「あ、杏山カズサ!」
学園の玄関を出て、頭が糖分を求めていたから棒付き飴の袋を外した、その瞬間。背後から宇沢の声がした。
振り返る。宇沢は片足立ちになって、ドアの枠で体を支えていた。そして靴の踵を直していたかと思うと、そのまま器用に片足でけんけんをしながら私の方へとやってくる。その途中で足を入れ替えるのを見ると、完全に靴を履かないまま玄関から出てきていたようだ。玄関で靴を履いて出てくるか、どっちかにしたらいいのに。
「なんだ、宇沢じゃん。自警団の仕事は?」
「いつものを終わらせたので、今日はもう自由です」
「そっか。今日部活あるけど、宇沢も来る?」
「行きます行きます!」
「ん、アイリに連絡入れとく」
スマホを取り出し、モモトークのアプリを起動させる。アイリに『宇沢も行くから、注文待ってて』とだけ打ち込んだ。すぐさま、可愛いスタンプで返答が来た。
歩き出す。宇沢が隣に並ぶ。
「今日は、何を食べる予定なんですか?」
「いや、今時点では何も。部室に集まってから食べるのを決める感じ」
「どこのを食べるんでしょうねー」
宇沢は見るからにご機嫌な様子で、鼻歌交じりに体を揺らして歩く。
今日は何もなくて平和だったとか、最近授業が退屈でどう時間を潰そうか悩ましいとか、購買のスイーツの入荷が減少傾向で物理的な争奪戦が起こりがちだとか。そんな話が宇沢から飛んでくる。宇沢は本当に、楽しそうに話す。内容は本当にとりとめのないものだけれど、そんな話を聞いている時間が、楽しいと思う。
「それでですね、スズミさんがいつものように私に
ふと、宇沢の言葉と共に、宇沢の歩みがぴたりと止まった。
まっすぐに前を見ていたかと思うと、目を閉じて、数秒。
「宇沢?」
「――――――!」
開眼して、宇沢は、一言。
「ちょっと、行ってきます! 杏山カズサは先に部室に行っててください!」
「え、宇沢?」
「私の分、頼むの待っててくださいねー!」
宇沢は、私の声が聞こえているのかいないのか、『杏山カズサは』の時点で既に走り出していた。ドップラー効果に乗って、宇沢の声は低く、そして小さくなっていって。宇沢の姿が、校門の向こうへと消えた。
「…………え?」
私の口から出たのは、なんとも間の抜けた声だった。
宇沢の行動が突拍子もないのは、今までの付き合いでなんとなく分かっているつもりだった。でも、ここまで唐突に動かれると、なんというか、どう反応していいのか。
宇沢の名前を呼ぶだけで、追いかけることも、辺りを探ることも、何も出来なかった。
――自警団絡み、なんだろうか。
ふと、そんなことを考えた。いつぞやのお祭りの時の宇沢は、仕事人の――自警団員の顔をしていた。
とはいえ、銃声とかは聞こえなかったし、特に火の手が上がっているようにも見えない。きな臭い匂いがあるわけでもない。
自慢じゃないけど、鼻はともかくとして、耳はいい方だ。ある程度の喧噪や銃声などは聞き分けられるし、ヤバそうな奴の気配を察知することも、今までの経験でそれなりに磨かれている。
けれど、どれも反応がなかったとすれば。……なんなんだろう。
ただ、最後に振り向いた宇沢の目が、なにやらきらきらしたようなものだったのを思い出すと、きっと悪い物ではないのだろう、と思える。
「…………まったく、宇沢はいっつもその場のノリで動くんだから……」
宇沢が走り去った方向を見つつ、私は一人で部室に向かった。
◇◇◇
「ただいま戻りましたっ!」
宇沢が部室に勢いよく飛び込んできたのは、私が部室に来て、大体5分くらい経っての事だった。
「レイサ遅ーい。カズサと一緒に来るもんかと思ってた」
「えへへへ。すみません。察知しちゃったので、つい……」
察知。宇沢が、なんだかよく分からないことを言い出した。
全力疾走してきたのだろう、宇沢の息は上がっていて、けれど、自警団の仕事をしてきたようには決して見えなかった。――なぜなら、宇沢は嬉しそうな笑顔を浮かべていたから。
「宇沢、なんかあったわけ?」
宇沢が何も言い出さないから、先を促してみる。先ほどから宇沢は両手を後ろにしていて、何かを隠しているように見えた。
「へへへ。……これですっ!」
宇沢が背後から取り出したのは、茶色の紙袋だった。
宇沢が前に出した瞬間、ふわりと甘い匂いが香ってくるのが分かる。
「…………ん、この匂いって」
「そうですっ! 石焼き芋です!」
むふん、と鼻息をついて、宇沢が自慢げに無い胸を張る。
「杏山カズサと一緒に歩いているとき、石焼き芋の販売車の声が聞こえてきたんです。『いーしやーきーいもー』って、アレです。それ聞いたら、買わなきゃ! って思って。ダッシュしてきました!」
「え、マジ? 全然聞こえなかったんだけど」
「え、方向もばっちりでしたよ? 杏山カズサ、耳かす溜まってるんじゃないですか? 耳掃除してあげましょうか?」
宇沢が手をわきわきとさせながら迫ってきたから、その手首を掴んで捻り挙げる。いたいいたいいたいと宇沢が涙目になるのを見てから、手を離した。
あの時の宇沢はチョコレートボンボンで酔っ払って意識がなかったはずだから、このことは知らないはずだけれど。宇沢に弱点を晒すのは、なんかこう、色々と大変になりそうだから、全力で隠しにいく。
「ちぇー。ま、いいです、焼き芋食べましょ、焼き芋!」
「なら、飲み物は牛乳でいいかな」
「ぜひそれでお願いしますっ!」
アイリの提案に、元気よく挙手をする宇沢。
そして定位置の、私の隣に座って――あれ。
「宇沢、いつの間にクッションなんか置いてんの?」
「一昨日ですかね。ヨシミちゃんが『もう置いちゃいなよー」って言ってくれたので、駅近くのスーパーでちょちょいと買ってきました。……あれ、良く見たら杏山カズサのと色違いですね」
宇沢がはた、と動きを止めて、私のクッションと自分のを見比べる。間違いなく、同じメーカーの別色だった。
「…………」
思わず、おそらく首謀者であろうヨシミを睨み付ける。ヨシミは慌てたように手を左右に振る。『私じゃないから、私関係ないから!』と言いそうな顔をしている。
偶然にしては、出来すぎてはいるのだけれど。まぁ、深く考えないようにした。
「ペアルック…………ふむ…………」
机の位置で言うと対角線上に位置するナツの方から、しかしはっきりとその声が聞こえた。ナツは顎に指を当てて、何事か考えているような仕草をしている。
どうせ碌なことは考えてないだろう。後で一発頬を抓ってやろう。ついでにヨシミも。
「ホットミルクできたよ。さ、食べましょ」
アイリがコップに入ったミルクを持ってくる。宇沢がうきうき顔で紙袋からアルミホイルに包まれた焼き芋を三本取り出して、その内の一つを半分に割ろうとしたのだろう、両手で掴んだ瞬間――。
「熱っつう!?」
宇沢はそう叫んで、手を引っ込めた。――素手で掴んだら、そうなるよ。
手をひらひらと振って冷ました後に、上着の袖で焼き芋を持って、そして半分に割った。
買ってから少しばかり時間が経っているであろう焼き芋は、けれど断面からはっきりと、湯気が立ち上るのが見えた。
――私は、冷めるまで待とう。
二つ目の焼き芋に手を伸ばす宇沢を見て、そう胸に誓った。
宇沢レイサ、妙なところで耳敏いイメージ(誉め言葉)があるので、こんな光景がありそうだなっていうイメージ。宇沢の聴覚は自警団で色々と磨かれてるし、それが焼き芋の販売車とか、アイスキャンディーの売り子の声とか、そういうのでも活かされてそう。
それはそうと、カズサの耳掃除する宇沢の光景はちょっと見てみたいなって思いました。レイサ、耳掃除ヘタ過ぎてめちゃくちゃ痛がられるところまで幻視余裕した。