医務室を抜け出した後。
二限目の数学を適当に聞き流した後は、担当の鬼瓦先生が医務室送りにされてしまった体育改め自習枠を挟んで昼休みとなり、俺は斬と貫木と一緒に、ここ数日でお馴染みになっている屋上へと来ていた。
途中合流した刺々森も一緒になって、四人仲良く屋上で日に当たりながら弁当をつつきながら、誰ともなく話の方向が朝のゴタゴタと、執行部の事についてになる。
「……どうも休み時間になる度に、誰かが覗きに来てる気がすんだよなぁ」
「まあ、執行部の奴等だろ? 本当は昨日の内に俺達を始末したかったんだろ」
沢庵の最後の一切れを頬張りながらボヤく貫木に、食後の一服を吹かす刺々森が投げやりに答える。
ふわっと広がる白い煙が、屋上を吹く風に流されて空に消えてゆく。
コイツに関しては、リストとか関係なく一度補導されるべきだと思う。
「……さっきから気になってたけどよ、テメェは何シレッとここに混じってんだ? 斬のダチにでもなったのか?」
「チゲーよバカ」
「あんだハダカコラ」
「え、鋭次君は僕のライバルになってくれたんだよ!」
「あー? …………へぇ?」
「……んだよ?」
ニヤつく貫木に、苛ついた表情で噛みつく刺々森。
仲良くなれそうで何よりだ。
討条と壊原は、自主退学して何処かへ修行の旅に出て行ってしまったらしいが、刺々森を味方に引き入れるとは、斬のヤツ相変わらず見た目に似合わないアグレッシブさだ。
戦力的にもグッジョブである。
「まあ、突然襲い掛かられたら返り討ちにせざるを得なかったからね。慎重になってくれたのは有り難い」
今朝の医務室の一件もあるだろうが、昨日討条と戦った事もプラスに動いている。
恐らく、無双高校全体で見ても、討条は最上位に位置する手練れだ。
それを打倒したという事実が執行部を及び腰にしているとしたら、このわずかな猶予を利用しない手は無い。
「向こうが手をこまねいている内に、面倒な問題の方を先に解決してしまおう」
俺がそう言うのを聞いて、案の定今日も翠月さんに弁当を作って貰った斬が、空になった弁当箱を風呂敷で包みながら、聞いてくる。
「えと……面倒な問題って言うと……」
「改革人相書の事だよ。取り敢えずコイツを取り下げるなりして貰わないと、執行部と遊んでる間に月島さん辺りを人質なんかに取られたら面倒だろう?」
「そ、そこまでするの!?」
「顧問とやらが明神寺派なら、十分ありえるね……さて、飯も済んだし、行くとしようか」
「お、やっとか。で、どこに殴り込むんだ?」
「もっと穏便に行くつもりだが……理事長室だよ。人相書なんて物騒な物を作ってくれた張本人に、一つ直談判と行こうじゃないか」
五階西棟のどん詰まり。
よっぽどの事が無い限り、生徒が足を運ぶ事など卒業まで無いだろう理事長室。
その手前にある部屋も、応接室や貴賓室に秘書室、いつ使うのか分からない小会議室や資料室、給湯室と、生徒とは縁遠い施設が詰め込まれた西棟五階は、
他とは毛色が違う重厚な両開きの扉を前に、付いてきた三人を振り返る。
「じゃあ、中には俺だけで入るが良いかい?」
「はあ? 何だよ、俺だって偉ぶったジジイに言ってやりたい事の一つや二つ……」
「だからだよ。何も喧嘩しに来たんじゃ無いんだ、数を頼みに威圧してると思われるのも癪だし、皆は外で待っててくれ」
そう言って、コンコンコンっと扉をノックする。
ハラハラした表情の斬が見守る中、部屋の内側から、「誰だ」と言う低い声が響いて来る。
「二年の辰爾空也です。『改革人相書』なるモノについて、幾つかお尋ねしたい事があり、参りました。お目通り願います」
そう声を上げると、たっぷりと五秒ほどおいて、
「……入れ」
と言う返事がある。
「斬、刃」
「え? あ、うん」
「オイオイ、丸腰か?」
「少しでも心象を良くしなきゃあね」
斬に錫杖、貫木に腰から引き抜いた刀を預け、扉に向き直る。
「入ります」
そう言って、磨き抜かれた木製の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
まず最初に目に入ったのは、毛足の長い高級そうな緑色の絨毯だ。
精緻で美麗を極めたそれが床一面に広がり、部屋の各所に配置されたオーク製の家具の美しさを上品に引き立てている。
天井からは燭台を模した簡素なシャンデリアが下がり、日の光が入らない西の端の部屋に温かな光を落としている。
ガラス天板がはめ込まれたローテーブルを挟んで、正面には如何にも高そうな黒檀の執務机が。
その豪華な椅子に深く腰掛け、鷹の様な鋭い目をした白髪の老人が、油断無く俺の全身を観察しつつ、火の付いた葉巻を灰皿に置いた。
コイツが、無双高校理事長、巌刀山。
これから
グレーのスーツを着込んだ秘書らしき壮年男性が、静かに扉を締め、脇に控える。
沈黙が部屋中を覆い尽くし、壁際の置き時計が秒針を刻む、コツコツという音だけが、暫く耳朶を打つ。
そのまま、幾ばくの時間が経っただろうか、理事長巌が、口ひげに覆われた薄い唇をゆっくりと開き、鷹揚に言葉を発する。
「武器は外の者共に預けて来たか。まずはその殊勝な態度を褒めてやろう」
「…………」
「しかし、私は当校の代表理事という、非常に重要かつ多忙な地位にある人間だ。こうして出向いて貰って悪いが、私は
「いえ、理事長殿。あなたには私の質問に答える義務がございます」
「……ほう?」
「『改革人相書』。これを制定なされたのは理事長、貴方ですね?」
俺がそう問い掛けると、理事長はそんな事かとでも言うように、フン、と小さく鼻を鳴らして、つまらなそうに答える。
「……先程も外からそう聞こえたが、『改革人相書』等というものは存在しないし、私には何の関わりも無い。話はそれだけかね?」
そう来たか、まあ、予想の範疇だ。
「それは失礼を……
「世迷言か、戯言か、何れにせよ私の知る所では無いな」
あくまでシラを切るつもりらしい。
否定しながら、ピクリとも表情を動かさない。
個人的に決闘を挑むならいざ知らず、組織の長たる人物が確たる法的根拠も無しに独自の粛清リストを作るなど、実際に行われるのが執行部による真剣勝負だとしても、十分に犯罪行為と言える。
安易に下呂する事は無いだろう。
「結構です。では、そんな誰が作ったかも定かで無い人相書ですが……やはり、目的は今朝発布された新規則に関わるモノと考えられるでしょうか」
「…………」
「例えば、新規則に対して反抗的かつ、実力をもって妨害行為を働きそうな危険分子を先んじて”処理”し、施行をスムーズに済ませる為……と考えると、納得がいきますね」
「………………まあ、自然な発想ではある」
「と、なると。その危険分子を、どうやって判別するのか、という問題になります」
この人相書を作った人物は、如何にしてその判断の基準としたのでしょうか……と続けると、眼の前の老人はジッと黙り込んだまま、質問の真意を探ろうとしてか、静かに光る鋭い
後で、秘書官の男性がハラハラと息を飲む気配を感じる。
アンタがそんなんじゃ、理事長の熟練のポーカーフェイスも意味が無いだろうが。
暫くして、俺が自分を糾弾しに来た訳では無い事を感じ取ったのか、重々しく口を開いた。
「……当然、その人物は確たる根拠を持って対象を選別したのであろうよ」
ズズ……と。
天岩戸の身動ぐ音が、僅かに。
「”確たる根拠”……と、言いますと?」
「此度の新規則によって規制されるのは真剣勝負だ。
……これで確信できた。
人相書を発行される条件。
学内だけなのか、学外も含むのか。
最近だけか、入学してから昨日に至るまでの全期間なのかは分からないが。
”真剣勝負を行った者”。
これが俺と月島さんに共通する条件だ。
……となると、斬や貫木についても、このリストに載っていると考えて良いだろう。
勿論、俺もこの可能性は考慮していた。
しかし、確信にまで至らなかったのには、理由がある。
真剣勝負が条件であるとすると、どうしても浮上してくる疑問があるのだ。
「……納得の基準ではありますが、それは難しいのではないでしょうか。真剣勝負と言っても、行う場所も時間もまちまちです。必ずしも衆目に触れる形で行われるモノでも無いとなると、その事実を知る人物が口を噤んでしまえば、誰が真剣勝負を行ったのか、特定する事は困難です」
これだ。
これが俺の感じていた引っ掛かり、確証に至れなかった原因だ。
初日の夜の牛尾、木下絡みの真剣勝負。
屋上での、斬と貫木の決闘。
いずれも、目撃者は一人も居なかった。
そして、監視カメラの類も設置されていない。
居合抜きの極意は、常在戦場にある。
いつ如何なる場所、状況であっても、即座に敵意を感知し、不意討ちを許さない。
事他者の気配を察知する事に掛けては、俺には絶対の自信がある。
例えはるか格上であっても、その存在を、視線を、俺が見逃す事はあり得ない。
故に確信を持って言える。
あの場には、事態を感知できる人間は、絶対に居なかった。
「……そうとも限らん」
しかし、そう言う理事長巌刀山の言葉には自信が満ちていて。
「何も機械や人の目だけが信頼に足る物とは言い切れぬ。思うに、その人物には頼りになる目が複数……場所も昼夜も問わず、まさに無数の目を持っているのだろう」
僅かに笑みを浮かべながら、そう、言い切った。
無数の目……?
場所も、昼夜も問わない…………?
表情を動かさない様に努めていた事も忘れ、考える。
どんなに思い返しても、あの場に人間の気配は無かった。
あの場には、俺達しか居なかったのだ。
他の人間は、誰も……。
…………。
”人間”は。
「…………動物……鳥、か?」
俺のフとした呟きに、ここまで不動だった理事長の白い眉毛が、ピクリと動いた。
今の反応……まさか…………!
いや、そんな事が可能なのか……この斬世界で?
……しかし辻褄は合う。
「深夜……体育館裏。たしか、
この学校には緑も多く、自然と、鳥の棲家となる場所も、止まり木も多い。
「屋上の時も、空には一羽の
にわかには信じ難いが、腐っても少年漫画の世界だ。
それくらいの特殊技能を持った監視者がいても、さほど違和感は無い。
むしろ、やってくれたな『斬』……! くらいの気持ちだ。
喉の小骨が取れた様なスッキリとした気持ちで理事長に向き直ると、スッカリ先程までのポーカーフェイスに戻った理事長が、話は済んだとばかりに葉巻を口に運び、濃いバニラ臭のする白い煙を吹かしながら俺を眺めている。
分かったのならさっさと出て行け、とでも言いたげだが……そうは行かない。
「仮に……仮に監視者が鳥だった、としましょうか。所詮、獣ですね。彼等は優秀かもしれませんが、重大な欠点がある。……違いますか?」
そうカマを掛けるが、理事長の表情は動かない。
……もしかしたら、ピンときていないのかもしれない。
「……想像しかねるな」
「では言いましょう……鳥が真剣勝負の場を監視して、さて、報告は
そう言って唇を湿らせ、黙り込んだ理事長に向かって続ける。
「そもそも、どちらが真剣勝負を持ち掛けたか……この判断が、果たして鳥の頭で可能なのでしょうか? 片一方が、理不尽な言い掛かりを吹っ掛けられ、望まぬままに決闘の場に引き摺り出された場合は? この哀れな被害者を、鳥は正しく罪が無いと認識して、それを飼い主に正確に報告できるモノでしょうか……?」
そう尋ねると、理事長は口元の葉巻を一二度吹かし、口の中で味わうように目をつぶり、フー……と静かに吐き出した。
理事長室に、甘い香りが充満する。
「…………まあ、不幸な行き違いが混じる事も、無くは無い、かもしれん」
ようやく認めたか。
「まさに、私のお耳に入れたかった事はそれです。偶然聞き及んだ所によると、私の友人三人が、自分からは一度も真剣勝負を挑んだ事が無く、不幸にも不良生徒に無理な因縁をつけられる形で真剣勝負に巻き込まれてしまい、軽くない怪我を負った上に追い打ちの様に人相書に書き加えられてしまったようなのです。あ、私もです」
我ながらヌケヌケと、恥ずかしげも無くそう、言い放つ。
「ほう……」
「そこで、理事長殿には私、辰爾空也と、月島弥生、村山斬、貫木刃四名の人相書について、認識に誤りがあったと取り下げて頂きたく、こうして参った次第なのです」
一息にそう言い切って、理事長の顔色を窺う。
深く刻まれた年輪と、豊かな口ヒゲに覆われた猛禽の様な無表情からは、何の感情も窺えない。
ただじっくりと、眼の前の若造の妄言が聞くに値するかどうか、葉巻を愉しむ様に時間を掛けて吟味している様だった。
二センチ程に伸びた葉巻の灰を、トン、と短く落とす。
ややあって、勿体つける様に開かれた口から出た言葉は、
「ならん」
拒絶。
むべもない、否定の一言だった。
その後に、付け足す様に続ける。
「まず、人相書なる物は私の感知する所では無い……という他にも、今貴様の述べた四名には、新規定に差し障る行動……不穏な要素が散見される。まず貴様だ辰爾空也……貴様はここ数日、三度に渡る真剣勝負に首を突っ込み、勝利しているな? しかもその一人は、我が校きっての悪童、討条戒。我が校に編入して、僅か四日の事だ……良くもまあ恥ずかしげも無く、巻き込まれたなどと口にした物だ」
あ、やっぱり駄目だった?
……まあ、俺はついでだ。
運良く誤魔化せたらこの後が楽だなぁってだけだったし……まあいいだろう。
「次に貫木刃。此奴など問題外だ。ロクに授業にも出ず、一年の頃から積極的に真剣勝負に望んでいたとの報告がある。到底、これからの我が校に相応しいとは言えん」
あー……予想はしていた。
わざわざ鳥なんか使うまでも無いよな。
納得だ。
問題は、後の二人。
「村山斬……と言ったか? この生徒もまた、真剣勝負の報告が三回……巻き込まれたにしては、余りに頻度が高い。しかも、貴様と同じくその全てに勝利……それだけで無い。此奴の親は忌々しくも名だたる剣豪、村山斬ノ介である事は、既に調べがついている。ヤツは生涯で何十もの真剣勝負を勝利するような気狂いだ。所詮蛙の子は蛙、敢えて私が口添えしてやる要を感じん」
家族の事まで言われんのか!?
そりゃ些か過剰反応に過ぎる……まあ、既に三度真剣勝負してるのは事実だからなんとも複雑な気分だが。
「……最後に、月島弥生だが」
そう言って、一つ息をつく理事長。
まさか、彼女にまで何かあるのだろうか?
「彼女は、二度、校内で真剣勝負をしているな?」
二回…………二回?
確認されて、あっと思い出す。
「いえ、一度です。その一度はまさに理不尽な喧嘩を吹っ掛けられたモノで……恐らくもう一度は、危機感を持った彼女が放課後、体育館裏で剣の稽古をしていたのを真剣勝負と誤認されただけかと思います」
あれも、鳥から見たら真剣勝負だったろう。
立会人に俺が立ち、真剣同士流血もあって、内なる斬はキレッキレだった。
だがそう伝えても、理事長の意見は変わらない様だった。
「……どちらにせよ、だがね。…………この件との関係は無いが、彼女の父君は我が校の理事の一人でね……此度の新規定の策定にあたり、最後まで反対票を投じ続けた一人なのだよ。誰の作った人相書なのかは知らないが、一人娘が真剣勝負によって命を落すのは、月島理事にとっても誠に誉れ高い事なのではないかね?」
そう言って、もうこれで用は済んだとばかりに、葉巻を咥え直す理事長。
一言、
「さあ、お帰りだ」
秘書にそう言って、クルリと椅子を回転させ、壁に掛かった抽象画を眺め始めてしまった。
仕方なく、スゴスゴと開けられた扉を潜って退出する。
月島さん……アンタの父ちゃん、理事だったんだ……。
ここからは、不定期更新です。
基本的には、毎日の更新が出来るように頑張ります。
あなたはジャンプ作品『斬』を……
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