「杏山カズサっ! おはようございますっ!!!」
寮のドアを開けるなり、宇沢の賑やかな声が廊下に響いた。響いたというのは比喩とかじゃなく、
「はいおはよ。……ってうわ」
「? なんですか?」
ちなみに、宇沢は挨拶の声とともにいつものように直角のお辞儀をかまし、今やっと宇沢の顔が見れたわけなのだけれど。思わず口に出てしまった。
「宇沢、その髪、なに?」
宇沢の髪が、あまりにもぼさぼさすぎて。
ヘリコプターの風でも浴びてきたのかと思うくらい、宇沢の髪が爆発していた。一体何があったらそうなるのさ。
「え? そんなになってます?」
「……いや、ほら」
「まさかそんなこ――――うわ」
スマホのカメラをインカメラにして、宇沢の前に差し出す。宇沢は体ごと仰け反って、分かりやすいくらいの反応を見せた。
「あはー、ここまでなってるとは思いませんでしたよ」
「一応聞くけど、徒歩できたんだよね?」
「ええもちろん。杏山カズサの家にお呼ばれなので、全力ダッシュで来ました!」
――どこが『もちろん』よ。
ツッコミを入れようかと思ったんだけど、いつも通りすぎるのでスルーしておく。
「ま、あがんなよ。立ち話もなんだしさ」
「あ、そうですね。そ、それじゃ。おじゃましまーす」
靴を脱いで、丁寧に揃えた宇沢は、私の後ろをちょこちょこと着いてくる。学校とか部室とかじゃそんなことないのに、私の部屋だと、最初のうちは借りてきた猫みたいになる。まぁ甘い物を食べると元に戻るんだけど。
「あ、そうそう。C&Cのドーナツ買ってきたので、後で食べましょう!」
「お、ありがとね。宇沢のおすすめを食べられるのは嬉しいんだけどさ、毎回買ってこなくてもいいよ?」
「――――いえいえ私がそうは行きませんよ! お呼ばれするとき、毎回スイーツやお菓子を準備してくれてるじゃないですか。あなたばっかり貰うのは不公平ですからね!」
変なところで律儀だな、って思う。別にそんなんじゃないのに。
「私は別に、宇沢が来てくれればそれでいいのに」
「――――――」
無言で背中を殴られた。解せない。
「杏山カズサ! あなた! そういうとこですよ!」
もっかい殴られた。別に痛くはないけど。
「まったく! 狙ってるのか狙ってないのか分かんないですけど! あなたは! もう!」
怒ってる、というよりは、拗ねの方が割合は多そうな気はする。……別に、私は変なこと言ったつもりはないんだけどな。
「毎回宇沢には色々と貰っちゃってるからさ、今回は私も奮発して、美味しい紅茶を取り寄せしちゃったりしてるんだけど。……宇沢、お腹空いてる?」
「杏山カズサとのお茶でしたら、いつだって大丈夫ですっ!」
「そ、じゃあ座って。とっておき、淹れてあげるから」
「~~~~~~~、はいっ!」
後ろを向くと、めちゃめちゃ嬉しそうな宇沢の顔が見えた。
さっきまでの拗ねた声はなんだったんだろ、って位に。
◇◇◇
「杏山カズサ、ずるいですよ。やっぱりずるい」
「何が」
「紅茶の淹れ方まで上手だとか聞いてないです。部室でいっつもアイリさんが入れてくれるじゃないですか。杏山カズサはてっきり、あまりにも猫舌だから、熱いのが苦手で紅茶を入れるのも苦手だってずっと思ってたのに」
宇沢がまた頬を膨らませて、拗ねた。なんで。
「別に紅茶入れるのが苦手だとか一言も言ってないよ。私が淹れようとしたらアイリが『カズサちゃんはいいから、座ってて』って言って、それがずっと続いてるだけ。あと私は猫舌とかじゃないから」
「あー、アイリさん、確かに言いそうですよね。あと飲み物を入れて、カップを置くとき、いつも嬉しそうですもん」
一瞬――私が猫舌なのに感づいてるのか、と思ったけれど、それ以上の言及は無い。ただの予想か、もしくはフリなだけだったようだ。まだ、宇沢には私の猫舌はバレていないようだ。よかった。これからも隠し通そう。
「アイリ、そういうお世話するの好きだしさ。淹れた飲み物を飲んだときの反応とかよく見てて、美味しそうな顔するとめちゃめちゃ嬉しそうにするんだよね。ヨシミとかよく顔に出るから、分かりやすい」
「分かります。部室でもずっとにこにこしてますもんね。杏山カズサみたいに」
「――――――ッ!」
危うくほどよく冷ました紅茶を吹き出すかと思った。
「ごほっ、そこで、なんで、私の話が、っ、出んの」
「や、だって。喫茶店でスイーツ勝負してて、杏山カズサのお題の時って、アイリさんに負けず劣らず、杏山カズサもにっこにこしてますよ?」
「え、私、そんなに顔に出てる?」
思わず、頬に触れる。確かに、さっき宇沢が紅茶に口を付けて、目がうるさいくらいに見開かれたときは、「やった」って思ったりしたのは嘘じゃ無いけど。私、そんなに顔に出てた、んだ……? ちょっと、気をつけないといけないかも知れない。
「それなりに。――――あ、でもでも! そんな杏山カズサは可愛いですし、すごく、こう……嬉しいってのが伝わってくるから、私としては、そのままで、いてほしい、な、……な、なんて……」
急に宇沢の言葉が小さくなっていく。それと同時に視線を外して、口元を隠して、頬を掻く。――こういう時の宇沢って、大体照れてるときか、やらかしたのを内心焦ってる時のどっちかなんだけど。……今は、どっちなんだろう。
なんか可愛いとか言われたけど。ちょっと自然に言われすぎて反応するタイミングを失っちゃったんだけど。もしかして、そっちのことだろうか。
段々宇沢の顔が赤くなってきているのが見える。あー、たぶん、前者か。あと後者もちょっと入ってそう。つまりは、そういうことか。
いや、まぁ、宇沢が言うときは大体好意的に言ってくれるから、私も嬉しいんだけど、さ。
「…………ま、まぁ。うん、宇沢が変に思ってなきゃ、いい、よ…………」
「え、えぇ…………いい、と思い、ます、ハイ……」
その言葉を最後に、宇沢は黙ってしまった。どうすんのこの空気。宇沢のせいじゃん。
とりあえず、紅茶をもう一口飲む。うん、いいとこの茶葉を選んだだけあって、
カップを置く。宇沢はまだ視線を下げたまま、元に戻ってないようだ。
宇沢の頭が、ぼさぼさになったまま髪の毛が、はっきりと見える。
学校でもいつも走り回ってる宇沢は、髪の毛がぼさぼさになっているのは見たことがない。いつぞやに学校の中を追いかけっこした時だって、こんなにはなっていなかったはず。
「ね、宇沢さ。……なんでそんなに髪ぼさぼさなの?」
「へ?」
話題としては、丁度良いと思った。
不思議そうな顔をして、宇沢が顔を上げる。そして自分の頭に触れて、「あはー」と後頭部を掻く。
「これですか。……えっとですね、風が悪いんです」
「風が」
「はい、風です。杏山カズサの家に行くから、と、朝からばっちり髪を整えた私宇沢レイサ! しかし!」
なんか芝居じみた風に言ってくる。
「外出た瞬間、その努力が終わっちゃったんですよね。……あはは」
見ていて飽きないな、と思う。
「いつもの道を杏山カズサの家の方に歩いた瞬間、道路の向こうからものすっっっごい風が吹いてきたんですよ! もう一瞬で私の前髪がオールバックです。整えた髪の理由がもうそこで終わっちゃったので、もう走っても変わんないやーってダッシュしてきたわけです」
宇沢に言われて気づく、窓がほどほどにガタガタと揺れている。結構強かったようだ。
「ま、そんなこんなでそのまま来ちゃったわけです。学校行くならともかく、見られるのが杏山カズサだけですし、まぁ、いいかな、と」
また頬を掻いて、恥ずかしそうに宇沢は言う。まったく、宇沢はそう言うところが無防備だし、無頓着なんだよなぁ。
「……宇沢、ちょっと待ってて」
「はい?」
宇沢は首を傾げて、返事とも鳴き声とも言えない声を出す。
私はそれを返事と見なして、洗面所へ。お気に入りの櫛と手鏡を持ち出す。
部屋に戻ると、宇沢はカップを持って私を不思議そうな顔で見上げていた。
「まったく、宇沢は女の子なんだからさ。身だしなみにも気をつけなよ」
そう言いつつ、宇沢の背後へ。
「動かないでよ。手元が狂ったら刺しちゃうかもしれないから」
宇沢の方から、「ぴっ!?」と鳴き声が上がる。嘘は言ってないけど、全部が正しい訳ではない。宇沢の髪の毛を整えるということ自体、初めてだし。というか、こういうことを人にやるとか、初めてだし――。
「髪留め、取っても大丈夫?」
「は、はひっ! だいじょぶれすっ!」
めちゃくちゃ噛んでるけど、大丈夫かな。ま、いっか。
髪留めを取って、机の上へ。
宇沢の髪の毛を、頭頂部から、ゆっくりと梳いていく。
ぼさぼさな髪の毛とは裏腹に、引っかかることなく、毛先まで流れていった。
引っかかったら宇沢に痛がられちゃうな、と思って、痛くないようにゆっくり梳いたんだけど。偶然だろうか。
二回、三回と梳いて。やっぱり引っかかることはなかった。綺麗に、毛先まで流れて行く。
髪の毛に触れてみる。ホワイトスノーの髪の毛の一本一本が、手の中でさらさらと流れていく。宇沢っぽくない、と言うとすごく語弊があるかもしれないけれど。意外と、いや、相当に、宇沢の髪は、綺麗だなって思った。
「宇沢の髪の毛ってさ、まっすぐだし、綺麗だね」
「ッ!!!」
宇沢の背中がびくりと跳ねた。「そ、そそ、そ――――っ!」などの鳴き声が聞こえる。
「そそ、そ、そう、ですか?」
「うん。全然引っかからないし、艶もあって、しなやかだし。羨ましいくらい」
「――――――ッ!」
びくり、と一度震えて。そして宇沢の動きが止まる。
少し待って。ほどほどに待って。
宇沢の動きが再開されることはない。
「…………宇沢?」
「え、あっ、あ、あははは…………。髪の毛を誰かに整えて貰うことなんて、初めてですし……、髪の毛をそう言ってもらえたのも、もちろん初めてで……。なんて言えばいいか分かんなくて…………あはは…………」
宇沢の顔は見えないけれど、困ったように笑う宇沢が目に見えるようだった。
よくよく考えなくても、部室でも学校でも、宇沢は動き回ってばっかりだし、騒がしかったから、髪の毛に触れることだって、そもそも髪の毛をそこまで気にすることもなくて。
勝手に、ぼさぼさっぽいんだろうなって思ったけれど。宇沢は全然、そんなことはなくて。
「そこは素直に、ありがとう、でいいんじゃない? 私は褒めてるんだからさ」
「…………あ、ありがと、ござい、ます…………」
「――――よし」
宇沢の毛づくろいを再開する。
櫛を丁寧に丁寧に、入れていく。宇沢が痛がらないように、静かに、ゆっくりと。
櫛を入れれば入れるほど、宇沢の髪の毛は整えられて、綺麗になっていく。近くで見れば見るほど、宇沢の髪の毛は綺麗だなって思うし、この髪の毛を知るのはきっと私だけなんだろうなっていう、ほんの少し自慢げな気持ちになる。
「宇沢は可愛いんだからさ。髪の毛にも気を使いなよ」
そっと、囁くように言う。ここは私の部屋だし、放課後スイーツ部の部員――特にヨシミあたり――は居ないから。まぁ言ってもいいだろうと思う。聞かれてたら百パー小突かれるだろうけれど。
「こんなに綺麗な髪の毛してるんだからさ。色も、長さも、髪質も、全部」
言いながら、髪を整えていく。
宇沢の声は、聞こえない。
驚くくらい、宇沢は静かだ。
寝ているのかと思うくらいに、普段の宇沢では考えられないくらい静かだ。
けれどヘイローはしっかりと点いてるし、宇沢の肩が呼吸に合わせて上下しているから、起きているということで。
珍しいな、と思いつつも、この時間が終わるのがもったいないなと思ってしまったから。
宇沢の髪が全部綺麗になってからも、もう少しだけ、櫛を入れさせて貰った。
◇◇◇
「――――はいっ、終わり」
声と共に、宇沢の背中をとん、と押す。
びくっと反応したかと思うと、宇沢は私の方を振り向いて、そして自分の頭に触れて、髪の毛が整えられているかを確認する。
「はい。綺麗になったでしょ?」
手鏡を宇沢に手渡す。
鏡越しに自分の髪の毛を確認し、その口元が、左右に広がっていくのを、その目がきらきらと輝き出すのを、誰よりも近くで、見ていた。
「杏山カズサ。……ありがとう、ございますっ!」
「どういたしまして」
そしてツインテールを結び目のリボンごと掌に載せて、鏡を見て、その笑みを深める。
大体元通りの場所に結んだつもりではいたけれど、宇沢の髪の毛の全部を知っているわけじゃ無いから。だけど、その様子を見ると、結ぶ位置だとか結び方だとか、そういうのは少なくとも宇沢にとっては変に思うものではないのだな、と自信が持てた。
「さ、紅茶も冷めちゃっただろうし、入れなおそっか。ドーナツもまだあるでしょ」
「ええ! 別味で春限定の桜フレーバーも買ってきてるので、食べましょう!」
「お、いいね。それじゃ、座って待っててよ」
「えへへ、楽しみにしてますね!」
「期待に添えるかは分かんないけどね」
「杏山カズサが入れてくれる紅茶でしたら、なんでも美味しいので!」
なんとも、紅茶の一杯ぐらいで宇沢の価値観がガラッと変わってしまったようだ。ティーパーティのお茶会で出るような味にはまだ追いつけている気はしないけれど。
でも、宇沢に言われて、悪い気はしない。
ティーカップにお湯を入れて、カップ全体を温める。
そして紅茶の葉を急須に入れて――。
次の紅茶を飲むとき、宇沢はどんな顔をしてくれるだろう。
きっと、美味しいと言ってくれるだろうと、なんとなくそんな確信があるし。
きっと、私の顔も。嬉しさを隠し切れてないんだろうな、と思う。
『起きている宇沢レイサが大人しくなるのはどんなときか』って頭の中を転がしていたら、ふと『レイサの毛づくろいをするカズサ』という図が吹っ飛んできました。
カズサに髪を梳かされているとき、正座で手をぎゅっと握って、口元も真一文字に結んで静かになるレイサがありありと浮かんできてて、この子可愛いなぁぁとか思いながら書いてました。
あと最近推しが歌ってみたを投稿していたので、『外出た瞬間終わったわ』な宇沢レイサは親和性めちゃめちゃあるなって。