「………………」
杏山カズサが、こたつで溶けている。
部室の、いつもの場所で、私のすぐ隣で、こたつの天板に突っ伏して、杏山カズサが溶けている。その光景はいつも通りと言ってはいつも通りではあるのだけれど――なんだかいつも通りともちょっと違うようにも感じる。
何というか――少しだけお疲れなような、そんな感じ。
とは言っても、私から何か言うのもあれだし、もしかしたらここ数日の追試ラッシュで溶けてるだけなのかもしれない。
――杏山カズサ、引っかかったのいくつって言ってたっけ。……確か、ケーキ食べながら愚痴ったときには、三つか四つはあるって言ってた、ような……。
「…………きょーやまかずさー。おきてます、か?」
耳元でこっそりと声をかけてみる。ヘイローは点いてはいるけど、うたた寝をしている時は反応がなかったりするから、いつもよりも声を小さくして、驚かせないようにする。
「…………ん、…………あー、ごめん、寝てた」
目を擦って天板から頭を上げて、大きく伸びをする。それでも隣に居るその人は、そう言いながらもまだ眠そう。
「宇沢がいるのに。ごめん」
「いえ、いいんですいいんです。疲れてるときには休んだ方がいいですし」
「んー、…………私、疲れてるように、見える?」
杏山カズサの顔がすぐ近くにある。いつもの杏山カズサのようでもあるし、あ、でも今日はお化粧が少しだけ――。
「なんとなく、ですけど。…………はい」
「うー、やっぱりかぁ。アイリたちには全然バレてないと思ってるんだけど、やっぱり宇沢にはバレてる、よねぇ」
頬杖を付いて、杏山カズサは結構前に淹れたホットココアを一口。
「ここ最近さ、ちょっとやってることがあってさ。――まだ大っぴらには言えないんだけど、色々と準備してて。先生のところにいったりしてたら寝る時間とかも少なくなってさ。……今週とか、化粧のノリもあんまよくなくて」
「…………そう、なんですね」
なんとなく、『大丈夫。なんでもないよ』と、そう言われるだけだと思ってて、私はたぶん、お疲れの杏山カズサになにできないんだろうな、とか、なんか勝手に落ち込みかけてたんだけど。
「――――」
正直に言ってもらえたのが。なんか、嬉しいなって。
本当に、小さくて、微かで、些細なことなんだけど。そんなことでも、大好きな人と何かを共有できたって思えて。胸がほっと和らぐのが分かった。口元が勝手に緩みかけるのが分かった。
「部室があるのは正直助かる。教室とかじゃ大っぴらに寝れないし、ここにはこたつもあるし、甘い物もあるし、宇沢もいるし。周りを警戒しないで寝られるのってさ、やっぱり、いいよね……」
その言葉を最後に、杏山カズサはまた天板に頭を乗せる。目を瞑って、猫みたいにふにゃっとしてる杏山カズサはなかなか見ない分、新鮮に見える。
「肩でも、揉みましょうか?」
ふと、そんな言葉が口から出ていた。さっき杏山カズサが腕とか首とかを大きく回してたりするのを見てたから、きっとやってることってのは外仕事じゃなくて、書類やらPCとかの作業なんだと思う。――杏山カズサが、あまり得意じゃないっていってた、それ。
「………………ぇ、」
その杏山カズサはと言えば。ぱちりと目を開けて、起き上がって。私の方をまっすぐに見て。そのまま見て。――見続けて。
「宇沢が?」
たっぷりと時間をかけて、そう言った。
「はいっ!」
手を握ったり開いたりさせる私の手と顔の間を、杏山カズサの視線が行き来してるのが分かる。眉の間にちょっとだけ皺が寄ってるように見えるのは、どっちの意味なんだろう。
ほどほどに時間を置いて、それから杏山カズサは少しだけ目を細めて。
「ん、じゃあ、お願いしてもいい?」
優しい声でそう言うと、こたつの天板に頭を乗せた。
「…………はい! お任せあれ、ですっ!」
ちょっとだけ、反応が遅れてしまった。出過ぎたことを言っちゃったかな、だとか、きっと断られるだろうな、だとか、杏山カズサの言葉を待っている間にいろんな事を考えてたから。むしろお願いされた方がことに驚いたというか、なんというか。
こたつから出て、杏山カズサの背中に回る。――あ、そういえば風の噂で
とは言ってもそれは中学時代の話だし、今いるのは杏山カズサだし。何より、私に無防備に背中を晒してくれているから。きっと大丈夫だろうと思う。
杏山カズサの肩に手をゆっくりと近づける。杏山カズサが突然動き出したりするような気配は、ない。
「で、では、行きますよぉ……?」
急に触ると驚かせちゃうかもしれないから、一言声をかける。
なんだか心臓の音がやけにうるさい。スイーツ争奪戦勃発数秒前よりも、よっぽど今の方が緊張する。自然と、唾を飲み込むのが分かった。
杏山カズサの肩に手を載せて、優しく掴む。
「…………――――」
あれだけ重い銃を毎日持ち運んで、いざ戦闘となればそれを持って猫みたいにすばしっこく動くのに、思った以上に細いな、と思った。
手に力を入れる。凝ってるなというのと、細いのは見かけだけで、やっぱりしっかりと筋肉が付いているんだな、ということが分かる。かと言ってがちがちに固いわけじゃなくて、ほどよくしなやかで――。
「ん、」
前の方から、杏山カズサの声が漏れ出るのが聞こえた。
なんというか。杏山カズサの体に触れているというだけで、なんだか悪いことをしている気持ちになる。いや、杏山カズサがいいと言ってくれたものだから別にやましいことはなんにもないのだけれど。ないのだけれど!!!
「ん、――――ぅ、ん。……宇沢、意外と上手いじゃん」
「へへへ、ありがとうございます」
杏山カズサのうめき声とも鳴き声ともつかなかった声の後に、くぐもった声が聞こえた。
やめてって言われなかった。それどころか褒められた!
――なんか、なんか……すっごく、嬉しい。
杏山カズサはこたつの天板に突っ伏してるから、私の顔が見られることはないから、顔は隠さない。にやけちゃう顔は、そのままにする。
「……へへへ。じゃあ、続けますね」
さっきまでの恥ずかしさとか後ろめたさはもうどこかに飛んでいって、今はただ、杏山カズサの疲れを取ってあげたい、それだけだった。
杏山カズサの方も慣れてきたのか、先ほどまで上げていたうめき声とも鳴き声ともつかない声は聞こえなくなっていて、静かな鼻歌が聞こえるようになっていた。
その時には肩も揉みやすくなっていて、肩に力が入っていないのが手の感覚でも分かる。警戒心が強い杏山カズサでも、部室にいるときくらいはリラックスしてて欲しいなと思う。今杏山カズサがやっていることはまだ分からないけれど――きっと、大事で、大変で、けれど有意義で、誇らしいことなんだろうな、ってことは、さっき杏山カズサが言っているときの表情で分かった。
いつか、間接的じゃなくて、直接的に杏山カズサを助けてあげられたらな、と思うけれど。それはそれ。これはこれ。今できることをしっかりとやるだけ。杏山カズサの肩に当てた手に、力を入れ続ける。
「宇沢」
「ん、なんですか? 痛かった、ですか?」
「いや、逆。――宇沢、もうちょっと、力入れられる? むしろ全力で」
「…………」
杏山カズサの方は確かに凝りまくってたけれど。確かに杏山カズサが痛くないようにと本気の本気でやってはいなかったけれど。それでもしっかりと杏山カズサの肩がほぐれるようにと、結構な力は入れているつもりだ。――それを、全力、で?
「…………え、いい、んですか?」
「いいよ。遠慮しなくていいから」
天板に頭を乗せたまま、流し目で私の方を見る。口元がにんまりと上がっているように見えるのは、挑戦的な笑みなのか、はたまた優しい方の笑みなのか、今のところは分からないけど、少なくとも、それを不安げに思ってるわけではなさそうだった。
「……後悔、しないでくださいね」
「宇沢にお願いしてるのに、後悔もなにもないよ。やっちゃって」
そう言ってまた、天板におでこを乗せる。杏山カズサの耳がぴくぴくっと揺れる。
杏山カズサに、なんだか信頼されてるなって、そう思ったら。なんか、……なんか、顔がにやけて仕方が無い。ちょっと今は杏山カズサに振り向いて欲しくない。絶対変な顔してる。絶対杏山カズサに見せられない顔してる。
だから肩にもう一度手を載せて、振り向かないように牽制して。
「じゃあ、行きますよ」
すぐに力を入れないで、牽制したまま、深呼吸。口元を元に戻して、嬉しいなって気持ちはそのままに、杏山カズサのオーダー通りに、全力で、力を入れる。
「――――――んッ!」
さっきまで鼻歌混じりだった杏山カズサから、息が漏れる音が聞こえた。
思わず動きを止める。痛すぎたら逆効果だし、むしろかえって悪化することもあるし。
「い、いや、大丈夫。思った以上に強いなって思った、だけ。続けて、いい、から」
「なんか変な声聞こえましたけど」
「だい、じょうぶ。そのくらい、やんないと、ね」
「…………痛かったら言ってくださいよ?」
「いいから。やっちゃって」
「分かり、ました。じゃあ、行きますね」
力を入れる。杏山カズサのお望みの通り、全力で、力を入れる。
杏山カズサの悲鳴ともうめき声とも鳴き声とも言えない音が、力を入れる度に聞こえてきていて。なんともどんな顔をすればいいのか、最後まで分からなかった。
◇◇◇
ギブアップを宣言して、天板に突っ伏して動かなかった杏山カズサが顔を上げるまで、十分くらいがかかった。
「あー、効いた」
「杏山カズサが全力でいいって言うからですよ」
「や、言ったけどさ。私が言ったんだから宇沢はまったく悪くないけどさ。あー、痛かった。…………でも、気持ちよかった」
「…………へへ」
杏山カズサが振り向く。何十分かぶりに見た杏山カズサの顔は、さっき見たときよりもよっぽどすっきりとしていて、柔らかい表情の――いつもの杏山カズサに戻っていた。
「ありがとね、宇沢」
「どういたしまして。杏山カズサがよければ、いつでもやりますので」
「ん、じゃあまたお願いしようかな。……痛すぎるのは勘弁だけど」
「大体の力加減は分かったので、次は痛くないようにしま……ん?」
ふと、なんだか視線を感じた気がした。
なんとなく振り向くと、部室のドアが、微かに横に開いてるのが見えた。
――あれ、もしかして外に誰か……。
と思った瞬間には、杏山カズサがもう扉の前に居た。――いつの間に。
扉を開こうとしても開かない。どうやらあっち側からも開けられないように力を入れられているようだった。
「――んっ!」
杏山カズサが気合いの声と共に、両手でドアの取っ手を持って、全体重を掛けてドアを開く。足にも力が入っているのが分かった。
力勝負は杏山カズサの方が勝ったようで、ドアが勢いよく開かれて――。
「やっぱり! ヨシミ! ナツ! あんたたち何やって――あっ!」
そして何やら廊下を走る音が聞こえたと思うと、それに遅れて足音が響く。
ばたばたとした足音と静かな足音がほんの数秒聞こえたかと思うと、その足音は急に聞こえなくなる。
そして靴底を引きずる音が聞こえてきたかと思うと、部室のドアから制服の襟を持たれてナツちゃんが引きずられてきた。
「ヨシミは追いかけなくていいのかい?」
「そうしたらナツが逃げるでしょ。あんたは人質。――――で? 何か言うことは?」
杏山カズサが腕を組んで、ナツちゃんの前に仁王立ちする。
正座をするナツちゃんは時々頭をさすってるのはきっと――たぶん、捕まえた時に一発入ったんだろうな、と思う。
「部室でそういうことをやることはよくないよ。倉庫なりもっと人が少ない所――でっ!?」
「そういうことは! やってないっての!」
杏山カズサの拳がもう一度、ナツちゃんの頭に吸い込まれていった。
カズサのショート動画で肩もみの話題が出た瞬間に浮かんだお話がこちら。
レイサがカズサに肩もみをするということは、カズサがそれだけレイサに気を許しているということなのですよね!!!っていうのが書きたかったのです。