一晩休んで、疲労の方はすっかり抜けた様子の斬だが、その代わりに今度は酷い筋肉痛が全身を襲っているらしく、ヒイヒイ言いながら歩く斬を呑気に応援しながら学校に着いた頃には、ホームルームが始まる直前の時間になっていた。
「ンだよ、来ねぇのかと思ったぜ」
二人で教室へ入ると、斬の横の席、先日まで木下が座っていた席にドカリと腰掛けた貫木が、行儀悪く机の上に両足を乗せてニヤリと笑っていた。
頭の後ろで組んだ左腕は、包帯でグルグル巻きだ。
前日別れた時には歩くのも辛そうだったのに、涼しい顔で「よお」なんて言っている。
この世界の連中の頑丈さは異常だ。
「っつーか斬、お前何で昨日よりしんどそうにしてんだ?」
「きっ、筋肉痛で……」
「
俺の言葉を聞いた貫木が脇差の鞘で斬の脇腹を突く。
「あひいっ!?」
「アハハハハッ!? 何だよそのザマは! 面白えヤツだな!」
「ひっ、ヒドいよ空也君!」
「ぷ……済まん済まん」
跳び上がって悲鳴を上げるというイイ反応を見せてくれた斬に、貫木が腹を抱えて笑い、俺も思わず吹き出してしまった。
その様子を見て、静かだった教室にざわめきが走る。
それだけ、貫木の普段の態度とはかけ離れた光景だったのだろう。
月島さんが、こちらを見て瞠目している様子が見える。
フフフ、斬はスゴかろう。
等と、たった一日指導しただけで師匠気分になっている俺が、憤慨する斬に片手を上げて謝っていると、ガラガラと教室の扉を引いて栗沢先生がタタタタっと入室してくる。
「さあさあ、ホームルームの時間ですよーっ!」
その掛け声に、あちこちで友人達とザワザワと何かを囁やきあっていた生徒達が自分の席に戻ってゆく。
俺と斬も席に着き、点呼を受ける。
「……あ! 貫木君、とうとう真面目に授業を受ける気になってくれたんですねっ!?」
「うーい。あ、チビ
「栗沢先生ですっ!! ……そこは木下君の席ですが、一昨日から来ていないみたいですし……いーですが、出席するからにはビシバシ行きますからねっ!」
「おーう」
「返事はハイッ! ですっ!」
「おーう」
……態度と口の悪さは相変わらずだが、かなり丸くなってるんじゃ無かろうか。
横の斬にちょっかいを掛けながら楽しそうに笑っているのを見ると、三白眼も気持ち和らいで見える。
斬もまだ少しオドオドしているが、新しく出来た友人にどこか嬉しそうにしている。
「なあ。筋肉痛ってどーいう事だよ?」
「昨日、空也君ち……あ、下宿先らしいんだけど、そこの道場で稽古をつけて貰って……」
後ろの席で、二人が内緒話に興じているのが聞こえてくる。
……担任を気にして声を抑えているのは斬だけで、貫木の方はいつものトーンだ。
内緒話と言うか、ただの会話だな。
栗沢先生が部活動棟の使い方について顧問の先生からの報告を説明しながら、額にピクピクと青筋を浮かべているのが見える。
「あ? じゃあ空也がお前に指導したのか? なあ空也、お前って斬とどっちが――」
「ていっ!」
貫木がとうとう俺にまで話し掛けて来た所で、栗沢先生の堪忍袋の尾が切れたらしい。
可愛らしい掛け声とは裏腹に、可愛くない鋭さで三本のチョークが宙を舞い、貫木の顔面に殺到する。
「よっと」
が、流石貫木。
飛来したチョークを軽々見切り、右手の指の間に三本のチョークを受け止めてしまった。
「ククク……甘いぜチビせ――ぶっ!?」
それでも先生の方が一枚上手だった様だ。
右手のチョークが突然爆発して、貫木の席の周りだけが真っ白な煙に包まれた。
「ゲホッ! ゲホッ! んだよコレはっ!?」
煙が晴れたそこには、頭の先から爪先までチョークの粉で真っ白になった貫木が立っていた。
貫木がむせるたり動いたりする度に、周りに白い煙が撒き散らされる。
ケムいのでこっち向かないで欲しい。
「おいコラ糞チビっ!!? 何しやがるっ!?」
得意げにふんぞり返る栗沢先生が貫木をビシっと指さして言う。
「栗沢先生です! まだお喋りを続けるよーなら、お次はピンクのチョークをお見舞いしますよっ! 罰として自分でお
「あんだとっ!?」
流石、こんな治安の悪い学校で教員をしているだけの事はある。
貫木よりもよほど忍者っぽい。
これは、剣の方もかなり腕が立つんじゃ無かろうか?
教室がざわめく中、チャイムの音が鳴り響く。
「はいっ、それじゃあ一限目は移動教室ですから、皆さん遅れないよーにっ! 貫木君はお掃除終わるまで一限目はお預けですっ! 村山君は手伝ったらダメですからねっ!」
「はあっ!? オイッ、コラ! ちょっと待てっ……!」
そう言って、栗沢先生は栗鼠みたいなポニーテールをピョコピョコさせながら教室を出て行った。
クラスメイト達も、移動教室に使う教科書を抱えて、こわごわ貫木の方を盗み見ながら教室を出てゆく。
口々に、「桃ちゃんセンセーヤベー」「チョーク爆発したよね?」「貫木ってそんなに怖くなくね?」などと言っているのが薄っすらと聞こえてくる。
……貫木はプルプルと震えているが、悪い傾向じゃあ無い様に思える。
辻斬りとか思われるよりは余程マシだろう。
口元を袈裟の袖で押さえながら、貫木を振り返る。
「刃よ、一本取られたな」
そう言ってやると、暫くプルプルしながら教室の出口を睨んでいた貫木が、はあーーっと大きな溜め息をついてドカッと椅子に腰掛けた。
ボフンと巻き上がったチョークの粉に、斬がケホケホとむせながら腕をパタパタさせる。
「……不覚」
胸元から取り出した手拭いで顔だけ拭った貫木が、ポツリと呟く。
さっきまで怒っていたのに、やはりいさぎの良いヤツだ。
今回の負けを認めたらしい。
「ちんちくりんな見た目で侮ってたが、チビ先め、意外とヤりやがる」
いつか泣かしてヤルぜと、真っ白な頭をガシガシやっている。
だから粉が舞うから止めろって。
「あ、あの……良かったら手伝おうか? 先生はああ言ってたケド……と、友達だし……!」
肌着のシャツを引っ張って口元を覆いながら、斬が男気ある事を言っている。
何となく友達になっていた俺と違って、貫木は勇気を出して戦ってまで手に入れた特別な友達だ。
なんなら、一緒に怒られたって構わないという表情で貫木の返事を待っている。
「おう、ありがてぇが、自身の不覚の始末は自分でつけてぇ。斬は先行ってろよ。直ぐ片付けて行くからよ!」
そう言って、ニカッと笑う貫木。
そう言われちゃあ何も言い返せないと、斬と二人、立ち上がって教室を出ようとした所で、貫木に呼び止められる。
「あ、空也。お前は残ってくんねーか?」
言われて振り返ると、少し纏う雰囲気の変わった貫木がこちらを見て、不敵な笑みを浮かべていた。
「……構わないよ」
何となく察した俺は、キョロキョロと俺と貫木を見比べている斬を促して、一限目に向かわせる。
この先の展開に胸が高鳴り始めるのを感じながら、掃除用具入れの扉を開く。
「ありがとよ……じゃ、片付けっから、待っててくれや」
そう言う貫木に雑巾の入ったバケツを渡してやり、貫木が掃除し終わるのを適当な椅子に座ってジッと待つのだった。
「よお、待たせたな」
待つこと二十分。
とうに一限目のチャイムが鳴って、大幅な遅刻とお説教が最早逃れられない物となった頃に、髪をしっとりと濡らした貫木がようやく教室に戻って来た。
机の周りのチョークは大方拭き取られ、外で粉を払うついでに水道の水でも被ってきたのだろう、すっかりキレイになった貫木を見て、ニコリと笑い返した。
「いいさ。それだけの価値はありそうだ」
そう言って、肩に掛けていた錫杖を持ち直し、机を隅に纏めて広くなった教室に進み出る。
「へへ……伝わってたみてぇだな。お前とも一度やっときたかったんだ」
「約束だからね。……手裏剣は無しにしてくれな? 教室に穴をあけて栗沢先生に怒られたく無いんだ」
「……まぁ、お前に通用するとも思えねぇし、この狭さだ。構わねぇよ」
そう言って、腰の脇差に包帯の巻かれていない右腕を伸ばす。
「良いのかい、利き腕じゃ無い方で」
そう問い掛けると、ニッと笑みを深めて問い返してくる。
「良いのか? 腰の得物を抜かねぇで」
「抜かせられるものなら」
編笠を机の上に投げ、錫杖の石突で床を突く。
カララン、と、静まり返った教室に清浄な音が染み渡る。
「…………最初から全力で行くぜ。一瞬で沈むんじゃねぇぞ」
全身に殺気を
対して俺は、足を肩幅に開いて片手で持った錫杖をゆったりと構え、どこからでも来いと微笑む。
緊張が場を満たす。
始まりは一瞬だった。
俺の瞬きを合図に、貫木が一瞬で姿を消し、教室の壁や天井からダダダダダっという激しい音が響く。
チン、と、鯉口を切る小さな音が耳に入る。
間髪を入れず、背後に向かって錫杖を差し込む。
「簡単には
カアンという快音。
俺の背後から急襲した貫木の脇差が、首の後ろで錫杖と交差する。
貫木は止まらない。
縦横無尽に教室を跳ね回り、四方八方から斬撃が襲い掛かる。
ガガガガッガガガガガッガガッ!!!
その全てに錫杖を合わせ、受け、流し、打ち払い、跳ね除ける。
俺の周りに半円状の結界が作られた様に、ホコリが舞い上がり、大量の火花が散る。
「やっぱり見えてんな!! 生臭坊主があぁっ!!!」
心底楽しそうに貫木が叫び、いっそう速度を上げる。
教室中を三次元的に跳び回る貫木は何人にも分身している様にすら見え、実に生き生きとしている。
狭く入り組んだ屋内や森林の中こそ、
負傷した状態ながら、明らかに昨日よりも速く、鋭い。
天井からぶら下がる蛍光灯や窓ガラスを避けて、実に器用に動いている。
…………だが、まだまだだ。
「ぬんっっっ!!!」
背後からすり抜けざまに放った斬撃をいなされた貫木が、俺の目の前の床を蹴り、一瞬で反転して斬り掛かって来た。
今日初めて見せる180度の鋭い切り返しで、身体の開いた胸を一突きに狙いに来たのだろう。
貰ったと言わんばかりの表情で、体当たり気味の一閃が俺に迫る。
「
「があっ!!?」
右手を添えた錫杖を回転させ、飛び込んで来た貫木を勢いそのまま床に叩き落とす。
ドォンっっっ!!! という凄まじい音を立て、うつ伏せに床へ叩きつけられる貫木。
床のホコリが舞い上がり、白目を向いた貫木の口から、ゴパァッと鮮血が飛び散る。
振動で机がガタつき、蛍光灯がユサユサ揺られて、窓ガラスがビリビリと音を鳴らす。
決着だ。
脇差をしっかりと握り締めたまま、大の字になって床に伸びる貫木を見ながら、錫杖を肩にもたれ掛からせて頬をかく。
中々に楽しめた。
貫木が十全なコンディションだったら、もっと手古摺らされただろう。
腰の刀も抜かされていたかもしれない。
しかし、ちと派手にやり過ぎた。
さっきまでの音を聞きつけて、他のクラスから授業中の先生なりが様子を見に来るかもしれない。
俺は、久しぶりに楽しい戦いをさせてくれた貫木に心の中で感謝を告げながら、彼を肩に担いでどこか人目につかない場所を探し、こっそりと教室を抜け出すのだった。
「………………うぐ……痛ツツ……ああ? どこだココは……?」
ようやく目を覚まし、薄暗く狭い部屋をキョロキョロと見回している貫木を見て、ホッと息を漏らしながら答えてやる。
「授業用の資料倉庫室だよ。偶然鍵が開いていて助かった」
資料の詰まった段ボールの上で身体を起こし、地球儀や時代遅れのビデオデッキの山をしげしげと眺めていた貫木が、こちらに向き直って口を開く。
「……ケッ。涼しい顔しやがって。ちったあ嬉しそうな顔でもしたらどーだよ生臭坊主」
「なんだ、もう空也とは呼んでくれないのかい?」
「っせーな! お前なんか坊主で十分だろーが。お前もトドメも刺さねーで、ナメてんのか?」
ウナギの寝床の様な狭い倉庫内で、埃っぽい資料の詰まったアルミラックに身体を預けながら、向かい合って睨み合う。
遠くから、授業をする教師の声がかすかに聞こえてくる中、静かに口を開く。
「さっきのはちょっとした戯れ合いじゃないか。まして、俺の流派は不殺の剣だ。真剣勝負でも人は殺さんよ」
「……そーかよ」
そう言ってやると、貫木は暫く俺の目を睨みつけた後、ドサッと後ろに倒れ込んで、天井を見上げた。
「あーあ、負けた負けた。
そう言って、段ボールの山の中で天井に張られた古い蜘蛛の巣を見るとも無しに眺める貫木。
言っている事の割に、さほど悔しそうでもなく、さっぱりとした顔で大の字になっている。
貫木としても、俺との実力差が薄々分かった上で、どこまで通用するか試して見たかったのだろう。
徐ろに口を開いて言う。
「……いつかリベンジさせろよ、空也」
「何時でも受けて立とう、刃」
結局、一限目の事を思い出して移動教室へ向かった頃には授業も終了間際で、残り時間いっぱい、二人仲良くお説教を受けてしこたま課題のプリントを頂戴する事になった。
あなたはジャンプ作品『斬』を……
-
読んだことがある
-
読んだことは無いが知っている
-
読んだことが無い
-
単行本(kindle可)持ってる