「杏山カズサ杏山カズサっ! ここ、行きませんかっ!」
さぁ今日も部活で甘味を補給するかー、と部室のドアを開けた瞬間、犬のような勢いで宇沢がすっ飛んできた。
宇沢の背後――いつも部員が座っているところには誰もいなくて、宇沢は部室で一人で寂しがっていたのかな、と思うと、その勢いがほほえましく思えてくる。
「――で、何だって?」
「ここですよ、ここ。スイーツの食べ放題のお店があるそうなんですっ!」
キラキラとした目の宇沢がずいっと見せてきたスマホには、『スイーツ楽園』と店名らしきものと、料金表が表示されていた。
「えーっと、『スイーツ五十種類、アイスにポテトなどの軽食も完備、八十分制で食べ放題』、……ふぅん」
「どうですか? 杏山カズサがこういったところ苦手とかでなければ、ですが」
宇沢は上目遣いで私の顔を見てくる。期待の顔の裏に、ほんの少しだけ心配そうな顔が見えたような気がした。
――スイーツをいくら食べても同じ料金、か。そこまでお金に余裕があるわけでもない私にとっては嬉しいもの、だけれど。……うーん。
「いや、宇沢となら行ってもいいとは思うんだけどさ。……ただこういうのってさ、割と安物の量産品ばっかなんじゃないの? 結局、個別に買った方がおいしくて安上がりだったーってオチが見えるんだけど」
「――――! ふっふっふ……甘い、甘いですよ杏山カズサ。カフェ・トリニティのたっぷり生クリーム載せプリンよりも甘いです」
私の指摘に、途端にドヤ顔でちっちっちっと指を振って見せる宇沢。割とウザい。
「提供されるスイーツは、キヴォトス内の各スイーツ店と提携していて、毎日作りたてのスイーツをお届け――してるらしいんです」
「サイトの文章丸読みじゃん。……つまり、味は間違いない、ってやつ?」
「そうですっ! ひとつのお店でおいしいスイーツが食べ放題っていう、とぉっても素敵で、お得なお店なんですっ!」
腰に手を当てて体を反らせる宇沢は、今にも『えへん、見つけた私を褒めてください!』とでも言いそうな顔をしている。ここで褒めたら調子に乗りそうだから、まだ褒めないでおく。
「ま、宇沢がそこまで言うんなら行ってみよっか。今週の日曜日とか、空いてる?」
「杏山カズサとの約束だったら、何よりも最優先ですっ!」
そこらの生徒が聞いたら変に誤解しそうな言葉を、宇沢は結構な声量で言う。ここに部員の面々――特にヨシミあたり――がいなくてよかったと思う。本当。
「おっけ、じゃあ日曜日に、いつものところで待ち合わせね」
「はいっ! よろしくお願いしますねっ!」
こうして、私は今週も宇沢とスイーツを食べに行くことになった。
◇◇◇
目的のお店は繁華街のビルの最上階にあるらしい。
エレベーターに乗って、十五の数字を押す。音が鳴ってエレベーターの扉が開いた瞬間――賑やかなざわめきと共に、ふわりと、甘いカラメルの香りが漂ってきた。
思い切り息を吸い込みたくなるような、甘くて心地いい香り。口元が、自然と緩んでしまうのが分かった。
この先に待ち構えているものが何なのか、期待が膨らんでいくのが分かる。
宇沢もきっとそうなんだろうな、と隣を向く。
「わぁ――」
予想通り、キラキラとした目をして、口元をぽかんと開けていた。分かりやすいくらいの反応に、思わず笑いそうになって、口に手を当てて防ぐ。
一歩エレベーターから降りると、『スイーツ楽園』という店名が書かれた吊り看板が目に入ってくる。そして右側の壁沿いには、ガラスケースがいくつも並んでいた。
「あれ、なんでしょうね! 見に行きましょう!」
宇沢は我先にとガラスケースに駆け寄っていった。骨を投げられた犬ってあんな感じだよなぁ、と思いつつその様子を見ていると、宇沢はガラスケースの前にしゃがみ込んだ。ガラスケースに写る宇沢の目は、先ほどよりもまん丸に見開かれて、そして輝いていた。私も遅れてガラスケースの方へ。
「…………へぇ……」
『本日のラインナップ』と説明書きがあるガラスケースの中は、スイーツに溢れていた。
苺にメロンにマスカットといったフルーツのショートケーキがあったかと思えば、その隣には、チョコレートケーキ、ベイクドチーズケーキ、レアチーズケーキ、スフレやミルクレープといったホール状のケーキが。その下の段にはモンブランやフルーツタルトやシュークリームといった、単体のもの。そして隣のガラスケースには、ティラミスやムース、プリンといった自分で切り分けるもの。その下にはチョコレートフォンデュのセット。まさにスイーツの楽園の名前に相応しいラインナップ。
「ね、ねぇねぇねぇ杏山カズサ!」
さっきまで目を輝かせてガラスケースの前にしゃがみ込んでいた宇沢が、いつの間にか立ち上がって、私の脇腹に結構な勢いで肘を入れてきた。テンションが上がっててわざとじゃないのは分かるけど、ちょっとばかり息が詰まった。後で覚えてろ。
「あれあれ! ルワゾー・ブッレ監修のケーキですって!」
普段よりも宇沢の声が高く、でかい。素早く移動したかと思うと、嬉しそうに手招きしてくる。
宇沢と共に覗き込んだガラスケースの中には、フルーツがふんだんに乗った正方形のケーキがあった。格子状にかけられた二種類のフルーツソースが見た目も鮮やかで、知らず知らずのうちに喉が鳴る。
「そしてこっち! ハニートーストのチョコミントアイス載せですって! こんなの絶対においしいに決まってるじゃないですか!」
やけに存在感を放っているのがもうひとつ。立方体の食パンの上に、半球状の大きなチョコミントアイスが乗っている。
「…………」
これはプラスチックの見本で、匂いがあるわけでもないのだけれど。見ているだけでよだれが口の中に溜まるのが分かった。
「よく見つけたね、こんなの」
「へへ、杏山カズサの好きなものは、ばっちり調査済みですからっ!」
自慢げに、無い胸を張る宇沢。そんなのまったく自慢にならないのだけれど、それはそれで、なんだか嬉しいとも思ってしまう。
「さぁ、杏山カズサ、行きましょう!」
声からも、表情からも、宇沢がわくわくとしているのが伝わってくる。それが私にも伝わって、今、とても楽しみに感じている私がいるのが分かる。
「ほらほら! スイーツたちが逃げちゃいますよ!」
「逃げないっての」
宇沢が急かすように私の手を引いて、私たちは二人で受付へと向かった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二人です」
受付は吊り看板のすぐ先にあった。
はしゃいでいた宇沢はもちろん気づいていなかったようだけれど――これはもしかしなくても、エレベーターを降りてからの行動が筒抜けだったんじゃ……と思わなくもない。
「料金は、高校生は千五百円となります。その際は学生証の提示をお願いします」
「はい」
さっきから店員の視線が、私たち二人に向いているのが分かる。
受付をするのだからそれは当然、と宇沢は思うだろうけれど、視線の種類が違う。対応するというよりも、何か見定めをするかのような、そんな視線で。
宇沢と、私の間を、店員の視線が交互に行き来するのが見えた。――ほんの少しだけ、警戒をする。
「また、カップル割を適用しますと、そこから更に三百円引きとなります」
「………………」
――――――え?
聞こえてきた言葉を、頭が理解してくれなかった。
…………あー、えーっと。――――今、なんて言った?
お金と学生証を出そうと財布を持ったまま、動きが止まってしまう。
店員を見る。にっこりとほほえまれた。
「…………え、と。カッ、プル割、って……?」
聞こうとした言葉は、つっかえてうまく出なかった。ほんの一言なのに、言うのにものすごく力を使った気がする。
「カップル割制度は、お二人で来店された方向けの割引きサービスとなっております。お二人とも、店内にいらっしゃったときから大変仲がよいようにお見受けしましたので、ご提案をさせていただきました」
――店内に、いたときから。
――…………やっぱり宇沢の行動ばっちり見られてたんじゃん! このバカ!
隣に立っている宇沢を割と強めに肘で小突く。げふっと声が漏れるのが聞こえた。
なんか、急に店内の温度が上がった気がした。同時に酸素が薄くなった気がした。
実際全然そんなことはなくて私の気のせいなのだろうけれど、実際そう感じてしまうんだから仕方がない。
宇沢と私が。カップル割を使う。それってつまりは――。
全力で頭を動かす。店員がそう言うのならば、きっとここで私が首を縦に振れば適用はできるんだろう。三百円と言えばケーキひとつ分安くなる計算。たかがケーキひとつ分、されどケーキひとつ分。弾薬費とスイーツ代をどうひねり出そうかと日々悩む私たちにとっては、願ってもない提案で。
だからこそ悩む。『カップル割』という言葉に。
それはつまるところ――そういう意味、ということで。
「…………あー、その……」
自然と、手が頬を掻いてしまう。うまく、店員と目が合わせられない。
――合わせたら、なんだか、恥ずかしさで死にそうで。
「…………?」
ふと、体の重心がズレる感覚。
宇沢の手が、私の服の裾を掴んでいるのが見えた。
「えと。杏山、カズサ……。その…………」
日頃から、そしてほんの数分前まで盛大にうるさかった宇沢は、消音器(サイレンサー)付きの銃声ですらもかき消えそうな声で、私の名前を呼ぶ。普段なら、自分自身のショットガンをぶっ放しながらの声ですら、私の耳に届くというのに。
「私たち、……そ、そう、なん、です、かね…………」
私と同じように頬を掻きながら、困ったように宇沢は笑って、私の顔を見上げる。
「…………どう、だろ」
宇沢とも、なんだかうまく視線が合わせられない。合ったかと思ったら離れて、気温が更に高くなって。なんとも言えない気まずい空気が流れるまま、時間ばかりが過ぎる。
私たちはどちらからも、はい、とも、いいえ、とも言えず――もどかしい時間が流れて。
「――では、適用しておきますね。千二百円になります」
店員の声で我に返った私たちは、慌てて千二百円ずつを出す。
レシートを受け取ったあと、私たちはこのお店の仕組みについて話を受けたのだけれど。正直、何を言われたのか、覚えていない。
◇◇◇
「あー、つっかれた…………」
「ええ、私もです…………」
指定された――らしい――席の椅子に座って、私たちは二人して背もたれに体を預けていた。
ここは入場してから八十分の時間制。できるのなら、すぐにでも店内中央にあるケーキバイキングや、ガラスケースの中のアイスや、フルーツの盛り合わせや、口直し用のパスタを取りに行きたいところなのだけれど――。さっきから心臓が高鳴ったままだし、全力疾走をした後なのかと思えるくらい、体にはだるさが残っていた。
「あー…………」
受付で、カップル割を適用するかどうかを店員から聞かれたとき。私の口からは、すぐに否定の言葉は出てこなかった。もちろん、否定したくはないというのはあるのだけれど、かといって、肯定の言葉が出てくるわけでもなくて。
――そうであってもいい、と思う自分と。
――それを言うのは恥ずかしい、と思う自分と。
――それを宇沢の前で言ってもいいのか、と問う自分と。
頭の中で自分たちが好き勝手言うものだから、言うに言えず――結局やきもきしているうちに、店員に『そういうこと』として処理してもらった形で。
「………………あーーー………………」
別に今、首から『カップル割適用中』と札を下げているわけでもないのだけれど。なんだか――そうやって店に入ったということが、恥ずかしいというか、嬉しいというか、くすぐったいというか、こそばゆいというか、誇らしいというか――。
受付を過ぎたあとも、ずっと、心臓はうるさいし、気温は高いし、そわそわするしで、さっぱり、落ち着かない。
私がそうなんだから、おそらく宇沢も――と思い、テーブルの反対側で脱力していた宇沢に目を向けると。
「――よし、とりあえず、取りに行きましょうか!」
いつの間にやら復活していた。うらぎりものめ。
「種類はたくさんありますし、ひとまずおいしそうだと思うもの持ってきましょう。それで、おいしいものを二人でシェアしたりしましょう! なんだってここは――スイーツの楽園なんですからねっ!」
そう言い残して、宇沢はぱたぱたと駆けていく。
立ち直りが早いなぁと思いつつ、私は宇沢のパステルブルーと桜色の髪がぴょこぴょこと跳ねるのを、その耳が赤くなっているのを、椅子に座ったまま、眺めていた。
――ひとまず、宇沢が持ってくるケーキをちょっとずつもらおうかな。
私の心臓の音や顔が熱いのが治まるのは、もう少し、後になりそうだから。