「ふへっ」
声が、勝手に漏れた。
「へへっ、えへへへへっ」
胸がずっとウキウキして止まらない。寮に帰るまでの長い坂道も、今日は全然気にならない。
手に持った紙袋がぶんぶんと触れる。中身が少しだけ気になるけれど、中に入っているのはマカロンだけだから、振り回しても問題無い。たぶん。むしろ勝手に紙袋を持つ手が振れちゃうのだから、仕方ない。
「…………へへっ」
紙袋の中を覗き込んで、ふわっとマカロンの甘い香りが漂ってきて、また勝手に声が漏れた。そろそろ頬が痛くなってきた。でも、緩んだ頬は元に戻る気配を見せてくれない。
通りがかった名前も知らない生徒が、ぎょっとした顔を私に向ける。失礼な。でもご機嫌な今日はある程度のことは許せる。
――だって今日は、あの杏山カズサと一緒に、スイーツを食べてきたのだから!
◇◇◇
――あ。
何気なくぶらぶらと街を歩いていたところ、どこからか甘くて温かい香りが漂ってきた。
思わずにんまりとしちゃう、卵系の焼き物の柔らかな香り。目を瞑って鼻をすんすんと動かすと、続いてクリームの甘さが香ってきた。自然に顔がにやけてしまう、おいしそうな匂い。
「んん? これは、どこの香りですかね……?」
この通りはあまり通ったことがない。というか、周りの生徒のように買い物や外食を目的に街を歩くこと自体がほとんどなく、どこにどんな店があるのかという知識は自慢じゃないけどほとんどない。杏山カズサが出没しそうな場所、ということならそれなりに自信はあるけれど、その情報はもういらない。
きょろきょろと周りを見回すと、喫茶店やらスイーツショップやらスイーツ食べ放題の店やら、いろんなお店が目に入ってくる。スマホ情報で、ここら辺にスイーツのお店が多くある、くらいのことは知っていたのだけれど、想像以上だった。だから目移りする前に、先ほど嗅いだ甘い匂いの出先を探して――数メートル前方に、パンケーキのお店を見つけた。
近づけば近づくほどに、先ほど感じた甘くて温かい香りが強くなっていく。
「ここ、ですか。ふむふむ」
店の扉の前に立つ。扉の隙間から見る店内は思った以上に賑わっていて、テーブル席はほとんど全てが女の子二人組で埋まっていた。
テーブルの上には、クリームがたっぷり乗ったパンケーキやら、大きなパフェやら、皿に乗ったカラフルなマカロンやら、見るからにおいしそうなスイーツが並んでいる。
「――――、よぉし」
お一人様で少しだけ気が引けている自分と、嗅いだパンケーキの匂いが忘れられない自分とが脳内でケンカをして。決着。よし、行こう、と拳を握る。
気合いを入れて、ふん、と息を吐いて、扉を開ける。鈴の音が鳴る。店内からは、道ばたで嗅いだよりも、更に甘くて温かくてとろけそうな匂いが香ってくる。
「お一人様ですか?」
「……あっ、はい」
「ではこちらへどうぞ」
店員さんに促されるままに、テーブル席へ座る。向かいに誰もいないことはまったく気にならない。そんなのいつものこと。
机の上に載っていたメニュー表は、デザートのメニューと、軽食のメニューに別れていた。
――なんで二つに……?
と思ってデザートのメニューを見て、すぐに納得した。デザートだけで6ページもある。
パンケーキで2ページ。マカロンで1ページ。パフェで1ページ。それ以外で1ページ。飲み物で1ページ。しかも写真でスペースを占領しているわけではなく、メニューの数がとんでもない。これはすごいところに来ちゃいましたね……、と、思わず唸ってしまう。
「むむ……。むむむ…………どれもおいしそうで選べません……」
パンケーキに惹かれて入ったこのお店。けれどメニュー表に載っているマカロンも、パフェも、プリンもチョコミントアイスも和風スイーツも、どれもこれもがおいしそう。
ちら、と周りのテーブルを見てみる。パンケーキの上に載っているクリームは500ミリペットボトルくらいの高さがある。すごい。別のテーブルはマカロン。お皿の上に載っているマカロンはカラフルで厚みがあって、見るからにおいしそう。あ、あの飲み物の器、長靴の形してる。可愛い。
「むぅぅぅー…………」
参考にしようとしたら、もっと参考にならなくなった。本末転倒。
なんなら隣のテーブルのふたりは、クリームたっぷりパンケーキをふたりで分け合って食べてる。――ちょっとだけ、ほんのちょっとだけうらやましいなって思ってしまった。そんな風に、誰かと同じスイーツを食べられる日が来たなら、だなんて。そんなあり得ない未来をちょっとだけ想像して。
「~~~~!」
ぶんぶんと首を振って、目の前のスイーツ決めに集中することにした。そもそも入った時点でひとりで来たのだからそれ以上なんてありえない。惑わされない。集中集中。
「さて、と、決めますか。…………うーん、やっぱり、パンケーキ、ですかね……」
声を出して、意識を切り替える。メニューを最初のページに戻して、まず標的をパンケーキ一本に定める。それだけで目標が三割に減った。
続いては、パンケーキの種類と、トッピング。種類は三択。トッピングは四択。指でメニューを指差しつつ、どれがいいかな、今の気分はどれかな、と悩んでいると。
「――――ここのパンケーキおいしいよね」
ふと、そんな声が聞こえてきた。周りの声とは違う、すぐ近くから聞こえてくる声。どこか静かで、けれど優しげな、何度も聞いたことがあるような、そんな声が――。
「ん――――き、ききききょ杏山カズサ!?」
ふと声がした方を見ると、私のメニュー表を指差した杏山カズサが真後ろにいた。すんっと香ってくる、やわらかですっきりとした柑橘系の香り。心臓が口から出るかと思った。
そんな私をよそに、杏山カズサは私の指先にあるパンケーキの種類を見て「センスいいじゃん」とか言ってくる。耳元で褒められて、なんだか、すごくくすぐったい。
なんか割と夢みたいな状況に、自分の腹を突いてみる。ほんのりとした痛みがある。現実だ。
――ならば、息がかかるほど真後ろにいる杏山カズサは一体何をしに?
「きょ、杏山っ、カズサ! 何故ここに!?」
「え、宇沢がお店に入るのが見えたから」
彼女はしれっとそんなことを言う。特に理由もなく、気まぐれに、と。そんなニュアンスで言ったことは、それは、つまり。
――え、ということは、私がお店の前でそわそわおろおろしてたのも、拳を握ってよぉしと言ったところも、メニューを見て悩んでるところも、もしかして、見て、た……?
「え、と。…………どこ、から?」
「え、だから、入るところから。ちょうどドアを開けて入るところかな。珍しいな、って思って」
「そう、ですか。よかった……」
「ん? よかった?」
「いえ、いえいえいえなんでもないです!」
一瞬墓穴を掘りかけて、必死に手を振って誤魔化す。顔が少し熱い。顔が赤くなってないだろうか、とか思ってしまう。
「ここ、メニュー多くて迷うよね」
そんな私の心配をよそに、杏山カズサはさもそれが当然の流れかのように、位置を移動。そしてテーブルを挟んで逆側の椅子を引いたかと思うと、そこに座った。
「――――!?」
「ここ、マカロンもおいしいよ」
私の驚きなんてなんのその。まったく気にしないとでも言うかのように、自然に私の前にあるメニュー表のページを引き寄せる。そしてページを捲ったかと思うと、マカロンを指差してくる。
「これとかお勧め。苺の風味がおいしいんだ」
――あ、それ隣のテーブルで食べてた、おいしそうだなって思ったやつ。
人にお勧めされたスイーツであれば、是非とも試したいと思うのは、女の子の本能だと思う。でも、あのクリームたっぷりパンケーキ食べた上にマカロンは、流石に多いですよね――。
などと思っていると、カズサはふふんと鼻を鳴らして、人差し指を振る。
「気になるヤツ全部注文して、シェアしない?」
「――え、シェア?」
「そ、シェア。マカロンも、食べたいんでしょ?」
「う”。……まるで心の中を読んだような……」
「だって口に出てたから」
「え」
思わず口元に手を当てる。それを見て、杏山カズサは猫みたいな笑みを浮かべる。「分かりやすいなぁ」などと言う杏山カズサは、あまり見たことのない、楽しそうな顔を見せる。
「一人じゃ一品食べるだけでお腹いっぱいになっちゃうでしょ。だったら、食べたいもの頼んで、半分ずつ食べて、食べきれない部分はテイクアウトすればいいし。……どう?」
「――――…………、いい、んですか?」
それは――それは、とてもとても魅力的な提案。メニューの中で気になるものは沢山ある。色んな種類のスイーツを食べ比べできるというのは、お腹とお財布の制限がある私にとってはこれとない最高の提案で。
だからこそ、こう、とも思ってしまう。
私で、いいのかな、と。放課後スイーツ団の人たちじゃなくて、いいのかな、と。
そんな気持ちを込めて、そう聞くと。
杏山カズサはきょとんとして私の方を見て、突然吹き出してきた。
「何を言うのかと思えば。ふふっ。ふふふっ」
「なんですか」
「スイーツを食べるのに理由なんていらない――でしょ」
なんだか自慢げに、誇らしげに、杏山カズサはそんなことを言う。「あ、これはとある誰かさんの受け売り」とはにかむのを見て、不覚にも可愛い、と思ってしまった。不覚。
「で、どう? シェア、する?」
杏山カズサは改めて、問うてくる。私の答えは、一つだけで。
「――――――、はい!」
答える私は、きっと、嬉しさに満ちあふれているんだろうな、と思った。
ふたりで食べるパンケーキに、マカロンに、パフェに。
これは誇張でなく、本当に、今まで食べたどのスイーツよりも、おいしかった。
◇◇◇
そして、帰り道。
クリームといった生ものを優先的にシェアし、食べきれなかったマカロンはテイクアウトすることにした。
ふたりで結構な量を注文したはずなのに、気がつけばかなりの量が無くなっていた。そして時間も、昼近くにお店に入って、今は空が茜色になりそうになっている。
楽しい時間というものはすぐに過ぎるとはよく言われるもので、私にとって、杏山カズサを――キャスパリーグを追う時間こそが楽しくて、すぐに過ぎる時間の代表だったのだけれど。今日過ぎていった時間は、それまでの比じゃなかった。
寮の自室へと戻る。悪くならないように、箱に入ったマカロンを冷蔵庫に入れようとして。
マカロンのキャラメルの香りがして、口の中によだれが出てきた。そしてよだれと同時に出てきたのは、ほんの数十分前の楽しすぎた記憶。
「…………へへ」
ついつい、思い出し笑いが浮かんでしまう。ここに誰かが来ようものなら驚かれただろうけれど、ここには自分しかいないからセーフ。問題無い。どれだけニヤけようとも、バレることはない。
だから、頬がゆるんでゆるんで仕方が無い自分を、隠さない。
「へへへ…………杏山カズサと、一緒に……スイーツ…………へへ」
楽しかった。最高に、楽しかった。夢みたいで、甘くて、幸せで。
これが杏山カズサの過ごす平凡な生活で、青春なんだ、と。そう思うと、こんな過ごし方もいいものだな、と思えてしまう自分がいて。
「…………」
そういえば、と。スマホを取り出して、検索履歴を表示する。【スイーツ お勧め 店】。検索。いくつも候補が出てくる。今日行ったお店も出てくる。そして、別のお店も、たくさん。
「…………ううむ」
画面を見ながら、少しだけ、迷う。
――しつこすぎるのは微妙。人の話、ちゃんと覚えてよ。
あの日に言われた言葉が、頭を過ぎる。
分かっている。けど、それでも、やっぱり。今日のことは、すごく、すごく、楽しかった、から。
「…………――て、みよっか、な」
小さな小さな言葉は、部屋の中に紛れて、消えた。
◇◇◇
side:カズサ
――お一人様ですか?
店員から話しかけられた私は、なんて言おうかと返事に困った。放課後スイーツ部の面々であれば、簡単に「友人が先に来ている」と言えるのだけれど――。
目的の人物は、見るからに困り顔でメニューと睨めっこしている。ページを捲ったり、戻ったり、また捲ったり、周りのテーブルに載っているものをじいっと見たり。
――懐かしいな。と思った。ほほえましさに、勝手に笑みが浮かぶ。
最初にここに連れてこられたときは、私もそうだった。
懐かしさを感じつつ、私の返事を待っている店員に、告げる。
あのスノーホワイトの眩しい髪色をした、
――友人が、先に来ているので。
◇◇◇
side:放課後スイーツ部
「あ、――ねぇねぇ」
通りを歩いていたところ、アイリがほんの少しだけ声を潜ませて一緒に歩いていたふたりの注意を引く。何かに引き寄せられるかのように店の方へと歩いて行ったアイリは、どこか嬉しそうに手招きをした。
「新しいチョコミントアイスのフェアでも見つけた?」
「うぅん、違うの。見て」
ヨシミの問いに、アイリは店の柱に隠れるようにして、とあるお店のガラス窓を指差す。手を左から右にスライドさせて見せるジェスチャーは、店内からの射線を外すよう移動を促している。その意を組んで窓から見えないように移動し、アイリが指差す店内の様子を見る。
「――ふふっ」
こっそりと覗き込んだナツが、吹き出すように笑った。興味深そうに、嬉しそうに、目を輝かせて。
「やはりあの二人は、『悪友』と表現するに相応しいな」
そして腕を組んでうんうんと大仰に頷く。
「やっぱり、友達なんじゃないの。ウソばっかり」
窓を覗き込んだ後、ヨシミは頭の後ろで手を組んで、呆れたように言う。ため息交じりのその言葉は、けれどすぐ笑顔に変わる。
窓の向こうで交わされている言葉は聞こえない。けれど、楽しげなふたりの表情を見れば、どんなやりとりが交わされているかは、なんとなく想像ができる。それは例えるならば、果物が何種類も使われたフルーツタルトのような、優しい甘さとほんのりとした酸味が調和した、賑やかで和やかな空気。
「……それじゃ、別の店いこっか」
「ん、そうしよ。名物のパンケーキはまた今度ね」
放課後スイーツ部の三人は店から離れ、また別の店へと向かう。
がやがやと賑やかな店内には、黒と白のふたりの姿があった。
そのテーブルの中心には、クリームがこんもりと載ったパンケーキ。
そのテーブルを囲むのは、レイサと、カズサの、友達同士のふたり。
カズサとレイサは末永く友人関係でいてほしいし、なんならこのスイーツ店でのやりとりをきっかけに一緒にスイーツを食べに行く仲になってほしい。
【ぶるーあーかいぶっ!】第80話の、カズサとレイサの四コマを見たら、いても立ってもいられなくて、熱量に任せて書きました。
レイサとカズサのお話はもっともっと増えてもいいと思います。