授業が終わって、掃除の時間が終わって、放課後の時間がやってくる。
私が焼却炉へのゴミ捨てを終えて教室に戻ってきた時には、掃除をしていた人もすっかりいなくなっていた。――これは別に私があれやらこれやらという訳ではなくて、ゴミ捨てに立候補した時に『終わったら先に帰ってていいですよ!』と言っていたから。そのおかげで、今の教室はがらんとしていて、ちょっと前までの賑やかさはない。
カーテンを閉めた窓からは、外で部活動をやっている人の声と、どこからか聞こえる爆発音。もはや聞き慣れた音がする。
今の時間帯で教室棟に残っている人なんてのは、補修を受けている人か、机で寝たまま起こされていない人か、もしくは誰かを待っている人か――大体そのくらいだろうと思う。
じゃあ私は、と言えば。
スマホを取りだして、モモトークを起動する。
表示されているやり取りを見て、少しドキドキしてくる。緊張……なのかもしれない。
【杏山カズサ! 水曜日の放課後、お花見をしましょう!】
【お花見用のお菓子を準備してください!】
【集合時間と場所は、放課後四時三十分に私の教室で、お願いします!】
私の発言の後に、杏山カズサの【OK!】のスタンプが貼られている、
そして今日は水曜日。午後の四時過ぎ。
もし杏山カズサが朝の英単語テストの追試を受けても、問題なく間に合う時間にしてある。集合時間まではまだもう少しあるのに、なんか椅子に座ってるのも落ち着かない。立ったり、座ったり、廊下の様子を見に行ったり、リュックの中を見て忘れ物がないか確認したり――と落ち着かない時間を過ごしていると。
「――――!」
聞き慣れた、けだるげな足音が廊下から聞こえてきた。教室から飛び出す。廊下の真ん中を歩いてきていたのは、私の大好きな人、杏山カズサだった。
「――――杏山カズサっ!」
その姿が見えた瞬間、私の体は勝手に動いていた。
「おっとっと」
私が飛びつく様子を見せても、杏山カズサは避ける様子をまったく見せなかった。私をしっかりと抱き留めてくれた杏山カズサは、私の頭を優しく撫でてくれる。
「っと……、あれ、もしかして結構待った?」
「いいえっ! 私が待ちきれなかっただけですっ!」
「そ」
杏山カズサは小さく頷くと、私を抱きしめた体勢のまま、また私の頭を撫でてくれる。
間近で見る杏山カズサの優しい表情は、見ているだけで胸がドキドキとしてくる。放課後の廊下なんて誰もいない。ならここで杏山カズサが離すまでずっと抱きついててもいいんじゃ――と頭に浮かぶけど、ひとまずやめておくことにした。
――今日のメインは、この後なのだからっ!
「さ、杏山カズサ、こっちですよ」
名残惜しいけれど私の方から離れて、杏山カズサの手を引く。向かうは、私の教室。
「宇沢、これ何?」
教室の扉の前に来た杏山カズサは、扉に貼られている紙を指差して言う。
『掃除中につき、立ち入り禁止!』
プリント二枚を貼り合わせた紙に大きく書かれた私の文字を見て、杏山カズサは不思議そうな顔をする。
「まぁまぁ、入れば分かりますよ」
扉を開けて、杏山カズサの手を引いて教室の中へ。
中を見回して、杏山カズサは目を瞬かせた。
「あれ、誰も来てないんだ?」
「はい、私と、杏山カズサだけです」
「……ん、そっか。で、お花見って?」
「はいっ! 杏山カズサ、こっち来てください!」
杏山カズサが私の教室に来るのは初めて。だからか、私が窓際の方へと足を向けても、杏山カズサは遠慮してか、入り口に立ったまま周りを見渡すばかり。
「ほら、こっちですよ」
「んー。……私、他の教室に入るのって初めてだからさ。なんか、いいのかなーって」
「私があなたを呼んだのでいいんですっ! さぁさぁ!」
まだ足を止めたままなので、杏山カズサの所へ向かって、その手を握る。そして手を引いて、私の机――窓際の、後ろから三番目へと案内する。
「今日のお花見はぁー、こちら、ですっ!」
締めていたカーテンを、思いきり引っ張る。杏山カズサが窓の方を見て、「……へぇ」と声を漏らすのが聞こえた。
窓の向こうに、大きな桜の木が見える。そしてその桜の木は満開に咲き誇っていて、綺麗な桃色をしていた。
「なるほどね、お花見ってそういうこと、か」
「はいっ! 私の教室からだと、ちょうど裏庭にある桜の木が見えるんですよっ!」
「確かに、私の教室とは違うね。こっちだと、窓から見えるんだ。へぇ……」
杏山カズサはうんうんと頷きながら、窓際へと移動。そして窓から下を覗き込んで――。
「あー、桜も凄いけど、人もやっぱりすごいね」
「はい、私が見てる限り、桜が咲いてからはずっと木の周りは争奪戦ですね。時々銃声も聞こえます」
「それ、自警団の宇沢は行かなくていいの?」
半分苦笑いといったような杏山カズサが見える。今は皆が落ち着いてそれぞれ準備したシートに座ってるけれど、放課後になった直後とかは、物理的に場所の争奪戦が起きているのを、私は知っている。自警団の当番の時には、そこを重点的に回っている位には、結構危ない場所。
「今は何も起きてないみたいですし、今日は当番じゃないですから。……何より、今は、杏山カズサと一緒にいるほうが大事です」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
窓の手すりに肘を当てたポーズのまま、杏山カズサは私の方を向いて、にかっと笑みを浮かべる。頭の猫耳も、ぴこぴこと揺れるのが見えた。
「ということで、今日は誰も邪魔が入らない所で花見をしようかと思いまし――あ」
そうだ、杏山カズサが来てくれた嬉しさで忘れてた。
「杏山カズサ、ちょっと待っててくださいねっ!」
杏山カズサの返事を待たずに、教室の扉の方へ。サムターン式の鍵を回すと、カチャリと音がした。そして壁に立て掛けていたモップを持って、ドアに平行に立て掛ける。前の方を終えたら、後ろの方も。
ちゃんと開かないようになっているかを念のため確認。扉に手を掛けて横に引っ張る。力をほどほどに入れても、鍵とモップのおかげで、扉が開くことはなかった。工作は完璧。思わずガッツポーズ。
「よしっ」
「いや、よしっ、じゃなくて。誰か入ってこようとしたとき困るじゃん」
杏山カズサの声が聞こえてくる。さっきと同じ場所のまま、ジト目で私の方を見ていた。『宇沢、また変なことして……』とでも言いそうな顔をしている。
「いいんですよ。放課後ですし。妨害工作を万全にしておけば、人も入れません。――そもそも、この時間に教室に来る人なんていませんから」
「…………もしかして、入り口に貼ってた紙ってさ……」
何か思い立ったのか、杏山カズサの耳がピン、と立つ。それからさっきよりも細められたジト目で見られる。
「へへ。察しがいいですね杏山カズサ。そうですっ! 私の華麗なる作戦で、教室に私たちだけの状況を作り出すことに成功してますっ!」
「…………宇沢ってさ、時々アホだよね」
杏山カズサが窓枠に頬杖を付きながら、盛大にため息を吐き出すのが見えた。でも、ジト目で見てくる一方で、口元は笑っているように見えた。
「へへ、誉め言葉として受け取っておきます。せっかくのお花見ですし、杏山カズサと一緒にいたいですから」
「…………ま、うるさいよりはいいけどね」
杏山カズサはそう言うと、外の様子を見るためか、顔を窓の向こうへと向ける。手すりに肘をついて見下ろす杏山カズサの頭の耳がぴこぴことせわしなく動いてるのを見て。……なんだか杏山カズサが愛おしく思えた。
杏山カズサと一緒にいたいってのは、私の本心だ。だからそれをそのまま言ったのだけれど――むしろ私の方も恥ずかしくなってきた。杏山カズサが急に照れたせいだ。きっとそうだ。
杏山カズサがこっちを向いていないことをいいことに、ラジオ体操よろしく大きく深呼吸。さっきから心臓がうるさくてうるさくて仕方がない。何回も大きく――杏山カズサには聞こえないように――深呼吸をして、胸に手を当てて、動きがちょっと収まったのを見計らって、杏山カズサがいる窓際へ。
「さ、杏山カズサ座って座って。そこじゃお花見はできてもスイーツが食べられませんよ!」
机を移動させて、窓際にぴったりと付ける。そして前の席の人の椅子を逆向きにして、私の机に向かい合って座れるようにする。
杏山カズサに先んじて、椅子に座る。視線を窓の方に向ければ、桜の木がはっきりと見えた。
「ん。……そこって、宇沢の席?」
「はいっ! 正真正銘、私がくじ引きで勝ち取った席ですっ!」
「くじ引きに勝ち取るも何もないと思うんだけど。……へー、意外と机に落書きとかはしてないね」
「してないですよ!!」
私の――何も書かれていない――綺麗な机を覗き込んで、杏山カズサがうんうんと頷く。
杏山カズサは私を何だと思ってるんだろう。落書きはそんなところにはしない。
窓際の席は、日光が当たって温かさで眠たくなるし、時々日差しが眩しい。でも、今日ばかりは窓際の席でよかったなって思う。杏山カズサと一緒にお花見をするっていう、理由が付けられたから。
杏山カズサは私の机の横に立ったまま、座ろうとしない。……遠慮、してるんだろうか。
「ほーら!」
「はいはい」
机をぺしぺしと叩くと、杏山カズサは遠慮がちに椅子の方へと向かう。ちらりと私の方を見る杏山カズサの目は、『これ、座っていいの?』と言っているように見えた。頷いて見せると、杏山カズサは椅子に座って、そしてその背もたれに肘を乗せて、頬杖をついた。
杏山カズサと向かい合って座るというのが、カフェでも何度も体験しているはずなのに、なぜか今日に限っては妙にドキドキするなと思いながら顔を上げると、杏山カズサと目が合った。あちらも恥ずかしそうに頬を掻いて見せた後に、窓の方を向いた。
――もし、私と杏山カズサが同じクラスだったのなら、こうやってお昼や放課後も話せたりするのかな――なんて考えが頭を過ぎった途端、顔が変に熱くなるのが分かった。
教室の中は静かで、聞こえてくるのは風が吹いて、カーテンを揺らす静かな音くらい。
風のおかげで、顔の熱さは少しだけマシになったけれど、胸がうるさいのは変わらないまま。
「去年、さ。皆で花見したじゃん」
静かな時間が流れていく中、杏山カズサは頬杖を付いたまま、ぽつりと言う。
「はい、しましたね。杏山カズサは、場所取りもしましたっけ」
「うん、私だけ妙に早い集合時間を言われてさ。……公園じゃなくて、教室でも花見ができるのは、知らなかったな」
しみじみと杏山カズサが言う。杏山カズサは、あの時はかなり朝早く来たらしいし、私が来るまでの間、席の奪い合い――というか確保に気を使ったって、いつぞやに喫茶店で愚痴ってた。
窓の外を眺める杏山カズサの横顔は、綺麗で、どこか懐かしいことを思い出しているような、そんな優しさがあった。
そして、杏山カズサは私の方をちらりと向くと。
「宇沢と、こうやってゆっくり花見ができる場所があるんなら、もっと早く知ってたらよかったなぁって」
「――――」
だなんて、言う。
ぽつりと言うその言葉に、声が詰まりそうになった。なんか耳が急にすごく熱い。あと顔も熱い。そんな――そんな急に、嬉しくなること言わないでくださいよ、心臓の準備ができてないときにそれは不意打ちですよ!!
「それは、仕方ないですよ。それまで、結構な人がここで花見してましたから」
――正直、私だって、杏山カズサを誘うかどうかですっごく悩んだんだから。
杏山カズサと
私だって、色々と準備と作戦があった。色々と。――その大半が、心の準備だけど。
「…………、放課後スイーツ部の皆さんも、呼んだ方が良かったですか?」
窓の向こうをずっと見ている杏山カズサを見ていて、ふと、そんな考えが浮かんだ。私だけとだと、杏山カズサも緊張したりしてるんだろうか、だとか、そんなことが頭を回り始めていたら、
「いや、宇沢と二人がいい」
窓の向こうを見たままではあるけれど、即答してきた。
――今度こそ本当に息が詰まった。
「………………」
なんて言葉を返そうかと、頭を巡らせるけど全然言葉は出てこない。杏山カズサの頭の耳が、さっき以上にぴこぴこと動くのを見ていることしかできなかった。
「…………そ、ですか」
「ん」
結局、私が返せたのは返事とも言えない微妙な言葉で。それでも杏山カズサは満足そうに頷いてから、私の方を見て。ゆっくりと目を細めて見せた。
――あ。
杏山カズサの前髪に、桜の花びらがついているのが見えた。杏山カズサの髪色と同じ色が、前髪に加わって、その姿が余りに綺麗すぎて、見とれてしまって――――。
「――――――、そうですそうです。花見ってことで、色々と、準備してきましてっ!」
『花見』というワードが頭に戻ってきて、色々と忘れていたことを思い出した。
そうだ。杏山カズサと一緒に桜の花を見るのが花見ではあるのだけれど、私たちは放課後スイーツ部。スイーツを心の底から、こよなく愛する人たちが集まった部活。
「まずは、これ、お茶ですっ!」
リュックの中からトリニティ製水筒型ケトルを取り出す。バッテリーで動く万能ケトルで、朝に注いだものが、放課後の今も中身は熱々だ。
同時に紙コップも取り出して、中に入った紅茶を注ぐ。教室の中に、紅茶の香りがふわりと広がった。
「続きましてはぁー! こちらっ!」
続いて取り出したのは、パックに入った三色団子と、桜餅。やはりお花見と言えば三色団子と桜餅。お昼休みにトリニティ通りまでダッシュして買ってきた。
そして和スイーツだけじゃなく、甘さが強めのドーナツも準備。買ってからそれほど時間が経っていないクリーム&クリスピーのプレーンドーナツは、コーティングされた砂糖がつやつやとして見えた。
私の机が、一気にスイーツたちで彩られる。そしてそれまで春の香りが漂っていた私の周りが、一気に紅茶とスイーツの甘い香りに包まれた。杏山カズサと一緒に感じるこの空気の匂いが、私は大好き。
「宇沢、準備いいね」
「へへ。杏山カズサとのお花見ってことで、ちょっとダッシュして買ってきました。和スイーツの方は、お菓子の絹屋で予約して買ったので、できたてですよ!」
「そこまでしなくてもいいのに。私は宇沢と――」
「私が! 杏山カズサと! おいしいスイーツを食べたかったので!」
ちょっと遮る。それ以上聞いたら、なんだか恥ずかしくて爆発してしまいそうで。
「ありがとね、宇沢。じゃあ私も……っと」
杏山カズサはいつものバッグを膝の上に載せて、中を探しながら『今日は再テストに引っかかったら時間的に足りないから、頑張って回避したんだよねー』だとか言う。今日の花見の予定のために、そしてスイーツを買うために、朝のテストを頑張ったと聞いて。なんか、なんだか、胸がむずむずする。――嬉しい。
ちょっと口がにやけそうになって、頬を抓んで自分でむにむにとする。鞄から紙の箱を取り出した杏山カズサは、私の方を見て変な顔をしていた。
「何やってんの」
「なんえもないえふ。なんえも」
顔のにやけはなんとか抑えられそうだ。――心臓の方はどうにもなんないけど。伝わらなければ大丈夫。
「宇沢からモモトーク貰ってたからさ、私も花見って事でどんなのがいいかって結構探してさ。じゃーん、カフェ・トリニティの限定マカロン。春味」
箱の中から出てきたのは、緑色と桜色の、二種類のマカロン。サイズはいつものよりも、心なしか大きく見えた。
「――と、言うことで」
杏山カズサは取り出したマカロンを手に取ったかと思うと、私の方に突き出してきて――。
「宇沢。口開けて」
――なんてことを、言ってきた。
「――――――へ」
思考が止まった。いや、仕方ないと思う。
杏山カズサが、マカロンを手に取って、私に向けてきた?
それどころか口開けて、とか言ってきた?
いやそれつまるところ――――。
「いいじゃん。誰もいないんだし。妨害工作は万全なんでしょ?」
「…………いや、そう、ですけど」
「じゃあ恥ずかしがることないじゃん。はい、あーん」
私の真似をして、と言わんばかりに、杏山カズサは自分の口を大きく開ける。ほんのりとリップの乗った唇の向こうに、鋭い犬歯が見えた。
真似をして、と言われても、私はまだ心の準備ができてないんですが――――!?
口を開けた途端に杏山カズサの手が私の口に突っ込まれるだろうことは、これまでの付き合いですっごく分かってるから、口を物理的に開けなくて、言葉も出せないままでいると。
「ほら。私も食べたいんだから。さっさと口開ける」
さっさとと言われても――っ!!
さっきよりも近づけさせられたマカロンから、桜餅の葉っぱの香りがした。桜餅フレーバーのマカロンって珍しいな、と思って、ふと杏山カズサの方を見て。
「あ」
少しだけ閉じて、もう一回口を開けるジェスチャー。
『早く開けな。さもなくば無理矢理入れる』
杏山カズサの、獲物を見つけたような目は、そう語っていた。
逃げようがないのを悟って、息を一つ。これはため息じゃなくて、覚悟を決めるための吐息。あと、どうしようもなくうるさい心臓を静めるための時間稼ぎ。
「………………ぁ」
口を開く。杏山カズサの方はやっぱり見られなくて、目を閉じる。前の方から、くすりと息を吐く音が聞こえたと思った、その数秒後。下の歯に何かが当たる感触があった。
杏山カズサの指を噛まないように、おそるおそる口を閉じる。カリ、と硬いものを囓る感覚があったと思った瞬間、桜餅の香りが口いっぱいに広がった。
「――――」
甘い。でも甘いだけじゃなくて、桜餅の皮の部分と葉の部分の風味もしっかりとあって、その上で桜餅の白あんの甘みもしっかりとあって。マカロンを食べているのに、桜餅を食べているような気分になる。そして舌触りも絶妙で、マカロンが口の中でほろほろと溶けて、それ以上噛む必要がなかった。
「………………おいひい」
「でしょ。春限定の桜餅風味。珍しいでしょ」
杏山カズサはそう言って、にひっと嬉しそうに笑う。「宇沢って本当に美味しそうに食べてくれるから、スイーツの選び甲斐があるよね」だとか言いながら、杏山カズサもマカロンを手に取って、囓る。目が優しく横に細められて、頭の耳が今日一番の大きな動きを見せる。
杏山カズサも、おいしいって思っているのが、言葉以上に耳の様子を見ているだけで分かる。きっと杏山カズサに猫みたいな細い尻尾があったのなら、せわしなく動いているんだろうな、と思える。
さっきまで口の中にあったはずのマカロンは、飲み物のように口の中から消えていった。
――名残惜しいな、と思えるのと、おいしかったなと思えるのと、もうひとつ食べたいなと思えるのと、買ってきてもらったのを杏山カズサよりも先にいっぱい食べるのはよくないですよねと思うのと。
色んな考えが頭を過ぎって、杏山カズサとマカロンの間を、知らず知らずの内に視線が往復していて。
杏山カズサが吹き出すように笑うのが聞こえるまで、杏山カズサが私の方を見ているのに、気がつかなかった。
「いいよ。もういっこ。――これは宇沢に食べさせるために買ったようなもんだしさ」
「…………顔に出てました?」
「うん。――――また、食べさせてほしかったりする?」
「~~~~~~っ!」
そんないたずらっ子みたいな顔で見ないでくださいよ杏山カズサ。
あなたの気まぐれな行動でどれだけ私が乱されてるか知らないんですか杏山カズサ。
私だっていっぱいいっぱいなんですよ杏山カズサ。
それに抗えないのが分かってて言ってますよね杏山カズサ。
――ああもうあなたって人は。杏山カズサ、あなたって人は!!!
「~~~~~~、…………お願い、します」
「ん、素直なのはいいこと」
自分の事を棚に上げてますよね、だとか言ったら、多分飛んでくるのはマカロンじゃなくてデコピンだから、言わないでおく。
「宇沢ってさ、意外と甘えたがりだよね。今までのやりとりからしてさ、そうは見えなかったけど」
マカロンを手にしながら、杏山カズサは言う。
それは、いつの『今まで』なんだろうって思う。
中学校の頃だろうか、高校入ってすぐの頃だろうか、私が放課後スイーツ部に入ってからの頃だろうか。――どれにしても、今の私がそう見えるのなら、それ、絶対にあなたのせいですよ、杏山カズサ。
あなたと一緒に色んな事をやってきて、あなたなら何をやっても大丈夫だって、信用できるって、思えるようになったんですから。
――恥ずかしいから、絶対に、絶対に言えないですけど。
「へへ。杏山カズサにだけです」
胸のドキドキを、きゅんとなる切なさを、胸の中に押しとどめて。いつものように笑ってみせる。杏山カズサへ限定の、人なつっこい私を見せる。
「あっそ。はい、口開けて」
「はいっ!」
大きく口を開ける。今度は、杏山カズサの顔が、しっかりと見れた。
猫みたいな優しい笑みを見せて、頬杖を付いた、私の大好きな杏山カズサの手が、ゆっくりと私の口元へと伸ばされて。
口の中に、甘い香りが広がった。
さっきよりも、甘みと香りが、より広がる感じがした。
そして口の中に入ったマカロンは、さっきと同じように、飲み物のようにあっという間に喉の奥へと流れていった。……もっと口の中で楽しみたいのに、『おいしい』は一瞬だ。
――なんてことを思っていると。
「うーざーわ」
杏山カズサが、私に向けて人差し指を口に当てて見せる。
これは『黙って』という仕草ではないのは、杏山カズサの表情で分かった。ウインクして見せるのを見て、『私にも食べさせて』と言っているのは、目に見えて明らかで。
――甘えたがりになってるのは、杏山カズサも一緒じゃないですか……。
とは、思っていても言えなかった。それ以上に、甘えてくれる杏山カズサが可愛くて、そして嬉しくて。勝手に、口が緩む。
「杏山カズサ、どっちのフレーバーがいいですか?」
「どっちでも。宇沢が好きな方で」
どっちがいいかな、と選んでいると、『ほら、早く』と猫みたいな目をした杏山カズサが視線で伝えてくる。
箱の中の二色の割合は、私と杏山カズサで既に緑色を三つ食べていて、圧倒的に桜色が優勢だ。だったらバランスを取るために桜色の方を。いや、でも杏山カズサは『私に食べさせるために買ったようなもの』って言ってくれたなら、桜色を最初に食べるのは――――。
色々と、悶々と考えて。結局、杏山カズサが食べさせてくれたものと同じ緑色を手に取った。持った瞬間、杏山カズサは目を瞑って口を開けてきた。
「………………」
杏山カズサの、まるっきり無防備な姿がそこにあった。
ここで、別のものを口に入れることだってできるんですよ杏山カズサ。
いくらここに二人きりと言っても、あなたはそんな無防備でいいんですか杏山カズサ。
口に入れなくても、デコピンしたりとか頬を抓ったりとかもできるんですよ杏山カズサ。
――やりませんけどね!!!
大好きな人にそんなことはできないから、私はマカロンを、杏山カズサの開いている口へと入れる。
杏山カズサが指を噛まないように、マカロンの先の方を持って、さっき杏山カズサがやってくれたように、下の歯へとマカロンを触れさせる。
途端、杏山カズサの口が閉じて、マカロンから、カリッと音がした。
それから杏山カズサはもぐもぐと口を動かして、ごくんと喉が鳴って。目を開く。
にんまりと、優しい顔を見せて。――不意に、胸がドキリと鳴る。
「ん、おいし」
「ねっ!」
おいしいを共有できた嬉しさで、さっき鳴り始めた心臓が、引き続き大きく鳴り続ける。
杏山カズサがまた口を開けて、『もう半分も食べさせて』と視線が言うから、同じく口の中へと入れる。口が閉じられるのが早くて、危うく指も巻き込まれる所だった。今、杏山カズサに噛まれたりとかしたら――心臓が、本当に持たない。
そんな私の状況を気にも留めず、杏山カズサはマカロンを咀嚼して、飲み込む。
心臓がうるさくて仕方が無いから、紙コップの紅茶を飲んだら、杏山カズサもほぼ同じタイミングで紅茶を飲んでいたようで。
「「はぁ…………」」
二人で、吐く息が重なった。
「「…………ぷっ」」
そして同時に、二人で吹き出して。
くすくすと笑う声が、教室の中に静かに広がっていった。
[newpage]
結局、花見という名目で始まったものが、気づけば教室スイーツ会になって二人で話し込んでいるのを二人で自覚したときには、外は夕焼け空になっていた。さっきまで蒼空の下に映えていた桜色は、今は茜色に照らされて、違う印象を見せていた。
椅子に座ったまま、二人で窓の外を見る。外からは、先ほどと変わらず、部活の音と、風の音が聞こえてきていた。
「ね、宇沢」
「はい?」
杏山カズサが私を呼ぶ。ちらりと見ると、視線は窓の外に向いたまま。
「次は、下からの花見しよっか?」
下からの、と言うことは、桜の木の真下に行くということ。見下ろすと、先ほどまでと変わらず、人がたくさんいるのが見える。
去年やったみたいに、皆でやるのかな、と思った。
「皆さんと、ですか?」
隣を見ると、杏山カズサの視線が私の方へと向いていた。少し見つめ合ってから、杏山カズサは猫みたいにふっと笑って。
「いや、宇沢と、二人で」
「…………」
いいんですか、の言葉は、口からは出なかった。
――私と二人で。たくさんの人がいる場所で。
――それでもあなたは、いいと言ってくれるんですか。
どうしても、口からは言葉が出てくれなくて。じいっと杏山カズサの顔を見ていると、杏山カズサは、猫みたいに笑ったまま頷いた。そして分かってるよ、と言うかのように、私の頭を撫でてくれた。
手の動きで、その優しい笑顔で、杏山カズサは私の不安も、遠慮も、全てを吹き飛ばしてくれる。
「お昼ご飯食べるときに、シートとかで一緒に場所取ってさ。放課後に一緒に行って、場所取られてたら実力行使で取り返そ」
「実力行使でとりかえす」
「うん」
思わず
――あまりにも物騒で、あまりにもいつも通りな、その言葉。
「ま、宇沢となら変なのが出てこない限り大丈夫でしょ。場所確保したら、今日みたいにスイーツ会しよ」
「…………ですね」
杏山カズサだったら、きっとどんな手段も使うんだろうと思う。そして杏山カズサと一緒だったら、ある程度のことはこなせると思う。だって、これまで何回だって、一緒に背中を合わせて戦ってきたのだから。
大丈夫でしょ、とはっきりと言ってのけるそんな杏山カズサが、頼もしいと思う。そして、愛おしいと思う。
「はいっ! やりましょう!」
次やるとしたら、きっと桜の花びらがひらひらと舞っている中なんだろうな、と思う。杏山カズサに桜色はすごく似合うから、きっと今以上に、杏山カズサが綺麗に見えるんだろうな、と思う。今ですら、こんなにドキドキしちゃうんだから。そんな中で見たら――きっと、見とれちゃうくらい、綺麗なんだろうなと。そんな確信だけがあった。
「じゃ、企画よろしくね。楽しみにしてる」
「…………――――今度は杏山カズサの企画じゃないんですか?」
しれっと企画が私に投げられてきたので、投げ返しておく。
ほんの一瞬、『楽しみにしてる』って笑顔で言われて、胸が変に高鳴って、そのまま頷くところだった。危ない危ない。――照れさせたらそう簡単にはいと言う私じゃありませんよ杏山カズサ。
「あ、バレた?」
「バレバレですよ杏山カズサ。私はそう甘くはありませんよっ!」
「仕方ない、じゃあ今度は私が企画するよ。――今日のは、宇沢が私と二人きりになりたいって思って、頑張ってくれた企画だからね。宇沢にお返ししなきゃ」
「………………」
さっき以上に、胸が鳴るのが分かった。今日一番に、顔が熱くなるのが分かった。
「…………なんてね」
頬を突かれる感覚。
杏山カズサが私の方を見て、猫みたいに、イタズラを終えた子どもみたいに、くすくすと笑っているのが見えた。
「――――――~~~~~~っ!」
――ああもう。
――なんであなたはそう、私をドキドキさせるんですか。
――私の心臓が持ちませんよ杏山カズサ。
茜色の夕陽で逆光になった杏山カズサの笑顔は、眩しくて、可愛くて。――そして、綺麗に見えた。
C105で頒布する『White Lily's Story in Kivotos』より、レイカズ&カズレイの作品をサンプルとして掲載します。
表紙イラストに繋がる物語、二人の温かい空気感を感じていただければ嬉しいです。
このお話を含む、合計22編の百合作品短編集を、12月29日(一日目)東地区K-13a 『もちもち和菓子』で頒布します。
C104の既刊も少部数ですが頒布しますので、こちらもよろしくお願いします!
お品書きや頒布物の紹介については、下記URLを参照ください。
https://www.pixiv.net/artworks/125359402