年末。猛田達は保茂に呼ばれていた。
理由は来年のカミノライザンのこと。主に年明けの始動戦をどうするか?という話らしい。
猛田達の前にいる保茂は淡々と告げる。
「ライザンちゃんの次走だけど~……東京で開催される4歳牝馬ステークス。ここにしようと思うんだよね」
カミノライザンの次走は東京競馬場開催のレースに決まったらしい。距離は1400mとまずまずだ、が。
正直に、猛田達は警戒していた。これにも何か裏があるのではないか?と。
(アカン、どうしてもクラシック五冠の件が頭チラつくわ)
(この出走にもなにか裏があるんじゃないかと探ってしまう……)
2人は保茂が出走を予定しているレースに不安を感じずにはいられず、素直に首を縦に振れなかった。
その心情を察してか、はたまた元々説明する気だったのか。保茂は軽い調子で猛田達の緊張をほぐすかのように出走の理由を話し始める。
「実はこのレースに気になる子がいるんだよね~。ほら、関東のクラシック有力候補の件」
クラシック有力候補、つまるところカミノライザンにとってライバルになりえる相手。そんな相手がこのレースに出走してくるらしい。保茂は猛田達にそう説明した。
ここで気になるのは、その相手がどの馬か?という疑問。関西はほぼカミノライザン一強ムード、関東も今のところは有力候補が出てきていない。そんな中で保茂が感じた、関東のクラシック有力候補。
猛田達は気になった。
「関東のクラシック有力候補、ですか」
「それって、どの馬です?姫の障害になりそうな相手、っちゅうことですよね?」
正直、今のところ関東の牝馬達はパッとしないというのが猛田達の印象だった。有力候補はいまだ不在、どの馬が台頭してくるかは分からない状況。保茂が気になる相手というのが純粋に気になった。
楽し気な笑みを浮かべて保茂は疑問に答える。
「タマミさ。タマミがちょっと気になっている相手」
ウチのライザンちゃんも危ないかもしれないね~、と軽い調子で言う保茂。
タマミ。猛田達には聞き覚えがなかった。少なくとも、カミノライザンのようにかなりの好成績を残したという馬ではない。
だが保茂が警戒するということは、かなりの馬であることには間違いないだろう。警戒を強める2人だった。
「それやったら、クラシック前にタマミの実力を測っとこう……っちゅうことですか?」
「ま、そんなところさ」
「分かりました。それやったら年明けの始動戦は東京の4歳牝馬ステークスでいきましょ」
保茂がうなずく。これでカミノライザンの始動戦が決まった。
レースが決まったことで話し合いは終わり……ということはなく。猛田達はまだ保茂に用事があった。
「保茂さん。1つ、ええでしょうか?」
「ん~?一つと言わずいくつでも遠慮しないで良いよ~」
神妙な顔つきの猛田達とは対称的にニコニコとしている保茂。猛田達は気にせずに保茂へと質問する。
質問はただ1つ、
「姫も来年から4歳馬……つまりは、桜花賞に出走できるっちゅうことです」
「うん、そうだね。ついに始まるわけか~、楽しみだな~」
能天気な様子の保茂に少しばかり苛立ちを覚える猛田だが、構わずに続ける。
「お聞かせください。ホンマに……姫をクラシック五冠に挑ませる気ですか?」
猛田達の頭にずっと引っかかっていたもの。それは保茂がこの前口にした、クラシック五冠という言葉。
猛田達はずっと無理だと口を揃えていた。厩舎の人間達にもあくまで可能性の話としてどう思う?と聞いたところ、過半数どころかほぼ全員が無理だと答えた。
「クラシック五冠って……
「いや……いくらなんぼでも無理っすよ。気でも狂ったんちゃいます?」
「無理無理!無理ですって!確かに姫は頑丈ですけど……さすがに訳がちゃいますよ!?」
カミノライザンの担当厩務員である刈谷もさすがに無理だと判断していた。
それも当然だろう。常識的に無理なローテだ。唯一、カミノライザンの主戦騎手である富永だけは。
「……やれなくはないと思います。ただ、かなり厳しい戦いになるかと」
可能ではあると口にしていたが。それがまだ競馬を分かっていない若造なら、と思ったが富永は立派なジョッキー。クラシック五冠がどれだけ過酷な道かなんて知っているだろう。それを踏まえた上で生意気な口を叩いた富永を猛田ははたいたが。
他は口を揃えて無理だといった。無論、猛田と粟田も無理だと思っている。唯一可能と答えたのは富永だけだったが……それでも否の方が圧倒的に多い。
それを保茂に伝えたこともある。しかし保茂は一貫して主張を曲げることはなかった。
改めて問いただしたい。本気でクラシック五冠に挑む気かと。そんな無謀なローテに挑む気かと。
(願わくば変わって欲しい……!あれだけ無理や無理やって声が上がっとるんや。保茂さんかて分かっとるやろ!?クラシック五冠が、どれだけ無謀な道のりか!)
内心、保茂の気が変わっていることを願う猛田。保茂は馬思いの良い馬主だ、きっと主張を変えてくれるはず。きっと、一時の気の迷いだ。そうに違いない。そう自分に言い聞かせる。
だが保茂の主張は──変わらない。
「
その言葉に、猛田達は愕然とした。
どうして?何故?反対意見は多数、現実的に考えて不可能なこと。それでも何故、保茂はクラシック五冠へと挑もうとしているのか?
疑問は尽きない。保茂に対して、どうしても問いたくなる。
「……なんで、そないに挑もうとするんですか?」
言葉を絞り出す猛田。困惑、怒り。色んな感情が混じっていた。
猛田の様子に保茂もひょうひょうとした態度を止めて真面目な表情で答える。
「誰もが挑戦したこともない偉業に挑戦したい……それは別におかしいことじゃないだろう?」
淡々とそう答える保茂。
「別に、どの馬にもやらせようってわけじゃない。僕はね、
「姫、やからこそ……?」
こくりと神妙な顔で頷く保茂。
「ライザンちゃんはとりわけ頑丈だ。あ、これは肉体的な話ね」
「……内臓系は、そうやないかもしれへんやないですか」
「確かにレース前は体調を崩すけど……あれはプレッシャー負けさ。現に、レースを重ねる度に軽度になっていってる。レース慣れしてきた証拠だ」
淡々と言葉が交わされる。
「確かにローテは過酷だ。だけど、ライザンちゃんならできるって僕は信じている。だからこそ、こんな無謀な挑戦を立てられる」
「無謀って、分かっとるんですか?」
「普通はね。だけどライザンちゃんなら実現できる、可能にできる」
カミノライザンに対する絶対的な信頼。保茂からはそう感じられた。
その理由が、猛田には分からなかった。
(なんでや……なんでそないに姫を信頼しとるんや?保茂さんは)
「実際、関西から関東への連闘もライザンちゃんは問題なかった。京都3歳ステークスは2着だったけど、次の中山牝馬は危なげなく勝ったからね」
体調的にも問題なかっただろう?という保茂。
確かに、あの時のカミノライザンの体調はまるで問題なかった。京都から1週間後には関東の中山へ移動したというのに、輸送を少し苦にしただけでレースは楽々と制した。
だけど、次はそうはいかないかもしれない。姫はプレッシャーに弱い、それは最早猛田厩舎では周知の事実。
これまではオープンレースだったが……その舞台が八大競走となると、カミノライザンは間違いなく体調を崩す。なにより、無理をしかねない。
カミノライザンは、これまでのレース一度だって不調な姿を見せなかった。観客の前では常に堂々とした態度で佇む。自分の弱さなど、一度たりとも見せることはなかった。
現に世論はカミノライザンがプレッシャーに弱いことなど感づいた様子はない。猛田達が徹底的に隠しているおかげでもあるとはいえ、だ。
(まだ3歳馬、来年4歳っちゅうのに……ホンマに強い女や)
猛田は、カミノライザンをそう評していた。
保茂は依然変わらず、真面目な態度を崩そうとしない。どうやら、本気で挑もうとしているようである。
「ライザンちゃんならできる。いや、ライザンちゃんだからこそできる。僕はそう信じているのさ」
曇りのない真っ直ぐな目。嘘偽りを感じさせない、信念の籠った目だった。
──それでも。猛田の立場からは
「……やけど、それでも反対です。いくらなんぼでも、無謀もええとこですわ」
そう答える猛田。
保茂は落胆……というよりは、猛田の反応が分かっていたかのようにやっぱりか~、と呟く。
「ま、そりゃそうだよね。猛田さんの立場だと、おいそれと賛成とは言えないよね」
「……すんまへん」
「謝らないでくださいよ。気持ちは十分わかっているので」
分かっているならクラシック五冠という目標を取り消してほしいと思う猛田だが、保茂は取り消す気はなさそうだ。
保茂は猛田達を真っ直ぐに見つめる。先程と同様の真面目な態度、強い意志を感じさせる目だ。
「だけど、覚えておいて欲しい猛田さん、粟田さん。確かに他人からしたら無謀に思えるかもしれない挑戦だ、バカげた夢だと思うだろう。でも……
「、っ」
保茂のプレッシャーに圧される2人。それほどまでに強い意志を感じた。
「ライザンちゃんならできる。ライザンちゃんなら、誰もが届かなかった偉業に届きうる。だからこそ──クラシック五冠制覇という目標は絶対に変えない。例えどれだけ批判されようとね」
(保茂、さん)
(なんで、そこまでして……)
疑問が尽きない2人。そして、保茂の言葉。
「──ひとまず、桜花賞と皐月賞。どっちにも出走登録しておくね?」
先程までの真面目な態度とは打って変わって軽い調子で言い放つ保茂。
だが、さっきの重圧がこびりついていた2人は。
「「……はい」」
思わず。そう返事をしてしまった。保茂の満足げな笑みが印象的だった。
◇
帰り道、2人は誰にも聞かれないように話す。
「保茂さん……えらい熱意やったな」
「えぇ。あんな保茂さん、見たことがない」
2人の意見は一致していた。あんな保茂は初めてだと。
それほどまでにクラシック五冠という目標が大事なのだろうか?どうしてそんなに拘っているのだろうか?2人はそう考えるが、答えは出ない。
「……思わずはい、っちゅうてしまったけど」
「姫のこと考えたら……やっぱり、反対すべきなんですかね?」
「……分からへんわ」
猛田達の気持ちは今でも反対だ。それは変わらない。馬のことを思えば当然だ。故障でもしたら大変なことだから。
しかし──あれほどまでに自信にあふれた保茂を見ていると。カミノライザンならば大丈夫なんじゃないか?という自信さえも出てきそうだった。
「ひとまずは、次走やな。年明け、姫の調整きばらんと」
「そうですね。富永にも気合を入れてやらないと!」
「そうやな!アイツにも気合入れたるか!」
今は目の前のことに集中。2人はそう結論を出した。
少しずつ、変わり始めてきている。
ちょっとずつ熱意に押され始めている2人。