切り者でありレジスタンスの首領を務めていた男、当時のMI5長官マクスウェル・ナイトも処刑された。
イギリス政府は戦いには勝利したものの、イギリスの国土は戦いの中で大きな被害を受けた。
また、この「イギリス内戦」と同じ頃にドイツも内戦に陥っており、イギリスでは状況は悪化を続けるのではないかという危機感も高まっていた。
この事態を前に故ドンヴィルの後継者として改革派のラブ・バトラー内閣が成立し、それらの問題への対処を行った。
しかし問題は山積みであり、イギリスは後継者としてバトラー内閣の財務大臣を選択した。
この人物こそ、現在までイギリスの指導者として君臨している”改革者”、レジナルド・モードリング首相であった。
首相に就任した彼は、まずドイツ企業との協力を行い、内戦による大打撃からの英国経済復活への道筋を作り出した。
外交については親ドイツ的な方針を取り、英国をドイツの重要な同盟国とすることで安全保障問題を解決した。
第二次世界大戦終結以降続いてきたイギリス政治の混乱を治めた政治的成功、そして政策の親ドイツ的な傾向により、彼は多くの国民、そしてドイツ人から喝采を浴びた。
しかし、そういった光の裏には必ず影がある物であり、それは彼も例外ではなかった。
宗主国ドイツの圧倒的な支持を得て長期政権を維持した彼は、だんだんとドイツの傀儡指導者になっていったのである。
レジスタンスの残党も今度こそイギリスを手中に収めるために活動を続けており、それに相対するMI5新長官のキム・フィルビーは終わらぬ影の戦いの中で活躍している。
カナダの亡命者など、アメリカを中心とする『自由国家機構』の軍勢もイギリスに帰還する機会を狙っており、『ドイツの傀儡国家の解放』を企んでいる。
米独の冷戦でドイツ側の最前線がイギリスとなっているということも影響しているのだろう。
とはいえ、レジナルド・モードリングの支配の下で、イギリスは復活した。
再び世界という舞台に─ドイツの操る人形の一つとしてだが─躍り出たのだ。
ブリタニアは目を覚ますだろう。しかしどのように?
フランス第三共和国がドイツの電撃戦によってパリを失い降伏した後、ドイツの傀儡政権として設立されたフィリップ・ペタン率いるヴィシー・フランス。
設立当初はかつての共和国に比べて半分ほどの土地しか領土していなかったものの、第二次世界大戦が枢軸国の大勝利で終わった後、彼らはフランスの正当な政府とかつての連合国・枢軸国の殆どに認められ、ドイツ軍に占領されていたフランス北部の殆どの領土を返還され、再び統一された。
しかし、その再統一のためには大きな代償が支払われた。
その再統一を決めた『ヴィシー条約』において、新設されたフランス国は陸軍の人員を25万人、航空機の数は750機に限定され、フランス単独の軍備研究・開発についても厳しい制限が課された。
かつてフランスが敗戦後のドイツにヴェルサイユ条約で課した軍備制限の『返礼』であるのは、誰の目にも明らかだった。
また、世界各地に遍く広がっていたフランス植民地も、アルジェリアを除いた全てが枢軸国の主要国に分割された。
これによって植民地からの富を失ったフランスの経済は低迷することとなった。
しかし、フランスの苦難はまだ続いた。
曲がりなりにも国民から一定の人気を誇り、それによりフランスのファシズム体制全体を支えていた国家元首のペタンは戦後すぐに亡くなり、後任に選ばれた弁護士出身の極右政治家:ジャン=ルイ・ティクシエ=ヴィニャンクールは全く人気がなく、体制に対する不満は募り、デモやストライキは日常茶飯事となった。
50年代の終わりに宗主国のドイツの経済が崩壊した時、フランスはそれに引きずり込まれ、経済状況はそれまで以上のどん底に落ちることとなった。
また、西ロシア戦争中にドイツ国内でクーデター未遂を起こしたナチス親衛隊─いわゆる『SS』─への対処として、パリの北半分を含むフランスの一部領土及びベルギー本土の全てが、ヒトラー政権の手によって親衛隊に譲渡され、『騎士団領ブルグント』─いわゆる親衛隊領ブルグント─として分離した。
このドイツ国内の政情不安から生じたいわゆる『左遷』のとばっちりを、フランスは受けてしまったのだ。
このような状況を前に国内の改革を望む声は高くなるも、与党:国民党内のジャン=ルイが率いるペタン派─いわゆる保守派─は現状維持を図るばかりであった。
フランスはこういった地獄のような状況の下におかれて第二次世界大戦後を過ごしたのだった。
状況を打破する転機が訪れたのは、1963年のことであった。
フランスも加盟していた統一条約の長たるドイツが内戦に陥った隙を突いて、ブルグントがフランスに軍事侵攻を仕掛けてきたのである。
ヴィシー条約の厳しい軍備制限でまともな軍隊など保持していなかったに等しいフランスはなすすべもなく敗北、さらに国土を削り取られてしまったのだ。
さらにこの敗北の直後にジャン=ルイは失踪、後を継いだ前国防大臣のシャルル・アンツィジェールも数日後に死亡し、残ったフランス首脳部は急遽国家元首を任命せざるを得なくなった。
その時五人の候補者の中から任命されたのが、現在も国家元首を続けているジャン・ビシュロンヌであった。
彼はヴィシー政権に初期から自らの意思で参加していた技術官僚たちの一人であり、ドイツの経済崩壊に引き摺り込まれる以前のフランスの経済政策の鋭い批判者でもあった。
また、彼は国民党内の改革派の一つ:テクノクラシー派の主軸であり、フランスを特に経済・産業面においてテクノクラシー(科学主義的専制支配)を通じて劇的に回復させ、フランスを欧州の産業の中心として生まれ変わらせるという壮大な構想の持ち主でもあった。
国家元首に就任するや否や、彼は『PRIME計画』と称したフランスの経済・産業の再興計画を始めた。
当初誰もがその国家規模というあまりに大きなスケールや斬新な手段に当初は驚き、そして失敗すると考え、ビシュロンヌ自身の失脚に終わるだろうと予測した。
なにしろビシュロンヌ自身は政治経験が浅く『政治の迷宮に囚われた数学者』とよく他の重鎮たちから陰口を叩かれていた有様で、さらに妥協をできない性格である上に、おまけに宗主国であるドイツの経済政策を無謀にもよく批判していたからである。
誰もがそれは大失敗に終わるはずの、机上の空論だと考えていた。
しかし、それは世界中の下馬評を覆し、見事な大成功を収めた。
その成功には、さまざまな要因が絡んでいた。
単純な運の良さももちろん、ドイツ内戦に勝利した二代目総統:シュペーアとのビシュロンヌ自身の昔からの個人的な付き合いや独仏の利害の一致により、フランスの経済復興についてドイツの協力が得られたこともその例として挙げられるだろう。
いずれにせよ、フランスのGDPは劇的に上昇していき、フランス人の平均生活水準も数十年ぶりに向上したのは火を見るよりも明らかだった。
フランスの憲法自体も1970年の書き換えの後、テクノクラシーという単語が書かれるようになり、名実共にフランスはテクノクラシー国家と化した。
こうして、かつて一介の技術官僚にすぎなかった男の大きな夢は叶ったのだ。
また、ビシュロンヌ政権において最も脆弱であると見做されていた外交面においても、かなりの成果があった。
彼らは統一条約から抜けることはなく、本心はどうあれかつてライバルだったドイツに従い続けた。
騎士団領ブルグント内で反SSのレジスタンスのリーダーが処刑されたことを切欠に発生した『ブルグントの春』の際、ドイツはかつてヒトラー時代に反乱未遂を起こした親衛隊を今度こそ殲滅するための作戦:『黒作戦』を実行に移した。
その作戦終了時にかつてブルグント領だった地域は全てフランスへ返還されたが、これはフランスのドイツへの忠誠に対する『報酬』としてのものだったことは誰の目にも明らかだった。
パリ全土を含む旧ブルグント領自体は、ドイツ本国が戦慄するほどのナチス親衛隊の狂気的とも言えるレベルの圧政・文化破壊により荒廃しており、復興には何世代もかかると結論づけられたものの、いずれにせよかつての首都が帰ってきたのは大きな成果であった。
いずれにせよ、フランスは過去の自身とは全く異なる体制の下、現代的な大国としてこの世界に立っている。
技術官僚の支配する三色旗の国は、今日も欧州の産業の中心として駆動し続ける。
ナチスドイツの武力侵攻による旧ソビエト連邦の崩壊後、モスクワを含む欧州側のロシアの大半の地域はドイツ主導の四つの国家弁務官区に再編された。
かつてバルト三国やベラルーシと呼ばれていた地域はまとめて『オストラント国家弁務官区』、ウクライナは『ウクライーネ国家弁務官区』、コーカサス地域は『コーカサス国家弁務官区』、そしてモスクワを含む西ロシアの大半は『モスコーヴィエン国家弁務官区』へとそれぞれ変貌した。
それらの国家弁務官区ではスラヴ人の奴隷化・ゲルマン化が進み、そこに住む人々はドイツ人の圧政の下困窮することとなる。
では、それより東の地域はどうなったのか。
まずヨーロッパ・ロシアとシベリアを分かつウラル山脈以西で、かつ新設された国家弁務官区群外の土地は、残存していた赤軍将校たちが集結して『西ロシア革命戦線』によって実効支配下に置かれた。
また、ドイツ軍の力の及ばなかったシベリアでは三つの主要国家が生まれた。
一つ目は『西シベリア人民共和国』。
かつて政争に負けて政権中央から追放され、西シベリア地域に左遷となったスターリン派の残党が、旧ソ連の崩壊後亡きスターリンの教えに基づいて建国した国で、急速な工業化をラーザリ・カガノーヴィチ書記長の指導の下押し進めていった。
二つ目は『中央シベリア共和国』。
ドイツ軍から逃れた知識階級の人々が中央シベリアにおいて平穏を求めて打ち立てた国であり、独ソ戦敗北直後のロシアの中では唯一議会民主制を有する国であり、ボリス・パステルナークという人物に率いられていた。
また、かつてブハーリン政権が押し進めたシベリア開発計画の恩恵を最も受けており、そのおかげで経済的には比較的豊かであった。
最後は『極東ソビエト共和国』。
ブハーリン政権を陰から支えていた悪名高い秘密警察・NKVDの長であるゲンリフ・ヤゴーダが、自分の権力を活かし他の旧ソビエト連邦の幹部達と共に極東に逃れて打ち立てた国家であり、ブハーリン政権の最後の生き残りともいえた。
旧ソ連の亡骸から生まれたこれら四国家により安定するかと思われたロシア情勢だったが、1950年代に入るとその仮初の安定は崩れ去った。
1950年代初頭、ドイツの経済が破綻するや否や、アメリカや日本の支援を受けて強化された西ロシア革命戦線は、モスクワをはじめとしたドイツに奪われた旧領奪還を目指す『スヴォーロフ作戦』を発動してモスコーヴィエン国家弁務官区に対し大規模攻勢を開始、ここに『西ロシア戦争』が始まった。
また、同年代に中央シベリア共和国の経済的豊かさを狙いに、ヤゴーダ率いる極東ソビエト共和国が中央シベリアの大侵略を開始したのである。
一時期モスクワ寸前まで至った西ロシア革命戦線であったが、やがてドイツ軍に押し返され始め、最終的には内輪揉めによって1950年代の終盤に崩壊してしまった。
また、中央シベリア共和国と極東ソビエト共和国の戦いも膠着し、かつての第一次世界大戦の塹壕戦を想起させるような状態となっていた。
やがて中央シベリア共和国は自壊し始め、また極東ソビエト共和国も日本の支援を受けて満州国から進軍してきた白系ロシア人の連合軍との戦いで崩壊、その白系ロシア人連合軍もやがて王党派の白軍とロシアファシスト党内の保守派・改革派の内輪揉めで崩壊した。
一切どちらの戦争にも関わっていなかった西シベリア人民共和国も、カガノーヴィチのあまりの圧政によって三つあった軍団のうち二つが反発して離反、それぞれ独自の軍閥を作り崩壊した。
こうやって、旧ソ連地域は真の意味で無数の軍閥の蠢く無政府地帯となった。
西ロシア戦争の終結後、ドイツ軍はロシア地域から2度と自分達を脅かすような存在を産まないために、西ロシア・西シベリア地域のあらゆる人工物に対して徹底した爆撃を開始した。
この恐怖の爆撃は、ドイツ本国でヒトラー死後の権力不在による内戦が勃発し、空軍が爆撃どころではなくなるまで続いた。
1960年代に入り、ドイツ国内で内戦が発生し、爆撃の嵐が止むと、それまで抑えられていた各軍閥間のロシア再統一をめぐる抗争が至る所で幕を開けた。
やがて、統一条約領を除くロシア地域内では再び四つの国家が誕生し、このまま歴史は繰り返されるかに見えた。
しかし彼らは前回の失敗から学んでいた、これ以上のロシア人同士の殺し合いは、誰として得しない結果に終わるとわかっていたのだ。
奇しくもどの国も詳細こそ異なれど共産主義を掲げていたため、容易く平和的統合が可能だったことも功を奏した。
そうしてアンドレイ・ジダーノフ最高指導者の下テクノクラシー的な社会主義である『超先見社会主義』を掲げる『西ロシアソビエト連邦』、ニキータ・フルシチョフ書記長の下で勢力を盛り返したスターリン主義の西シベリア人民共和国の二つがまず平和的に統合した。
その次には中央シベリアを掌握したアレクサンダー・ヴァシレフスキー将軍の『中央シベリア革命評議会』が、ゲンリフ・ヤゴーダ政権に反旗を翻しやがて極東地域を統一したヴァレリー・サブリン書記長率いる新生極東ソビエト共和国に権力を委任した。
そうして最後に東西二つの共産主義政権が西側主導で統合し、ソビエト連邦は30年ぶりに復活したのだった。
今のソビエト連邦の最終目的については誰も見当がつかないが、その短期的目的は誰もが見当がついている。
それは、かつての首都モスクワを初めとした、かつてドイツに奪われた旧領の奪還である。
国内の平和的再統合を成功させたジダーノフ無き今のソビエト連邦が、一体どこまでをその旧領奪還の範囲としているか、そして実際どこまで奪還できるのか、そもそも奪還自体可能なのかについて、確信している人は少ない。
しかし、そのようにわからないこと尽くしの中でも、一つだけ皆が確信して言えることがある。
欧州を制した鷲と東方の赤い熊の3度目の戦いの時が、迫りつつある。
簡単にまとめると:
・今から百年ぐらい前にナチスドイツっていうジオンの元ネタになったやばい国が枢軸陣営を率いて第二次世界大戦を起こしたよ!
・ユダヤ人殺しまくったりバルバロッサ作戦なるコロニー落とし的な大作戦を展開したり大暴れしたけど最終的にボコボコにされてナチスは滅んだよ!
・同じくイタリア王国や今の日本の前身たる大日本帝国も参戦してたけど普通にボコボコにされて第二次世界大戦は終結したよ!
・初代ガンダムには大雑把に第二次世界大戦を踏襲したSF作品という一面があるよ!
・そんな中最近歴史界隈やHOI4界隈で人気になりつつあるTNOは、もし枢軸陣営が第二次世界大戦に勝利したら?がテーマの作品だよ!
・似たようなテーマのWolfensteinや高い城の男と比べると異常な程リアルで冷酷で陰惨な世界観がTNOのチャームポイントだよ!
・TNO本編ドイツは欧州全体では覇権を握っているものの民族浄化連発や無理な植民地政策などやることなすことキチガイ過ぎて衰退
挙句の果てには第二次世界大戦で植民地化したロシアの領土もソ連軍残党に一部奪い返される
・TNO本編大日本帝国はアジア全体で新植民地政策を展開、かつての欧米より酷い搾取を行いながらも口先ではアジア解放を謳う
・TNO本編イタリアは相変わらずのヘボ国家ぶりで開幕から陣営が崩壊、湾岸戦争レベルの代理戦争をトルコやスペインと起こす
・世界全体では人種差別や障害者差別が健在で、軍事独裁政権や無政府地帯も現実の数十倍と宇宙世紀並みに不穏な時代が訪れている
・TNOガンダムはそんなTNOとガンダムという相反しつつも根底で同じテーマや元ネタを抱える二作をクロスオーバーさせるロマン溢れる三次創作!
・TNO本編の物語が終了間際ぐらいの時間軸が物語の開始地点
・ドイツや日本は無事現実主義者が政権を掌握し、一時は無政府化していたロシアもソ連系の派閥が統一し、ナチズムが永遠に存続する可能性という非常に憂慮すべき問題を抱えつつも世界はほんのちょっとだけ明るくなりつつあるよ!
・一方ガンダム世界は地球にコロニー落としをしようというまさにその瞬間がクローズアップされるよ!
・コロニーが地球に着弾したとき、ガンダム世界の宇宙に出現したのは地獄絵図となった地球ではなくTNO世界の地球だったよ!
・果たしてこれからどうなるのか!?
という感じです()