恋姫奇譚   作:乾燥海藻類

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後日談 華琳様の生存戦略

洛陽に帰還した郭嘉――稟は、すぐさま主である曹操――華琳へと報告を行った。

 

「まさか大秦帝国とは……ね。そんな遠方からわざわざ漢帝国に来るなんて考えにくいわ」

「はい。しかし本人がそう言っているのでは、追及するわけにもいきません」

「ふむ。まあ身内でもない者に、天の国から来たなどとは言わないか」

 

華琳は軽くため息を零した。及時雨、北方の塩王、破格の大侠、様々な異名を持つ人物。

彼の者が創業した宝山商会の扱う商品は、いずれも画期的なものであった。そしてその一部の商品は、一刀の知る物だったのである。

この一点だけでも、彼が一刀と同郷である可能性は高い。

 

しかし、噂だけでいきなり一刀を接触させるのは危険だと華琳は判断したのだ。なにせこの時代は、同族であっても殺し合うのは珍しいことではない。

たかが同郷程度の理由では、相手を慮る理由としては弱い。

 

「……革命者ね」

 

思わず口角が上がった。彼の提唱した独立治安維持部隊。それは危険を秘めてはいるが、可能性を感じる政策だった。その構想を知った時、華琳の心は震えた。

彼は未来を見ている。自分とは違う視点で。

 

(それは天の国……未来の知識を持っているがゆえか……)

 

これまで正体があやふやだった人物は、先の汜水関でついに表舞台に姿を現した。護国のために立ち上がったのだ。

敗色濃厚だった董卓を助け、救国の英雄となった。そして国を救った後、彼は褒賞などは求めず、颯爽と帰って行った。

功を求めて戦った者にとっては迷惑でしかないが、そもそも董卓陣営は生きるか死ぬかの瀬戸際だったため、たいした問題にもならなかった。

 

(褒賞に金銭を要求して、部下に分け与えても良かったでしょうに。彼の部下は何も文句を言わなかったのかしら? すべてを私費で賄った? それとも、完全に心服している? だとすれば、恐るべきことね)

 

さらにこの話を美談にしたのが、袁紹の助命であった。怨敵であっても、助けを求めて来た者には手を差し伸べる。この断固たる決意が、絶大な求心力を生み出しているのだろうと華琳は推察した。

 

(及時雨……その異名に偽りなしか。まさか陛下までをも手玉に取るとは……ね)

 

理由はどうであれ、洛陽に兵を向けた袁紹の罪は重い。これは処刑どころか、族滅さえあり得る大罪である。助命など到底叶うものではない。普通ならば。

 

「もし陛下が麗羽の助命を断ったならば、どうなったかしら?」

「世は再び乱世となったでしょう」

 

稟は一瞬の迷いもなく、そう答えた。

 

(そう。陛下はその嘆願を却下できなかった。本当なら袁紹の首を持って参内せよと言いたかったのでしょうね。だけどあの男が従わないことは分かっていた。だから陛下は従わざるを得なかった。もしかしたら屈辱すら感じていたのかもしれないわね)

 

すでに手配書も準備され、似顔絵の作成には華琳も関わっていたのだ。

華琳は及時雨という異名の元となった、あの噂を思い出した。

 

――困っている人を見たら、助けずにはいられない

 

(あの男にとっては同じなのだ。陛下も、麗羽も……)

 

人として正しいことと、勝つために正しいことは別だ。そのふたつを高いレベルで実現していることは、華琳をもってしても舌を巻く以外になかった。

自分が策に利用されたというのに、腹が立つよりも感嘆してしまったのだ。それに、自分が高く評価されているというのは、まんざらでもなかった。

 

あの時点では、華琳の勢力はさして大きいものではなかった。反董卓連合として集った諸侯の中でも、下から数えた方が早いくらいの兵力でしかなかったのだ。にもかかわらず、彼は数ある諸侯の中から自分を選んだ。それは悪い気分ではない。

朱里も雛里も、華琳のことはそれほど警戒していなかった。才気は感じていたが、勢力として弱かったからだ。

 

(だからこそ、一刀は彼に会うべきではないのかもしれない)

 

強烈な光を目にした時、人は目蓋を閉じる。それは才に関しても同じことだと華琳は思っていた。かつて太学に通っていた頃、自分を才人だと思っていた者たちは、本物の光(華琳)に出会って委縮した。

華琳に喧嘩を売って返り討ちに遭った彼らは、逃げるように部屋の隅へ移り、太学を去る者さえいた。

 

一刀の性格上、いたずらに喧嘩をふっかけるようなマネはしないであろうが、強すぎる才を目の当たりにして潰れてしまう可能性もある。

華琳はそれを惜しんだ。彼女は才ある者も好きだが、努力する者もまた平等に愛したのだ。

 

「華琳様、こちらをご覧になっていただけますか?」

 

眉根を寄せ、考え(ふけ)る華琳の気を紛らわそうと、稟は一枚の紙を手渡した。

 

「これは?」

「里の中心部、その図面です」

 

そう返されて、華琳はハッとなった。

 

「あなた……そんな危険なことを?」

「申し訳ありません。好奇心を抑えきれず」

「そう。あまり危険なことはしないでちょうだい。里から敵視されてはひとたまりもないわ」

 

董卓と里は繋がっている。いま里が敵に回れば、華琳は内と外に敵を抱えることになってしまう。もはや状況は一変し、乱世は終わりつつある。

いたずらに世を乱すほど、華琳は覇を望んではいなかった。

小さく嘆息して、図面へと視線を落とす。特筆すべきは、奇妙な形の城壁。華琳はしばらく考え込んだ後、ひとつの答えを導き出した。

 

「そうか。死角を消すためか」

「はい。よく考えられています」

 

この場に一刀がいれば、こう叫んだだろう。五稜郭だ、と。

稜堡(りょうほ)式築城、星型要塞とも呼ばれる城塞で、全方位に死角を作ることなく攻撃できるように作られている。

防衛よりも攻撃に特化した城郭で、弩による十字砲火で敵を殲滅するのが基本戦術である。

 

本来ならば、こんなものは重要機密だ。華琳なら、これが第三者の手に渡った時点でその者の頸を刎ねている。

稟は里である程度の自由を与えられていたが、案内役という名目の見張りはいた。だからこそ稟は許された範囲で里を歩き回り、その全てを記憶し、里を出た後で図面に起こした。それには空から里を見た香風(しゃんふー)の意見も加えられている。

 

(それでも、全容を把握できたわけではない。立ち入りを禁じられた場所もあるし、彼の者ならば、この程度はお見通しのはず。ならばこれは見せ札と考えた方が良いでしょうね)

 

稟はあえて見逃されたと思っていた。

 

「これは処分しておくわ。私たちの頭の中にあれば十分でしょう。それと、空飛ぶ船はどうだったの?」

「船はありませんでしたが、翼はありました。現物も頂いたので、あとでご覧になってください」

「現物を? 気前が良いことね。ということは、一刀の言っていた熱気球でも飛行船でもなかったということかしら?」

「はい。飛べるのは一人か二人、無理をして三人というところでしょうか」

 

実は一刀も熱気球のアイディアは持っていた。しかし、熱気球は見た目ほど簡単なものではない。

火災、鳥衝突(バードストライク)、雨や風などの気象トラブル。浮かべるだけならまだしも、飛行となると様々な問題があった。

 

「戦術兵器ではなかったということか。でも使い道はありそうね」

「しかし飛び立つには高度が必要で、風も重要のようです。弓にも弱そうですね」

 

稟は軍師的な視点で意見を述べた。実際に飛んだわけではないが、香風から詳細を聞いていたのだ。

 

「あの男はどうだった? あなたの所見を聞きたいわ」

「権威を得た者はそれを誇示しようとするものですが、そういった感じではありませんでしたね。君臨と支配ではなく、調和と協調、そう感じました。彼は仁愛と信義をもって里を統治しております。匈奴の民も暮らしておりましたね」

「王道を往く者……いえ、違うわね。天道を往く者……か」

「老子、ですね」

 

天の行う道には依怙贔屓(えこひいき)がなく、常に善人に味方する、と老子は結んだ。

 

「『学校』なる教育施設、『病院』なる医療施設、『公園』なる憩いの場なども確認いたしました」

「天の国では当たり前にある施設のことね」

「はい。やはり彼は……」

「それはもういいわ。問い詰めても意味のないことよ」

 

今さら彼の出自など、余計な意味でしかないと華琳は思った。個人的な興味はあるが、本人が隠そうとしているのならば、わざわざ暴くつもりもない。

 

「それでも……そうね。天の御遣いとは、彼だったのかもしれないわね」

「一刀さんはまがいものだと?」

「そういうことではないのだけど。ふっ、私らしくもない。少し感傷的になっていたようね」

 

一刀もまた、彼に救われた者のひとりだった。去り際に残した彼の上奏がなければ、華琳は一刀を守り切れなかったかもしれない。

 

(その時、私はどうしただろうか。勅命に逆らってまで、一刀を守ったかしら……。自らの不明とはいえ、一刀には申し訳ないことをしたわね)

 

天の御遣いという噂を利用しようと考えたのは自分だ。あの時は、連合が負けるなどとは思ってもいなかった。それほど中央の政治腐敗は進んでおり、兵力差も圧倒的だった。

 

「彼は華琳様のことも気にかけておられましたよ」

「……私を?」

 

お互いに知ってはいるが、実際に会ったことはない。そこまで気にかけるものだろうかと、華琳は首を傾げた。

 

「人はその長ずる(ところ)に死せざるは(すくな)し」

「……墨子か。また渋いところを」

 

墨子とは墨翟(ぼくてき)の尊称であり、諸子百家の墨家の開祖である。平和主義・博愛主義を説いた。

ちなみに、彼はただ働きすぎには注意しろと言っただけで、墨子の教えなど口にしてはいない。稟の行き過ぎた解釈で墨子が飛び出してきただけだ。

 

(そういえば、文にも書かれていたわね。ご自愛ください……チッ、どこから漏れた?)

 

華琳は長年持病を患っていた。時折現れる原因不明の頭痛である。だがこれを知っているのは、身内や側近などの近しい者だけだった。

華琳は里の諜報能力の高さに臍を嚙んだが、ただの社交辞令(ビジネスメール)である。間者などいない。患者はいても間者はいない。

 

彼はリスクとリターンは釣り合うべきだと考えている。敵対するかどうかも分からない曹操陣営に間者など送り込んではいなかった。情報は商人のネットワークから得られるもので十分だと考えていたのだ。

 

「……たしか墨子の教えには"非攻"というものがあったわね」

「はい。墨子は戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定しております」

 

ただし防衛のための戦争は否定していない。要するに専守防衛の考えである。

 

「彼は墨子に薫陶を受けたから、乱世を望まなかった? ならば、官僚となって自分で世の中を変えたいとは思わなかったのかしら?」

「里を離れるつもりはなさそうでしたが」

「政争には関わらないつもりか」

「……中央の目が届かない地方で、力を蓄えるつもりかもしれませんよ?」

 

稟の指摘に、華琳は薄く笑った。

 

「心にもないことを言うのはやめなさい。成り上がるつもりならば、わざわざ劣勢だった董卓に助力したりはしないでしょう。でも、そう考える者がいるのも事実ね。中央は彼に首輪を付けることにしたそうよ。お目付け役も決まったみたいね」

「その者の気持ちも理解できます。彼は……戦いは嫌いだと言いながら、戦えば滅法強く、自衛のためと大兵を抱え、民に教育を(ほどこ)し、匈奴と結ぶ。彼は本当に善なる王であるのか、それとも善人の皮をかぶった虎狼であるのか。天下の簒奪を狙っているのではないのかと、疑う者もいるでしょう。しかし……彼は言っていました。私たちが国を愛したように、国も私たちを愛してほしい。望むのはそれだけだ、と」

「国にそれだけの度量があれば良いのだけれど。いえ、司空たる私が国を是正して、彼らを愛するべきなのでしょうね」

 

華琳はため息をひとつ落とし、天井を見上げた。

 

「……そういえば華琳様。たいしたことではないのかもしれませんが……」

「なにかしら?」

「学校では袁紹殿が教鞭を取っておられました。華琳様へと文も預かっております」

 

稟から文を受け取りながら、華琳は何とも言えない表情を浮かべた。

 

 

 





インテリは深読みするのが仕事です。(雑な伏線回収)
実際のところ、皇帝ちゃんは主人公に対して割と好意的です。
主人公は上辺(うわべ)を取り繕うのが上手いので、外からは超然とした感じに見えます。
内心はまあ、本編の通りです。
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