阪神競馬場で開催されている桜花賞。現在先頭を走るのはタマミ。2番手タニノタマナーに3馬身近い差をつけて逃げていた。
2番手であるタニノタマナーもタマミを必死に追走する。だが、タマミのスピードに追いつけないでいた。先行集団に位置している馬も同様である。
貴端は気を緩めない。今のうちに、できるだけ差をつけようとしていた。
(ここで不気味なんはライザンや……あの馬やったら多分、先行集団におると思うんやけど……)
後ろをちらりと見る。カミノライザンの姿は──見えなかった。
カミノライザンは大柄だ。後ろにいればすぐにでも分かる。そんなカミノライザンが、先行集団の位置にいなかった。
貴端はその理由を考える。いつもは先行集団に位置しているカミノライザンが、今回に限ってその位置につけていない理由を。
(カミノライザンは逃げ馬を見て最後にポンっと追い抜くスタイルや。それを崩したんはタマミとの対戦だけ。今回に限って、なんで作戦変えたんや?)
理由を考えるが出てこなかった。タマミは
貴端は切り替える。あまりカミノライザンに思考を割くわけにはいかない。目の前の勝負に集中することにした。今もタニノタマナー達はタマミに追いつこうと必死に脚を使っているのだから。
勝負は第3コーナーを越えて第4コーナーへと入っていく。
《800mの標識は何秒で通過するか?今通過しました!800mのタイムは──44秒!それよりちょっと遅いか?しかしこれはかなり早い時計だ!
カミノライザンの鞍上である富永は──落ち着いてレースを俯瞰していた。
(うん、
このまま思い通りに行けば、カミノライザンは問題なく勝てる。後は抜け出すタイミングだ。
富永はどのタイミングで抜け出すのかを瞬時に判断する。それは──第4コーナーの中ほど。
「行こう、ライザン!」
鞭を入れて仕掛ける合図を出す。富永の合図に応えるように、カミノライザンが進出を開始した。
それにつられるように、中団に控えていた馬達も続々と進出を開始する。後方でもレースが動き始めていた。
第4コーナーを越えて最後の直線。先頭はまだタマミ。2番手とは7馬身近い差をつけている……だが。
「ッ!?どうした、タマミ!?」
タマミの脚色が鈍っていた。いつものスピードが出せていない。そのことに貴端は焦りを見せる。
《第4コーナーを抜けて最後の直線!タマミ先頭タマミ先頭!2番手を大きく引き離してタマミ先頭!中団からはカミノライザンが押し上げてきている!カミノライザンがついに動いた!2番手タニノタマナーは力尽きたか!?内を通ってジョイフルしかし脚色は鈍い!先行集団の脚色が鈍っている!先行集団だけではありません!このハイペースを作り出したタマミの脚色も鈍っている!このまま逃げ切ることができるか!?》
2番手、というより先行集団は第4コーナー辺りからタマミに追いつくことができずにズルズルと後退していった。その様子を見て、貴端はほくそ笑んでいた。このままいけば勝てると。
(このペースやったら勝てる、こんだけ差をつけとったら、タマミなら勝てる!やのに……!)
だがそれはタマミが万全だったらだ。今のタマミは──明らかにスタミナが切れていた。
貴端は後悔する。それも一瞬のこと。
「っく!過ぎたこと考えてもしゃあないわ!後もう少しや!頑張れタマミ!」
タマミを励ます貴端。
そうだ、よくよく考えればこのペースに後続も巻き込まれていたのだ。ならば、タマミの他もスタミナが切れているはず。
後続も、確かに追い上げてきてはいるがタマミに追いつけるかと言われたら微妙なライン。このまま粘れば勝てる!貴端はそう考えるが……。
(……お前まさか、こん状況を狙っとったんか!?)
後方を確認する貴端。その時視界の端に捉える。捉えて、しまう。
貴端はタマミに鞭を入れる。なんとしてでも粘れと、頑張って走ってくれと鞭を入れる。
タマミも懸命に粘っている。追いつかれまいと、必死に走っている。
だが無情にも──カミノライザンとタマミの差は縮まるばかりだ。
(お前かて、あのペースで走っとったやろ!?なんで……なんでっ!)
「なんでそんな脚残しとんねん……ッ!」
残り200m。逃げるタマミと追うカミノライザン。タマミ以外の先行集団はすでに馬群の後方に沈んだ。今まで中団と後方に待機していた馬達が続々と上がってきている。
《残り200m!タマミが必死に逃げる逃げる!しかしカミノライザンが悠々と差を詰めます!悠々と差を詰めるカミノライザン!すでにその差は4馬身もありません!3馬身、2馬身と差を詰めるカミノライザン!後続も上がってきているがこれは届くかどうか微妙なところであります!逃げるタマミしかし!これはかなり苦しい!関東の快速美少女はここまでか!?》
貴端は恐怖する。タマミとともに必死に逃げる。押し出して、少しでも前に進もうと努力をしている。
だがその努力を嘲笑うかの如く──カミノライザンはどんどん差を詰めてきた。
(なんで……なんで……っ!)
疑問が尽きない貴端。残り100m。
「見たか関東ー!これが関西馬の実力やー!」
「カミノライザンのこと舐めたらアカンで~!」
「た、タマミ逃げてくれー!」
声援を飛ばすファン。残り100mでその差は半馬身。このまま逃げ切れるかどうかは運否天賦。
《タマミ粘る粘る!カミノライザン追い詰める!残り100m!その差は僅か半馬身!粘れるかタマミ、捕らえるかカミノライザン!カミノライザンこの差を詰めることができるか!?後続はもう苦しい、もう苦しい!どちらが桜の女王に相応しいか、タマミとカミノライザンの一騎打ちであります!タマミか!ライザンか!?鹿毛の快速美少女か三冠馬の娘か!?》
ゴール板を過ぎる、その直前──カミノライザンがタマミを捕らえる。クビだけ抜け出して、カミノライザンが桜花賞を制した。
「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
歓声が阪神競馬場を包み込む。今ここに──
《カミノライザン!カミノライザンであります!逃げる快速美少女をゴール寸前で捕らえましたカミノライザン!カミノライザンが最後は差し切りました!これは見事な差し切り勝ち!クラシック一冠目を制したのはカミノライザンであります!2着はタマミ、3着はスターウイングであります!カミノライザンまずは一冠目!桜の女王に輝いたのはカミノライザンです!》
桜の女王が誕生した。
◇
貴端は呆然とする。手に力が入らず、鞭すら落としてしまいそうなほどに。
瞳が揺れ動く。目の前で佇むカミノライザンを視界に入れて、恐怖という感情が沸き起こる。
タマミは逃げていた。
だが現実はどうだ?最後の直線でタマミはスタミナ切れで失速、脚を残していたカミノライザンに差し切られた。
何が悪かった?何がいけなかった?そう自問する貴端。そして、気づく。
(まさか……
今回の桜花賞は、先程からチラホラと聞こえるようにかなりのハイペースだった。タマミの逃げに先行集団が付き合う形でレースが展開され、結果として前につけていた馬のスタミナは切れ沈んでいった。
そもそもなぜ、このハイペースが作られたのか?それはきっと、タマミに対する警戒だ。
このレースにおいて最も警戒されていたのはカミノライザンだ。単勝支持率78%からもそれが分かる。一番警戒されていたのはカミノライザンで間違いないだろう。
では、次に警戒されていたのは誰か?それは──タマミだ。
最優先で警戒すべきはカミノライザンだが、楽に逃げさせたらタマミもヤバい。桜花賞の前哨戦である阪神4歳牝馬特別で逃げ切り勝ちを収めたことからそれは分かっている。桜花賞に出走しているメンバーの共通認識だった。だからこそ、他の馬はタマミもしっかりと警戒していたのだ。道中ずっと競り合い続けたタニノタマナーが良い例だろう。
カミノライザンは控えた。そのことを訝しむだろうが控えたのであればマークは後方集団がやるだろう。そうなると、前につける馬達が警戒するのは──タマミただ一頭のみ。
勝つために逃げさせない。道中競り合い続ける。タマミと貴端も、ムキになって先頭を走り続けた。
その結果生まれたのが──前につける馬が全頭潰れるほどのハイペース。いくら良馬場と言えど、明らかなオーバーペースにスタミナがもたなかった。
こうなると控えていたカミノライザン達中団以下の馬達が圧倒的に有利だ。スタミナが切れて脚色が鈍った先行集団を瞬く間に追い抜いて勝つことなど造作もない。差がつきすぎていたため、タマミに並びかけられたのはカミノライザンただ一頭のみだったが。
貴端は自戒する。今回の桜花賞の敗因は……自分にあると。
(気づくべきやったんや……!アイツらの狙いにっ!大人しく引き下がったアイツらを、もっと考えるべきやった!)
先頭を走ることに固執して、ペース配分を誤った。タニノタマナーと競り合ってしまった。考えれば考えるほど出てくる、自らの作戦ミス。
タマミが無事に逃げれたら必ず勝てる。そんな思い上がりを……カミノライザンに粉砕された。
絶望しそうになる心。なんとか踏み止まる。沸き上がったのは──カミノライザンに対する畏怖と賞賛。
(ホンマのホンマに……えらい馬や)
天を仰ぐ貴端。カミノライザンと富永紘一に負けたという事実を、受け止めようとしていた。
レース後富永はカミノライザンの首を撫でて労う。
富永は感じ取っていた。カミノライザンは──
(今回の上がりタイムもそんなでもない。差し切るのには問題ないタイムだった)
もっとも、余力を残しているとはいえ疲労は溜まっているだろう。帰ったらしっかりと身体を休めて欲しいと心の中で思う。
今回のレースはハイペースだった。
(ハイペースで前が潰れたら後ろから抜くのは容易い。後はライザンができるだけ余力を残した状態で勝つには、どこで仕掛ければいいかを考えるだけだった)
カミノライザンが追いつくためにはどこで仕掛ければいいかを考え、次にできる限り余力を残すにはどうすればいいか?を考えた。その結果が、第4コーナー中ほどから仕掛けるというもの。
この作戦は上手くいった。気持ちいぐらいに作戦が嵌ったのである。
「次は皐月賞、か」
桜花賞よりも厳しい戦いを強いられることは間違いない。より一層、気を引き締めていかなければ。富永はそう考える。
阪神競馬場は祝福の声で満ちていた。新たな桜の女王の誕生を喜んでいる。
(今は、桜花賞を勝った喜びを噛みしめよう)
次走のことも確かに大事だ。だけど今だけは、桜花賞を勝った喜びを。富永は噛みしめていた。
カミノライザン、クラシック一冠目桜花賞勝利
一冠目無事に勝利。