カミノライザンの皐月賞制覇は大いに話題になった。牝馬による皐月賞挑戦はチエリオ以来17年ぶり、皐月賞制覇はヒデヒカリ以来3頭目の偉業。
話題はこれだけじゃすまない。カミノライザンは──桜花賞と皐月賞の同時制覇を成し遂げたのだ。この偉業は日本競馬史上初であり、オークスを待たずしての二冠達成。世間は大いに盛り上がった。
テレビでも取り上げられ、一般の目に映る機会も増える。
「へ~、こんな馬がいるのね~」
と、競馬を知らない人間の目に留まる機会も多くなった。
新聞は飛ぶように売れた。カミノライザンの情報を少しでも知ろうとしたファンが押し寄せ、新聞を買い上げていった。
「おい、こっちにも一部くれ!」
「押すなって!あぶねぇだろうが!」
「押さないでくださーい!慌てなくても沢山刷ってますよ~!」
刷った側から売れるので新聞業界もウハウハである。また、中央競馬会もカミノライザンの存在を猛プッシュした。新たなスターの誕生に、喜んでいた。
「カミノライザンなら、もしや!」
初期の頃、カミノライザンのローテを無謀や無茶、陣営の判断ミスに名伯楽が耄碌したという声は徐々になくなり。今はこのローテができるのはカミノライザンを措いて他にいない!とまで断言する声まで上がり始める。
期待は、いやがうえにも高まりつつあった。
だが、沸き上がる世間とは対称的に……カミノライザン陣営は慌ただしく、また良い雰囲気とは言えなかった。
「おい!姫の容態はどうだ!?」
カミノライザンがお世話になっている厩舎──仲村厩舎の責任者である仲村が焦った様子をみせている。
仲村の言葉に、刈谷は慌ただしく答えた。
「なんとか回復傾向です!だけど、まだちょっと疲労が残ってます!」
舌打ちしそうになる仲村。その気持ちを抑えて指示を飛ばす。
「飼葉や水をじゃんじゃん用意しろ!幸いにも食欲はあるようだからな!関東の飼葉と水が合わないなら、関西から取り寄せろ!」
「はい!」
「後は放牧!姫がリラックスできるように最善を尽くせ!馬房もだ!」
カミノライザンの体調を回復させるために、色んな手を尽くそうとしている。次のレースはオークス……1ヶ月もないのだ。
猛田に仲村、それに馬主である保茂も方々を回ってカミノライザンに尽くしている。飼葉が合わないのならば関西から飼葉を送り、水が合わないならいつも飲んでいる関西の水を飲ませる。その輸送の手段を考えたり、できる限り早く届けるために尽力していた。
馬房のカミノライザンはというと……疲労が見え隠れする状態だった。さすがのカミノライザンと言えど、桜花賞と皐月賞の連闘は堪えるものがあったのだろう。いくら頑丈でタフとはいえ、八大競走の連闘などこれだけの疲労があって当然なのだ。いや、これだけで済んでいるのがおかしいかもしれないが。
疲労残りがある状態のカミノライザン。勿論、調教も慎重にならざるを得ない。状態を見極めつつの調整、満足な調教ができないでいた。
「猛田さん……厳しくないか?」
咎めるような仲村の声。猛田は──。
「……一度決めたことや。絶対に曲げん。保茂さんがやっぱ止める言わん限りはな」
「だが……」
「姫は回復傾向や。オークスまでには回復し切るはず。やから大丈夫や」
猛田はそれだけ答えて、カミノライザンの調教を切り上げる。今回も軽めの調整だった。
労うようにカミノライザンを撫でる猛田。カミノライザンは気持ちよさそうにしていた。仲村の胸中は、穏やかではないが。
他陣営。オークスへの出走を控えている陣営は気が気でなかった。
カミノライザンという馬は桜花賞に加えて皐月賞も制した。同世代の、一線級の牡馬達相手に勝利をもぎ取ったのだ。恐ろしいことこの上ない。
なにより、この世代においてタニノムーティエとアローエクスプレスは二大巨頭とも呼ばれていた。世代の中でも頭1つ抜けていると評価されているこの2頭……この先を代表するであろう二頭を抑えて、カミノライザンがレースを制した。そんな馬が、オークスへとやってくるのだ。恐怖しないわけがない。
「どうする?どうすれば……」
「出走の取り止め……はしたくないし……」
「なんでこんなのがオークスに出てくるんだよ、おかしいだろ……」
できることなら出走を回避したい。だけど、出走回避はできない。何故なら、一生のうちに一度しか出走できないレースだから。なにより八大競走はトップのレース。そんなレースを出走回避するなど……できなかった。
ただ、中にはリベンジに燃えている陣営もいる。タマミ陣営はその最たる例だろう。
「桜花賞と同じ轍は踏まない。次こそはっ!」
と、リベンジに燃えていた……が、ここで不安視されたのは距離不安である。
タマミはスタミナがある方ではない。加えて、今まで最長距離が桜花賞の1600mであったのに対し次のオークスは2400m。不安にならないはずがなかった。
次戦も屋根を務める予定の貴端も不安げである。
「た、貴端さん……率直に、タマミは距離延長大丈夫でしょうか?」
「う、う~ん……まぁ、最善は尽くします」
歯切れの悪い返事に大体察した笠本。気合を入れたは良いものの、先行きは不安である。
気合が入っている陣営は、タニノムーティエとアローエクスプレスの陣営もそうだった。次の舞台で戦うダービーに向けて、二頭とも調整をしている。
そんな二頭の次戦は──NHK杯*1。タニノムーティエは軽い怪我をしたため通常なら回避する風潮があったが。
「これくらいムーティエやったら問題ない!出走や!」
と、谷瑞の鶴の一声で出走を決意している。
アロー陣営も気合が入っている。
「カミノライザンはいないが……タニノムーティエがいる。スプリングステークスの借りは返させてもらう!」
NHK杯も火花が散らされていた。
カミノライザンに対する期待は日に日に膨らむ。彼女の次走であるオークスも、かなりの客入りが予想されていた。
◇
あ~……身体が怠い。めっちゃ疲労がある。過去一残ってるわこれ。そんなことを思いながら馬房でゴロゴロと過ごす日々だった俺。1週間以上経った最近は大分マシになってきた。
皐月賞……ありゃかなりギリギリの勝負だった。まさに薄氷の上の勝利、ってとこか。
(同じ条件でまた勝て、って言われたら……多分無理だ。あれは奇策をぶつけただけだからな)
まず、前提として……俺は桜花賞からの直行ローテ。当然、誰もが疲労が残っていると考える。そんな相手がロングスパートを仕掛けてきたわけだ。
まずは警戒、次に理由付け。そんで、奴さん達が下した判断は──俺とトミーの暴走、ってとこだろうな。難なく先頭を取れたのがその証拠だ。この意識が根付いていたからこそ、ロングスパートが決まったと言える。
ロングスパートを仕掛けた俺は勝手に自滅すると踏んでいたんだろう。結果的に、俺は最後の直線で切れかけてたから間違いじゃないんだが。でもコーナーでかなりの差をつけていたからこそ勝利を得ることができた。最内を突いて距離ロスもなく上がったからな。他のヤツらは外に振って距離ロスもあった。荒れた馬場を嫌ったわけだから判断が間違っていたとは一概に言えないが……ここが勝負の分かれ目だったかもしれない。
奇策をぶつけた。絶対に取るはずがないという選択肢を取って、アイツらを翻弄した。だが……半馬身差だ。
『ぶっちゃけ、勝てばいいを信条としているわけだから何馬身差だろうが構わねぇんだが……これだとこの先が不安だな』
「そうだねぇ……それよりも大丈夫?ライザンちゃん」
『大丈夫なわけねぇだろ。今から不安でいっぱいだよ』
保茂の心配している表情に軽口で返す。向こうは……軽口かどうか判別しているかは不明だが。
『ま、回復傾向ではあるんだ。オークスまでには問題なく回復できる』
「そっか……だけど、ここから先はさらに厳しくなるね」
不安げな保茂の表情。保茂の言う通り……この先はさらに厳しい戦いにある。
次はオークスとダービーの連闘……輸送という問題はないが、距離が追加される。桜花賞は1600mで皐月賞は2000m……これでもキツかったが、オークスとダービーは2400m。この連闘で、俺は4800の距離を走ることになる。
2400という距離は俺にとって初。最長距離だ。影響だって少なからずある。
だが、それよりも不安なのは……この2レースで策はほとんど通用しない可能性があるということ。
オークスはまず、タマミの警戒はさほどされないということだ。距離不安が残るし、どうせ落ちるだろうと予測されている。そうなると必然的に、俺のマークが強くなる。ただでさえ桜花賞と皐月賞を勝ってるからな、警戒は尋常じゃないだろう。
ダービーに関しては、ロングスパートを見せたっていうのがかなり痛い。そうすることでしか皐月賞は勝てなかったとはいえ、警戒は強まったことだろう。
おまけに、ダービーは特別なレースだ。枠番が非常に重要になってくる。枠番次第では……マジでヤバいことになるぞこれは。
『……先のことを考えても仕方ねぇな。今は疲労を回復することに専念しねぇと』
「あ、そうだライザンちゃん。飼葉とか水の方はどう?関東の飼葉合ってる?」
飼葉や水か。あんま言いたくはねぇけど……。
『飼葉はともかく、水は関西の方がいいなやっぱ。慣れ親しんだ味の方がいいわ』
飼葉はまだ何とかなるとして、水に関しては結構違う。なのでできれば関西の水の方が良いんだが……難しいだろうな。
だが保茂は満面の笑顔だ。なんだ?何かあるのか?
「安心してよ!今関西から飼葉と水を輸送しているところなんだ。明日には届くと思うよ」
『マジか!すげぇ助かる!』
「これもライザンちゃんが勝つ為さ!」
ひゃっほう!保茂様ばんざーい!
こうして作戦会議も程々に。オークスに備えてできるだけ身体を休めることにした。早めに調教を再開したいところだぜ。
◇
難しい表情のカミノライザン陣営。彼らの考えていることは1つ──次走であるオークス。
重々しい空気の中、猛田が口を開く。
「……実際、皐月ん時みたいなロングスパートは決まるか?トミ」
富永に聞く猛田。だが、本人も分かっているのだろう……そんなにうまい話はないのだと。
富永は、淡々と事実だけを告げる。
「ほぼ無理です。連闘でも問題なくロングスパートを決めれる、皐月賞よりもマークはキツくなる、抜け出しも簡単じゃない……
「……やっぱそうよなぁ」
頭を抱える猛田。ここにいる全員が同じ気持ちだった。
オークスとダービー、この連闘をどう勝つか……それが決まらないでいた。安易なロングスパートはもう決まらないだろう。あれはほぼ無警戒だったからこそ決まった産物。連闘からのロングスパートなどという、普通考えないような策をぶつけたからこそ決まった。もうその前提条件が崩れ去っている今、警戒をしない陣営はいないだろう。
いかにしてオークスで疲れを残さずに勝ち、ダービーを勝利するか……猛田達は結論が出なかった。
富永が口を開く。
「後は──馬場ですよね。良馬場だと嬉しいんですけど」
「ま~そうやな。良馬場の方が次に疲れを残さんためにも重要やしな。姫は重馬場と不良馬場問題にせぇへんけど、疲れが溜まるし」
「天気が晴れになることを祈るしかないですね」
オークスが良馬場になってくれることを祈る猛田達。そんな猛田達の言葉に……苦い表情をする保茂。
「……っ」
「?あれ、どうしたんですか保茂さん。そんな苦い表情をして」
心配した仲村が声をかける。保茂は、何でもないように振舞った。
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと今日の晩御飯が僕の苦手なものって言われたから帰りたくないな~って思っただけです」
「子供ですかあんた」
呆れた猛田の表情。子供のような言い分に思わず噴き出す富永と仲村。つられて保茂も笑っていた。
……勿論、保茂が苦い表情をしていたのはそんな子供じみた理由ではない。だけど、猛田達には言えなかった。
(オークスの馬場、か……)
不安を抱く保茂。それに気づく者はいなかった。
「……ま、姫の体調も回復した。後はオークスに向けての調整やな」
「はい。できる限り疲れを残さない状態で勝たないと……」
「……お前達が決めたことなら、止めはしないさ」
話し合いはこれで終わった。後は定期連絡をして解散となる。
全員、それぞれの仕事に戻っていった。
手のひらクルックルや。