「いや〜冷たすぎる滝行の後であったかい温泉に浸かるのは最高でしたな〜」
「ああ、気持ちよかった。だけどヒシミラクル、せっかくの誕生日に俺と2人だけで過ごしてよかったのか?」
「あはは……やだなぁ、言ったじゃないですか。今年はみんなトレセンの外に出ちゃってて暇だって」
ヒシミラクルとトレーナーは珍しく高級温泉宿2人で来ていた。温泉から上がり、2人とも浴衣姿でしっとりしている。
今日は3月30日、ヒシミラクルの誕生日前日。いつもなら誕生日にクラスメイトや同期、仲良くしている友人たちがあれやこれやと祝いに来るのだが、今年は皆都合が悪いらしく1人きりになってしまった。
「ノーリーズンちゃんは野馬追に本格的に異動するし、ギムレットちゃんにクリスエスちゃんはST-2完成の打ち上げ。ファインちゃんは大使館の公務だしデュランダルちゃんもデュラトレさんのサポートで大忙しなんです」
「デュラトレのところはいつの間にか大所帯になってて驚いたな……俺と同じ新人トレーナーだったのに」
「それにダンツちゃんやユニヴァースちゃんも最近はレース以外で忙しくしてて、もう私のお祝いに来れる時間はないんですよ」
「そうか……もったいないな。せっかくの誕生日なのに」
「みんなもうそれぞれの道を進み始めちゃいましたからね。仕方ないです。とはいえ寂しいのも本音なので、トレーナーさんにお付き合いしてもらいました」
なので誕生日はトレーナーと二人で過ごしたいとヒシミラクルが頼み込み、ご両親の承諾も得たということで2人で一泊二日の温泉旅行となったのだ。
「それじゃあ、軽めに晩ごはんも食べたしあとはそれぞれの部屋で休もう」
「……何を言ってるんですかトレーナーさん? お部屋は1つしかありませんよ」
しかし、トレーナーは知らなかった。ペアチケットで用意された部屋は1つしか取られていないことを。
「ヒシミラクル? これはどういうことなんだ」
「……トレーナーさん。わたしたち、もう何年も一緒に走ってきましたよね。あなたがカメラにたまたま映っていただけの平凡なわたしを見つけてからずっと」
「どうした急に、それより部屋は別に用意しないと……」
「まぁまぁ、少し話を聞いてください。大事なことなんで」
トレーナーは大人としてフロントで別の部屋を借りようとする。
しかし、ヒシミラクルはウマ娘の力でトレーナーの手を取り、半ば強引に自分たちの部屋に引きずり込んだ。
「トレーナーさん。わたし……最近、走りたい気持ちも脚に入る力もちょっとずつ弱くなってるんです。最近食べ過ぎが多いのも、そのせいかもしれません」
「……ピークアウトか」
「はい。あの宝塚記念からは一度も勝てていないなりにできる限り頑張ってきましたけど……そろそろ、本格的に引退時期を考えるときなのかなって」
トレーナーは、ヒシミラクルの身体が本格化のピークを過ぎていることはもちろん把握していた。
だがピークアウトはウマ娘の本能とも呼べる走りへの渇望にも影響するし、精神の変化までは当ウマ娘にしかわからない。
ヒシミラクルはこれまで少し体重管理がおろそかになりながらも、今まで通り期待してくれる人たちのために頑張っていたが、限界が来たのかもしれない。
「でもレースを引退したら、ノーリーズンちゃんやギムレットちゃん達とも走れなくなるし、ファンの人たちも寂しくさせるし。なにより、トレーナーさんとは離れ離れになっちゃうかもしれませんよね。わたし、それが嫌なんです」
「……前に言っただろう? 引退してもヒシミラクルの平穏な生活は俺が守ってみせる!」
公式レースからの引退。それに伴う生活の変化や今まで一緒に走ってきたウマ娘たちやトレーナーと離れることにナーバスになっているヒシミラクルに、トレーナーがガッツポーズをしてみせる。
「信じてます、信じてますとも。ただ、この機会にもっと具体的に……引退した後の人生をあなたとどう過ごしていくか話し合いたいと思いまして。なので、お部屋は一つだけです。この際じっくりのんびり、話をしましょう」
「いやしかし、それなら明日トレーナー室ででも……君はまだ」
「子供じゃありません。もう出会った時から4年以上経ってるんですよ? アスリートだから控えてるだけで、般若湯を飲んだって許されます」
ヒシミラクルは、どうあってもトレーナーをこの部屋は出す気はなかった。顔を真っ赤にしながらも、トレーナーの浴衣の袖を離さず━━
「それに誕生日にみんなと集まれない代わりにトレーナーさんを温泉旅行に誘うってノーリーズンちゃんにバレたとき恥ずかしさで死にそうになったんですよ! 責任を取ってください!」
「それは完全にヒシミラクルの自爆じゃあないか!?」
さっきまでの寂しげで潤んだ雰囲気はどこへやら。><顔でトレーナーを手のひらでペシペシする姿はまるで子供だった。
「うう、この際だから温泉で火照った色香と純粋なる本音でトレーナーを籠絡し、エタニティなエンゲージをなんとかって言われたけどどうすればいいかわかんないよ〜」
「タニノギムレットとネオユニヴァースにまで唆されたのか……」
「というか、ノーリーズンちゃん経由でみんなにバレました……お願いですトレーナーさん、何もしなくていいから今晩一緒にいてください……せめて一歩だけでも進展しないと帰れません〜」
ゆるく言っているが、ヒシミラクルができる限りの勇気をもってトレーナーと2人きりの温泉旅行に誘ったことは十分に伝わってきた。
……長年共に走ってきたトレーナーとしても、ここまでされてやっぱり別の部屋でというのは担当ウマ娘の気持ちを無碍にすることになる。
「わかった……じゃあ、引退した後も不安にならないようにヒシミラクルの引退後の生活について話し合おう」
「やった〜〜〜トレーナーさん大好き〜〜〜!」
「浴衣ではしゃぐと転ぶから危ないぞ」
部屋の中をパタパタ走り回るヒシミラクルを窘めながらトレーナーは座布団に座って腰を据えて話し合う準備をする。
ヒシミラクルもすぐ備え付けのお茶を2人分淹れて向かいに座った。
「もちろん、わたしだって引退後何をしていくのがいいか考えはあるんですよ? なにせ癒しのセミプロですから。トレセン学園やウマ娘に関わることなので、トレーナーさんに意見を聞きたいなというのがありまして〜具体的には〜」
「なるほど……その進路で行くなら、必要な資格や経験は〜」
「ほうほう、やっぱり本格的なカウンセリングって難しいんですね〜セミプロ気取りからプロになるのは大変だ」
至ってのんびり、ゆるっと、平凡に。ヒシミラクルとトレーナーは将来を話し合う。深夜、日付が変わるまで。
「誕生日おめでとう、ヒシミラクル!」
「ありがとうございます。これからも毎年、ずっとずっーとお祝いしてくださいね?」
「ああ、だから安心しておやすみ」
「はい……あなたに出会えて本当にミラクルでした。ありがとうございます、トレーナーさん」
もちろん寝るときはそれぞれの布団を敷いて、真剣に話した疲れでぐっすり眠った。
そして3月31の誕生日、お祝いしてくれる同期たちがいないトレセン学園にヒシミラクルは帰ってきて━━
「ハッピーバースデーじゃ、ミラ子〜〜〜!」
「えっ、ノーリーズンちゃん、なんでいるの!? 野馬追は!?」
「にゃーはっはっは! 奇襲成功なり! わしが本当にミラ子の誕生日を祝わんとでも思うたか? 甘いわ!!」
ヒシミラクルが自分の部屋に戻ると、そこには野馬追に移籍したはずのノーリーズンがいた。
いや、ノーリーズン1人ではない。
「ヒシミラクル! 前夜祭は楽しんだか? 己がこの世に生まれたことを真に祝福できているか? 嗚呼、言わずともわかる、ならば俺は祝杯を作りしバーテンダーになり、ワタシは誓いを聞き届ける神父にもなろう!」
「大人の'STEP'登る……ヒシミラクルは、'ASCL'だね……」
「ギムレットちゃんにネオユニヴァースちゃんも……なんて? いや、なんで? 今年はみんな忙しいんでしょ? まさか、嘘だったの!?」
タニノギムレットにネオユニヴァース、それに02世代の同期のみんなに同室のダンツフレームも。今までずっと一緒に過ごしてきて、これからは別々の道を歩いていくはずの仲間たちがここにいる理由がさっぱりわからないヒシミラクル。
ダンツが、いつも通り礼儀正しくぺこりと頭を下げて説明してくれる。
「ミラ子先輩、実は……最初は本当に予定が合わなかったんです。私は3日前くらいにキャンセルになって、それならいつも通りお祝いしようと思ったんですけど……」
「ノーリーズンのアイデア━━SurprisePartyを仕掛けることにした。ミッション、成功」
「ミラ子の誕生日など祝わんと言ったところでサプライズを企画していることがバレてしまう。だが今年みなの予定が合わなかったのは事実! これなら確実にうまくいくと思うたわ! ダンツ殿が口を滑らせぬかは不安じゃったがな!」
目をまん丸にして驚くヒシミラクルを見て申し訳なさそうにするダンツに、満足げなシンボリクリスエス。呵々大笑をするノーリーズン。
「でもでも、ほんとは予定があったならよくみんな揃ってこれたね? それに、貴重なオフの日をわたしのために……」
「ふふっ、それはミラクルさんのおかげだと思うな♪ たまたま公務が空いた日にちを見て、真っ先にあなたのお名前が浮かんだもの」
アイルランドと日本の親善大使を務めるファインモーションが上品に、だけど年頃の女の子らしく微笑む。その隣に控えるデュランダルも首肯した。
「我らがデビューして3年を超え、それぞれの人生にまい進しているのは事実。しかし今日という日に集まれたのはあなたのおかげという他ありません、ヒシミラクルさん」
「それでは皆の衆! 忙しき年度末に皆で集まれるという奇跡を起こしてくれた本日の主役を盛大に祝おうではないか!」
ノーリーズンが音頭を取り、みんながクラッカー音が響かせ、順番にプレゼントを渡してくる。普通に嬉しいもの、予想できないとんでもないもの。何だかわからないもの色々あったが、その全てが嬉しかった。
ヒシミラクルは照れながらも嬉しさを隠せない笑みを浮かべた。
「えへへ、ありがとう。トレーナーさんだけじゃなくてみんなと出会えたことが……わたしのミラクルだったんだね」
2年前の11月にふと思いつきでわからないパロディを書き、去年の年明けに勢いで連載になったこの作品もここで連載の〆とすることにしました。
理由は最近はパロディと呼べる話が少なくなってきたことや他に書きたいシリーズができたことなどです。
この作品はここで終わりですが、ヒシミラクルはどこにでもいる普通のウマ娘なので、これから書く話でも普通に平穏に出てくると思います。
ウマ娘やヒシミラクルのおかげで連載をする楽しみを思い出すことができ、読者の皆様にもたくさんの評価や感想をいただきとても嬉しく思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。