恋姫奇譚   作:乾燥海藻類

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短めの閑話をあと二回ほど挟んで本編に戻ります。



閑話-虎と狸-

「張勲様はあちらの天幕にいらっしゃいます」

「ええ、どーも」

 

孫策は袁術軍の兵士に軽く手を振って歩き出した。

 

(まったく、撤退準備で忙しいってのに、今さら何の用かしら)

 

辺りは夕闇が支配していた。汜水関を突破できなかった連合軍は、ついに撤退を決意した。今は各陣営とも撤退準備を始めている。

それは孫策も例外ではなかった。

 

揚州に残っている孫権が立ち、豪族たちを制圧する。そして、孫策と迂回した官軍で挟撃して袁術軍を叩くという手筈だった。

 

(まさか気づかれた? いえ、細心の注意を払っていたのよ。張勲に妙な動きもなかった……はず)

 

天幕の前で立ち止まり、周囲を見渡す。兵士は一人もいない。人払いがされているようだ。

 

「孫策よ。入っていいかしら?」

「どうぞ~」

 

中にいたのは張勲一人だった。

 

「あなた一人?」

「お嬢様はおやすみになられてますよ~」

 

気配は張勲のものしか感じなかった。伏兵はいない。

 

「用があるなら手短にね。お互いに忙しいでしょ」

「では手短にいきましょうか。孫策さん、あなた、董卓さんと繋がってますよね?」

「……なぜそう思うの?」

「あははっ、孫策さんは素直ですね~」

 

孫策は心中で舌打ちした。なぜバレたかは分からないが、張勲には確信があるのだ。即座に張勲を殺ることを考えたが、時期がマズい。まだ他の陣営も残っているし、今の戦力で袁術軍を相手にするのは分が悪い。

なにより、丸腰の張勲を斬り捨てたとあっては、自分の名が落ちる。孫策は一瞬でそこまで考えを巡らせた。

 

(私の武器を取り上げなかったのはそれが理由か!)

 

孫策は鋭い目つきで張勲を睨みつけた。しかし、張勲は涼しい顔のままだ。

 

「参考までにお教えすると、瞳の動きを見たり、呼吸の変化だったり、まあ色々です。まだ疑惑の段階だったんですけど、いま確信になりましたね」

「……それで、なんで今なの? 怪しいと思っていたなら、私たちを城攻めに使って損耗させるなり、やりようはあったでしょう」

「う~ん、もうそういう段階じゃなかったんですよ」

 

張勲はあっけらかんとそう答えた。

 

「どういうこと?」

「分かりませんか? 董卓さんが冀州を攻めた段階で、負けは決まっていたということですよ。私の読みでは、董卓さんは孤立無援、冀州に兵を出す余裕なんてない状態で、物資にも余裕がないはずでした。焦りは判断を誤らせます。勝てる戦だと思ったんですけどね」

「それってほぼ最初からじゃない」

「そうですよ? 戦いなんて事前準備の段階で大体勝敗は決まっているものです。実際に干戈を交えるのは仕上げにすぎません。それを覆すのが英傑と呼ばれる人たちなんですけど、うちにはいませんでしたね。麗羽様……いえ、田豊さんは下手を打ちましたね。田豊さんは政治家としては優秀なんですけど、軍師としてはちょーっと素直すぎるんですよね。あとは(おご)りもあったんでしょう。驕りって怖いですね~」

 

張勲は他人事のようにクスクスと笑った。

洛陽の経済封鎖には張勲も一枚噛んでいた。長期戦になればなるほどこちらが有利であり、また董卓は内部にも敵を抱えている。彼らは他人の足を引っ張るということにかけては一流だった。

ほどなくして内部分裂を起こし、それは崩壊の引き金となる。連合軍の脆さは張勲も気づいていたが、これは勝てる戦だと思っていたのだ。

 

「馬騰さんはもしかしたら、くらいには考えていたんですが、公孫賛さんは予想外でしたね。あの人はなんだかんだで麗羽様に付くと思ってたんですけど、かなり思い切った賭けに出ましたね~」

「そうね。黄巾の時に少し見かけたけど、あんまり覚えてないくらいには地味だったわね」

「そうなんですよ。してやられましたね~。開戦からこっち、洛陽の情報も入って来ませんし、これはもう完全にダメみたいですね」

 

張勲は平然と言ってのけた。

 

「随分と諦めがいいのね」

「まあ挽回する策もないわけではないんですけど、どうしても博打的要素が大きいんですよね。それに名士や豪族(あほども)の相手をするのもいい加減疲れましたし」

「……本音が漏れてるわよ」

「ありゃりゃ、これは失敬」

 

テヘッと舌を出して、張勲は自分の頭をポカリと叩いた。地元の有力者を優遇すると統治は安定しやすいが、君主の権力が相対的に弱くなり、指揮系統が一本化されていないために行動を起こしづらく、直轄軍が弱体化する。

今さらこの体制を見直そうとすれば、内部崩壊を起こして荒れに荒れるだろう。

張勲は袁術軍のNo.2であるが、出来ることには限りがあった。

 

「そろそろ本題に入ってくれない?」

「ああ、そうでしたね。お嬢様の助命嘆願ですよ。ついでに私の命も保障してください」

「……そういうことか。あなた、袁家にはなんの執着もなかったわね」

 

孫策は呆れたようにため息を落とした。張勲と名士豪族の間に信頼関係はなく、お互いに利用し合う関係でしかない。彼らは窮地となれば袁術の首を差し出して命乞いをするだろう。

だからこそ張勲は、わずかでも可能性の高い孫策を選んだ。

 

「どうせお嬢様も逆賊にされるでしょうから。こっちも必死ですよ」

「そこまで見えてるのね」

「やるなら徹底的にやるのは当然ですよ。董卓さん、いえ王朝にとっては袁家は目障りでしょうからね~」

「なんていうか、変な方向に思い切りがいいのね」

 

やっぱりこの女は苦手だ。孫策は内心で独りごちた。

 

「董卓さんがどこまで殺るかは、ちょっと読めないですけどね。もしかしたら、世はまさに大粛清時代! に突入するかもしれません。でもまぁ、二袁は確実に殺るでしょうね~」

「笑いながらよく言うわね。で、逆賊ともなれば首を要求されるのも分かってるでしょ。私に官軍を欺けと?」

「そこはどうとでもなりますよ。細かいところは周瑜さんと詰めますので、まずは孫策さんに私たちの命を保障してもらいたいんですよ。孫策さんも、子供の首を刎ねるのは気分が悪いでしょ?」

「……どうでしょうね」

 

孫策は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。孫策も袁家の事情は、少なからず理解している。袁術に同情する気持ちもある。色々と理不尽な思いもしてきたが、世話になったことも確かなのだ。

ここに周瑜がいれば、リスクが高すぎるとはねのけたのだろうが、張勲はそれを見越して孫策と一対一での話し合いに臨んだのだ。

意外に甘く、情に厚いのが孫策伯符という女だった。

 

「兵だって民ですから、働き手が減るのは統治に困りますよね。あなたたちにも利はあるはずですよ? 撤退中に襲われて、官軍まで加わったら勝ち目なんてないですからね~」

「……やっぱりあなた優秀だわ。で、行く当てはあるの? 袁紹がもうダメなのは分かってるんでしょ?」

「そうですね。当てというか、行くところはひとつしかないんですけど」

「そう。あるならいいのよ。ああ、言わなくてもいいわ。興味ないから」

「ありゃりゃ、まあその方がお互いのためかもしれませんね」

 

こうして、交渉は妥結された。

 

「じゃあ準備がひと段落したら周瑜さんをよこしてくださいな。あっ、こちらから出向きましょうか?」

「いいわよ別に。じゃあまた後でね」

 

そう言って、孫策は天幕を出ていった。

その背を見送りながら、張勲は吐息を漏らした。孫策は気づいていなかったが、張勲もギリギリの綱を渡っていたのだ。

 

「まずはひとつ、ですかね。さて、噂の及時雨(きゅうじう)さんはどんな人なんでしょうね~」

 

まだ見ぬ人物に思いをはせながら、張勲は北方に視線を向けた。

 

 

 




及時雨というのはめぐみの雨という意味で、水滸伝に登場する頭領、宋江のあだ名に使われています。
これは宋江が困っている人を助けずにはいられない、めぐみ深い人だったからです。
水滸伝は三国志よりも後の時代の話ですが、及時雨という言葉自体はあったんじゃないかなぁと。
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