「…………」
「…………」
放課後スイーツ部の部室には、静けさだけがあった。
杏山カズサは何やらスマホを操作中。私はそわそわとしつつ、何もすることがなくて、というよりは何も言い出すことができなくて、同じくスマホを操作中。
ちらり、とカレンダーを見る。今日は5月の31日。――そう、私の、誕生日。
――宇沢って誕生日いつだったっけ?
その話をしたのはいつだったっけ。結構前だった気がする。
部活中に誕生日の話になって、「5月の最終日です!」って堂々と言ったところ、「5月ってヨシミじゃなかったっけ、そっか、間違えてた」とか言って「こどもの日って? ケンカ売ってるよね? 買ってあげる。表出よっか?」とかヨシミちゃんとじゃれ合ってたのを覚えてる。
誕生日。そう、私の、誕生日。……まぁ、誕生日だからって何があるって訳でもないし、その日を知らなければただの365分の1でしかないし。かといって、隣にいる人に自分から「今日、私誕生日なんですよ!」だなんて言えるわけもないし、言ったところで、何かが出てくるわけでもない。あと部室には来てるけど月の終わりでお財布も心もとないし、最近ちょっとだけ、増えちゃったので、カロリー高めなスイーツは控えようかなと思ったりしてるのも嘘じゃない。――というかそもそも、杏山カズサが私の誕生日を覚えているかどうかなんて、分からないし。
「…………」
だから、この悶々とした気持ちは、私だけが抱えているものでしかなくて。杏山カズサとのたった二人の状況で、私だけがそわそわしっぱなしなのも、何というか、コントみたいだなって、ちょっとだけ自虐したりしてる。
「――よし」
杏山カズサが、何かを決めたように声を上げて、そして
――もしかして、杏山カズサはこのまま帰っちゃうんじゃ……。
なんてことを思っていると、杏山カズサは、私の方を見て。
「スイーツのまとめページ見てたらさ、パンケーキ食べたくなっちゃった。宇沢、食べに行こ」
なんて、そんなことを言う。
「…………――――!」
杏山カズサ。あなたって人は。
悶々としてる私の気も知らないで!
杏山カズサ、まったく、あなたって人は!
「パンケーキですか? いいですねっ! 行きましょうか!」
――まぁ喜んで行くんですけどね!!!
◇◇◇
連れて来られたのは、あの日に来たパンケーキ屋さん。
放課後の時間ということもあって、ほどほどに混んではいるものの、座る場所がないほどではなくて。
見慣れた茶色のメニュー表を捲りつつ、杏山カズサが手を挙げて店員さんを呼ぶ。
「ふんわり三段パンケーキに、バニラアイス載せで一つ。あ、皿は二人分で。宇沢は飲み物どうする?」
「あー,それじゃ、オレンジジュースで」
「ん、それじゃオレンジジュースと、アイスコーヒーで」
店員さんが礼をして、メニューを下げて去って行く。
お店の中はパンケーキの香りが漂っていて、息をするだけで幸せな気分になる。さっきまでのもやもやした気持ちは、気がつけばもう綺麗さっぱりなくなっていて、やはり甘い物というのは食べるだけじゃなくて、その香りだけでも人の気持ちを柔らかくするものなんだなって思うし、杏山カズサとこうやってパンケーキを食べに行くってだけでも、誕生日プレゼントとしては贅沢すぎますね――と思っていて。
「お待たせしました」
しばらくすると、後ろから店員さんの声が聞こえた。
店員さんが手慣れたように、トレイから飲み物と、パンケーキをテーブルに置いていく。
……あれ、と違和感。
そのパンケーキはテーブルの真ん中にじゃなくて、注文した杏山カズサの前にじゃなくて、なぜか私の目の前に置かれた。
見慣れた3段のふわふわなパンケーキ。いつもはひとつしか載ってないアイスが、3つも載っている。どころか――え、何ですか、これ。
【宇沢レイサ 誕生日おめでとう】
やけに大きな皿の、手前のスペースに。見慣れないチョコレートのプレート。そして、文字が、見えて。
「…………へ? きょ――」
「宇沢。誕生日おめでと」
杏山カズサ、これは何ですか、と言う前に、杏山カズサが私に、そう言った。
誕生日って、そう言った。私の耳が変になってなければ、間違いなく、そう言った。
顔を上げる。
頬杖を付いた、優しい顔をした杏山カズサが、そこにいる。
「…………」
口を開けても、息が漏れるだけだった。もう少し、喉に力を入れる。
「…………覚えてて、くれた、んですか……?」
声が、震えるのが分かった。なんとか声にする。そしてちょっとだけ、歯を食いしばる。
「当然。忘れるわけないじゃん。宇沢の大事な日だし」
目を細めて、杏山カズサは歯を見せて笑う。
当然って言った。
忘れるわけないじゃんって言った!
私の大事な日って言った!!!
その言葉だけで、私は…………こんなにも、嬉しいのに。
大好きなパンケーキに、大好きなアイス乗せに、初めて貰うメッセージ付きのチョコレートに。そしてそして、そんな日に、杏山カズサを独占して、いいのかなって、思ってしまう。
こんなにも、私は、嬉しくていいのかなって。
「――――――」
鼻の中がつんとするのが分かる。危ない。鼻をすする。
「最初さ、放課後スイーツ部で盛大に宇沢の誕生日会をやろっかって話が出てたんだけどさ、断ったんだ」
「………………え」
必死に自分と戦っていると、世間話をするかのように、杏山カズサはしれっと重要な情報を言い出した。放課後スイーツ部のみなさんで!? しかも断った!?!?
「こ、断った?」
「うん。皆とだといきなりで宇沢もビビっちゃうだろうしさ。みんなとはまた後日ってことで。…………あと、私だけで、祝いたかったし」
「………………」
最後の一言は、小さくて小さくて。でも、私の耳に、はっきりと聞こえた。
「あ、」
私は、頭の中に浮かぶたくさんの言葉を、上手く口に出すことができなくて。
「…………あ、りがとう、ございます。杏山カズサ」
「ふふ。…………まったく、宇沢、泣いてんじゃないの。私が泣かせたみたいじゃん」
頬に指を当ててみる。指先に濡れる感覚があった。全然悲しくないのに、逆に嬉しすぎるくらいなのに、勝手に涙が出てくる。止めようとしたけれど、止められなくて、止め方が分からなくて。そもそも涙を流したのっていつぶりだろうって。分かんないまま居ると、前の方から、ため息を付く声が聞こえて。
「んなことっだろうって思った」
優しい声の後に、椅子を立つ音。そして瞼に、布の感触。
「どうせ宇沢は持ってないだろうって。予想通――」
杏山カズサの優しい声はちゃんと耳の中に入ってくるのに、上手く言葉として聞き取れてなくて、胸の中には温かい気持ちだけが残って。
頬に押しつけられたハンカチから、杏山カズサの香りがする。手で触れるとふんわりとした優しい感触があって、私はそれを目に押しつける、ハンカチが湿っていくのが分かる。
椅子が動く音がしたあと、頭を撫でられる感覚がある。顔は上げられないし、声は出そうとしてもしゃっくりしか出てこない。隣から、杏山カズサの優しい声がする。何か言ってくれているということだけは分かる。
「あー、もう。宇沢は、まったく――――」
頭に感じる杏山カズサの手の感覚に、耳に聞こえる杏山カズサの優しい声に。さっき見たパンケーキのプレートの文字が頭に浮かんで、ずっと離れなくて。
涙の止め方が分からないまま、私は、しばらく、杏山カズサのハンカチを握りしめ続けた。
◇◇◇
「…………すみません、杏山カズサ。これ、洗って返しますので……」
「いいって言ってんのに。……ま、そこまで言うんなら、返すのはいつでもいいから」
手元にある杏山カズサのハンカチは、恥ずかしいくらいに濡れていた。
目は痛いし、絶対目の周りは赤くなってるってのが分かる。でもトイレに行って確認するのもアレだし、杏山カズサが「いいよ、そのままで」って言ってくれたから、私はこのままでいることにする。
杏山カズサとスイーツを食べる時間を、大事にしたいし。
「じゃ、食べよっか。――――あ」
杏山カズサがそう言って、パンケーキを見て。そして吹き出すように笑う。
「これじゃフレンチトーストの焼く前じゃん」
「――――ふっ」
少し遅れて、私も見て、同じく吹き出した。
パンケーキの上に載っていたはずのバニラアイスは気がつけば跡形も無くなっていて、パンケーキそのものが、溶けたアイスでひたひたになっていた。どれだけ泣いてたんだろう、私。
「ふふっ、や、まさかここまでになるとは。あ、すごい、フォークで押すとアイスが染み出る」
杏山カズサはパンケーキを取り分けて、皿を私に差し出してくれる。私の皿の上に載っているのは、パンケーキと、『宇沢レイサ 誕生日おめでとう』と書かれたチョコプレート。……これは、食べられる気がしない。
「それじゃ、食べよっか。それと、パンケーキ終わったらマカロンもあるから。――今日は夕食いらないね」
「……ふふっ、そうですね。それじゃ。――いただきます」
バニラアイスが染みこんだパンケーキを一口。いつも感じる甘さよりも、格段に甘くて、噛めば噛むほどバニラアイスが染み出てきて、飲み込むのがもったいない美味しさで。
今日の日に、こんなに美味しいパンケーキを食べて。本当に、こんなに、贅沢しすぎていいのかな? って思う。でもそれを口にする必要は、多分無くて。
きっと杏山カズサのことだから「いいんじゃない?」って一言だけ、いつものように猫みたいな笑みで言ってくれるのが分かるから。だから、胸の中に秘めるだけにする。
初めての、大事な人と一緒に過ごす誕生日は。
何よりも、今までの誕生日の中で、何よりも。幸せだと思った。
レイサの誕生日はカズサとスイーツデートしてほしい!!!!!!
現場からは以上です。
――とだけ書くとあまりにいつも通りなので。記念日SSのキャプションはもう少しだけ書きます。
誕生日の日って、『今日が誕生日なんです』って、レイサは自分から言い出せないと思う。自分のことで祝われるということを、誰かの貴重な時間とお金を使っちゃうって考えちゃう子だから。でもその一方で、やっぱりその日、大事な人と一緒に居るとそわそわしちゃうっていう両極端な思いがあると思う。
そんな日は、カズサの気まぐれ(のように見える)でレイサを振り回してほしいし、その上でカズサに有無を言わさず祝われてほしい。カズサから誕生日のお祝いやる?やらない?と聞かれれば、レイサは遠慮しちゃうから、カズサがサプライズする形がいいと思う。カズサには作戦を成功させてパンケーキを前にして予想通りの反応をするレイサを見て、いつもみたいに猫みたいな笑顔を浮かべててほしい。
そんなカズレイ、最高ですよね。そう思いませんか。私は思います。