時間は飛んで果たし合い……の前に。
斬にも言ったが、まずは下宿先のホストファミリーに挨拶しなくては、と、俺は以前にも何度か訪れた事のある
「しかし何度見てもデカいな」
夕焼け空を背に悠然とそびえ立つ刀禅宗刀龍寺は、高い塀にぐるりと囲まれた、辺りでも一際大きなお寺だ。
敷地内には住居となる
これで刀禅宗においては、俺と義父の和尚の二人しか居ない
そんな事を考えながら、巨大な門の横にあつらえられた通用門の前に立ち、インターホンを押す。
数瞬の沈黙の後、門番のおじさんらしき人の
「――はい、刀龍寺受付です。本日はどの様なご要件で?」
被っていた笠をついと持ち上げ、カメラに顔を映す。
「……
「……ああっ!? 空也君でしたか! 奥様からお話は伺っております。 御案内致しますので、ちょっとお待ち下さい」
そう聞こえて直ぐ、扉からカチャリとロックの外れる音がする。
少しして、キイと扉が引かれ、白髪混じりの疎らな髪をキレイに整えた優しそうな顔の小太りなおじさんが顔を出した。
このお寺に訪れる度に案内してくれる、
「どうも、お待たせしまして。辰爾空也君ですね、お久しぶりです。中へお入り下さい」
守田のおじさんに通された先は、本堂の横に建てられた母屋となる、大きな平屋造りの日本家屋だ。
玄関の引き戸が開け放たれ、その前に
「まあまあ、空也さんですね? 暫く見ない内にまた大きくなりましたか?」
前はこんなに小さかったのに男の子の成長は早いですねえと、手の平を腰のあたりの高さでひらひらさせる。
「前来た時からさほど伸びていませんよ……お久しぶりです、
笠を脱いで挨拶を交わす。
「あら、そうだったかしら?」と、口元に手を添えて上品に笑うこの人が、今日からお世話になるこの家の女主人、
深緑の長い髪に、琥珀色の瞳を優しそうな垂れ目にした美人さんで、早くに夫を無くしながら女手ひとつで二人の娘を育てる凄い人である。
御年35才になるらしいが、とてもそうは見えない程に若々しい。
……あと、どこがとは言わないが大変豊かな人なので、着物がとても窮屈そうに見える。
「では、私はこれで」
そう言って、ペコリと頭を下げた守田さんが守衛小屋へ戻って行く。
会釈して見送るのを待って、翠月さんが口を開いた。
「そんなにかしこまらなくても良いんですよ? 今日から一緒に暮らすのですから、家族の様なものでしょう? 楽にして下さいね」
「いえ、気が小さいもので。二年もご厄介になる事を快く了承して頂いて、失礼も出来ませんので」
ここ刀龍寺の緑郷邸だが、ウチの義父は流派の中でもかなり高い地位に居るらしく、同門の弟子達に稽古を付ける為、毎年夏の時期に訪れては一週間ばかり滞在させて貰っているのだ。
翠月さんには子供の頃からお世話になっている事もあり、頭が上がらない。
その翠月さんがまた、忘れかけた前世も含めて自分の知る中でも飛び抜けて上品で礼儀正しいものだから、友達んちの母ちゃん扱いなど出来る気がしない。
前世と合わせれば年は殆ど変わらないハズなのだが……この差は何なのか。
「まあ! 空也さんはしっかり者なのですね。
「ちょ、ちょっと母さん!? 余計な事言わないでよ!」
翠月さんの話を遮る様に、玄関の中から慌てたような高い声が聞こえてくる。
そちらに目をやれば、まだ着慣れていないのか、ややダボついたセーラー服を着込んだ少女が、僅かに頬を上気させて玄関扉からヒョコっと顔を出している。
「やあ、ゴメンよ翠乃。この街まで歩くのに思いの外時間が掛かってね。寄り道してたら遅刻しそうだったものだから、挨拶が遅れてしまったんだ。翠月さんもすみません、連絡も無く……」
「いえいえ、全然構いませんよ」
「わ、私も気にしてないよっ! ……ホントに言ってないからね? 母さんのウソだから」
「あら、うふふ……そうでしたね。嘘をついてしまいました」
「……もー!」
翠月さんよりも明るい色合いの緑のサイドテールをピョコピョコさせながら歩いてきた小柄な少女は、母親にひとしきり文句を言ったあと、チラとこちらを見上げておずおずと口を開く。
「えっと……久しぶりだね、空也兄さん」
「久しぶり、翠乃」
この娘が緑郷
無双高校一年の、緑郷家次女だ。
年に数日しか会わない俺の事を兄のように慕ってくれる良い娘だ。
修行の日々の数少ない癒やしである。
小さいのに大きい。
「……
「相変わらずだよー」
そしてもう一人。
二人姉妹のお姉ちゃんの方の近況を聞いてみれば、予想通りの答えが返ってくる。
「あの
そう言って、困ったような顔で微笑む翠月さん。
緑郷
緑郷家長女、18才。
母親譲りの美貌と、父親譲りの剣の腕を持つ才女だ。
俺と同じく、幼い頃から厳しい稽古に励み、俺にとっては異性ながら年上の良き稽古相手で、刀龍寺道場にとっては次代を担う期待の星………………だった女の子。
思春期の多感な時期に、真剣勝負によって父親を失うという事件は途方もない衝撃を彼女にもたらした。
その日以来彼女は剣を置き、学校を辞め、努力するという事をしなくなってしまった。
父の死から長い年月が経った今でも、自分の部屋に引きこもって滅多に外に出る事は無い。
美人な若い未亡人、緑郷翠月さん。
懐いてくれる妹分、緑郷翠乃。
そして絶賛ニート中の緑郷翠那。
このやたら設定の濃い三人と幼少期から関わって来た事もまた、この世界の原作が『斬』であると気づく事を阻んでいた理由の一つだ。
絶対原作に居なかったもんこんなヤツ等……。
「ええ、そうします」
そう答えて、翠月さん達に改めて向き合う。
「改めて、翠月さん。翠乃。これから二年間、どうぞ宜しくお願いします」
深々と頭を下げた。
「それでは、長々と立ち話をするのもなんですし、中へ上がって下さい。去年の夏からの事だとか、学校の事だとか、色々と聞きたい事もありますしね。お茶を煎れますよ」
「あ、私も手伝う」
「ありがとうございます」
「ええ、そんな訳で、そろそろ携帯でも買おうかと」
「やっと買ってくれる気になったんだね、空也兄さん!」
「それなら、空也さんの生活費として空徳さんから預かっているお金がありますから、お小遣いとしてお渡ししますね」
一度下宿用に用意して貰った部屋に案内してもらい、荷物を下ろし袈裟を脱いだ後、居間に通されて翠月さんと翠乃と卓袱台――と言うには立派過ぎる一枚板のローテーブルを囲んで談笑する事暫し。
翠月さんがお茶のおかわりを用意しようと腰を浮かしかけた所で、切り出す。
「ありがとうございます……さて、キリも良いので、私は中座させて頂いて、翠那に一言挨拶しに行って来ます」
そう告げて立ち上がる。
「ええー……そんなに急がなくても、姉さんが出てきたらで良くない? 一週間もすれば出てくると思うよ?」
「……今日から一つ屋根の下なのに、流石にそういう訳にもいかないでしょう」
実の姉に対するモノとは思えない翠乃のあんまりな言様に苦笑しつつ、勝手知ったる他人の家の廊下を歩いて『翠那』の表札の下がる部屋の前に立つ。
トントンとノックしてみるが、返事は無い。
まあ予想通りだ。
気持ち強めに繰り返してみるが、結果は変わらず。
試しにノブをひねれば、鍵の掛かっていないドアがカチャリと開くので、遠慮なく中を覗き込む。
「入るよ」
一応一言そう言って足を踏み入れてみると、何やら脱ぎ散らかした服や漫画雑誌なんかが散らばった汚い床が目に入る。
ベッドはシーツも端に寄ってぐちゃぐちゃで、飲みかけのペットボトルや空っぽのスナックの袋が転がっている。
コレが女の子の部屋なのかとげんなりしながら机の方を見れば、伸ばしっぱなしでボサボサの脂ぎった頭にヘッドホンを付けた女の子が、パソコンの画面に釘付けになりながらマウスをカチカチやっている。
昔は妹と同じサイドテールにしていたのだが、面倒になったのか雑にサイドアップで一房括っている様だ。
ものぐさが一層極まっている。
溜め息を吐きながらツカツカと近づき、徐ろにヘッドホンを取り上げる。
「っ!? 何だよぉ、翠乃。入る前にノックしろって言ったじゃん――」
妹だとでも思ったのか、うんざりした様な声で椅子を回して振り返った彼女は俺を見上げて、口を半開きにしたまま固まった。
「ノックはしたし、声も掛けたよ。次からは鍵を掛けといた方が良いね、翠那」
「え、あ、お……」
「後、服位ちゃんと着ようか、ありもしないモノが見えそうだ」
「っ!?」
ダボッダボのアニメTシャツとパンツ一枚姿を見ながら言ってみれば、顔を赤くしてギュッと裾を引っ張り前を隠すニート姉さん。
無理に引っ張ったせいで、妹とは違い残酷なまでに平坦な胸部がダボついた襟から見えそうになっている。
「……久しぶりだね、翠那。今日から卒業までお世話になるんで、一言挨拶に来たよ」
「っ、うううっ、後ろうしろ向けっ!」
「はいはい」
面白い位に動揺する翠那に懐かしさを感じつつ、おざなりに返事しながら言われた通りにすると、翠那はトトトとベッドに走り寄ってシーツをひっ掴み、身体に巻き付けて座り込んだ。
…………年上だったハズなのに、会うたびに幼児退行してる気がするなコイツ……。
「…………何だよ急に、まだ夏じゃ無いよね? 何で空也が居るんだよぅ?」
暫くして、ようやく少しは落ち着きを取り戻したらしい翠那におずおずとそう問いかけられ、おやっと思い聞き返す。
「あれ、聞いてなかったかい? 今年から無双高校に通う事になるから、こちらの家に下宿させて貰う事になったんだよ。翠月さんから聞いてなかった?」
それを聞いた翠那は、シーツにくるまったまま頭を抱えてうぐぐと唸りだした。
「き、聞いてない……! 母さんめ、ワザと黙ってたなぁ……!」
「……日頃の行いが悪いよ、翠那」
「そっ……! 空也だって、普通入ってくるか!? 女の子の部屋に! 遠慮もノックもなくぅ!」
言われて、部屋をぐるりと見渡す。
漫画、雑誌、ゲーム、アニメDVD、ジュースやお菓子のゴミ、服、服、服……。
無造作に散らばったパンツやブラを見つけて、鼻で笑う。
「コレを女の子の部屋と言うのは無理があるんじゃないかい?」
どう見たってオタクの汚部屋だ。
女所帯だとだらしなくなりがちとは言うが、限度があるだろう。
あと、さっきも言ったがノックはした。
「おまっ……!? み、見るなぁ! バカ!」
顔を赤くした翠那がガバっと脱ぎ散らした下着に飛びついて蹲る。
いや、他にも隠すべきものは色々あると思うぞ。
そこの雑誌の山とか、成年誌だろ……。
「……あと翠那、臭うよこの部屋。最後に風呂に入ったのはいつだい? その服と下着にしたっていったい何日――」
「もお出てけよぉ! 出てけっ!!」
ゆでダコみたいになった翠那にグイグイと押され、部屋の外に追い出される。
ガチャっ、と音を立てて鍵がかかり、中からバカバカバカと喚く声が聞こえてくる。
あれで2つ年上の18才、普通ならば大学生か社会人と言うのだから、家族を置いて先立った父親は罪深い。
これが『斬』の世界の闇か。
丁度そこで、お茶を入れ直した翠月さんが通り掛かった。
「あら、空也君。翠那は喜んだでしょう?」
「ええ、追い出されました」
そう応えると、翠月さんは楽しそうにフフフと笑う。
「これであの娘が少しでも女の子らしくしてくれると良いのですけれどね」
「……ならなかったら、いよいよですよ」
結構強かな女性である。
母は強しとは良く言ったものだ。
俺が学校に通わず、同年代の友達も居ないと知って、強面のウチの和尚に烈火のごとく詰め寄ったのは何を隠そうこの御方だ。
声を荒げるでもなく、淡々と義父の非常識を批難する翠月さんは中々の迫力だった。
そりゃあ、敬語にもなる。
「空也さん、こんな騒がしい我が家ですが、宜しくお願いしますね」
「はい」
斬が好きで読んで下さっている数少ない読者さんをあろう事かオリキャラ連打で厳選に掛けるという暴挙。
あなたはジャンプ作品『斬』を……
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単行本(kindle可)持ってる