迫る皐月賞。各陣営も皐月賞に向けた準備を着々と進めていた。
そんな中、関東の総大将であるアローエクスプレス陣営。今現在、剣呑な雰囲気が流れている。
アローエクスプレスの調教師である高末と、主戦騎手を務める……いや、
ここは厩舎ではなく、高末の自宅だ。芝田は調教師である高末に掴みかからんばかりの勢いで問い詰める。目には涙を浮かべていた。
「なんでっ!どうしてですかっ!?」
「……なにがだ?芝田」
「なんで──私をアローの主戦から外すんですか!?」
芝田が高末に詰め寄る原因……それはアローエクスプレスの乗り替わりにあった。
芝田はアローエクスプレスの主戦を務めていた。新馬戦で騎乗したのも芝田で、芝田に初重賞勝利をプレゼントしたのもアローエクスプレスだった。
アローエクスプレスに思い入れがある芝田。皐月賞に騎乗できるのも自分だと、そう思っていた。
だが、調教師である高末から告げられた言葉。その言葉で、芝田は虚脱感に襲われる。
「アローの皐月賞の屋根は甲賀さんで行く」
アローエクスプレスの屋根から外すという言葉。その言葉が芝田を絶望へと叩き落した。
アローエクスプレスは直近のスプリングステークスでタニノムーティエに敗北している。アローとは双璧を成す牡馬であり、クラシックの大本命と目されている馬。
悔しかった。だから次は勝とうとしていた。自分とアローならタニノムーティエにも勝てると……芝田は本気で思っていた。
そんな中調教師である高末から告げられた乗り替わり。芝田は疑問を抱かずにはいられなかった。確かに甲賀は芝田よりも年長であり、騎乗経験も豊富だ。勝つための乗り替わりであることは明白。最初の方こそ、芝田も納得していた。自分の騎乗技術が拙いから悪いのだと、これから力をつけていけばいいのだと。そう納得しようとした。
それでも諦めきれなかった。どうして自分はアローエクスプレスに乗れないのか?それに拍車をかけたのは……同期である富永紘一の存在である。
富永はつい先日、カミノライザンに騎乗して桜花賞を制した。八大競走初制覇であり、同期で一番乗りとなる形での制覇だった。騎手3年目での八大競走制覇は驚くべき早さである。
そんな同期は皐月賞も勿論カミノライザンに騎乗する。だからこそ自分も……と、淡い期待を抱いていた。それは叶わなかったが。
1人酒を飲み、アローエクスプレスに騎乗できなかったことを嘆く芝田。そんな時ふと思った。
「こうなれば……直談判してやる!」
酒で気が大きくなった影響もあるだろう。殴られても構わない、繫がりがなくなるかもしれない。それでも、芝田は言いたいことを全部ぶちまけてやると高末の自宅を訪れた。
現在、芝田は涙を流しながら高末を問い詰めている。
「なんで私をアローから外すんですか!?ダービーを勝てるかもしれないあの馬を、どうして私から取り上げるんですか!?」
「芝田……」
「確かにスプリングステークスは負けました……だけどっ!次は勝ちます!絶対に勝ちます!至らないところは全部直します!だから……だからっ!」
「芝田ッ!」
夜分にも関わらず大声を上げる高末。その目には──芝田同様涙が浮かんでいた。
芝田は思いもしない光景に目を疑う。きっと糾弾されると思っていた、大人になれと窘められると思っていた。だが、高末が見せたのは……芝田に対する懺悔。
「俺だって悔しい……アローにお前を乗せてやれないことが、お前と同じぐらい悔しいっ!お前にアローを乗せてやりたいのは……俺だって同じだ!」
「高、末さん……」
「だけどっ!」
言葉を必死に絞り出す高末。紛れもない、本心だった。
「馬主が納得しない、ファンも納得しない!アローは日本一になれる馬だ。日本一になれる馬に、日本一の騎手を乗せるのは道理だ。だからこそ、皐月賞は甲賀さんで行く!」
アローエクスプレスの素質は誰もが認めるところ。だからこそ、確実な勝利を得るために芝田よりもベテランである甲賀を乗せるのは当然の道理だった。
結局のところ、芝田がアローエクスプレスに乗れないのは自分の騎乗技術が認められていないから。これに尽きる。甲賀よりも下手だから、だからこそ日本一の馬になれるアローエクスプレスの手綱を握らせてもらうことができない。
まだまだ新人な芝田の騎乗技術が甲賀より未熟なのは当然。この乗り替わりも……納得できるものだった。
しかし、気持ちではやはり納得できない。騎手にとって誰もが憧れる栄誉であるダービージョッキーの称号……勿論芝田もダービージョッキーに憧れていた。そのダービーを獲れるかもしれない馬に、自分は騎乗できない。チャンスすら与えられないのだ。
そして自らの同期である富永はそのチャンスを与えられている。凄まじいローテを敢行しているが、チャンス自体はあるのだ。そのことに、芝田は自らの友である富永に醜い感情を向けそうになっていた。
膝から崩れ落ちる芝田。泣くことしかできないでいる芝田に、高末は言葉で奮い立たせる。
「芝田……悔しかったら、甲賀さんを超える騎手になれ!」
「……え?」
顔を上げる芝田。依然として涙を目に浮かべる高末は、芝田を睨みつけていた。
「お前が皐月賞に騎乗できないのは、甲賀さんより下手だからだ!だから……甲賀さんを超えるような騎手になれ!馬主やファンを見返せるような騎手になれ、芝田!お前なら、それができる!」
悔しさから拳を強く握っている高末。芝田は……自らの不甲斐なさを恥じる。
悔しさから出血しそうなほどに拳を握る芝田。やがて立ち上がり、高末へと謝罪をする。
「……すいませんでした。頭を冷やします」
足取り重く、芝田は高末宅を後にする。
道すがら、芝田は高末から言われていた言葉を思い出す。
(一流の馬に乗るんだったら、騎手の心が二流じゃいけない……)
「今、あなたから教わった言葉を痛切に実感しますよ……高末さん」
この悔しさを胸に、頑張らなければいけない。自分を拾ってくれた、高末さんのために。そう心に誓った芝田だった。
明けた次の日、高末は甲賀と話し合う。それは今度の皐月賞のことだ。
「甲賀さん、今度の皐月賞ですが……」
「あぁ、分かっている」
高末の言葉に甲賀は深く頷く。
この皐月賞において警戒すべき相手は二頭。一頭は前哨戦で敗北したタニノムーティエ。もう一頭は──桜花賞を制したカミノライザン。
甲賀は物思いにふける。相手は……
シンザンには苦い思い出がある。自らが考えた策、策が嵌って勝てると思っていたが、あの馬に完封されたのだから。
(是が非でも気合が入るな……)
無意識に力を込める甲賀。皐月賞をアローで獲ると、心に決めた。
◇
タニノムーティエの陣営。こちらも気合を入れていた。
「ええかー!前哨戦勝ったからいうて気ぃ抜くんやないでー!」
調教師である谷瑞がタニノムーティエに騎乗する廉田に指示を飛ばす。最後の追い切りを済ませていた。
タニノムーティエの調子は──絶好調だった。
最後の追い切りを済ませて、谷瑞と廉田は皐月賞について話し合う。2人が脅威に見ているのはアローエクスプレス。そして……桜花賞から直行してくるカミノライザン。
「ホンマに保茂さんが何考えとんのか分からんわ。皐月賞に直行やったら、まだ勝ち目もあったかもしれんのに」
「……」
とはいっても、谷瑞はあまりカミノライザンを脅威として見ていなかった。
確かに、タニノムーティエを負かした経験はある。だが、それを言うならタニノムーティエもカミノライザンを負かした経験があるし、何より桜花賞からのローテだ。疲労や諸々のことを考えると、タニノムーティエの有利は変わらないだろう。
しかし、廉田は何か思うところがあるのか保田の言葉には同意しなかった。廉田が考えているのは──桜花賞でのカミノライザンの勝ち方。
桜花賞のカミノライザンはそれは見事な勝ち方だった。ハイペースの展開に惑わされることなく、しっかりと自分の脚を溜め、最後にクビだけ抜け出して勝つ。そして明らかに余力を残した状態での勝利……廉田はそれを脅威に見ていた。
だが、廉田自身アローエクスプレス以上に警戒する必要はないと考えていた。牡馬と牝馬の能力差、あまりにも無謀なローテ、輸送と疲労の問題……ざっと考えるだけでもこれだけの不利がのしかかっているのだから。他の馬と比べたら脅威であるには変わらないが。
「ですが谷瑞さん。カミノライザンは桜花賞を楽々と勝っとります。依然として脅威なのは間違いないかと」
「そない言うてもなぁ……やっぱ来んと思うで?その辺はお前に任せるけど」
2人の出した結論は、アローエクスプレスを最優先で警戒し、次にカミノライザンを警戒する。これで一致した。
皐月賞の作戦を決めていく中、ふと呟く谷瑞。
「しかし……お前できると思うか?」
「なにがです?」
「
谷瑞の問いかけに反応する廉田。クラシック五冠は達成できるか否か、という質問。廉田が出した答えは──否定。
「無茶ですよ。馬の負担が半端じゃないですし。連闘でオープンレースとの連勝ならともかく……八大競走を連闘で勝つなんて正気の沙汰じゃない」
「やっぱそう思うよなぁ。無茶・無謀……いくら桜花賞をえらい勝ち方した言うても、無茶苦茶なことには変わらんわ」
それに、と続ける谷瑞。彼が見せたのは、呆れだった。
「俺らんとこのムーティエを侮っとるんとちゃうか?アイツら」
「……そんなことはないと思いますが」
「いいや、
谷瑞は思いの丈をぶちまける。カミノライザン陣営に対して。
「舐めとる気持ちがあるからクラシック五冠なんてほざけるんや!子供の夢とちゃうんやぞ?保茂さん!」
一応、谷瑞も保茂とそれなりの親交があり普段は友人のような関係であることは確かだ。
しかし、さすがにこのクラシック五冠ローテは看過できない。確かに桜花賞を勝ったかもしれないが、桜花賞よりも分の悪い条件で皐月賞に挑まなければならない状況。それでも勝てると宣言した陣営。そんな言葉を受けた側は、自分達の馬を舐められている、と感じられてもおかしくないことだと谷瑞は考えていたから。
谷瑞は廉田に言う。皐月賞を勝ってこいと。
「ええか?廉田。皐月賞、勝ってこい」
「……」
「タニノムーティエの方が上やってことを、クラシック五冠なんて無謀やっちゅうことを分からせて来い」
「元より、勝つつもりで走ります。前回の戦いの借りがあるので」
谷瑞達タニノムーティエ陣営も気合が入っている。ただ、最優先の警戒対象はアローエクスプレス、カミノライザンはそこまで警戒はしなくていい、という結論は変わらなかったが。
──そして、皐月賞を迎える
各陣営気合入ってますねぇ。