気絶した三人に簡単な手当をして、体育館の壁にもたれ掛からせ、朝の登校前に一眠りしようと刀龍寺まで急ぎ戻る。
真剣勝負と言う事で、まず必要になるだろうと持ち込んでいた医療キットが役に立った。
最後に目覚めて何事かを言い残していた様子を見るに、これ以上何かをしでかすとも思えなかったが、念の為木下だけちょっと離して寝かせて置いて、斬と月島さんは互いに寄り添わせて置いた。
ちょっとしたサービスだ。
人通りの無い深夜の路地で、泥棒の様にキョロキョロと周囲を見回し、刀龍寺の塀を飛び越える。
開けておいた部屋の窓からスルリと自室に滑り込み、無事誰にもバレずに深夜のお出かけを完遂させた。
「さて……」
袈裟と学ランを壁に掛けて、頭に手櫛を入れる。
謎に埃っぽい斬世界で大立ち回りを演じたせいか、砂埃で少しばかりゴワゴワしている。
薄っすらと汗もかいた事だし、寝る前にちょっとシャワーだけ借りておこうかと思い立つ。
「……置いて来ちゃったが、斬や月島さん、明日の学校どうするんだろうな……」
そんな事を考えながら、足音を殺して板張りの廊下を歩いていると、浴室のドアの磨りガラスから灯りが漏れている事に気が付いた。
おや、と思っていると、唐突にドアが開き、中からバスタオルを頭から被った人影がポタポタと水滴を垂らしながら歩み出てきた。
「ふー……」
腰まである明るい翠の長髪を雑にゴシゴシやって水気を取りながら、ペタペタと脱衣所から出て来て顔を上げる人影。
スラリと伸びた白い手足。
風呂上がりで湿り気をおびた
上気して赤らんだ頬を伝う雫。
女性らしいくびれのある輪郭を持ちながら、ストーンと平坦な身に纏うのは、髪を拭くバスタオルとイヤに子供っぽいパンツ一枚……。
その眠そうな二つの垂れ目が、暗がりに立つ俺の姿を見つけて静かに見開かれる。
あー……そういうイベントもあるんだ。
『もっと可愛い女の子出しましょう!』病に罹った編集のテコ入れでも入ったのかな?
「………………ひゃあぁっ――むぐっ!?」
一瞬の判断だった。
驚いて悲鳴を上げようとした
パサリ、と、バスタオルが床に落ちた。
「しー」
空いた片手で口元に人差し指を立て、静かにしてくれる様に頼む。
「!?!?!?」
「空也だよ、空也。落ち着いて」
片方の腕で平坦な胸元を隠し、空いたもう片方で俺の胸元をドコドコと狂ったように叩く翠那に落ち着くように囁く。
目尻に涙を浮かべて瞳をグルグル回した翠那をなだめる事数十秒。
ようやく静かになった彼女を至近から見下ろして問い掛ける。
近くで見ると、両目の下の泣きぼくろが良く見える。
「……落ち着いたね?」
「……」
口を塞がれたまま、頭一つ高い俺を見上げて涙目でコクコクと頭を振る翠那。
「手を離すけど、叫んだりしないでね」
「……」
もう一度、首を縦に振る。
そっと、口を抑えていた手を外す。
「……お母さっ――むぐぅぅぅーーー!!!」
「翠那、誤解してるようだからちょっと話を聞いて貰うよ?」
躊躇い無く俺を殺そうとする引きニートに、頭が痛くなるのを堪えながら無実を説明する。
大体、何でこんな時間に風呂なんか入ろうとするんだこのニート……夜の3時ぞ?
「いいかい? 俺はちょっと寝付けなくて部屋でトレーニングしててね。汗をかいたから寝る前にもう一度シャワーでも浴びようとしただけなんだ。いいかい?」
「むーーーー!」
「翠那に出くわしたのは偶然だ。全くの偶然。夜中にこんな状況で叫ばれて、あらぬ誤解をされてもお互い困るだろう? だから不本意ながら口を塞がせて貰った。理解した?」
「むぅぅぅぅぅぅーーーーーーっ!」
「…………何か言いたい事があるのかい?」
「…………!」
コクコクと激しく首を振る翠那。
「……今度は叫ばない?」
コクコク。
「叫ぼうとしたら、気絶させるよ?」
コクコクコク。
手の甲に荒い鼻息がかかる。
今度こそゆっくりと手を退かすと、フーフーと荒い息を吐きながら、ワタワタと落としたバスタオルを拾い上げ、慌てた手付きで貧相な身体に巻き付けた。
真っ赤な顔で俺を見上げて、器用に小声で怒鳴る。
「まっ、前ぐらい隠させろバカッ!!」
「これは失礼」
大変目の保養になりました。
眼福眼福。
「……みっ、みっ、見たろ!?」
「いいえ、逆光だったので」
「むむむ……胸とか……パンツとかぁ……!」
「全く。必死だったので」
バッチリ見ましたとも。
このニート、昔から見た目
「……ううぅ……もうお嫁に行けない……」
「ニートが何
「うるさいっ! おおおっ、犯されるかと思って、メッチャ怖かったんだぞ!」
「それはまあ、はい、すみません」
どう考えても、年頃の男が下宿してる家で半裸で出歩く方が悪いと思ったが、この手の状況では男が謝った方が丸いかとしぶしぶ頭を下げる。
良いもの見せて貰ったんだ、頭くらいならいくらでも下げよう。
……この年でフロントプリントな綿パンツはどうかと思うが。
「…………こんな時間までトレーニング?」
「ええ」
「……何にも聞こえなかったケド……?」
「一応、気を使ったので」
「ふーん……?」
おっと、疑われている様だ。
そこの嘘を掘り下げられるとキツい。
「そういう翠那は、こんな夜中にお風呂ですか?」
「そっ、それはだって、空也がそのっ……く、くさ……空也が言ったからだろバカ!」
「ああ……一応それくらいの恥じらいは残って……」
「なっ、何なんだよぅ! もっと優しくしろよぉ!! 久しぶりに会ったと思ったら臭いとか言うしっ! こ、こっそりお風呂に入ったら空也に見られるしぃっ!! 何で私ばっかりこんな恥ずかしい目に会わなきゃならないんだよぅ……!」
に、ニート特有の打たれ弱さ……!
俺のシャツを掴んでぴぃぴぃ泣き出した年上の女の子(18)に、そのしっとりと濡れたつむじを眺めながら途方に暮れてしまう。
これがかつての
しかし、こうして半裸の翠那に泣きつかれてる所を見られても、まあまあヤバ目の誤解を受けそうだなぁと思いながら数分。
結局誰に見咎められる事も無く、ようやく泣き止んだ翠那がぐしぐしと目元を擦りながら胸元から離れる。
「…………帰る」
翠那はそう呟くと、よたよたとした足取りで部屋の方へ歩いて行った。
「……シャワー浴びるか」
シャツが涙と鼻水でベチャベチャだ。
シャワー浴びる前で良かった。
翌日、短い睡眠から覚めた俺はぼんやりした頭で朝食の卓についていた。
昨日は例外としても、山暮らしでは夜は早く、朝も早かったので、こちらでの生活リズムに慣れるまでちょっと寝不足が続きそうだ。
かの鬼住職は、武士たる者、寝ようと思えば何時でも何処でも速やかに眠れ、良からぬ気配あらば速やかに抜き打てねばならん等とぬかしていたが、俺はまだそこまで人間辞めていないのである。
出来るかそんな事、鎌倉武士じゃねぇんですよ。
テーブルを見回すが、翠那の姿は見当たらない。
「姉さんは何時も部屋で食べてるんだー」
まだブカブカの制服をキッチリと着込んだ
「と言っても、あの娘は大体この時間には寝てしまっているのですよね」
「空也君が言ってくれれば、あの子の昼夜逆転も直るかもしれないけど……どうかな?」
「いやあ、どうでしょうか」
困ったような顔で呟く翠月さんに続いて、俺の顔色を窺うような双右衛門さんに水を向けられ、困った様に答える。
あのダメニート、毎年見ているが筋金入りだと思うんだよなぁ……。
「あっ。そう言えば、あの娘、夜の間にお風呂に入ったみたいでしたよ。脱衣籠に服がありました。空也君のお陰ですね♪」
「おお、そうなんですか! ……一週間ぶり位かな? ありがとう、空也君」
「ちょっとやめてよ二人共っ、ゴハンの最中にぃ」
翠乃に怒られて、双右衛門さんがゴメンゴメンと苦笑いしているのを横目に、味噌汁をすする。
翠那、お前、たかだか風呂に入ったくらいで寝てる間にメチャクチャ話のネタにされてるぞ。
そんな事を考えながら、翠月さんと翠乃の二人で作ったらしい朝食を美味しく頂く。
昔から仲良くしてくれている家族とはいえ、初めての下宿生活にちょっと不安もあったが、この空気ならば自分でも上手くやっていけそうだ。
「それじゃ、行って来ます!」
「行って来ます」
「はい、行ってらっしゃあい」
ふんわりとした翠月さんに笑顔で見送られ、翠乃と一緒に学校への道を歩く。
「兄さんと一緒に学校に行くの、ずっとやって見たかったんだっ!」
と上機嫌なちっこい妹分に、思わず頬が緩む。
妹か……良いもんだな。
笑顔の翠乃に釣られて笑い掛けながら、普通の青春を噛みしめる。
昨日は激動の一日だった。
クラスメイトに揉みくちゃにされ、刃傷沙汰に巻き込まれて、真剣勝負の立会いをしたかと思えば内なる『斬』と戦う事になって……。
武に生きる者として楽しくなかったとは言わないが、こういう平和な一時も良いもんだなと空を見上げる。
その後、通学路で翠乃の友達たちに会って紹介されたり、玄関先で水を撒いているお爺さんお婆さんに拝まれたりしながら学校に辿り着き、下駄箱で翠乃達と別れて教室へ向かう。
「あっ、辰爾君、おはよう!」
「空也じゃん、おはよー」
「今日も坊さんスタイルじゃん。ウケるー」
「御早う」
昨日仲良くなったクラスメイトに挨拶を返し、「ケータイ買った?」「今日買いに行く事になったよ」「えー、じゃあ明日Loin交換しような!」とひとしきり言葉を交わして席に向かう。
教室の一番後ろ、窓際の席では、斬が机に突っ伏して寝息を立てていた。
どうやら朝には間に合ったらしい。
机の横に笠を掛け、錫杖を壁に立て掛けながらチラと斬の隣の席を見る。
木下は来ていないようだ。
……原作でも、あの後出番が無かったんだっけかな、と思い返す。
あんなでも学生のハズだが……深く考えるのはよそう。
席に着いて、椅子を引きつつ後ろを振り返り、斬を
「うーん……むにゃむにゃ…………
嘘だろコイツ、寝言でむにゃむにゃって言ってる……。
ちょっと面白くなって、頬を抓ってみた。
「ふぁ……
……月島さんを差し置いて萌キャラでも目指してんのかコイツ?
「斬。起きろ、斬」
ゆさゆさと肩を揺すりながら声を掛けてやると、暫くしてパチパチと眠そうに瞬きをしながら、斬が目を覚ました。
「ふわ……、ぁ……あ、空也君? ……空也君!?」
「しー……声が大きいよ、斬」
「わわっ、ゴメン……」
ビックリした様子でガタンと大きな音を立てた斬が、クラスメイト達に注目され恥ずかしそうに縮こまる。
「斬、御早う。昨日は思い掛けず大変だったね」
「そ、空也君……え、えっと僕、その……」
何かを言いたげにモジモジしながら、俺の顔色を窺う斬。
なんせ、斬にとっても昨日は色々な事があったのだ。
自分のせいで月島さんが牛尾に真剣勝負を申し込まれ、勇気を出して見に行ってみれば月島さんの彼氏を名乗る隣の席の変態メガネ、木下が乱入し、知り合ったばかりの坊主に
とても一言には纏められないだろう。
流石原作主人公、流れに沿おうが沿うまいが、こってり濃厚な展開に巻き込まれるのは変わらないらしい。
つくづく気の毒なヤツだ。
「昨日は、途中で斬の纏う気配が変わった様に感じたけれど……その事かい?」
こちらから助け舟を出してやると、斬はそれそれと言わんばかりに飛び付いてきた。
「そっ、そうなんだ! 月島さんがピンチになって、僕ももう殺されちゃう! ってなった時に、何だか身体の内側からブワーッて込み上げてきて、気付いたら……!」
「ああなっていた、と」
「う、うん」
何とも要領を得ない説明だが、あれは原作でもちゃんとした説明は成されていなかったはずだ。
そこに辿り着く前に、連載が打ち切られてしまったからなのだが……現実となったこの世界に、打ち切りなんてモノは存在しない。
当然、斬の持つ力にも、なんらかの理由付けが成されるハズだ。
内心ワクワクである。
「意識なんかは有ったのかい?」
「うん。身体だけが、言う事を聞かなくなっちゃって……あの時はゴメン、空也君。僕、月島さんの真剣勝負に横槍を入れただけじゃなく、空也君にまで襲い掛かっちゃって……」
心底申し訳無さそうに言う斬に、笑いながら手の平を向ける。
「いいさ。なんとも不思議な事だけれど、キミの
「そんなっ、空也君が謝る事じゃ無いよ! ……それにあの時は、そうするしか無かったんだと思うんだ。あのままだったら、僕はきっと牛尾君や月島さんにも襲い掛かっちゃってたかもしれないし……」
ブンブン首を振って否定した斬が、物言いたげに教室の何処かをぼんやりと眺める。
同じ所を見てみれば、そこには未だ誰も座っていない空席――たしか、月島さんの席だ――があった。
「……そう言えば、月島さんは?」
「あ、うん、病院に行って手当してから来るって。午後からになるかもって……後、空也君に感謝してたよ。直接言うって言ってたケド、立会いをしてくれた事とか、後、手当をしてくれたのも空也君だよね?」
「まあ、武僧の嗜みってヤツだよ」
「……つ、月島さんを僕のひ、膝枕で寝かせておいたのも……?」
おっと、そんな事になっていたのか。
大方、寝ながら身動ぎして上体が倒れ、そんな形に納まったんだろうが……これが主人公力、侮り難し。
「……木下を見事
「もっ、もうっ! タイヘンだったんだから!」
斬め、一丁前に照れおってからに。
ふと、斬が隣に目を向けて、空っぽの椅子を見詰める。
「……木下は、来ていないようだね」
「うん……」
水を向けて見れば、斬は目尻にジワリと涙を浮かべて、力無く微笑んだ。
「……木下君、もしかしたら二人目の友達になってくれるかもって思ったのに……」
……そう言えば、クラスで孤立していた斬にとって、唯一自分に隔てなく話し掛けてきてくれたのがあの木下だったか。
あれだけの事があってなお、木下の為に涙を流すとは、この世界には似つかわしく無い程に優しいヤツだ。
その木下の意味深な発言といい、この先も苦労が多そうだなと、斬の横顔を眺めながら、思った。
あなたはジャンプ作品『斬』を……
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