放課後、忌々しい授業が終わってこれから部活だ、と廊下に出たところ、生徒でごった返す廊下の隅に、見慣れた色と形のヘイローを見つけた。
「ん? うざ、わ…………?」
けれど宇沢かと思ったその姿は、いつもの見慣れた紺色の制服ではなく、私が来ているものと同型の、学校指定のパーカーだった。しかも屋内にいるにもかかわらず、フードをすっぽりと被っていて、しかも猫背気味。ヘイローの形を覚えている者でなければ、それが宇沢だとは分からないだろうと思えるほどに、その姿はいつもの宇沢とはかけ離れていた。
無駄に元気だし、騒がしいし、廊下をよく走るのがそれまでの宇沢だったのに、その人物は廊下の隅の方を、しかもこそこそと隠れるように移動している。なんと言うか――様子がおかしいを通り越して、怪しいと思えるくらいで。
「…………なに、アイツ」
こそこそするなんてらしくない。ちょっと話を聞こうと、宇沢の方へと足を向ける。けれど半分くらい進んだところで
その間にも、宇沢は移動をし続けて、私から距離が離れていく。
「――宇沢!」
廊下の角を曲がりかけるのを見て、思わず声をかける。あれが宇沢なのは間違いないのだから、私の声が聞こえれば反応をしめしてくれるはず。
猫背のその人物は、びくりと肩を震わせて、ゆっくりと振り返る。そして私の方を見て――。
「――――っ!」
脱兎のごとく走り出した。
「…………は?」
ほんの一瞬、思考が止まった。
宇沢の行動が理解できないときは――まぁそれなりにあるけれど。それでもある程度理解できているつもりだった。
けれど今の宇沢は、それまでとは、なにかが違っていた。
振り返った宇沢の目が一瞬見開かれたのが、そしてどこか怯えるような目をしていたのが、頭を過ぎって。
瞬間、私の足は前に蹴り出していた。
「――――――宇沢、待って!」
目の前の壁を力づくでかき分ける。
全力で駆けて、甲高い靴音を立てて、角を曲がる。宇沢がパーカーの裾を翻して走るのが見えた。そしてその姿は、更に角を曲がって見えなくなる。
「なんっ、なのよアイツは……っ! 待て!」
周りの生徒が、宇沢が駆け抜けて行ったことで驚いたのか、足を止めている。そのせいで私の抜け道が遮られ――生徒を押しのけて進むこととなった。
「~~~~ああ、もう、邪魔! ごめん、どけて!」
生徒と生徒の間を割り込むようにして進む。なるべく突き飛ばさないようにはしたつもりだけれど、通った後に後ろから不満げな声が聞こえてくる。
――ああもう、学校の中じゃ目立たないようにしてたのに!
全部全部宇沢のせいだ。とっ捕まえて理由を聞き出してやる。
角を曲がって、宇沢の後ろ姿を見つけて、すぐに見えなくなって、更に角を曲がって――。どれだけ走っても、宇沢との距離は縮まらなくて、逆に開いていく。
少し前までと、状況がまるで逆。宇沢の追跡は余裕で撒けていたのに、追う側になった途端に宇沢の足がやけに速く感じる。追いつける気がしない。
けれど、あの普通じゃない宇沢の様子を見て、追いかけないという選択はなくて。なんとか、宇沢を見失わないようにと走って、走り続けて――結局、宇沢の姿を見失ってしまった。
「はっ……はっ…………うざ、わ……どこ、行った…………」
額から汗がしたたり落ちる。久しぶりの全力疾走に、胸が苦しい。
宇沢を追う時間はそれほどでもなかったはずなのに、一度足を止めたら最後、膝に手を置いたままなんとか呼吸を繰り返すだけで、体を起こせないでいた。
「ああ、もう…………なんなの、アイツ…………」
顎にしたたり落ちる汗を、袖で拭う。
秋口まで、宇沢と追いかけっこを続けていたときにはそんなことはなかったはずなのに、いたって普通の生活を始めてから、めっきり体力が落ちたと実感する。宇沢とのそれは、体力鍛錬に役立っていたのだな、と、今更ながらに実感する。
「…………はぁっ、まっ、たく……も……」
何分かが経って、やっと、呼吸が落ち着いてきた。ついでに、頭も整理できてきた。
宇沢がなぜ逃げたかは心当たりはない。だけど私から逃げたのは事実。だから見つけ出して話を聞く。以上。
息を大きく吸って、吐いて、体を起こして、周りを見る。
生徒の教室が集まる教室棟から、宇沢を追いかけているうちに、生物室などが集まる授業棟へと来ていたようだった。
通りを歩く生徒はいない。少なくとも、誰かが走っていれば一目で分かるのだけれどそんな姿は見えないし、走る足音も聞こえない。聞こえるのは、自分の息づかいだけ。
宇沢がこっち方向に来たのは確かだから、どこかの教室の中に身を隠しているということも考えられる。
一番近くにある『地学室』とプレートが掲げられている教室のドアに手を掛けて――。
「…………いや、ここじゃない、か」
目を瞑って、宇沢の姿を思い浮かべて。私はドアから手を離す。
なんとなく、宇沢がいるのはここじゃないと思った。
宇沢がいるのは、きっと――――。
私は、授業棟の廊下の奥へと、足を向けた。
◇◇◇
トン、トン、と。階段を上る足音が、やけに響いて聞こえる。
教室棟の一番奥にある階段は、どこかで小さな爆発音が聞こえたくらいで、人の声どころか、足音すらも、自分のもの以外は聞こえない。
空気もどこか埃っぽく、ここがほとんど使われていないということが分かる。
ダンボールが積まれた踊り場を抜けて、それなりに登った先、目の前に頑丈そうな鉄の扉が現れた。
屋上に通じる
けれど、その隣の壁面にある窓は別。――というよりも、私が過去にいじってたら勝手に壊れた。
音が出ないように窓を開けて、窓枠に手を付いて、手に力を込めつつ、少しだけ飛び上がる。
「よっ……と」
遮蔽物を乗り越える要領で、窓枠の中へと体を滑り込ませる。
降り立った屋上は、周りに建物が見えない分、青空が広く見える。涼しい風が吹いてきて、耳がちょっとくすぐったい。
周りを見渡す。宇沢の姿は、ない。
今目の届く範囲に宇沢がいないのは、予想通り。
宇沢が居る場所は、おそらく――。
◇◇◇
「やっぱり、ここにいたんだ」
予想通りの場所で、予想通りの体勢で座り込んでいた宇沢へと、声をかける。
「ぴっ!? きょ――――やま、カズサ、なんでここが!?」
振り向いて、驚きに目をまんまるに開いた宇沢に、安心させるように笑いかけてやる。
先ほどは驚き1割、怯え9割といった様子だったのに、今の宇沢は、ただただ驚きに目を丸くしている。
「ばーか、そんなの当然でしょ」
屋上の、出入り口の扉がある建物――
壁面に取り付けられている階段に手を掛けて上って、顔を出したとき、宇沢は体育座りをしたまま、盛大にため息を付いているのが見えた。頭の中で思い描いていた通りの様子に、吹き出しそうになったのは宇沢には内緒にしておく。
「……とうぜん」
警戒心に満ちた猫に近づくように、なるべく足音を立てないで、視線を逸らさないようにして宇沢の方へと近づく。
一方の宇沢はと言えば、私の言葉の9割を理解していないような、きょとんとした顔で、言葉を繰り返す。
「だって宇沢だし。宇沢の行動くらい分かるよ。――何年の付き合いだと思ってんの」
「………………」
宇沢に手の届く場所まで近づいて、肘で宇沢の頭をコツンとたたいてから、宇沢の隣に座る。宇沢は体育座りの姿勢のまま、逃げることはなかった。
風が横から吹いてきて、パタパタとパーカーの裾がはためく。ほどほどに寒さを感じるけれど、寒すぎることはない。心地いい涼しさがあった。
「それに、
「――――あなたも高い所好きじゃないですか。それで言ったらあなたもバ――ったぁ!」
「殴るよ」
「もう殴ってるじゃないですかぁ!」
宇沢にからかい半分、元気づける目的半分でそう言ったら、宇沢からバカと言われて反射的に手が出てしまった。けど悪いのは宇沢の方だと思う。
頭頂部を両手で押さえ、抗議をするようにうなり声を上げていた宇沢は、しばらくすると静かになる。そして、ひとつ、分かりやすくらいにため息を付いた。
「杏山カズサ。……なんで、追いかけてきたんですか」
「え? なんとなく」
「なんですかそれ。理由になってないじゃないですか」
「私が気まぐれなの、知ってるでしょ。宇沢の様子が、なんとなく気になったってだけ」
「……なんと、なく」
隣から、呟くような鸚鵡返しの声が聞こえた。
「宇沢こそ、なんで逃げたの」
宇沢が息を飲むのが、直感的に分かった。顔は見えていないけれど、視線の動きすらも止まっているだろうということが、ありありと分かる。宇沢は、分かりやすいから、分かってしまう。
「…………聞いて、笑ったり、しません?」
ひゅう、と風が吹いて。宇沢が被っているパーカーのフードが音を立ててはためいて。その音を遮るかのように、宇沢の小さな声が聞こえた。
「内容による、かな」
宇沢が、そこまで言いにくそうにするのは珍しい。よほどの事があるのだろう、と思うし、もし言われたとして、宇沢を笑うようなことは、できる限りしたくはない。
けれど物事に絶対はないから、宇沢に嘘を吐きたくないから、そのような答えになってしまう。
「――――いずれは、話そうと思っていたんですけど。まだ、踏ん切りがついてなくて。整理ができたら、私の方から言おうと思っていたんですけど。……私が言う前に、杏山カズサに捕まってしまったので」
恨みがましいようなニュアンスを感じる。逃げた宇沢を追いかけただけで、私は悪くないと思っているのだけれど。
息を吐く音と共に、宇沢が被っていたフードを外す。
宇沢のホワイトスノーの髪が私の目に入って――風になびく髪に、違和感を覚えた。
「昨日、なんです。『
「…………」
言ってることが相変わらずめちゃくちゃなことには、目を瞑るとする。
「一応、何もなかったってことでスズミさんには報告したんですけど。……ちょっと、私、やっちゃいまして」
「え…………、怪我、とか……?」
見た目では怪我をしているようには見えない。服の下に包帯があるならば分からないけれど、少なくとも宇沢の逃走劇を見ている分は、体のどこかに不調を来しているようには見えない。
「体には異常はないんです。……あ、でもここも体の一部って言えばそうかもしれないですけど」
あははは、と乾いた笑いをして、宇沢は、自分の髪を掻き上げた。
私に見せるように、宇沢は右側を向く。
「結んでいる左側の髪、ちょぉっと相手が使ってきた火炎放射器のせいで、焼けちゃいまして……。あは、あははは……」
普段は左右に一本ずつ結っている宇沢のツインテールが、左側だけ半分ほどに短く、そしてまっすぐに切りそろえられていた。
「焼けちゃったのをそのままにするのもあれなので、部屋に戻って自分で切ったら、まぁ物の見事にまっすぐになっちゃって。で、変に思われるのもあれだしで、髪の毛をどうするかって決まるまでは、杏山カズサにもヨシミちゃんたちにも会わないようにーって思ってたんですけど……。なんだかすぐに捕まっちゃいましたね。追うのは得意なんですけど、逃げるのは苦手みたいです」
――私を振り切っておいて、よく言うよ。
とは言わなかった。言うべき言葉は、そっちじゃないって分かってるから。
「まったく。……宇沢、そんなことで逃げてたの」
「そんっ!」
宇沢が、勢いよく私の方を振り向くのが見えて、言葉が続きそうだったから、人差し指を宇沢の額に突き刺す。
「宇沢がどんな髪型してても、宇沢は宇沢だし。髪型くらいのことで、私は、宇沢を変に思うことなんてない」
「――――」
視線を逸らさずに、はっきりと言い切ってやる。
宇沢の動きが、目を見開いたまま、止まる。人差し指を離しても、大丈夫そうに見えた。
「……私は、髪型のことはよくわかんないけど、さ。宇沢の髪の毛はふわふわしてるし、色も綿飴みたいで綺麗だし」
「わたあめって……。それ褒めてます?」
「褒めてる」
言葉の途中で宇沢の声が混じる。例えはアレだけど、褒めてるつもりだった。私の中で。
宇沢の髪の毛を手の平に載せる。日光に照らされて、スノーホワイトの色が反射して眩しく見える。やっぱり、綺麗だなって思う。
「宇沢がたとえどんな髪型してても、割と似合うと思うし、……可愛いと思うよ」
「………………」
宇沢の口がぽかんと開く。けれど、言葉は出てこない。
口が開いてから何秒かが経って、口が少しだけ震えて。
「か、わいい、ですか……?」
「うん」
目を瞬かせて。
「結構髪短くなってますけど……変じゃない、ですか?」
「さっきも言った」
何度も何度も、目を瞬かせて。
「そ、っか。……そっか、そっか。…………え、へへへ」
まっすぐに見ていた私から視線を下に向けて、宇沢はその日初めて、表情を緩めた。
◇◇◇
「じゃーん!」
次の日。放課後スイーツ部の部室にやってきた宇沢は、入ってくるなり私たちの方へ背中を向けてきた。
宇沢の左右に結ばれている髪は、左側も毛先が整えられていて、右側も短くなった左側に合う形に、ほどほどに短くなっていた。
髪型自体は変わらないけれど、房の部分が短くなっているのを見て初めて、違うな、ということが分かる。でも、房が短くなったツインテールでも、宇沢は宇沢。なんら変わることはないし、この髪型も似合っていると思う。――
「あれ、レイサ、ちょっと髪切った?」
「えっへへ。ちょっと事故っちゃいまして」
「事故って。そんな明るい口調で言わないで。怖い」
事情を知らないヨシミは、子どもみたいに驚いて新鮮な反応を示す。それはそうとして『事故』という言葉は誤解を招くから止めて欲しい。ほら、アイリが心配そうな目で見てる。
「事故は事故ですから。でも、大丈夫です。髪は自然と伸びますから!」
そんな部室の中に漂いかけた不安を吹き飛ばすように、心底明るい、いつもの宇沢の声で、そう宣言する。
宇沢の少しだけ短くなったツインテールが、勢いよく振り返った勢いでふわりと揺れて、ホワイトスノーの髪色がきらめいて見える。腰に手を当てて、無い胸を張る宇沢は、いつもの宇沢の姿だ。
宇沢の視線が私に向く。片目を瞑ってみせるのは『内緒ですよ』なのかそれとも別の言葉なのか。
真意のほどは分からないけれど――宇沢が元通りになったおかげで、今日の放課後スイーツ部の部室もうるさくなるな、と、そう思った。
カズサが、逃走するレイサを探しだすお話。
ブルアカらいぶ!せかんどあにばSP!に大好きなカズサが出てくれただけでも最高に嬉しかったんですが、劇中でミユを見つけたときの「こんなところにいたんだ」の優しい声色がすごくすごく胸に来ました。そしたらこんなお話ができていました。
劇中の台詞は「こんなところにいたんだ」ですが、今作ではレイサの場所が分かっているので、あんな台詞回しになりました。声色としてはあんな感じの優しげなものをイメージしてもらえたら。
私は、不安から解消されたときにふと浮かべるような、安心感に満ちた泣き笑いの笑顔を浮かべるレイサが好きだし(決して濁らせたいとかそういう意味ではなく)、それと同じくらい、放課後スイーツ部イベントのイベントスチルのように、元気いっぱいな笑顔が似合うと思うし、大好きです。
レイサはカズサと一緒に幸せにしてあげたいし、笑顔一杯にしてあげたい。私の作品においては、その軸だけはぶらさずに行きたい。宇沢レイサを幸せにしたい委員会委員、募集中です。
ところで。
少しだけツインテが短くなったレイサを想像してみたんですが。なんとなく、おしとやかな感じになりそうな気がしました。トリニティってお嬢さま学校ですからね、割とその環境には似合っているのかもしれません。※なおおしとやかモードは口を開かず動いていない状態のみ。