無双の街に越して来て、何やかんやありつつ、早五日目となる。
まだたった五日目、と言い換えても良い。
そんな、初夏の風もしっとり涼やかで、川沿いの気の早い田んぼなんかには、稲の若苗が行儀良く整列し始めた五月の最終日。
俺と、斬、貫木、月島さんの四人は、太陽も燦々と輝くそんな
時間は朝のホームルーム前。
クラス中が、いつにも増して浮足立っている。
「……校門のアレ、見た?」
「あんなモン、見逃し様がねぇだろうが」
月島さんが神妙な顔で問い掛ければ、頭の後ろで手を組んで不機嫌そうにしている貫木が、何を当たり前の事をと
月島さんは、まだ腕の包帯が取れていないし、貫木に至っては顔まで包帯でグルグル巻で、全身から軟膏の薬草臭い匂いを漂わせている。
……何故だか、昨日は無かった青あざまで、右目の辺りにこさえているが……あの後、またぞろ父親とやらと喧嘩でもしたのだろうか?
「真剣勝負が禁止になっちゃうんだよね……?」
「ああ。しかも今日、この後から直ぐに」
斬がオズオズと確認するので、俺も椅子の背に立て掛けた腕に頬杖をついて、真面目腐って答える。
全く、誰だあんな『斬』世界にあるまじき、真っ当な事を言い出す頭でっかちは……理事長って書いてあったな。
ご丁寧に名前と
「ったくよぉ、誰だよあのイワオとか言う野郎は! 代表理事なんざ、聞いた事ねぇぞ!」
「それはそれでどうなんだい、刃。君、丸一年ここに通っているんだろう?」
「っせーな! 知らねぇモンは知らねー! たまの集会だって、
忌々しそうに吐き捨てる貫木を見て、確認するように月島さんの顔を窺うと、月島さんは腕を組んで顎に手を当てながら、コクリと一度頷いた。
「まあ、貫木のバカをかばう訳じゃ無いけど、確かに、入学式と卒業式以外では姿を見る事は滅多に無いわね。……たまあに、お昼頃に真っ黒な高級車にでやって来て、校舎に入ってく所を見掛けるけど……なんだか頑固そうな顔した、白髪のお爺さんよ」
「へぇ……無双高校の、影の重鎮、か」
そもそもこの学校、こんな名前して私立高校だったのか。
そっちのが驚きである。
「ケッ!
「つ、貫木君、ちょっと声が大きいよ……」
「オイ斬っ! お前は腹が立たねぇのか!?
「ぼっ、僕!? 僕は……その、真剣勝負は武士にとって名誉な事だけど……危ない事とか、死んじゃったりする事が無くなるなら、ちょっとイイのかもって……」
「カー〜〜〜っ!! 斬、テメェそれでも
「……俺に言わせれば――」
「ちょっと貫木! アンタさっきから黙って聞いてれば、オトコオトコって、最初から女は勘定に入って無いみたいな言い方、止めてよね!」
「揚げ足取んじゃねーよ男女!」
「何ですって!」
あれよあれよと、二人で言い合いを始めてしまった。
どうにか仲裁しなければと、斬が手を彷徨わせながらオロオロしている。
見れば、大小はあれ、教室のそこかしこで似たようなやり取りが交わされている。
今も、刃傷沙汰が少なくなるなら……と肯定的意見を呟いた女子に、命のやり取り無くして武士の魂は無い! と男子が食って掛かっている様子が見える。
きっと、似たような光景は学校中で繰り広げられているのだろう。
と、そこでチャイムが鳴り響き、そこらで議論をしていた皆が揃って教室の時計に振り返る。
その長い尻尾も鳴り止まぬ内に、教室の前の引き戸がガラッと引かれると、ここ数日で見慣れたちんまいナリの栗沢先生が、いつもよりも気持ち元気が無い様子でテクテクと教卓に歩いて来る。
「えー……皆さぁん、席に着いて下さーい……日直は……矢名瀬君」
「きりーつ。きおつけー」
日直の男子生徒の、礼、の号令と共に、クラスメイト達からまばらで気もそぞろな、おはようございます、が鳴り響く。
「……着せーき」
「はい、皆さんおはよーございます……」
そのまま、何やら薄桃色のポニーテールの先までがシュンとしている栗沢先生によって、淡々と点呼がなされる。
クラスメイト達は皆一様に、他にもっと気になる事があるだろうと言った風にソワソワしている。
そうして、異様な空気の中全ての点呼を済ませると、栗沢先生はトントンとバインダーを叩いて、徐ろに口を開いた。
「えー…………皆さん。今朝、校庭にあった掲示板、見てないよーってコは――」
「「「見ましたっ!!!」」」
「――居ませんよねー。そうですよね〜」
そう言って、困った様に一つ、ハァ……と重苦しい溜め息を吐いた。
バインダーから、一枚の薄っぺらいプリントを取り出して、教室に向き直る。
「皆さんが読んだ通りです。先生も寝耳に水でした……このホームルームと、その後の休み時間が終わる一限目のチャイムが鳴った瞬間……この学校に籍を置いている全ての人は、真剣勝負を行う事が出来なくなります」
「横暴だー!」
「武士ナメんなー!」
「誰も従わないぞー!」
「静かにー! 皆さん、最後まで聞いて下さい〜っ!」
クラス内のあちこちから上がる声に、ぶかぶかの袖をパタパタさせて止める様に言う先生。
いつもなら、もっとカンカンになりながら顔を赤くして怒る先生なのだが、やはり今日は元気が無い。
騒ぎたい気持ちも分かる、と言いたげな表情だ。
「コホン……掲示板には、決まりを破った際の”罰則”については、何も書いていませんでしたね? それについては、大々的に掲示するには
そう言って、ピンとプリントを掲げる。
「読み上げます。……『この新規定に違反せし者は、無双高等学校理事会がその権限を保証する処の生徒会執行部に依って、即時処断する』……だそうです。えー、つまり――」
”死刑”です、と重々しい口調で先生が言った。
「……何でも、当校理事長からの強い推進があった様でして、その、この学校は今日から有名大学への進学率を重視する、進学校として生まれ変わるそうです。その理念に沿わない一部の……えっと、元気が良いコ達については、その、ま、ま、ま…………」
暫く、プリントに目を落としてプルプルと震えていた栗沢先生は、突然グシャっとプリントを握り締めて、パーンっと教卓に叩き付けた。
真っ赤な顔で、怒り混じりに声を荒げる。
「”間引く”事に些かの迷いも無い! なんてっ!! ウチの
そう言ってドドドドドッと、ドアを蹴破らんばかりに荒々しく教室を飛び出して行ってしまった。
……少しして、静まり返っていた教室が、わっと騒がしくなる。
「オイオイ、コモちゃん先生、行っちゃったぞ!?」
「大丈夫かな? コモちゃん弱っちそうだけど……」
「いや、あれで結構な手練れだって話だぜ?」
「まあコモちゃんは別としても、ウチの教員が束になって掛かれば、特進科揃いの執行部だって……」
「体育の
「はー、何か朝から騒がしかったケド、これで
「ウチ、ちょっと残念だなー」
「えー」
先生が居なくなったのを良い事に、好き放題言い合っている。
……しかしその全てに共通しているのは、今回の新規定は直ぐに取り下げられるだろう、と思っているらしい所だ。
先生達が束になって掛かるのならば、いかな腕で鳴らす生徒会執行部といえど生徒の身で太刀打ちは出来ないだろう……と、考えているみたいだ。
今更だが、この世界の高校教師という奴等は、強い。
例外無く、とまでは行かないが、それぞれの学年に一人二人、絶対的に強い腕利きが必ず割り当てられている。
この世界の男児は
最初の一年はひよっこだ。
始めて持った刀に振り回され、増長すれば叩き潰され、同時に襲ってくる受験勉強に四苦八苦する。
それを乗り越えて、無事高校入学。
そりゃあもう、はしゃぐ。
はしゃいで調子に乗った挙げ句の、真剣勝負もまた増える。
そんな真剣勝負を生き残って、いよいよ増長を深める牛尾の様な生徒も、また増える。
そんな辻斬り一歩手前みたいな、血気盛んな生徒達に睨みを効かせ、曲がりなりにでも言う事を聞かせる能力を求められるのが、高校教師という職業だ。
弱くてはとても務まらない。
そのため、教員免許に加えて道場の教士免状以上を持った人員を何人か、どの高校も抱える事になっているのだ。
元の世界とは違い、段位・免状に年齢規定も無く、ともすれば降格・取消すらある世界の教士免状だ。
特色柄、何かと流派の多い斬世界故、道場毎の強さにかなりの上下差もあるが、六段以上の上段者、それも教士免状を発行される程の使い手となると、道場の枠を越えて、流派全体の誇りを
よもや他流派に負ける様な事があれば面目は丸潰れ、ともなれば、その実力は文字通り
クラスメイト達のどこか気の抜けた態度にも、一応の納得は行く……のだが。
「んだよ、ツマンネーな。鬼瓦のヤツが行くなら、執行部も終わりだろ」
「う、うん……先生達が負ける訳無いもんね……はぁ」
朝の騒動が、すっかり解決した体で軽口を叩き始める二人に、腕を組みながらうーんと考えを巡らせる。
「ケケケ……何シケた面してんだ斬。お前、強ぇ癖に何で真剣勝負が嫌いなんだ? 変なヤツだな」
「べ、別に……真剣勝負は、卒業してもっと強くなってからでもいいんだし……これからは、危ない事もなく修行に集中出来るかなって思ったんだけどなぁ……。ね、空也君?」
「いや…………」
だが、そんな事、ありえるか?
これだけの騒ぎを起こしておいて、生徒会執行部が先生達にあっさり制圧されて終わりなんて、そんな
「俺は、そうあっさり事が収まるとは思えんのだがなぁ」
「そ、そうなの?」
「ねーよ」
二人の疑いの眼差しを受けてなお、俺には先生達の勝利が確信出来ないでいた。
昨日出会った執行部メンバーの二人。
あれを基準に考えるならば、それこそ体育の鬼瓦先生ならば、二人同時に相手取ってもまず不覚は取らないだろう。
……なのに何故……?
そうして迎えた、聞き慣れた一限目のチャイムの音。
誰一人集中して机に向かうものの居ない教室に、暫くして息を切らしながら駆け込んできたメガネの数学教師の
生徒会執行部へ直談判に赴いた、腕利きの教師集団、計八名。
その結果は、”全滅”。
「え〜、幸い、先生方の命に別状は無くてですね、重症ですんで、全員医務室に運び込まれてしまったんで、今日の殆どの授業は自主勉強という事になりました……あ、数学はやりますからね? 帰っちゃダメですからね?」
七三分けの数学教師が汗を拭き拭き早口で述べるその連絡事項が、耳を滑ってゆく。
教室に広がるどよめきと喧騒、後ろから息急き切って話し掛けてくる斬や貫木の呼び声も無視して、俺はギュッと腰の白鞘を握り締め、背筋に奔る甘い痺れを必死に堪えていた。
(ウチの腕自慢教師を、八人同時に返り打ち……だと……!?)
タラリ、と冷や汗が流れる。
…………そりゃ、俺でも無理だ。
(…………まさか、俺の師匠と同格……? そのレベルの使い手が、執行部に居るってのか……!?)
戦慄と、武者震い。
相反する二つの感情に挟まれ、ジットリと流れる汗を、ペロリと舐める。
「…………愉快だね」
ガタリ、と立ち上がり、壁に立て掛けていた錫杖を掴んで、驚く二人に振り返る。
「えっ?」
「なっ、何だよ!?」
「二人共。俺はちょっと医務室に用が出来たのだが…………来るかい?」
あなたはジャンプ作品『斬』を……
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