応接室の扉を開けると、六人の女性が一糸乱れぬ統一スタイルで頭を下げていた。
初手、土下座である。なんだこれは。たまげたなぁ。
人間予想外の事態に直面すると言葉を失うというのは本当のようだ。
オイ、緑飛。これはどういう状況だ?
っておまえ、ニッコニコだな、おい!
まさかおまえの手引きか? いや、こいつはこういう茶番というか芝居みたいなのは好まない。素の反応を見たがるはずだ。
あの袁紹が自発的にやるとは思えないし、だとすれば軍師あたりの入れ知恵か。
袁紹の隣にいる眼鏡をかけた白練色の髪をした女性。眼鏡をかけているから軍師だろう、たぶん。
袁紹の軍師といえば、田豊・沮授・許攸あたりだろうか。他にもいたはずだが、パッとは出てこない。
あっ、郭図がいたな。出ると負け軍師という不名誉まで頂いた軍師だ。
「お初にお目にかかります。すべてをご承知とはございましょうが、恥を忍んでやってまいりました。差し出せるものはこの真名しかありませんが、是非とも保護をお願いいたします。わたくし、麗羽と申します」
お、おう。なんかキャラ間違ってない? 元とはいえ、名門袁家の姿か? これが……。
一度地獄をくぐり抜けて、何か思うところがあったのかもしれない。死線を乗り越えて価値観が変わるというのも、稀によくあることだ。
とある軍人さんが墜落事故を起こした時のことだ。大きな怪我は無かったものの、墜落の瞬間に神が見え「汝、迷える子羊よ。武器を捨てて、えびを獲れ」と告げられたそうだ。
その後、彼は退役して漁師になった。
彼女も神に出会い、謙虚に生きろとでも言われたのかもしれない。
続けて、順繰りに女性たちが名乗っていく。偽名じゃなくて本名だ。待っている間に思い直したのか、それとも緑飛が含みのある言い方でもしたのだろうか。
すべてまるっとお見通しだ、みたいな。いや、それだと全然含んでないな。まあ何かしら言ったのだろう。それであの反応に満足していたのか。
全員が名乗り終わって、改めて顔ぶれを確認する。
袁紹(麗羽)、田豊(真直)、文醜(猪々子)、顔良(斗詩)、張勲(七乃)、袁術(美羽)。まあ大体予想通りだな。
「うむ。あなた方の真名、しかと受け取った。私の真名は諸君らの働きを見せてもらってからにさせてもらう。お嬢ちゃん、よく頑張ったね。この蜂蜜飴をあげよう」
「はちみつあめとなっ!? ありがとうなのじゃ! むほーっ! 甘いのじゃー!」
「よかったですねー、お嬢様」
七乃が美羽の髪を優しく撫でる。それは母親のような慈愛を感じさせた。
「では、代表者同士でこれからのことを話し合おうか」
「はい。よろしくお願いいたしますわ」
麗羽と真直がアイコンタクトを交わしている。
あれが袁紹と田豊ならば、こちらもプランBでいく。緑飛に視線を送ると、俺の意図を察したのか、緑飛はコクンと頷いた。
麗羽に椅子を勧め、その正面に俺が座る。
当たり障りのない世間話から入ってみるが、打てば響くというか、意外とレスポンスが早い。教養もあるし、頭の回転も悪くない。聞けば洛陽の太学で主席を修めたとか。
次席は曹操だそうだ。意外と言えば意外だが、曹操は破格の人だからな。教師ウケは良くなかったのかもしれない。
会話の中で麗羽はコロコロと表情が変わり、仕草にも気品があった。愛されキャラっぽいな。平時なら良い君主になれたかもしれん。いかん、
冀州で起きたことを聞く。どうも部下の意思が統一できずにぐだついて、結果敗走することになったらしい。
こんな崖っぷちでも内輪もめなんかするのか? と普通の人なら思うだろう。だがこんな時にこそ内輪もめするのが人間なのである。
特に袁家ってメンドくさいのよ。陣営が大きいからこそ派閥がある。名士とか豪族とかね。だからまとまりがない。
今まで曲がりなりにもまとまりがあったのは、やはり麗羽の手腕であろう。実際に見てみると分かるが、妙な存在感がある。市井の中に紛れても目立つだろう。手配書が出回れば、逃げ切ることは不可能だ。だから里に来たのかもな。
「猪々子さんと斗詩さんの武勇は聞いております。彼女たちなら将として良い仕事をしてくれるでしょう」
「ええ、もちろんですわ」
「それと、真直さんでしたか。とても美しい方ですね」
「え? ええ、そうですわね。少々地味ですが、目鼻立ちは整っていると思いますわ」
こちらの意図を察することができず、麗羽は疑問符を浮かべた。だが、部下が褒められて悪い気はしないのだろう。表情はほころんでいた。
「どうでしょう? 私に譲っていただけませんか?」
「……今、なんと?」
「部下の方は三人いらっしゃるご様子。一人くらいいなくなっても問題はないでしょう。彼女を頂けるならば、里での生活に不自由は――」
その瞬間、乾いた音が室内に響いた。
意外! それはビンタッ!
「風評というのも当てにできないものですわね。彼女たちは、わたくしがすべてを失ってなお、共に在ることを選んでくれた、掛け替えのない仲間ですわ。仲間を売ってまで安住の地を得ようなどとは思いません! 失礼させてもらいますわ!」
「……それを聞きたかった」
「……え?」
「緑飛!」
俺の声に応えて、奥の扉が開く。
緑飛に続いて姿を現したのは、目に涙を浮かべた真直だった。
「麗羽さま……私、私は……」
「あらあら、真直さんったら、泣き虫さんですわね」
史実での袁紹と田豊の関係は複雑だ。経緯は省略するが、結果として袁紹は田豊を疎んで処刑した。これは派閥争いが激化したのも理由の一つだが、両者のすれ違いも原因だろう。
袁紹が田豊をもっと信任していれば、田豊がもう少し袁紹の意図を酌んでいれば。
「麗羽殿。失ったものを想って後悔するよりも、今あるものを大切になさい」
「ええ。はしたないところをお見せしましたわ。試されたのは、少々気分が悪いですが、特別に許して差し上げますわ」
さりげなく上から目線になったな。少しは「素」が出てきたか。
「では緑飛、後は任せる」
「はい。では皆さま、こちらへ」
緑飛に促されて、麗羽たちが退室していく。最後の真直が、ペコリとお辞儀をして出ていった。
あの茶番で、麗羽の
麗羽を保護する手段は考えてある。
まずは俺が汜水関戦での褒賞を拒否したことから話そう。
その場で俺は、自分は護国のために立ち上がったのであって、褒賞を求めて来たのではないと言った。
そしたら――
「ダメだもん! 信賞必罰はちゃんとするもん! 欲しいものを言うもん! 朕があげるもん!」
と皇帝に言われた。でも欲しいものってないんだよなぁ。官位とか絶対いらないし。
塩の販売権は欲しいところだが、塩は国の専売という建前がある。例外を作ると後々面倒なことになるのだ。
それよりは一度国に納めて、その後低価格で民に売る方が統治的には美味しいし、官塩の値段が下がった方が民も嬉しい。
――主上よりのお言葉がなによりの褒美でございます
と言ったんだが、聞いてもらえなかった。要するに皇帝としてちゃんと仕事がしたいんだろう。それでまあ、困ったことがあったら助けてね(意訳)ということにして褒賞を一時棚上げすることにした。
その後に思い直されても面倒なので、俺は匈奴の脅威を理由にして一足早く里へと戻った。
そんなわけで俺は、皇帝に対する
これを麗羽の減刑に使う。ここは幽州のはずれにあるので、皇帝にとっては流刑地みたいなものだろう。そこで俺が監視するといえば通るはずだ。
嘆願書と一緒に特製の果実酒と蜂蜜酒を贈っておこう。あと特注の麻雀セットも贈っておくか。牌の四分の三がガラス製の麻雀牌だ。ガラスは高級品だし、単純にガラス牌は美しい。たぶん喜んでくれるだろう。
つーかなんで俺はあいつのことでこんなに骨を折っているのだろう。
やっぱり面倒なことになったじゃないか。
しかし受け入れたからには面倒を見ないわけにはいかない。
さて、何をやらせるか。
学校事業に関わらせるのもいいかもしれない。麗羽は教養に問題はないし、名家だから礼法も身につけているはずだ。真直と七乃も文官だったから、教師としては十分だろう。
猪々子と斗詩は将として採用してもいいが、麗羽とくっ付けておく方がいいか。学校では勉強だけを教えているわけではない。馬術や体術、武術といった基礎的な技術も教えている。
その教官ならば十分こなせるだろう。
美羽はまあ、普通に学生だな。蜂蜜が好きなようだし、放課後に養蜂のバイトでもさせてみるか。意外と良い養蜂家になるかもしれん。好きこそ物の上手なれ、と言うしな。
ふむ、案外すんなりと行きそうだな。
つかおかしいな。俺は田舎でのんびりするために色々やってきたのに、どんどん忙しくなってる気がするんだが。
怠惰を求めて勤勉に行きつくってやつか? 人生ままならんモンだな。
しばらく天井を見上げ、俺は日常の業務へと戻った。
ひと皮むけた麗羽様でした。