放課後、使われなくなって久しい地下東側、廃部室棟。
疎らに明滅する蛍光灯の薄明かりが浮かび上がらせる錆び付いた鉄扉の奥から、人を殴り蹴りつけた時のくぐもった音と、斬られた傷口から鮮血が吹き出す生々しい水音が断続的に漏れ聞こえ、破れて色褪せたポスターが貼り付けられたままになっている黒ずんだコンクリートの壁に染み込んでゆく。
時折混じる坊っちゃんの、「おらあっ!」「どうしたっ、もう終わりかっ!」と言う嘲笑染みた嗜虐的な声が、陰鬱で
暫くして、ギイ、と建付けの悪い音と共に扉が開き、中から血塗れの男子生徒が一人、ヨロヨロとドアノブにもたれ掛かる様ににじり出て来た。
ヒューヒューと掠れた様な息をするその生徒は、服から見える部分だけでもタコ殴りの青痣だらけで、身体中を膾切りにされて制服を血に染め、視線も定まらず息も絶え絶えといった様相だ。
……私はそんな男子生徒の首筋に、追い打ちを掛ける様に刀の中程を突き付け、努めて感情の無い声で釘を刺す。
「この事。他言すれば命は無いと思え」
「ひゅっ…………!!」
引き付けを起こした様な、怯えきった悲鳴を零す男子生徒。
……最早此奴に反抗の意思なぞあるまい。
「行け」
刀を引きそう吐き捨てると、男子生徒は見張りの私と壊原の前を横切って、半ば這いずる様に廊下の向こうへと消えて行った。
後には其奴の残した真新しく浅黒い血の跡だけが、古いリノリウムの床に蛇が這った様に残された。
この廊下には、同じ様な跡が何本も刻まれ、まるで怨念の様にどす黒く床を染め上げている。
それはあたかも修羅道を思わせる。
私の選んだ、私の歩み行く修羅の道だ。
少しして、鉄扉を開け放ち、全身を返り血で真っ赤に染め上げた坊っちゃんが満足そうな顔で歩み出て来る。
片手に持った刀の鋒から、匂い立つ樣も生々しい鮮やかな
「シシシ…………おい、討条。新しいターゲットの準備は出来ているんだろうな?」
「はい」
問い掛けて来た
「シシシシシ……成る程、僕ちんの次の獲物はこいつか……!」
その手配書に写された写真は、女生徒だ。
我が主は、相手が女だからといって仏心を出す様な高尚な人間では決して無い。
寧ろ嬉々として、思う様痛ぶり切り刻み、その尊厳を破壊し尽くす事に躊躇いなど無いだろう。
是迄もそうだった。
これからもそうだ。
「よしっ、そうと決まればお前等! さっさと僕ちんの前に引き摺ってこいっ!」
「はい」
「直ぐにでも」
瞑目して坊っちゃんに頭を下げ、壊原と共に踵を返してターゲットの下へ向かう。
途中、地下の入口で見張りをしていた刺々森も加わり、只々坊っちゃんの命のみを心に刻み己を殺して歩く。
次の標的の名は、『月島弥生』。
女だてらに剣客を気取る、二年生だ。
さしたる手間は掛かるまい。
私は自身の胸の奥の更に奥の方から、絶えて久しい憐憫の情とやらが俄に沸き立って何事かを叫ぶのを即座に黙殺し、
放課後、同行すると言う月島さんと斬を引き連れ、勝手知ったる体育館裏に赴いて見ると、そこには昼に帰宅してしまったハズの貫木が、壁にもたれ掛かって気不味そうな顔でこちらを見て、よっ、と軽く手を上げて
いた。
「帰った物と思っていたけど……」
「いや、それがな……」
聞けば、家に帰って師である父親に修行を付け直して貰おうと珍しく素直に頼んでみた所、やる気は買うが授業位最後まで受けて来いと怒鳴られ、追い返されてしまったらしい。
ここ最近サボりが続いていた事はキッチリ家庭に連絡が行っていた様で、単位を落として留年する様なら親子の縁を切るとまで言われたそうだ。
しかし渋々学校へ戻って来た所で、2-Cは五限目の英語の授業の真っ最中。
英語の担当は、担任教師でもある栗沢先生だ。
嘘の早退理由をでっち上げて貰ったその直後に、ノコノコと教室に入って行く訳にもいかず、已む無く授業が終わるのを待って俺達の行先に先回りしていたらしい。
「災難だったね」
「ったく、出鼻を挫かれた気分だぜ。……しかしまた体育館裏なんか来て、仲良く剣のお稽古か?」
「いや、果たし合いのお誘いだよ。彼からの」
頭を掻いてぶつくさ言いながら疑問を投げ掛けて来た貫木に、ちょいちょいと後ろを指差して教えてやる。
丁度角を曲がってきた牛尾と子分が、大所帯のこちらを見つけて額に青筋を浮かべていた。
「…………随分と大所帯じゃねぇか。仲良く雁首揃えてぺちゃくちゃお喋りなんぞしやがって、遊びじゃねぇんだぞ……?」
「済まん済まん。こいつ等は、立会人と、見学と……出歯亀だよ」
「誰がカメだコラ」
月島さん、斬、貫木と順番に指差して教えてやると、牛尾は
「クソ坊主が……ナメてられんのは今のうちだけだぞ……テメェを斬る為だけに、三日研ぎ澄ませ続けたこの剣で、その薄ら寒いニヤケ面を二度と見られねぇモンにしてやるぜ……!!」
殺気を全身に漲らせた牛尾はそう言って、開始の合図も待たず高く掲げた刃を煌めかせ、腹の底から気炎を発して一気呵成に斬り掛かって来た。
「死ねええええええっ!!!」
「ふむ、どうだい、参考になったかな、斬」
「全然……」
体育館の壁に顔面をめり込ませる様に崩れ落ちた牛尾を横目に、一応斬に尋ねてみると、予想通りの答えが返ってくる。
……まあ、ヒョイと躱してゴンと殴っただけだもんな。
参考にしろと言われても困るだろうが、決闘なんて元来、こう言う物だぞ?
そんな呆れた様な顔で見られるのも心外だ。
「一撃……」
「所詮牛尾と言えど、こうなっちまうと哀れなモンだな」
「うっ、牛尾さぁ〜〜〜〜んっ!!」
突然の決闘は、これと言って特筆すべき事も無く一瞬で終わり、若干引き気味の三人と動転して泣き喚く子分を他人事の様に眺めながら、ここから先の展開に思いを馳せる。
ちょっとばかし気が逸って、牛尾戦の決着を急ぎ過ぎてしまったかもしれないが、元々この勝負、始まって直ぐに傘頭親衛隊の横槍が入ったハズのものだ。
横槍を待たずにちゃんと決着をつけてやったんだから、寧ろ牛尾は感謝すべきである。
原作通りならそろそろ……来たな。
「月島弥生だな」
底冷えする様な低い声が、淡々と
その、決して大きくは無いのに、聞き逃しようが無い程の威圧感を持った低い声は、弛緩した空気の流れていた体育館裏に一瞬で響き渡って、そこに居た三人を即座に振り返らせた。
討条。
壊原。
刺々森。
同じ学生とは思えない異様な気配を纏った三人が、冷たい目で辺りを睥睨しながら、油断無くこちらを睨み付けて居た。
討条が再び口を開く。
「
感情という物を感じさせない声色でそう言って、他の者など眼中に無いと、真っ直ぐ射貫く様な視線を月島さんに向ける討条。
その口調は、全く有無を言わせない物だ。
自分が上で、お前は下。
そしてこれは更に上の立場からの勅命だと言わんばかりである。
月島さんは、周囲が静まり返る中、気丈にも声を震わせながらこれに反抗する。
「な……なんなのよ突然! 何であたしがアンタ達みたいな見るからに怪しいヤツ等に付いて行かなきゃいけないのっ!? 大体銭太郎坊っちゃんって一体――」
「おっ、オイラ知っとるどぉ〜〜〜!!!」
月島さんが必死に言い立てるのを遮って、牛尾の横で腰を抜かしていた子分の赤井がワナワナと震える指を突き付けて叫んだ。
どうやら、コイツがこの強敵三人衆の紹介をしてくれるらしい。
「こ、コイツ等、一年の金蔵って大金持ちの用心棒だど〜! タバコが二年の刺々森
赤井が鼻水を垂らしながら丁寧に紹介している間、三人共が微動だにせずこちらを睨み続ける。
口上の途中で動き出すような不躾な輩は、ここには居ないらしい。
「あわわわ……は、早く牛尾さんを連れて逃げねば〜……うんしょ、うんしょ……!」
自分の仕事を終えて退場してゆく赤井には目もくれない。
……アイツ等にはこれからも度々お世話になりそうな予感がするな……。
徐ろに、討条が口を開く。
「……素直に付いて来るならば、
「ほう……行った先では、手荒な真似とやらが待っている、とも聞こえるね」
そう言って、月島さんに近付きながら一歩前に出る。
空気がよりいっそうヒリつき、討条の横に控える二人の目尻がピクリと震える。
「ヘヘッ……黙って聞いてりゃ俺達を無視してエラそうによぉ」
続いて、ジッと静観してしていた貫木が、ポケットに手を突っ込んで不敵な笑みを浮かべながら隣に進み出て来る。
「こんな
「ぼ、僕も…………!」
最後に、赤井の説明を聞いてガクガクと震えていた斬もまた、冷や汗を流して鞘に掛けた手を小刻みに震えさせている月島さんを見て、覚悟を決めたらしい。
反対側に進み出て、キッと三人を睨み返しながら口上を垂れる。
「そ、そんな訳分かんない理由で、月島さんを連れては行かせない……!!」
そう言い放ち、月島さんを守るように三人組と正対する。
ご指名の月島さんは置いてけぼりの感があるが、これで盤面は三対三。
役者は出揃って、後は誰が誰をやるかだ。
「…………二度は言わん。どちらにせよ、御下命は絶対である」
ややあって、変わらず冷酷な口調で言う討条が、左右に一瞥もくれずに続ける。
「壊原。刺々森」
「はい」
「…………」
「私が坊主を斬る。壊原は金髪。刺々森はチビを斬れ」
「承知」
「……ゥス」
ここに、組み合わせも決まった様だ。
嬉しい事に、目当てだった討条が俺の相手をしてくれるらしい。
「金髪、付いて来い……広い所でやり合うぞ」
「ケッ、俺の相手は
壊原が、貫木を連れ体育館の角に消える。
「…………付いてこいよ、
「……!」
刺々森に促された斬が、一度確かめる様に俺と月島さんを振り返る。
本当にこの場を離れて良いのかと言いたげだ。
「任せたよ、斬。三歩だ」
それだけ伝えて、シッシッと追いやる。
「……勝ってね、空也君」
色々と言いたい事を飲み込んだ様な表情でそう言って、斬もまた刺々森に続いて先程とは逆側の角に消えて行った。
後に残されたのは、俺と討条と、月島さんだけ。
後ろの月島さんが何かを言いかけるのを後ろ手に制して、討条に問い掛ける。
「……勝っても負けても、金蔵とか言う坊っちゃんの相手は、月島さんが請け負おう。いいかな?」
「私が負ける事は有り得ん……だが良いだろう。好きにしろ」
勝手に真剣勝負を取り付けられた月島さんが、後ろで衝撃を受けているのを感じるが、無視する。
これだけ明確に喧嘩を売られておいて、月島さんが何もしない、と言うのは無いだろう。
金蔵坊っちゃんには、
湿り気を帯びた初夏の風が、薄暗い雑木林の葉をザワザワと揺らしながら、体育館裏を通り抜けて行く。
「……合図
「無論だ」
錫杖を掲げ、一息に地面に突き刺す。
カララン、と鉄環が涼しい音色を奏で、鋼鉄の錫杖が地面に直立する。
「…………良いのか。私を相手に長柄を捨てて」
「分かっているだろう? 元よりこちらが本職だ」
腰の白鞘をカチャリと鳴らし、一歩前に出る。
それを見た討条もまた、左手に持った白鞘を構えもせずに、一歩前へ足を出す。
互いの距離は、僅か三間。
更にもう一歩、互いに足を前に進める。
風が互いの前髪を揺らし、足元の木の葉を舞い上げる。
もう一歩前へ。
示し合わせた様に、構えらしい構えも取らず距離を詰める。
その間、二間。
既に互いの対空圏内。
空想の刃が喉元を通り過ぎた様な、冷え冷えとした空気が満ちる。
そして、もう一歩。
互いが、必殺の圏内に入る。
鋭く睨むその瞳の、虹彩までもがはっきり見える。
未だどちらも構えず。
駄目押しの一歩。
遠く轟く風鳴りが、大きなうねりとなって近付いて来る。
小さく見える杉の木が揺れる。
中程の距離の葉桜が身動ぐ。
すぐ近くの楓が、ざわりと大きく幹をしならせて、何処からか舞って来た一枚の枯れ葉が、俺達の間を、ひらり、と横切る。
鯉口を切る音は同時。
鞘走りの音もまた、同時。
宙を舞う木の葉が、真っ二つに分かたれる。
袈裟と長ランが、風を孕んでブワリとひらめいた。
ブシュッ、と。
鮮血の吹き出す音は、一つ。
「っ!!!」
月島さんの押し殺した様な悲鳴が、巻き上がる風に紛れて、
あなたはジャンプ作品『斬』を……
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