多くの桜が咲き、多くの桜が散った
その先にたどり着いた、先の小さな日常
そのひとかけら
黒飴。それは、黒く、独特の甘さを持つ、サトウキビから作られた黒糖を原料に作られた飴。
自分ではあんまり買わないけれど、しかし、婆さまや爺様さま、親戚のおばおじ、近所のおばさんあたりか等時々貰う事が多い、黒い飴である。
貰った直後は黒飴かぁ、と思う。
しばらーくの間、その存在を忘れること数多。そして、ちょっと溶け始めたそれを棚の隅あたりから発見し、捨てるのもなんだし舐めてみるかぁ、と放置していた黒飴を、意を決して手に取ることも数多、数多。
だが、溶け始めて包み紙に張り付いていた黒飴を口の中に放り込むと、その見た目とは裏腹に、黒飴とは案外美味しいじゃあないか、という事に気付かされる。
砂糖では醸せない、黒糖独特の甘さと旨味。独特の舌感。
不味くはないし、かといってとんでも無く旨いわけでもない。
しかし、カラコロと口の中で遊ぶ黒飴。
その安心感たるや、独特の物だ。
■
王都、桜ノ宮。さくらが咲き誇るその片隅に、小さな店がある。大通りから、ひとつ、ふたつ、路地を入ったその先の突き当り。
『クロアメ工房 シズク』
それがこの店の名前だ。この連合王国において、唯一、黒飴を取り扱うお店であり、そこそこ、訪れる人が多い。
他の砂糖菓子がある中でここにやって来るという、コアなファンの巣窟と言える。
外装は黒飴らしく艶のある黒。黒い木材に何度も何度も塗料を塗っては磨きを繰り返したコダワリの物らしい。
店の中に入ってみれば、まず飛び込んで来るのは大きなカウンターと、店主。そしてその背中に並ぶ瓶であろう。
「いらっしゃい」
黒飴のような艶髪を靡かせて、店主はそう出迎えてくれる。出で立ちはタイトなスーツ。一見すれば端麗な男性にも見えるが、その柔らかな声と表情から、女性であるようにも見える。
「クロアメ専門店 シズクへようこそ」
仕草は上品。すらりとした立ち姿だけでも絵になる店主。そして、彼、あるいは彼女の言う通り、ここは黒飴専門店。
「店主のシズクと申します。以後、お見知りおきを」
彼女、シズクの背中にずらりと並ぶ瓶。その中身はすべて黒く光る球体、黒飴だ。
「それでは、お近づきの印にお一つどうぞ」
いつの間にやらシズクの手には、まるまるとした艷やかな黒飴が置かれていた。それを手に取ると、シズクは暖かく笑う。
「自慢の一品です。お気に召しましたら、ぜひ、お買い求め下さいね」
促されるようにそれを口に含む。―単純な砂糖ではない、どこかずっしりとした複雑な甘み。黒い艶、その色の通りに実に濃厚。
そして、安心感が心を満たす。言い換えるのであれば、昔に食べえたであろう、田舎の料理のようなものだ。
「―ふふ、その表情、お気に召されたようでなによりでございます」
優しい声でそう言われてしまっては、苦笑を浮かべるしかあるまい。ならばと、ひとまずお土産にと少しの黒飴を購入することにした。
「一つ、100です。ですので…合計はこのぐらいですね」
一つ100。砂糖という貴重なものを使っている飴であるのに破格。大手の菓子屋でも500ぐらいは取るだろう。
「2つおまけしておきます。ぜひ、御贔屓に」
紙袋に入れられた黒々とした丸いつやつや。少し気分が上がる。と、その中やら、小さな素焼きの球が入っている。
「これは?」
素焼きの球を見せてみれば、シズクは小さく頷いていた。
「乾燥剤ですね。黒飴はどうしても湿気でべたついてしまいます。その対策として素焼きの球を入れさせていただいております。ただ、なるべく湿気は避けて、お早めにお召し上がりください」
シズクの声はよく耳に染み入る。なるほど、この店主に勧められてしまえば、それならば、早く食べようかと思ってしまう客も多いことだろう。
「ありがとう。湿気でやられぬうちに、食べるとします」
「ふふ。でも、焦らず、ごゆっくりお楽しみくださいね。噛んでしまっては勿体無いですから。お買い上げ、ありがとうございました」
腰を折ったシズク。美しい所作に一瞬見ほれる。だが、いかんいかんとそそくさとその場をを立ち去った。なにせ、私の後ろには多くの人々が、人ならざるものも並んでいる。黒飴をいただいたのであれば、さっさと去るのが作法だ。
「―おいし」
そそくさと店の扉を外に向けて潜った時だ。鈴のような声が耳に入ってきた。吸い寄せられるように視線がそちらに動いてしまった。
すると、そこにいたのは。
「うん。おいし」
人ではない、しかし、人の姿をしている、この王都ではだれもかれもがその顔を知っている。そんな少女がころころと、おいしそうに目を細めながら、口を動かしていた。コロコロ、コロコロ。口の中で黒飴と同じ大きさの物体が動いている。まぁ十中八九黒飴であろう。
「これはこれは…!『さくらどらごん』様ではありませんか」
「うん。こんにちわ。…えーと…あ、おいしいもの集めている記者の人」
「これはこれは、まさか私めのことをご存知いただいていたとは、光栄です。『さくらどらごん』様は何をなさっているので?」
興味本位で聞いてみれば、彼女は数年前の『はるかぜのおまつり』の屋台でこの店の飴を舐めてから大ファンになったらしい。そして、驚くことに、今舐めている飴は、朝から並んで買ったらしい。
「おみせ、わからなかった。やっとみつけた」
ふんす、と鼻息荒く自慢げに胸を張る彼女。桜色の髪の毛が揺れる。ふむ、それならばと、私の買ったそれを『さくらどらごん』様へ手渡した。
「どうぞ、お食べください」
「いいの?」
「私は職業柄、こういうものは手に入れられますからね。『さくらどらごん』様。どうぞ、お楽しみください」
「ん」
紙袋を大切そうに抱える『さくらどらごん』様に、どこか親近感を覚えながら私は『クロアメ工房 シズク』を後にする。
黒飴こそ手放してしまったが、いまだ、重く口の中に残る思い余韻が心地よい。王都に来たのならば、ぜひ一度訪れてほしい店の一つだ。
それに、何を隠そう『さくらどらごん』様のお墨付き。これ以上、信頼できるものはこの世にはない事だろう。
■
カラ、コロ。黒飴を口の中で遊ばせながら、『さくらどらごん』は『クロアメ工房 シズク』の脇でのんびりと時間を潰している。
王都が王都と呼ばれる前、彼女らドラゴンは世界を旅しながら、世界を守っていた。だが、今となってはそれは過去のこと。
「んー」
体を左右に揺らしながら、黒飴を楽しむ彼女に、どこかに旅に出ようかなんていう気はさらさら見ることができない。
「へいわ」
ぽーっと空を見上げて、彼女は目を閉じる。と、その額にさくらの花びらが舞い落ちた。
「ん」
それを手に取って、『さくらどらごん』はふ、と息を吐いてそれを風に乗せる。やわらかに吹き、あたたかさを人々に伝える風は、王都の桜の花びらを載せてピンク色に空を染めあげる。
「お祭りの、準備。そろそろ」
今年の「はるかぜのおまつり」までもう少し。
夏のドラゴン 清和のウォータメロン
秋のドラゴン 統率のスイートポテト
冬のドラゴン 峻厳のスノー
そして、春のドラゴン 片角の陽春『さくらどらごん』
4つのドラゴンが集う、世界最大のお祭りが、いよいよ、やってくる。