「…………くぁ」
我ら放課後スイーツ部の部室には、
今日は寒の戻りが激しく、気温は一桁前半をぶったたいていた。こんな日は寮の部屋で寒い思いをするよりも、部室で炬燵に当たっていたほうがよっぽど有意義だ。――結局寮に戻るんじゃん、っていうツッコミや野暮なもの。炬燵に当たっているこの時間が暖かければそれでいい。
「あー…………」
気持ちよすぎてだらけた声が出る。天板はほどよく冷たく、頬のほてりをほのかに冷ましてくれる。腰から下の温かさと、顔のほどよい冷たさのマリアージュは、どうしようもなく人を堕落させる。私も、そう。向かい側でだらけている宇沢も、そう。
机の上にはみかんがあり、寒いけれど部屋の隅に行けば温かい飲み物が飲めるように電気ケトルとスティック状のカフェオレやお茶のティーバッグも使える。かんぺきだ。
さっき剥いたみかんの最後の一粒を口に入れて、咀嚼する。このみかんは剥く前によく揉んだのに最後まで酸っぱかった。次のみかんは甘いことを祈りつつ、みかんが載ったお盆に手を伸ばして――指先が硬い物に触れた。手を動かす。みかんの感触にはどこまで行ってもたどり着かない。
「宇沢ー、みかんないんだけど」
「最後に食べたのあなたでしょー、あなたが取ってきてくださいよー」
ふにゃふにゃとした声が返ってくる。顔を上げると、宇沢が天板に頬を付けてだらけた体勢になっていた。いつもみかんが置いてある木製のお盆は空になっていて、テーブルの私側にはみかんの皮がいくつかある一方、宇沢の方はひとつもない。
私がトドメを差したという事実は、どうしても変えられないようだ。けれどこたつがあるのにみかんを食べないという選択肢は私にはなく、仕方なく重い腰を上げる。
「うー、さむ…………」
部屋の隅に、みかんが大量に入った箱が置いてある。もちろん皆で出し合って購入したものなので、部の共有財産――つまり誰が食べてもいいものだ。
本来であれば、今日は部活がない日なのだけれど、部室は誰がいつ使ってもいい、という方針になっている。つまりいつ、誰が、入り浸っていても問題は無い。
この気温だから、ナツあたりが炬燵に入りに来てもおかしくはないと思っているんだけど、今のところ部室に居るのは私と宇沢だけ。特に話をするわけでもなく、炬燵に当たってだらけているだけの放課後となっていた。
お盆にみかんを山積みにして、テーブルに置く。ついでに寒いから、私のマグカップと宇沢のマグカップを準備して、湧かしておいたケトルのお湯でカフェオレを作る。熱すぎるから私が飲むのは時間が経ってからだけど、宇沢はすぐに飲むだろう、と思って宇沢の頭の近くにマグカップを置く。
「宇沢、カフェオレ入れたけど飲む?」
「…………」
返事がない。ただの宇沢のようだ。
「うーざーわ。…………あれ?」
もしかして、と思い、自分のカップを置いてから宇沢の近くで耳をそばだてる。
すぅ、すぅ、と規則的な寝息が耳に伝わってくる。
「さっき返事してたじゃん……」
寝るの早いな、と思いながら、炬燵にもう一回入ろうとして。
「…………ふむ」
ふと、とある写真が頭を過ぎった。猫の手の甲と頭にみかんを載せて、SNSでバズっていた写真を。
「……うざわー、起きてる? 寝たふりとかじゃないよね?」
ヘイローは見えない。つまり寝たふりではない。……よし。
宇沢が起きる前に、作戦に移る。
みかんを二つ手に取って、宇沢の頭にみかんを乗せる。割とすんなりと載った。
二つ目、みかんの上に積み重ねるように載せる。土台の一つ目が安定していたおかげで、二つ目も簡単に乗った。
「…………三つ目、行けるかな」
もうひとつのみかんを手に取って、慎重に、慎重に、みかんを乗せていく。
宇沢のヘイローが灯らないかの確認をしつつ、宇沢の頭が動かないのを願いつつ、銃の整備を行うのと同じくらい慎重に、みかんを載せて――そして、手を離す。
一秒、二秒、みかんは、崩れない。
「よし」
宇沢の頭の上に、三段重ねのみかんが完成した。
「――――ふふ、撮ってやろ」
よだれを垂らして寝る宇沢の頭に、三段重ねのみかん。普段の宇沢は動きまくるしうるさいから、寝てるときくらいしかこういうことはできない。珍しい光景だ。
「…………そうだ」
ついでにヨシミに送ってやろ。
モモトークのアプリを開き、画像を送る。ついでに、【宇沢の上にみかん】と撮影者のコメントを送っておいた。
すぐに既読になることはない。部活に来ていないのだから、別の予定でもあるのだろう。
画像を見た途端にぶふーっと吹き出すヨシミの顔が見えて、思わずほくそ笑む。
「さーって、やることやったし、私もだらけよっかな。……あー、さむさむ」
よく考えたら炬燵に入っていないのに気づいた途端、体が寒さを訴えてくる。慌てて炬燵に入ると、じんわりとした温かさが私を迎え入れてくれた。
体がぽかぽかと温かくなってくる。お盆からみかんを取って、揉んで、剥いて、食べる。
「うぇ、すっぱ」
こっちも外れだった。
◇◇◇
「ん…………む?」
なんだか頭が重い気がする。ほっぺの冷たさとはまた違う、別の冷たさがあるような気がした。
何かな、と思って頭を動かした途端、ごろんごろんと音がして、頭が軽くなる。
瞼が重い。このままもうひと眠りしてもいいかなぁと思いつつ、目を開くと、机の上をみかんが転がっていくのが見えた。
みかんが転がって、転がって、向かい側の杏山カズサの頭にぶつかるのを眺めて。
「…………あぁ」
やっと理解した。のと同時に、ため息。
「杏山カズサ、人の頭で遊びましたね……?」
私の声に、返ってくる声はない。
向かいで天板に頭を乗せる杏山カズサのヘイローは、今は見えない。つまり、完全に寝落ちしているということ。
良く見ると、杏山カズサの方の天板の上には、さっきまで置かれていなかったはずのマグカップが置かれている。そして私の方にも。中には明るい茶色の色をした飲み物が入っていて、匂いを嗅ぐと甘いコーヒーの香りがした。
部室には杏山カズサと私以外誰もいないから、杏山カズサが入れてくれた、ということが分かる。飲んでみる、ほどほどにぬるい。
時計を見ると、午後の6時少し前。一時間くらい寝てしまっていたようだ。
杏山カズサの方は静かに肩を上下させていて、起きる気配は見せない。
「まったく、杏山カズサ、炬燵で寝ると風邪引きますよ?」
炬燵から出て、杏山カズサの肩を揺すってみる。返事もなければ動くこともない。
――今のところ、杏山カズサが起きる気配がない、それは、つまり。
「…………ふむ」
周りを見る。見ている人は居ない。杏山カズサをもう一回見る。ヘイローは見えない。……よし。
――私の長らくの野望を果たすなら、今!
ゆっくりと、杏山カズサの頭に手を伸ばす。三角形の耳に、手を近づける。
ごくり、と喉が音を立てる。音を立てないように、手を近づけて――その三角形の先に、指が触れた。次の瞬間、ぴくぴくっと耳が小さく揺れる。
――起きちゃいましたかね……?
しばらく杏山カズサの様子を窺う。ヘイローが灯ることはない。
大きく息を吸って、吐く。心臓がバクバクと音を鳴らしていることに、今気づく。
初めて、杏山カズサの耳に触っちゃった――私の頭は、その嬉しさと背徳感で一杯だった。
杏山カズサの耳は、何というか、短くて細かい毛でできていて、さらっと指の上を滑っていった。まるでホットカーペットのような、柔らかい手触り。
もうちょっと触れてみたいな、と。そう思った時には、私の手は杏山カズサの頭へと伸びていた。耳の先を人差し指と親指ではさんでみる。柔らかくて、気持ちがいい。耳の外側を、根元の方まで撫でてみる。柔らかさと気持ちよさで、思わず息が漏れた。
「…………ほほぉ…………」
――これが、これが杏山カズサの耳の感触!
やってはいけないことをやっているという、気持ちの高ぶり。これを背徳感と言うんですね……と、身をもって知った。
そして、ふと、頭の中の私が、囁いてくる。
『この感触を、記憶の中だけに止めておくのですか、私――』と。
『どういうことですか、私?』
突発の脳内会議が始まる。
『あの杏山カズサの耳を触るなんてそうそうできることじゃありませんよ。ならば、残るものとして残すべきです』
『残るもの!? それは一体!?』
『そう、それは……写真です』
『しゃしん!?』
『そうです、写真です』
頭の中の私が、悪い顔をする。
『杏山カズサの耳を触っているというものを、写真に残すのです。私が感じている今の感触は夢じゃなかったのだと、視覚的に残すのです』
『なるほど、それは一理ありますね』
『分かってくれましたか私。そして一つ提案です。あなたのスマホに残しておくと、杏山カズサの手で消される恐れがあります。なので、誰かでバックアップを取るのです』
『誰か、というと? それはどういうことですか私?』
『モモトークで信頼できる人に送るのです。そうすれば、あなたのデータが削除されても、そのもう一人から写真をもらえばいいのです』
『なるほどぉ? 天才ですね、私!?』
『もっともっと褒めてくれてもいいんですよ? 私』
脳内会議、終了。
「…………よし」
そうと決まれば、善は急げ。杏山カズサのヘイローが灯っていないのを確認して、体を伸ばして炬燵の天板の上からスマホを取る。
写真アプリを起動。左手でスマホを持ち、右手で杏山カズサの耳を掴むように触れて――カシャリ、と、軽い音が鳴った。
写真を確認。間違いなく私の手が、杏山カズサの耳に触れている。ついさっきまでの感触も、間違いなく覚えている。あの柔らかさ、気持ちよさ、背徳感は、忘れられようがない。
「………………もう、一枚、だけ」
アングルを変えて、カシャリ、ともう一度音が鳴った。
杏山カズサがいつ起きても大丈夫なように、炬燵の元の位置に戻って、モモトークのアプリを開く。
信頼できる人――というよりも、私のモモトークは、グループトークが一つと、個人チャットが6しかない。選択肢なんてものは、ほとんどない。
『ヨシミちゃん』と表示されたトークを開いて、画像を送る。『杏山カズサの耳に触っちゃいました!!!!!』と写真の補足情報を乗せておく。
「…………ふふ」
自分の右手を見る。杏山カズサの耳に触れた感触は、おそらく忘れられないだろうな、と確信めいた何かがあった。
◇◇◇
「………………」
私は、寮でスマホと睨めっこをしていた。
別に、スマホと勝負をしてるとか、そういうわけじゃない。ただ、結果として、そうなってるだけ。
「なんなのよ……もう…………」
その原因を作ったのは、二人のせい。
杏山カズサと、宇沢レイサ。
「はぁ…………なんってーか、もう、あの二人って……」
とある用事が終わってスマホを見ると、モモトークに二件の通知が来ていた。
片方はレイサから。そしてもう片方は珍しく、カズサの方からトークが飛んで来ていた。
二つともを確認して。すぐに私の眉の間に皺が寄るのが自分でも分かった。
そのどちらも、画像付き。
そのどちらも、カズサはレイサで、レイサはカズサで遊んだ姿が写真に映っている。
そのどっちも、『相手で遊んでやった』っていう証拠を、私に送りつけてきていて。
私はどう反応していいんだろう。その二つのトークは既読がついたまま、今も返事は打てていない。
「ほんっと…………似たもの同士だし。ほんっっっっっと、バカ………………」
寮の部屋に、盛大にため息の音が漏れた。
放課後スイーツ部の部室。こたつ。レイサとカズサのたった二人だけ。そのアイテムとその状況で、何も起こらないはずがなく――。なお話。
事故は起こりませんが、平和にいちゃいちゃします。
そしてその二人のいちゃいちゃに巻き込まれるヨシミは可愛い。