キヴォトス晄輪大祭。
二年に一度行わる、キヴォトス最大級の体育祭。『運動を通じた学び・成長』を理念に掲げて、このときばかりは銃を手放して、平和にスポーツを行うこととなっているイベント。
私は色んな所からの強い参加要望もあって、トリニティ総合学園として、そして放課後スイーツ部部員として参加登録をした。
私自身としては、出るならどの競技でもいいと思っていたから、最後まで枠が残っていた借り物競走に個人として出ることになった。それと、個人種目とは別で、放課後スイーツ部で組体操に参加できることとなったのは、素直に嬉しかったりする。
『借り物競走』――ルールは至って簡単。数十メートルを走って、レーン上にある箱から紙を一枚取る。その紙には借りてくるものが書いてあって、それを応援席とかから借りてきて、それを持ってゴールする。ただしキーワードは審判に見せるまで秘匿しなければならない――という、短距離走に、少しの遊び心を加えた、そんな競技。
借り物競走は個人種目ということもあり、合計20レースほどが予定されている。私はその中の後半、11レース目。
ピストルの音と共に駆け出した私は、6人いる走者の中で一番に箱にたどり着き、紙を開いて。
「………………」
そして、数秒固まった。
【あなたの大切な人】
紙には、そう、書いてあった。
「…………うぇ」
思わず、声が出た。
借り”物”じゃないじゃん、と心の中で声が出た。
嫌と言うほどに、眉根に皺が寄るのが分かった。
「………………マジ、かぁ……」
そうそう変なものは書いていないだろう、まことしやかに噂される『あなたの好きな人』なんかは引かないだろう――そう思っていた私が甘かったのだと、そう理解するにはあまりに遅すぎた。
――大切な人、ね。
紙を眺めて、何人かの顔が思い浮かんで――そして、その全員がここにいないことに思い至る。
アイリや、頼れる放課後スイーツ部の面々は、今この会場には、いない。
この借り物競走の前に行われた障害物競走に、トリニティ代表として、そして放課後スイーツ部としてナツが出場した。そして競技中で出た『なまこソーダ』なる劇物を飲み、ゴールはしたものの、名誉の負傷を受け、今は合同医療本部でうめき声を上げている。なおアイリもヨシミもナツに付いている。
真っ先に大切な人として思い浮かぶ面々が軒並み候補外となって。私は考え込む。
それ以外の人なんて、私には――――。
『棄権』というワードが、ふと頭を過ぎった。
実際に障害物競走でも、例の劇物を見て棄権をした生徒が出たことは知っている。
その後のナツの様子を見る限り、その行動は賢い選択だ、とは思う。
――でも、と別の考えが浮かぶ。
このキヴォトス晄輪大祭は、学校単位の競技会である一方で、部活単位の競技会の側面もある。私も、ナツも、そしてこの後に競技を控えているアイリもヨシミも、トリニティとしての他、放課後スイーツ部として出る理由がそこにある。
部員として出ると、その成績が部活単位のポイントとして加算される。そしてトリニティでは、そのポイントが優秀であればあるだけ、その部に優遇措置が受けられる。
障害物競走のとき、ナツは見るからに危険物なそれを、映像で見る限り、一切の迷いもせずに一気にそれを飲み込んだ。そしていつもの涼しい顔をしながら――後にそれは我慢による物なのだと発覚したけれど――ゴールまで走りきった。そしてその後、気絶して医務室へ担ぎ込まれた。
スイーツに対しては人並みならぬ熱意を注ぎ込むナツが、競技会というものにおいてもそこまでやったことを、私は意外だと思ったし、素直に感動までした。
『放課後スイーツ部のためでもあるからね」
スタートラインに向かうナツが、格好つけて言ったその言葉が、頭を過ぎる。
――うん。
――ナツが、頑張ったんだ。私も頑張らないわけには、いかないじゃん。
ヨシミだって、アイリだって、この後の競技で全力を尽くすに決まってる。そんな中私だけ
「――――――よし」
大切な人、そう、宇沢との確執を解消してくれた先生なら、と周りを見回して。
本部、いない。
応援席のVIP席、いない。
競技場の中、いない。
先ほどまで見かけたはずの先生のスーツ姿は、どこにもいない。
いない、けれど――次の競技の準備だろうか、ストレッチしている宇沢の姿が、目に入った。
あのスノーホワイトの髪は、競技場の中でも一際目立って見えた。
大切な人。ほんの少しだけ、その言葉を頭に思い描いて。
私は、駆けだした。
レーンを外れて、宇沢の元へ。
「宇沢、ちょっと来て」
「――へっ!? 杏山カズサ!? 一体ど――――」
言葉が続きそうだったから、無理矢理宇沢の手を取って走り出す。心の中だけで謝りつつ、ゴールまでの最短距離を駆けていく。宇沢を担ぎ上げようかとも思ったけれど、私の理性がそれを全力で拒否した。
走り出す。手に力を入れて、宇沢を引っ張り続ける。
私たちとゴールの間に、二組の生徒が見える。それぞれが手にしているのは、ゲヘナの応援旗と、警備用ロボット。それぞれ運動着が焼けたり破れたりしているのは――きっと、入手するまでに一悶着があったのだろう。
「――宇沢、走れる?」
「はい!」
後ろを見て、短く問う。珍しく真剣な顔をした宇沢が、大きく頷く。
このままのスピードでは、先にゴールテープを切られてしまう。物理的に排除するのはスポーツマンシップに反する。だから私は、もうひとつの手段を取る。宇沢が一緒に走ってくれることを信用して、宇沢を引く手を、離した。
体勢を整える。地面を強く蹴る。両腕を振って、足の回転を速める。
正しいフォームになった途端、加速度が段違いになった。前を行く生徒がぐんぐんと近づく、追い抜く。隣に宇沢が並ぶ。私の方を見て、力の無い笑みを浮かべる。
横一列に張られているゴールテープを、私の体が切った。
「――――はっ、……はっ……」
思った以上に、息が切れている。数ヶ月前まで、飽きるくらいに宇沢と追って追われてをしていた距離よりは明らかに短いはずなのに、足がまったく動かないし、心臓がやけにうるさい。声を出す余裕すらもなく、右手が、やけに、熱い。
「一位おめでとうございます。それでは、お題の確認をします」
『1』と書かれた旗を手渡されるのと同時に、手を差し出された。お題の紙を寄こせ、と審判役らしい実行委員会の生徒は言う。
それまではセミナーの役員が審判役をしていたが、ちょうど半分を越えたからか、別の生徒に役割を交代したようだ。
「…………はい」
やけに、掠れた声が出た。
左手に握りしめていた紙を手渡す。中の文字は、宇沢には見られないように半分に畳んだ。お題は誰にも見せないルールでもあるし、こう、何というか、お題がお題だから、宇沢にはバレたくない。
借り物競走は、紙に書かれているものを持ってゴールすればいい。借りる物はあくまで主観的なものだから、宇沢を連れてゴールした時点で、借り物は成立している、はず。
手渡して、中を見られる。私と、そして少し後ろで同じく息を切らせている宇沢の方を交互に見比べる。なんとなく、居心地が悪い。
「はい、それでは、確認です」
――確認。実行委員会の生徒は、そう言った。
「借り物のお題は――――」
「――――待って!!!!」
思った以上に、大きな声が出た。後ろから、小さく息を飲む音が聞こえた。
騒がしかった周りの音が、やけに静かになって聞こえる。私の気のせいだけなのかもしれないけれど。
このお題だけは、この気持ちだけは、知られちゃ、いけない。少なくとも、宇沢には、絶対に、知られちゃだめだから。
――危うくバレるところだったじゃん何やってんの実行委員!
叱責しかける言葉を必死に飲み込んで、冷静な声で、言う。
「……周りに、バレちゃ、失格、なんでしょ。私にだけ、確認、してよ……」
「――――、そうでしたね。すみません。では。お題はこの人で、間違いありませんか」
紙を見せて、宇沢の方を向いて、そして言う。
指差された方の宇沢は、息を切らせながらも、置いてけぼりにされた仔犬のような顔をしている。
「…………間違い、ありません」
実行委員に、そう、宣言する。視界の隅にいる宇沢が、何やらあわあわとしだすのが見えた。手をどこに置いたらいいのか分からず、頬に当てたり頭を書いたり自分のジャージのファスナーを首元まで上げたり口元を隠したり、せわしない。
――宇沢は、お題を何だと思っているんだろう。
聞きたいという気持ちと、聞いちゃいけないだろうという気持ちが私の中でせめぎ合う。けれど言うのは野暮だろうな、とも思うから、聞かないことにする。
「――はい。確認が取れましたので、借り物は成立です。改めて一着おめでとうございます。この後はインタビューがありますので、借りた方と一緒にあちらで――」
「いや、それは勘弁して」
丁重に断り、そして宇沢を連れて、ゴールの場所を離れた。
◇◇◇
「あの……っ!」
ゴールを離れて、それまで黙っていた宇沢が話しかけてくる。走った後だからか、心なしか声が上ずっているのが分かる。
「ああ、宇沢もウォームアップ中だったのに、ごめん」
「いえ、それはいいんですけど。…………えと、その、お題のこと、なんですけど……」
宇沢は胸の前で指先をつけたり離したり。視線も定まらず、私の方を見たり見なかったり。言おうか、言わまいか、迷っているような、そんな様子。
「お題の、内容って――」
そう宇沢が言いかけたところで、人差し指を口元に当てる。
「ルールでさ、言えないようになってるから。ごめん、いくら一緒にゴールした宇沢でも、言えないんだ」
「そ、そう…………です、か……」
普段の騒がしさはストレッチしていた場所に置いてきてしまったかのように、いつもの宇沢らしくなく、しおらしげに見える。
普段からハイテンションでうるさい宇沢は、その一方で、割と繊細なところもあったりするのは、最近知ったことだ。大きなイベント事で、しかもおそらくは大々的にカメラにすっぱ抜かれてるのもあって、気が気でないのだろう、と思う。私がその立場ならきっと、人目がない場所で、たとえ胸倉を掴んででも問いただすだろうから。
直接お題の内容は言えなくても、安心させることはしてあげなきゃ、と思う。
だって少なくとも、あのお題は私にとっては間違いなく、正しいものなのだから。
「でも、さ。……うん、少なくとも、宇沢にとって悪いようなお題じゃ、ないよ」
私の声に反応した宇沢は、目をまんまるに見開くのが見えた。
「宇沢は、さ。私によく付き合ってくれるし、珍しく絡んでくれるし。私を遠巻きに見る他の生徒とは大違い、と言うか。
――――私は、宇沢を、
――――。言ってから、少しだけ、言ったことを、後悔した。
息が上手く吸えなくなるし、宇沢の顔が見れない。手が何かに触れていないとそわそわとして落ち着かない。
できることなら、言う数秒前に戻りたい。
宇沢の方から何も聞こえないのも気になる。気になるけれどそっちを見れないから、私は宇沢が何を言ってもいいように、耳にだけ意識を集中させて。
「え、と……」
宇沢の方から声がした。その宇沢は、と言うと。きょとんとした顔を浮かべていた。
「……杏山カズサ、その、よく聞こえなかったので、もういっか――――うゃっ!?」
気がついたら、手が出ていた。反射的に宇沢の右頬を、その一瞬後に、左頬を抓って、左右に伸ばしていた。
「ひひゃいえふきょーやわかうは!」
「うるさい聞こえなかったなら二度目はなし! っていうか私は何も言ってないし宇沢はなにも聞いてない! いい?」
聞かれなくて良かったという安心感と、ちゃんと聞いてくれなかった宇沢への怒りと、ついでに言ってしまった自分への怒りも込めて、宇沢の頬を引っ張る。いつもよりもよく伸びる。
顔を近づけて一気にまくし立てると、目を白黒とさせて瞬きを繰り返した宇沢は、たっぷりと時間を掛けて、こくりと頷く。
「よし」
手を離して数秒、宇沢は頬をさすりさすり、私の方を恨めしそうに見る。
「うぅ……、ほっぺが落ちるかと思いました……」
「それはおいしいもの食べたとき。ほっぺ、か。うん、そうね」
「?」
宇沢が、首を傾げるのが見える。
「変なのに巻き込んじゃったお詫びに、本当にほっぺたが落ちるスイーツ、買ってきてあげる。宇沢の競技が終わったらさ、いっしょに食べよっか」
途端に、宇沢の目が輝くのが見えた。
「え、どこのですか、何のですかっ!?」
「詳しくは秘密。宇沢がポイント取ったら、持ち帰り用のも買ってあげる」
「言いましたね! 言質取りましたからね!? 杏山カズサ! 私が華麗な鬼の姿、目をかっぽじって見ていてくださいね!」
「はいはい、見てるから。あとかっぽじるのは耳。痛いからやめて」
「よぉーし! やりますよ! それじゃ、私は準備してきますのでっ!」
そう言うやいなや、宇沢はダッシュでストレッチしていた場所へと走っていった。
「宇沢が出るって言ってた『鬼ごっこ』は、と……だいたい30分後か。うん、行ける」
時計を見る。屋台エリアに行って帰ってくることはできそうだ。着替えは……まぁ、いいか。宇沢も同じ格好だろうし。
「宇沢のことだし……持ち帰りの方も買っとこ。あと、ナツたちの分も、と」
買うものを指折り数えながら、出口に向けて足を進める。
背後では、何組目かのスタートを知らせるピストルの音が、鳴り響いた。
キヴォトス晄輪大祭で借り物競走があると聞いたら書かずにいられなかった。そんなカズサとレイサの借り物競走のお話。
晄輪大祭のサイトで更新される、ニュースの項目が面白すぎるのでみんな見てほしい。鬼ごっこで、嬉々として選手を追いかけ回してたら、そもそもレイサは選手じゃなかったとか。そんなレイサが大好きです。
ゴール後、インタビューを断ったカズサとレイサ。けれどしっかり成績発表の冊子に走者と借りてきたものが併記されてて、世間的に公式にレイカズが成立しててほしい。
「何よこれ!!!」って晄輪大祭の結果の冊子を丸めてくしゃくしゃにして、照れキレするカズサが見たいし、そこにレイサが乱入してきて慌てふためくカズサも見たい。
それはそうと、カズサが照れる時って、視線を外して頬をかきそうなイメージあります。照れカズサは大いにアリだと思うのですよね。分かる人がいてくれたら握手。