桜花賞を目前に控えた今日。クソ神との話し合いが始まる。
『……いよいよ、だな』
「そうだねぇ。僕達の夢の始まり……その運命が決まる日だ」
う、うおおおぉぉぉ……い、いつも以上に体調が不味い……!今までの比じゃねぇっ。
そりゃそうだ。今まではなんだかんだミスしても許されるテストだった。負けてもまだ取り返しがつくものだ。
だが……次の桜花賞は失敗が許されない。負けたらその時点で俺はもう終わりだ。そんな状況、プレッシャーを感じないはずもなく……っ!
『ぐおおおぉぉぉ……っ!』
「まぁ分かるけどさ、負けたら終わりな訳だし。だけどレース当日もその状態だとさすがに不味いよ?」
『だ、大丈夫だっ。その頃までには何とか整える』
今までもなんとかなってたし、今回もなんとかなるだろう。というかなんとかする。じゃなきゃ不味いからな。
とりあえず。もうすぐ桜花賞だ。この桜花賞で注意すべき相手はただ一頭……タマミ。
「タマミは前哨戦を勝ってきてる。気合十分、って感じだね」
『これで2連勝ってわけか。戦法はどうだったんだ?』
「
まぁタマミは逃げてなんぼの馬だって言われてたぐらいだ。一度の敗北で簡単に変えられるわけもない。
だが、陣営は俺を意識せざるを得ないはずだ。陣営が自信を持っていた走りを、俺は直接対決で粉砕した。どうしても頭にこびりついているだろう。
クソ神が取り出したのは新聞の切り抜き。そこに書かれていた文字は──【タマミ陣営堂々の逃げ宣言!必ずカミノライザンよりも前に出る!】だ。つまりはまぁ、そういうことだろう。
『俺よりも前に出て逃げる。そうすれば勝てるっていう腹積もりなんだろうな』
「間違ってはいないからね。ただ……こちらの予想通りだけど」
確かに一番嫌な形で敗北しただろう。だけど、たった一度だ。方針が固まってからのタマミの逃げは、まだ一度しか負けていない。その敗北でもっと勝率の低い逃げ以外の選択肢は取らないだろうからな。俺とクソ神が思っていた通りのことだった。
俺にとって嬉しいのは、なにがなんでも俺より前に出るというもの。この言葉を信じるならば……俺が一番望んでいた形だ。
「方針は決まったかい?」
『あぁ、定まったさ』
クソ神との話し合いはこれで終わり。後は……桜花賞に備えるだけだ。
◇
阪神競馬場。いつも以上に客の入りは多い。理由はここで桜花賞が開催されるからだ。
「おい押すなや!」
「あぁ!?お前かて押しとんちゃうぞ!」
「えぇとこで見るためにも早めに場所確保せんと!」
日本の競馬の中で最高峰と呼ばれている八大競走、その内の1つである桜花賞。4歳*1牝馬限定戦であり、クラシックレース最初の一冠目だ。最もスピードのある牝馬が勝利する、と言われている。
このレースで注目されているのはなんと言ってもカミノライザンだろう。陣営の発言が波紋を呼んでいるカミノライザンだが、その実力は疑いようがないもの。単勝支持率驚異の78%を誇る。やはり2番人気であるタマミを直接対決で下したのが大きな要因となっている。
次点でタマミ。カミノライザンを負かすならこの馬しかいない!という触れ込みで堂々の登場。直接対決では敗北したものの、陣営は次こそは逃げ切ってみせると堂々の逃げ宣言をしていた。
パドックを終えた馬達が続々と入場をしてきている。観客のテンションも上がり続けていた。
「カミノライザーン!まずはかる~くいてこましたれ!」
「東の馬に負けるんやないど!」
批判はしていても、やはりカミノライザンは期待されている。パドックでも
《桜の舞台に女達が集います、クラシック一冠目の桜花賞。天候は晴れ、芝の状態は良馬場と発表されています。21頭での出走、1600mの戦いを制し、桜の女王を戴冠するのは果たしてどの馬になるのか?1番人気はこの馬を置いて他にはいないでしょう。関西牝馬の代表、5枠11番のカミノライザン!青毛の馬体が輝いて見えます、シンザン産駒のカミノライザンが威風堂々と佇んでおります。これは好走が期待できるでしょう。2番人気はこの馬、関東の総大将3枠5番のタマミであります。阪神4歳牝馬特別では鮮やかな逃げ切り勝ちを収めました。その逃げを今日も披露してくれるのでしょうか?期待が持てます。3番人気は……》
今年の桜花賞を見に来たファンは7万6000人弱。全員がレースを見守っていた。
タマミに騎乗する貴端はカミノライザンに騎乗する富永を睨みつける。
(ホンマにえらいオーラやわ。やけど……絶対に負けへん!お前らの野望、ここでしまいや!)
タマミの逃げならば勝てる、そう自信を持っている貴端。返し馬を済ませて、ゲート入りの時間が迫っていた。
対するカミノライザンに騎乗する富永。こちらは──不思議なほど落ち着いていた。桜花賞という大舞台であっても、いつもの自分でいることができていた。
(不思議なくらい落ち着いてる……勝つとか負けるとか、そういう感情はない。この子なら勝てるっていう確信がある)
カミノライザンの首を撫でる富永。返し馬を済ませてゲート入りに備えた。
21頭がゲートへと入っていく。観客達は興奮した様子でゲート入りを見守っていた。
《各馬順調にゲート入りが済んでおります。やはり気になるのはクラシック五冠を目標に掲げているカミノライザン。この一冠目でつまずくことは許されません。偉大な父、シンザンに勝利をささげることはできるか?他の馬も黙ってみているだけではありません。このレースにおいて一番警戒していることでしょう。漁夫の利を突く馬がいないとも限りません。30回目を迎えました桜花賞、間もなくスタートです!》
最後の馬がゲートへと入る。興奮冷めやらぬ阪神競馬場に──ゲートが開く音が鳴り響いた。
《さぁ!ゲートが開いた!桜花賞スタートであります!》
カミノライザンの運命を左右する一冠目──桜花賞が幕を開ける。
◇
まず抜け出したのは、大方の予想通りタマミ。3枠5番のタマミが勢いよく飛び出した。
抜け出したのはタマミだけではない。5枠11番のカミノライザンも飛び出す。内から上がるタマミと外から併せるカミノライザン。奇しくも、2頭が戦った4歳牝馬ステークスと同じ形になった。
《おっと、ダイイチミドリちょっとスタートが悪かった。15番のダイイチミドリ少し出遅れました。そして、やはり抜け出したのはタマミ。タマミが早くも行きました。おっと、カミノライザンだ。カミノライザンも絶好のスタートを切ってタマミと先頭争いを繰り広げます。3番手はタニノタマナー、タニノタマナーも必死に2頭を追います。ジョイフルも行きます、ジョイフルも行きました。どおーっという歓声を受けてタマミとカミノライザンが早くも競り合います》
タマミとカミノライザンの競り合い。タマミに騎乗する貴端は早くも鞭を入れてタマミを押し出していた。
(ホンマにスタートが上手いわこいつら!やけど、ここで控えるわけにはいかんねん!)
ガシガシと押し出す貴端。なんとしてでも先頭を取るという気迫が感じられた。カミノライザンよりも前で競馬をしたいという気持ちもあるがそれ以上に、コーナーに入るのが早いというのがある。
桜花賞のスタート位置から最初のコーナーまでの距離はかなり短い。それゆえにポジション争いが苛烈だ。少しでも距離ロスをなくそうと激しい先行争いが繰り広げられる。
そのことを分かっている貴端は鞭を入れてまでタマミを押し出していた。最初のコーナーを絶対に取ると。
対するカミノライザンに騎乗する富永もそれは分かっている。だからこそ、スタートダッシュを決めてタマミに並びかけていた。
しかし、富永はチラリと後ろを見やって──後退する。タマミに並び立とうとはせずに、あっさりと引き下がった。
これには貴端も怪訝な顔をする。
(なんや?えらい簡単に引き下がった……何考えとるんや?)
前回のように、また並びかけてくると思っていた。そう思っていたが、カミノライザンは引き下がった。
考えは分からないが、これ幸いにと貴端は差を広げようとする。
だが、そう簡単にはいかない。レースに出走しているのは何もカミノライザンだけではないのだから。
《おっとカミノライザンはちょっと控えたか?カミノライザンは控えています。ポジションをキープしたら後はもう用はないとばかりに引き下がるカミノライザン。これ幸いと逃げるタマミですがここでタニノタマナーが突っ込んできた!タニノタマナーが2番手、タニノタマナー2番手であります!これを見てタマミはさらに逃げる逃げる!差を広げますタマミ!》
カミノライザンが引っ込んだかと思えば、今度はタニノタマナーが突っ込んできた。貴端は下がったカミノライザンを思考の外に追いやり、競りかけてきたタニノタマナーと他の馬のことについて考える。
(やっぱ簡単に逃げさせてはくれんな。やけど……ライザンやなかったら怖ないわ!)
タマミを押し出してさらに逃げる貴端。他の追随を許さないスピードでタマミは先頭を駆け抜けていた。
向こう正面にも入ると隊列は落ち着いてくる。先頭を走るのはタマミ、それに馬体を併せる形でタニノタマナーが外についている。
タニノタマナーを見る形で3番手はジョイフル。ハーバーゲイムとクニノハナ、キシュウホマレとケイサンタが一団を形成していた。ここが先行集団である。
肝心のカミノライザンはというと──珍しく中団の13番手付近に位置をつけていた。最内の13番手、ここに控えている。
ファンは戸惑っていた。カミノライザンは今まで一度たりともあの位置で競馬をしたことがない。常に前につけていたからこそ、ファンは戸惑っていた。
だが、野次は飛ばない。それは桜花賞のペースにある。
「さすがにはやないか?今年の桜花賞」
「やな……こら
「これ、最後まで持つんか?」
桜花賞のペースは例年にも増して早い。先頭を走るタマミは必死に逃げているし、そのタマミに引っ張られる形で先行集団も飛ばしている。まだ半分どころか600を過ぎようかという辺りなのにだ。
《これはかなり早いペースではないでしょうか?今年の桜花賞はかなりのハイペース!例年にも増してハイペースです!先頭はタマミ、2番手のタニノタマナーとの差をさらに広げようとしているところであります!これは珍しいカミノライザンは中団13番手の位置!後方に近い位置につけております!》
ハイペースで進む桜花賞。カミノライザンは──余裕綽々とレースを展開していた。