廊下を歩いていると、聞き慣れすぎたばたばたとした足音が背後から聞こえてきた。
振り返る。同時に、キュっと靴底をこする音。
想像通りの人物が、想像通りのポーズを決めていた。
「きょぉやまカズサ! やっと、やぁぁぁっと見つけましたよ!」
――めっちゃくちゃ探したんですから!
肩で息をする宇沢の様子が、状況の全てを物語っていた。
「地学室で補講だったからね」
「あー、そっち、でしたか。どおりで、学校中……、探しても、見当たらなかった、わけ、ですね……」
宇沢はがっくりと肩を落とす。割と本気で息が切れてる様子なのを見ると、宇沢の事だ、『学校中』ってのはオーバーとかじゃなくて、マジなんだろうなって思う。廊下の床に汗が落ちるのが見えるのから見れば、なおさら。
いつぞやのナツじゃあるまいし、そこまでして私を探す理由なんてあったかな。
「――じゃなくて! 杏山カズサ、そろそろ年貢の納め時ですよ! スイーツ勝負ですっ!」
がばりと顔を上げたかと思うと、そして再び、びしっと私に向けて指を指す。そしていつものアレを、いつものように私に向けてぶん投げてきた。
相変わらず宇沢は声も騒がしければ動きも騒がしい。今が部活動の時間で、ここが部室棟に向かう渡り廊下でなければ、割と目立ってただろうなと思う。
――とは言え、宇沢の奇行というか挑戦状のくだりは、もはや割と多くの生徒の目に留まってしまってるので、今更気にすることでもないっちゃないんだけど。
「勝負は明日ですっ! 集合場所はいつもの踏切で! ――杏山カズサ、首を洗って待っていてくださいね!」
「はいはい。じゃあ明日は空けとくね」
「――――はいっ!」
嬉しそうに大きく頷く宇沢が見える。
宇沢も律儀なもんで。
別に、挑戦状を使わなくても『一緒にスイーツ食べに行こう』でいいと思うんだけどね。そうしないのは宇沢の礼儀というかプライドというか、そういうことなんだろう。
「で、宇沢は今日部室来る? 部活はないけど、たぶんクーラーは効いてるはず」
「いえっ、今日はやることがあるのでっ!」
宇沢はそう言うや否や、ダッシュで教室棟の方へと向かっていった。
廊下の角を曲がり、騒がしい足音が聞こえなくなったのを見て、私はスマホを取り出す。カレンダーのアプリを立ち上げて、明日の日付に『宇沢 スイーツ勝負』と打ち込む。
明日。
……明日、かぁ。
まぁ、気にするようなものでも無いんだけど。
明日。8月5日は。
一応――私の誕生日だ。
◇◇◇
「んー、つめたい。やっぱり暑い日は和スイーツ、それも白玉ぜんざいに限りまふねぇ」
テーブルの向かい側には、木匙いっぱいに載せた白玉と餡子と寒天を一口で頬張って、幸せそうに頬に手を当てる宇沢がいた。
宇沢と一緒に電車で百鬼夜行に向かって、スマホの地図アプリを見つつ連れられてきたお店。古き良きといった雰囲気の、長らく愛されてきたのが分かるお店だった。
今日はスイーツ勝負ということで来たのだけれど、宇沢が勝負を挑む予定だったものが運悪く品切れだったらしく、勝負は延期の上、いつものスイーツ会となった。
「杏山カズサの和風パフェもおいしそうですね。――あ、栗にクリームってこんなに合うんですね!」
私の前にある和風パフェを見、宇沢の目がキラリと光ったかと思うのと同時、宇沢の木匙が私のパフェをすくい取っていた。「んー、杏山カズサの選ぶ物にはやっぱり間違いはないでふね」とさっき以上に顔を緩ませる。
「あ、それ一番大きかったやつ。――仕方ない、そのさくらんぼと白玉もらうから」
「え、あーっ! ぜんざいのさくらんぼは最後に食べるのが私の主義なのに!」
「最初に手を出した宇沢が悪い」
「むむむ……栗の代償は大きいですね。や、その分おいしかったですけど」
最初こそは『こっちの食べてみる?』とシェアを提案してたものだけど、今となっては割とお互い遠慮をしなくなっている。『食べてみる?』も『一口だけちょうだい』も必要なくて、宇沢は私のを、私は宇沢のを、割と好き勝手に食べるようになっている。
――もちろんこれを放課後スイーツ部でやろうものならリアルファイトになりかねない――主にヨシミが――ので、宇沢との時限定ではあるけれど。宇沢が遠慮なくなってきたのはいいことだと思う。
そんなことを考えてるうちに、宇沢は再び私のパフェからクリームをかすめ取ったかと思うと、ぜんざいの白玉と寒天と合わせて口に入れる。「はぁ……罪深い味……」と目を細める。
宇沢と同じ事をやってみた。想像以上においしかった。
私と宇沢の二人席の机の上には、宇沢の方に白玉ぜんざい、私の方に抹茶パフェ、シェア用にきなこ餅、と和スイーツが並ぶ。
――以上。
特に、それ以外に何かがあるわけではない。
いや、宇沢が連れて来たお店とすれば、何か仕組んでるのかと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ警戒したものだったけれど。
「……特に、何もなかったな」
「何もって?」
ぼそっと呟いただけなのに、宇沢にはしっかりと聞こえていたようだ。
宇沢は木匙を口にくわえて、首を傾げる。
そっちは聞こえてるくせに、今日が何の日かってことには思い立ってないんだろうか、コイツは。宇沢の頭にはいくつもハテナマークが浮かんでいるようにも見える。
宇沢は一応、今日がその日だと知らない訳ではないとは思ってる。
いつぞやにそんな話をしたときもあったし、それに、宇沢の誕生日の事があったから、実は部室のカレンダーの日付の隣に赤点を打ったりしていた。宇沢の分だけじゃない。アイリのも、ヨシミのも、ナツのも。――一応、私のも。
宇沢、8月になったときにカレンダー破って、夏休みの日程を矢印で書き込んでいた。日付の部分、見てなかったのかな。
宇沢の事だし、忘れてるだけかもしれない。ま、それならそれでいいんだけど。
「宇沢、今日って何日だっけ」
「んー、8月5日ですね。まだまだ暑い日は続きますねぇ。…………へへ」
そう言った後にミルクあずきを啜って、宇沢は満足そうな息を吐く。
――なるほど。
今度は宇沢に聞こえないように、心の中だけで呟く。
っていうかここまで言って伝わってないのは、まぁそういうことなんだろう。
なんか気にしてて損した。まぁ宇沢とおいしいスイーツ食べられるだけで、いつも以上の誕生日だし、それはそれでいいんだけど。
抹茶あずきをストローで吸って、ちょうど小豆がストローに詰まって、頑張って吸っても出てこなくて、ああもういいやとコップから飲もうとして。
宇沢が何やらもじもじとしているのが見えた。……トイレかな。
「え、と。杏山カズサ」
やけにその声は遠慮がちで、小さくて。手を机の下に隠して、上目遣いになる宇沢がいて。
背筋を伸ばして音がするくらい息を吸ったかと思うと。「きょ――」盛大につっかえた。
「きょ……杏山、カズサ。その、…………お誕生日、おめでとう、ございます」
か細く宇沢の口から出た言葉は。
別にいいやって思っていたけど、やっぱりそれでも、私が聞きたかった言葉だった。
「…………ん。………………あり、がと」
来ないと思ってたから、反応が薄くなった。
宇沢がそわそわとしだしたから、言葉を付け足して、やっと宇沢は安心したように息を吐く。
本当、私は現金だなって思う。
祝われなくても、今のこの状況だけで充分だって思ってたくせに。やっぱり、そう言われると、覚えていてもらえるって分かると、嬉しい。
「あの、えっと、忘れてた、わけじゃなくて。むしろ、一月くらいまえから何かしようってずっと考えてたんですけど全然思い浮かばなくて。プレゼントとか、杏山カズサが私の時にしてくれたの、とか。でももう前の日になっちゃったから、せめて一緒にスイーツ食べに行きましょうってことで杏山カズサを探して挑戦状投げたんですけど。えと、その――ごめ」
宇沢の額にスプーンの柄の先を突き刺して言葉を止める。私の手元にあるのが、パフェ用の長めのものでよかった。
宇沢にその言葉を言わせるわけにはいかないから。
「いいの」
スプーンの柄で額を押して、宇沢の顔を上げさせる。
しっかりと宇沢と目が合ってから、笑ってみせた。無理矢理作るんじゃなくて、宇沢と目が合ったと思うと、自然に笑みが溢れた。
「宇沢がずっと考えてくれてたってだけで、私は嬉しいから。だからその先は無し」
宇沢からその言葉をもらえた。
私には、もうそれだけで充分すぎた。
忘れてたんじゃなくて、言い出さなかったんじゃなくて、何もできないことで後ろめたいって思ってただけで。宇沢は優しすぎるから、言えなかったというだけで。
宇沢がこんなにも考えてくれてたってのは、もう十二分に伝わったから。先月あたりに夏バテだとかで部活がない日に部室に来なかったのはきっと――。そう思うと、宇沢の目の下にうっすらと残る隈すらも、愛おしく思えてくる。
そこまでしなくてもいいのに。と思う。
でも、そこまでしてくれたことが、嬉しいって思う。
本当、自分自身が面倒だなって思うときはよくあるけど。今ばかりは、素直に宇沢のお祝いの言葉を受け取っておこうと思う。
「せっかくだし、ちょっといいもの頼もっか。ほら、入り口のショーケースににあった特大ジャンボシュークリーム。あれ食べよ」
「あれ1500円しますよ?」
「宇沢とだし、大丈夫でしょ。残っちゃったらテイクアウトしよ」
「仕方ないですね。付き合いますよ、杏山カズサ。せっかくの、あなたの誕生日ですからね」
「よしきた。じゃ、頼もっか。すみませーん」
特別な何かはなくても。この日付の日に宇沢と普通にスイーツを食べ合えるのは、きっと特別と言っていいんじゃないかと思う。
今日くらいは、お腹いっぱいスイーツを食べてもバチは当たらないと思う。たぶん。
特別なことはないけど、その毎日そのものが特別。そんなレイカズ。そんな杏山カズサの誕生日。
杏山カズサと宇沢レイサは、息をするように仲良くスイーツデートしてほしい。
猫みたいにちょっと素直じゃないカズサは、レイサのまっすぐさにほだされてほしいなって思うんですよね。そんなレイ→カズな構図が私は大好きです。