ポン、とスマホから音がした。
土曜日の午後。夕方と言うには少しだけ早くて、お昼と言うにはかなり遅い時間帯。ああ、そろそろ甘い物が食べたいな、と思い始める、休日のこの時間。
――こんな時間に送ってくるのなんて……。
一人の騒がしい人物を頭に思い浮かべながら、充電コードに繋がっているスマホを手に取る。
予想通り、【宇沢】と書かれた人物名と、パンケーキの写真のアイコンが画面に映っていた。
【杏山カズサ】
【帰りの電車に乗ってるんですが、外が変です】
「…………ん?」
妙なモモトークが来たと思った。
土曜日だし、明日スイーツ食べに行きましょう! 的なものかと思いきや、なんとも言えない内容。書き込み中の表示が出ていないということは、それから言葉が続くわけではないということで。
「…………ん?」
私の首が勝手に傾くのが分かった。
なんだろうこれは。モモトークの文章をもう一度読んでみる。
電車に乗っている。外が変。以上。
窓の外を見てみるけれど、別に空が妙に赤くなったりしている訳じゃなかった。至って普通の、午後の空だった。
「…………なんだろ、これ」
【どうかした?】
既読だけ付けて何も返さないと、宇沢が変なところで心配するといけないから、ひとまず返しておく。
打ち込んで、何秒か経って。既読がつくどころか、送信失敗の赤いマークが出た。
もう一回送る。送信失敗。もう一回。送信失敗。
「…………」
――宇沢、一体どこにいるんだろ。キヴォトスで電波が届かない場所だなんて、いつぞやにナツの思いつきで行った洞窟の中くらいなのに――。
ひとまず、宇沢が帰りの電車に乗っていることは分かった。とすれば、宇沢が降りる駅はもう分かりきっている。トリニティ総合学園前駅。そこから一駅でも離れれば、宇沢の家からも、もちろん私の家からも遠くなるから、ここ以外はありえない。
「…………ま、暇だし、行ってあげよっかな」
別に宇沢を心配しているとかそういうことじゃない。もし宇沢に何かが起きているのなら、もう少しマシなモモトークを送ってくるだろうから。
とすれば、考えられることは一つ。
――杏山カズサ、駅に来てください。
ってことなんだろうと思う。
よほど電車から降りてすぐに伝えたいことがあるのか、もしくは駅前で食べたいスイーツがあるのかは分からないけど――。モモトークを送ってくれたのなら、それに応えたいと思う。
念のため銃を背負って、玄関のドアを開ける。
「…………ん」
漂ってきた空気の匂いに違和感があって、目を閉じてから鼻で息を吸う。
気温は高くて、空は青空なのに。風に乗って、雨の匂いがした。
「…………なんだ、こっちか」
閉めた鍵を開けて、ビニール傘を取り出す。
「…………まったく、素直に言えばいいのに」
素直じゃないんだから、宇沢は。
騒がしい宇沢は、駅に行けばきっと申し訳なさだとか色々と面倒くさいことを考えて、しおらしくなってることだろう。
宇沢がそんなのだったら、ひとまずデコピンの一発でも入れてやろう。
そんなことを思いながら、私は駅への道を歩き出した。
◇◇◇
歩いている途中、ふっと空が暗くなるのを感じた。
雨の匂いが強くなったと思うのと同時、私は手に持っていた傘を開く。
その数秒後、雨粒が叩きつけるように降ってきた。
ほんのちょっと前までは綺麗に晴れていたのに、空はいつの間にかやってきていた雨雲に覆われていた。
――これなら、宇沢も外が変です、だとか言うよね。
おそらく電車でうとうととしてて、気がついたら雨が降っていた――だとか、そんなオチなんだろうと思う。
まったく、モモトークの中でも騒がしいというか、大げさというか。
――ま、それが宇沢だし、いいんだけどね。
そんなことを考えつつ、駅へとたどり着くと、下りの電車が駅に着く所だった。
トリニティの生徒が次々と改札へとやってくる。二人組や三人組が多い中、宇沢の姿は――見えない。
この列車じゃないのかな、と思いつつ、柱に寄りかかっていると、向こうからとぼとぼと歩いてくる見慣れた姿を見つけた。
顔を上げて、おそらく外を見たのだろう、盛大にため息を吐くのが見えた。
宇沢の位置からは、一応私は見えているはずなんだけど。私の存在に気づく様子もなく、宇沢は改札を出る。そして意を決したかのように両方の拳を握ったかと思うと、屈伸運動をし始めた。
……もしかして宇沢、この大雨の中走るつもりなんじゃ……。
宇沢が私に気づくのを待って、驚くのを見てやろう、と思ったけど作戦変更。
このまま見守っていたら、なんか勝手に走っていきそうだ。
柱から離れて、宇沢の方へと向かう。
宇沢は今度はアキレス腱を伸ばしていた。体育の授業ではよく見る光景だけど、駅の中で見ると、やっぱり違和感しかない。
「宇沢」
声をかける。アキレス腱を伸ばす姿勢のまま、宇沢が固まる。
ゆっくりと、と言うよりも、すごくぎこちない動きで、宇沢の顔が私の方を向いた。
目がまん丸に見開かれて、口は開いたり閉じたりを繰り返して。それから体の動きを思い出したかのように、腕をまっすぐに伸ばして、私を指差してくる。
「な――――なんで杏山カズサがここにいるんですか!?」
宇沢の声が、駅構内に反射するレベルで響いた。
――宇沢、うるさい。
ここで物理的に口を塞いだり、ヨシミにやるみたいに黙らせたりするのもできるけど、なんか宇沢にはしたくなかったし、一応人の目もあるところだし。人差し指を立ててシッと鋭く一言。
宇沢はそれで分かってくれたのか、自分で自分の口を押さえて、それ以上の言葉が出てくることはなかった。
「…………ご、ごめんなさいぃぃ…………」
しばらくして聞こえたのは、情けない弱々しい声。心なしか頭のアホ毛も垂れて見えた。
「いや、大丈夫。……ここ、外だから、声の大きさはほどほどに」
「うぅぅぅ……すみません…………」
宇沢は反省しきり、というよりも落ち込みモードに入ってるような気がした。――このくらいで、珍しい。
「いいから。分かったから」
宇沢の頭に、軽く裏拳を一発。宇沢はこういうとき、声で言うよりも、軽くはたくか頬を抓(つね)るかした方が話を聞いてくれることが多い。
少しすると、宇沢も落ち着いて見えた。
「で、宇沢さ」
「はい」
「まったく……。傘がないなら言いなよ。傘を持ってきてあげるくらい、宇沢にならやってあげるんだからさ」
そんな回りくどいことしなくてもいいよ、宇沢ならやったげるから、とか全部言っちゃうと、どうせ宇沢は変に慌てちゃいそうだから、短めに言う。
「…………へ? かさ?」
宇沢はというと、私の顔をじいっと見て、首を傾げた。――いや、宇沢が呼んだんじゃん。
「いや、へ? じゃなくて。どうせ傘忘れたんでしょ。ほら」
傘を見せても、宇沢は首を傾げたまま。
宇沢が私を呼んだ
「――――――」
「………………」
お互いに見つめ合って、そして二人して首を傾げる。
今日の宇沢は、なんか、いつもと違う気がした。やり取りをしていても、どこか上の空というか、ズレてるというか。空回りしているというか。傘を忘れたとかは、たぶん、二の次。
――電車で向かった先で、何かあったのかな。
なんか、そんな気がする。いつもの宇沢なら、電車で行った先は大体スイーツ勝負のロケハンで、その結果をウザいくらいにドヤ顔で自慢してくるはずなのに。
何かを言いたいけど、遠慮して言えないみたいな、そんな風に見える。
そんな宇沢が心配かと言われたら、心配だ。宇沢にはやっぱり、無駄に元気でいてほしい。
――よし、決めた。
「宇沢、これから時間ある?」
「へ? ……あとは帰るだけなので、時間は、ありますけど……」
「ん、おっけ。そしたら、ちょっとお茶に付き合ってよ」
こんな時は、甘い物を食べて、温かいものでも飲もう。甘味を摂取するだけでも落ち着くのは、私で証明済み。もしそこで、宇沢が話をしてくれるのなら、いくらでも聞いてあげたいと思う。何を話しても、私は笑ったりも、怒ったりもしない。全部受け止める。それが、私にできること。
「ここ来る時、駅近くのパン屋からいい匂いしたんだよね。イートインできる場所もあるから、ちょっとそこでお茶して帰ろうよ」
「――――」
そう提案すると、宇沢の目が大きく開かれるのが見えた。そしてすぐに口元も緩んできて。
「はいっ、お願いします!!!」
駅構内に反響するくらいの、宇沢の声が響いた。さっきと同じくらいの大きさだったけど、今の声は、全然うるさいとも思えなかった。
「よし、じゃ行こっか。この傘大きくないからさ、狭いかもしれないけど、許して。あぁ、一本で使うの嫌なら、コンビニとか寄って買お」
宇沢を連れて、傘を差して外に出る。
一歩出た瞬間、傘に雨粒が叩きつけられる音がした。隣を見ると、宇沢の肩が雨に濡れてるのが見えた。
――こういうとこでも遠慮するんだから、まったく。宇沢は!
「ほら、もうちょっとくっついて。肩濡れてる」
宇沢と繋いでいる手を引いて、無理矢理近づけさせる。肩に宇沢の頭が当たる感触があって、強く引きすぎたかな――と思ったけれど、宇沢の方からは反論の声は聞こえてこなかった。
……それどころか、何秒か経っても、宇沢の頭は私の肩から離れることはなくて、逆に肩に宇沢の額が擦りつけられる感触があった。
犬とか猫ってこういう感じで匂い付けするよね、だとかそんなことを思いながら。私たちはコンビニを経由することなく、目標のパン屋へと歩いていった。
◇◇◇
「あちゃ…………」
行こうとしていたパン屋は、雨のせいか席が埋まってしまっていた。
「うーん……、考えることはみんな同じかぁ……。……どうしよっか、宇沢」
「…………どうしよ、とは?」
首を傾げながら私を見上げる。『これからどうするんですか杏山カズサ?』とその目は語ってるような気がした。仔犬が見上げてくるCMが頭を過ぎる。
「ここで待つのも手ではあるんだけど……この雨の様子だし、一度席に座ったら出ようとは思わないよね」
「……ですね。私なら止むまで雨宿りですかね」
「でしょ。……んー、宇沢、もう少し歩ける? 実は、ここからもう少し離れたところに、なかなかにおいしいパンケーキを出してくれるお店があってさ。駅前から少し離れてるし、そこなら大丈夫かと思うんだけど、どう?」
雨宿りしている人が多数だとすれば、少し歩けば空いているだろう、という考え。
宇沢との勝負で使う予定ではあったけど、今日は勝負というよりも、純粋に宇沢とスイーツが食べたいって思ったから、あくまでもスイーツ会とする。
「――――っ! はいっ! 行きたいです!」
傘の中で聞く宇沢の声は、いつもよりも大きく、そして弾んで聞こえた。
「よしきた。もう少し歩くから、我慢して」
「私は大丈夫ですっ!」
「ん。それじゃこっちだよ」
宇沢と雨の中を再び歩き出して――そういえば、と思う。
成り行きで宇沢と同じ傘を使うことになってるわけだけど、『一本の傘使うの嫌なら、コンビニで傘買ってく?』と宇沢に言っても、結局買わなかったな、と。
宇沢は駅の中にいたときよりもよっぽど元気そうに見えるし、ことあるごとに肩に顔をくっつけてくるしで、傘はきっと一本でよかったのだと思う。宇沢的には。
「ああ、ここだここだ。……ん、人は少ないみたい。じゃあ行こっか」
店の入り口で傘を閉じる。それから一度離した宇沢の手をもう一度引いて、お店のドアを開ける。チリン、と音がするのと同時に、ふわりとパンケーキの甘い香りがした。
◇◇◇
カフェでのスイーツ会を終えて、外に出る。
外は、さっきの雨はなんだったんだろうと思えるくらい、綺麗に晴れていた。
閉じた傘を手にして、二人で歩き出す。
――途端。
宇沢が、傘の中にいたときと同じくらいにくっついてくる。――それどころか、また、肩に頭を預けてくる。肩に宇沢の額が擦りつけられる感覚。
「何」
「なんでもないです。なんでも」
珍しいな、とは思ったけど。このままにしておいた。
「…………ふぅん」
道路はまだ濡れていて、足元から雨の匂いが漂ってくる。
でも、それ以上に――すぐ隣から、焼きたてのパンケーキのような、心地いい香りが漂ってきていた。
過去作(https://syosetu.org/?mode=write_novel_submit_submit_edit&nid=330105&volume=49)のカズサ視点の物語。
物語というものは、見方を変えると空気も違って見えるんじゃないかと思います。
不思議なことがあってちょっとだけぎこちなくなってるレイサを、よく分かんないけど気まぐれだとか直感だとか理由にならない理由で温かく包み込んでくれるカズサという関係は尊いものだと思います。