記者の男は今言われた言葉を理解できなかった。
「え、え~っと……も、もう一度お願いできますか?」
新聞記者──卜部は困惑しながらももう一度質問をする。彼の目の前にいるのは、カミノライザンの馬主である保茂と調教師である猛田。
彼らからは冗談や嘘といった類を感じられない。本気で言っているのだろう。本気で言っているからこそ、
「じゃあもう一度言おうか。カミノライザンは──クラシック五冠に挑むよ。だから、桜花賞から皐月賞、オークスとダービーを経て菊花賞に挑む。今のところローテはこんな感じかな?」
卜部は改めて聞いても理解できなかった。目の前の男が、トチ狂っているようにしか思えなかった。
(く、クラシック五冠てっ!?マジで言ってんのかこの人!)
卜部も競馬という業界に関わり続けて日は長い。だからこそ分かっている。目の前の男、保茂が今宣言した目標は不可能に近いということを。
勿論、ローテ的には可能だ。桜花賞から皐月賞、オークスからダービーはどちらも1週間後であるため問題なく出走できる。
だが、出走できるだけだ。そこから勝つとなると、話は難しいどころの騒ぎではない。
連闘自体はそう珍しい話でもない。気性的な問題や調整目的で連闘することはある。あくまで勝つことではなく、本番に向けて馬の調子を整えるといった意味合いが強いのだ。なので連闘の第一戦目はオープンレースが選ばれることが多い。
そんな中、保茂が選んだローテは……数ある日本のレースの中でも最高峰とされている八大競走、その5つを全て勝利するといった内容だ。
(あり得ない、不可能だッ!)
そもそも挑戦しようとすら思わないようなものだ。オープンレースから本番のレースを連闘して勝つ馬というのもたまにいる。しかし八大競走のレースを連闘して勝つなど前代未聞だ。
そんな目標、達成できるわけがない。いくら何でも非現実的だ。そう思いながら猛田へと視線を向ける卜部。
猛田文男はあのシンザンが所属していた厩舎の名伯楽。東の尾方、西の猛田と呼ばれている。無論シンザンだけではなく、数々の名馬を輩出した名門中の名門厩舎。そんな厩舎の調教師がこれほどまでに無茶なローテを敢行するなど、卜部には到底思えなかったのだ。
縋るような目つきで猛田を見る。
「た、猛田さん!まさかこのローテ、本気じゃないですよね?」
しかし猛田から飛び出した言葉は、卜部の予想を裏切る一言だった。
「本気も本気や。カミノライザンはクラシック五冠に挑む。もう確定事項や、今更変える気はないで」
猛田もカミノライザンのクラシック五冠ローテを肯定するといったもの。卜部は気を失いそうになった。
(か、関西の名伯楽も。ついに狂ったのか!?)
明らかに現実的じゃないローテ。調教師ならば無謀だと絶対に止めると思っていた。現実はそうはいかず、猛田もカミノライザンのローテを肯定した。
卜部は頭が痛くなっていた。目の前のことが現実とは思えず、夢ならば覚めてくれと思った。
しかし頬をつねっても痛いだけ。これが現実であるということを突きつけていた。
「現実やと思うてへんみたいやけど、俺らは大真面目や。大真面目でクラシック五冠を取りに行こうとしてんねん」
卜部の様子を見て猛田はそう答える。それでも信じられない気持ちの方が大きいが、卜部は一旦隅に置いておくことにした。
「ま、真面目なのは分かりましたが……さすがに無謀ではないでしょうか?クラシック五冠って、あのクラシックですよね?」
「せや。他になにがあんねん?」
「いやまぁ、そうですけど……でも、現実的じゃない気がしますが」
心配そうに聞く卜部に保茂は笑顔で答える。それはどこか、確信めいた表情だった。
「現実的じゃないだろうね。だけど僕は、カミノライザンならば実現できると踏んだ。あの子ならば夢を現実に変えることだってできる……だからこそ、このローテを組んだんだ」
「は、はぁ……猛田さんも?」
「そうや。保茂さんの夢に乗っかる形で決めた。それに、俺かてできると思うてる。カミノライザンやったら、クラシック五冠も夢やないってな」
大真面目にそう語る保茂と猛田の2人。そんな2人を見て卜部は──落胆。
(関西の名伯楽も、ついに落ちぶれたか……)
こんなバカげたローテを考えるなど思いもしなかった。ましてやそれを実行しようなどと、考えもしなかった。
カミノライザンという馬は現在関西のクラシック最有力候補と目されている馬だ。牡馬で最も強いのはタニノムーティエ、牝馬はカミノライザン……これが現在の関西競馬の常識である。
確かにカミノライザンという馬は強いのかもしれない。しかしそれがクラシック五冠を達成できるかと言われたら答えは否と誰もが答えるだろう。いくら何でも無茶苦茶だ。
(耄碌したか、猛田調教師も)
この話を聞いたら誰もが陣営は気が狂ったと思うだろう。卜部もその一人だ。それが普通の人達の認識であり、同じことを考えるだろう。
色々と考えたものの、さっさと取材を続けていこうと考えた卜部。保茂達に取材をしていく。
(猛田厩舎も、もう終わりかもしれないな)
そう考えながら。
◇
クソ神との会議の日。クソ神はたくさんの新聞を持って馬房を訪れていた。何の新聞だ?
「やぁやぁお待たせしちゃったねライザンちゃん」
『それは別にいいが、なんだその新聞の束?何の記事?』
「あぁこれ?」
言いながら新聞を見せてくるクソ神だがえ~と、何々?ふむ、どうやら主に俺の記事らしいな。
……タイトルはそれはもう酷いもんだ。ざっとあげていくだけでも
【無謀な挑戦。耄碌した名伯楽】
【カミノライザンのクラシックに暗雲。馬主は一体何を考えているのか?】
【批判の声続出!カミノライザンはまさかのクラシック五冠目標!】
【多川氏陣営を痛烈批判!「子供の夢か?」】
う~ん、この圧倒的不評の嵐。当然っちゃ当然か。クラシック五冠なんて前例のないことだし、無謀な挑戦と言われても仕方ないっちゃ仕方ない。こんだけ言われまくると腹が立つけど。てか多川さんってあれじゃねぇか。競馬の神様とか言われてた人。
「かく言う僕のところにも脅迫の電話や手紙がきたりするからね~。いやはや、困ったもんだよ」
『笑いながら言ってるけどそれ大丈夫じゃねぇだろ!?』
脅迫されてんのになんでお前笑顔なんだよ!?全然効いてないじゃん!?
「そりゃあね。こうなることぐらい予想していたし、それを覚悟のうえでクラシック五冠を目標に据えたんだ。生半可な気持ちで挑もうなんて、考えてないよ」
『……まぁ、そりゃそうか』
予想してないはずがねぇよな。ローテが厳しいものになるのは前々から分かっていたことだし、そのことを絶対に批判されるって分かってるわけだから。
でもな~、やっぱモヤモヤするわ。保茂達が批判されるのも中傷されるのも、ましてや脅迫するなんて言語道断。目の前にそいつがいたら蹴り飛ばしてやりたいわ。
「見て見てライザンちゃん。これなんてすごいよ?」
『え~と、何々……猛田氏はカミノライザンの五冠ローテのコメントとして、我が厩舎一世一代の大勝負。厩舎の今後をかけて挑戦するとコメントを残しており……ちょっと待てや!?』
この厩舎の存続俺にかかってんの!?止めてくれよマジで!そういうことするとプレッシャーが……!プレッシャーがぁ……!
「アハハ、やっぱりプレッシャー感じるねぇ君は」
『あ、当たり前だろ……!つーかテメェ、分かっててこれ読ませただろ!?』
「だって、知ってないといざという時自分を責めそうだろ?なら最初に知っておいた方がいい……猛田さん達の覚悟をね」
成程、一理あるな。一理あるけど……それでプレッシャーがなくなるわけじゃねぇんだよ……!
猛田さん達は不退転の覚悟でこのクラシック五冠に挑もうとしている。厩舎の今後をかけて、このローテに挑もうとしているわけだ。
(なら俺も、これまで以上に覚悟決めていかねぇとな)
なお、現在プレッシャーに負けて体調崩しそうである。うぅ、辛い……。
とまぁ、俺のクラシック五冠で批判されていることは分かった。ただ用件はそれだけじゃないみたいで。
「この流れで次走についても伝えておこうか」
『お、どのレースに出走するんだ?』
俺の次走についても伝えに来たらしい。さてさて、どのレースに出走するのだろうか?ちょっとワクワクする。
「ライザンちゃんの次走は──きさらぎ賞だ。2月の第2週だね」
『ほ~ん、きさらぎ賞ねぇ。誰が出走すんの?』
「ここに出走してくるのは~……タニノムーティエとダテテンリュウだよ」
おうふ、70年クラシックを制した2頭か。つーか、これはタニノムーティエにリベンジするチャンスでは?是が非でも気合が入るってもんだ!
「このきさらぎ賞を経て、ライザンちゃんは桜花賞に出走する予定だ。いよいよ、僕達の挑戦が始まるわけだね」
このきさらぎ賞がクラシック前の最後のレース、か。
ついに始まる……俺の進退をかけた、無謀な挑戦が!
(燃える……よりもっ)
『ぷ、プレッシャーが……!』
「いい加減腹括ろうか、ライザンちゃん。時間はどんどん迫ってきてるからね」
そ、そうだけども!
クソ神との話が終わると猛田さん達がやってきた。つーことは、そろそろ調教の時間か。
「お~し、姫。今日もがんばろか~」
馬房を開けて外に連れ出す猛田さん。よ、よ~し!気合入れて頑張るぞ!
「う~ん、今日の姫はちょい神経質やな。やる気はでとるけど」
「……プレッシャー負けですかね?どうしてかは分からないですけど、気をつけてやりましょうか」
「やな。体調に気をつけていかんと」
迷惑かけます……。
世間からは批判。