あの日からずっと、俺は嘘をついてきた。
嘘の名前、嘘の経歴。
毎日に退屈していながらも、異世界転生など望むほどガキではない。それでも――
「少しは面白かったでしょう?」
「苦労の方が多かったがな」
俺がそう答えると、道士服の青年はクスリと笑った。
里の出入りは厳重に監視されているはずだが、目の前の青年はいきなり俺の前に現れた。
あの少女、周幼平のように気配が薄いのではない。しないのだ、人間の気配が。
「もう察しているかもしれませんが、あなたをこの
「……なぜ?」
「ヒマを持て余した神々の遊び……というやつですかね」
「神を気取るか」
青年が眼鏡をクイと押し上げる。その何気ない仕草に、背筋が冷たくなるのを感じた。
「比喩的表現ですよ。まあ気に入らないのは理解できます。日本人は食事の前に
「そう言われると、殴る気も失せるな」
「意外と冷静ですね。もっとこう、詰め寄ってくると思いましたが」
「見境をなくすほど子供じゃない。俺の前に現れたってことは、何か用があるんだろう?」
「……理解がありすぎるというのも考えものですね」
青年がつまらなさそうに呟く。
「管理者としての責任を果たしに来ただけですよ。あなたが望むのならば、元の世界に戻してあげましょう」
「……あれからかなり経っているが、向こうの時間はどうなっているんだ?」
「ほとんど経っていませんよ。昼休みが終わっていないことは保証しましょう」
ああ、そういえば俺は、昼飯を食った後にこっちに来たんだった。それを知っているということは、本物か。
「……考える時間は貰えるのか?」
「二年くらいならかまいませんよ。それ以上経つと、あなたの魂が世界に定着してしまうのでね。戻るのが難しくなってしまいます」
思った以上に猶予があった。いきなり消える可能性はなくなったとはいえ、戻っていいよと言われると、決断できないものだな。
いや、悩むということは、そうなのだろう。向こうに家族でもいれば戻ったのかもしれんが、意外にも俺は、コンビニもないこの不便な世界を気に入っていた。
「わざわざ来てもらって悪いが、戻るつもりはない」
「そうですか。まあ想定の範囲内です。ならば、もう僕たちが会うことはないでしょう。最後ですし、質問があれば答えてあげますよ」
「では、北郷一刀も俺と同じなのか?」
「同じ年代から来た日本人という意味では同じですが、完全に同じというわけではありませんね。アレは特異点なので。僕は手を出せませんが、あなたが出す分には……いや、これも間接的な関与になるのか。面倒ですね」
青年がブツブツと呟きだす。北郷一刀と因縁でもあるのか? そう考えると、やはり詠に不問にしろと言ったのは正解だったかもな。
別に同郷だからという理由ではない。俺は別に誰が天を騙ろうがどうでもいいし。だが北郷一刀に手を出すと、今度は曹操が反逆しそうなんだよな。
それよりは恩を売っておいた方がいい。それに未来の知識を活用すれば、曹操も出世しやすいだろうし、辺境から治世の能臣の力を見せてもらうさ。
「さっき、俺がいた世界とこの世界は時間の流れが違うような発言をしたな。俺はこっちに転移してきたわけじゃないんだろ? あっちの世界が数分しか経過していないとしても、俺はこっちで数年分の年を取っている。そのまま戻れば、色々と不都合だ。ならこの体はなんだ? ここは夢の世界か?」
「ああ、あなたは本当に勘がいい。その体はこっちが用意したものですよ。じゃないと、気が使えるのはおかしいでしょう?」
「……どこにでも行ける
あれを初めて読んだ時は、背筋がゾワッとしたな。
「原子分解して再構築するアレですか。アレとはまた違うんですけどね。まあ、細かいことは気にしないのが長生きするコツですよ」
「じゃあこの世界は何なんだ?」
「哲学的な問いですね。正史と枝分かれした世界。人の想念が創り出した世界。三国志であって三国志じゃない世界。あなたも気づいていたんでしょう? いるはずの人間がいない。いないはずの人間がいる」
青年の言う通り、年齢が合わないのだ。史実の諸葛亮は、黄巾の乱の時点では三歳前後だった。表舞台に出てくるのはずっとあとのことだ。劉備とは親子ほど年が離れていたってのは有名な話だ。
「要するに物語の世界ですよ。漫画とかゲームの中、と言い換えてもいい」
「随分と俗っぽくなったな。じゃあなにか? この世界で生きる人間はAIだのNPCだのと言うつもりか?」
「……ここで心が揺らぎますか。やはりあなたは面白い。ゾンビ論法について語り合うのも一興ですが……」
一拍おいて、青年は続ける。
「まあ、人間ですよ。体もあれば心もある。斬れば血が流れるし、殺せば死ぬ。決して甦ることはない。この世界ではね」
「……この世界では?」
「今度は多元宇宙論ですか? まあやめておきましょう。すべてを説明するには一週間はかかるでしょうからね。五分前説は埒が明かないし、やはり哲学を語るのは面倒ですね。あなたがこの世界を異常と感じるのは、あなたがこの世界の人間ではないからですよ。あなたには異常に映っても、この世界に生きる人々にとっては正常なんです。だってこの世界は、そういう風に創られたから。けれど、あなたにとっては間違いなく現実ですよ、ここは」
未だに言語が日本語で、文字が中国語ってのは納得できないけどな。まあ言語が中国語なら、最初の時点で詰んでたけど。
そういう風に創られたから……か。納得するしかないようだな。話しているうちに、少しは落ち着けた。
「それに……この世界が精巧に創られた
感情の読めない冷たい声音。全身から体温が奪われていくような、ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だ。
「……なんてね、冗談ですよ。まあ、あまり深く考えない方がいい。世界がどうであれ、あなたという存在だけは間違いなく本物です。あなたはここにいる。そして、ここにいることを選んだ」
「我思う、故に我在り……か。ならば、カミサマにとってこの世界はどういうものだ?」
「神社を焼かれて困るのは神官であって神じゃない。賽銭を貰って喜ぶのは神官であって神じゃない」
「つまり、どうでもいいってことか」
「そうなりますね」
「あとは……そうだな。注意事項というか、禁止事項みたいなものはあるのか?」
「ありませんよ。好きに生きればいい」
随分とあっさりしてるな。まあカミサマもいちいち人間に構っていられないということか。
「最後にひとつ、アドバイスしましょう。公平と平等は、愛ではあっても恋ではない。特別な誰かを作るということは、言ってしまえば差別ですからね。けれど、それが人間のすばらしさだと、僕は思います」
「どっかで聞いたような言葉だな」
「それはそうですよ。名言というのは心に残るものですから。あなたが真名という
見てきたように言うものだな。まあ、見てきたのだろうが。
「あなたにとって真名は重要ではないのですから、いっそのことバラまいて利用すればよかったのでは?」
「好きじゃないんだよ、そういう……信頼を
「ふふっ、やはりあなたは面白い。洛陽の一件で少しは妥協したみたいですね。良い傾向だと思いますよ。あなたを長年慕っていた劉岱や王忠などは、真名を呼ばれた時、感涙にむせいでいたでしょ? この世界に生きる人間にとって、真名はそれくらい神聖で重要だということですよ。おっと、これは余計なお世話でしたかね。まあ、これ以上はやめておきましょう」
ズレかけた眼鏡を押し上げながら、青年はレンズ越しに俺の目を見つめてくる。
「さて、そろそろさよならです。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」
「……ああ。エル・プサイ・コングルゥ」
青年は消えた。煙のように、霧のように、あっさりと。
そして、静寂だけが残った。
しかしなんというか、カミサマという割には俗世にまみれたような印象だったな。
◇
詠から書簡が届いた。
冀州の制圧には成功したが、袁紹は取り逃がしたらしい。
なんでも――
袁紹を追い詰めた曹操は雷に打たれて撤退。
袁紹を追い詰めた公孫賛は土砂崩れに巻き込まれて撤退。
袁紹を追い詰めた霞は竜巻に吹き飛ばされて撤退。
なんだこりゃ。袁紹は異能生存体か? それとも雷公鞭と土竜爪と打神鞭でも持ってるのか?
まあ本拠地は制圧できたし、野に下ったなら……いいのか? まあ賞金首にしたのかもしれんが、そこまでは書いてないな。
袁術の首は無事洛陽に届けられたらしい。いや、無事というには少し語弊があるな。
敗北を悟った袁術は、館に火を放って自害した。そんなわけで、首は見れたものじゃなかった。そんなものを皇帝に見せるわけにもいかず、詠は顔をしかめたのだとか。
だがまあ、袁術の死亡は確認できた。
孫策は続けて荊州を攻めるようだ。
とその時、執務室の扉がノックされた。
入室を許可すると、入ってきたのは緑飛だった。
「頭領にお会いしたいという方がお見えです」
「商会はもうおまえに任せたんだから、好きにすればいいぞ」
「いえ、会頭ではなく、頭領にお会いしたい、と」
ほう、珍しいな。名前は……聞き覚えがないな。
金髪の姉妹一行ねぇ。なんだろう、猛烈に嫌な予感がしてきたぞ。
「名前は変えておりますが、袁紹ですね」
「……なるほど」
袁紹!? なぜ袁紹がここに……逃げてきたのか? 自力で冀州から脱出を?
なかなかやるじゃない。でもなんでここにきたんだよ。とち狂ってお友達にでもなりにきたのか?
「ふん縛って洛陽に送るか?」
俺がそう言うと、緑飛はにこやかに笑った。
「普通の者ならばそうするでしょうね。しかし、頭領は違うのでしょう?」
なんだその意味深な笑顔は!? 俺が普通の者じゃないみたいじゃないか。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずってか?
バレたら絶対面倒なことになるだろ。彼女は袁紹ではない、で通じると思ってるのか?
「……姉妹一行と言ったな」
「はい。妹の方は、袁術でしょうね。彼女はほとんど表に出ないため、確信はありませんが」
おいィ? 生きてるじゃねーか! 誰だよ「死亡確認!」とか言ったやつ。ダメじゃないか、死人はちゃんと死んでなきゃ。
いや、袁術は公的には死んでるから、別に受け入れるのは問題ない。張角と同じパターンだし。
問題は袁紹だよ。ああ、メンドくせぇ。まったくもうだよ、まったくもう。
つーかなんで会おうとするかね。普通に庶人として暮らせば良いのに。
……ああ、金か。人間ってのは因果なもので、一度上げた生活レベルはそう簡単には落とせないのだ。
「まあ、とりあえず、会ってみるか」
そこで暴言とか吐いてくれないかな。そうすりゃ理由ができる。まあ所詮は元名家。普通に見下してくるだろう。
ふふふっ、ならばウィットに富んだ会話でも楽しんでくるか。
俺は応接室に向かって歩き出した。
というわけで完結です。
評価・感想・誤字報告ありがとうございました。
以下どうでもいい裏話。
最初は本編だけパパパッとやって終わるつもりでしたが、ちょっと説明不足か? と思って書いたのが閑話でした。
といっても最初は朱里&雛里が主人公(商人)を選んだ理由と、華琳が主人公の思惑に気づいて、業腹ながらも合わせることにした心情の二編だけでした。
残りは、予想外に反響があったので、ノリと勢いで書いたものです。結果的にはちょっとくどかったかもしれませんね。
オチは最初から決まってました。プレイヤーを左慈じゃなくて于吉にしたのは、左慈は設定上の性格が冷酷非情なので、一刀くんを問答無用で殺しにかかりそうな上、こんなゲームには付き合わないと思ったからです。
袁紹と袁術も、最初は普通に逆賊として処分するつもりでしたが、恋姫ってそんなサツバツとした世界じゃなくね? と思い、救いのある終わり方にしました。
あと管理者の目的なんですが、ぶっちゃけ作者もよく分かってないです。
卑弥呼と貂蝉が外史の安定。
于吉と左慈が外史の破壊。(北郷一刀の抹殺を含む)
みたいに考えてます。
また外史は増え続けているみたいなので、彼らは終わりのない戦いを繰り広げている……はず?
なので趣を変えて、こんな遊戯を試してみたという感じです。
あと勝敗についてですが、今回の一刀くんは魏ルートなので、魏が建国しなければ于吉の勝ちになります。
ただ貂蝉は一刀くんが幸せならOKという感じなので、実質貂蝉の勝ちですね。
最終話の前半部分は、自分でもなに書いてるんだろうと思いながら書いてました。管理者って何なんでしょうね(哲学)
ではでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました。