皐月賞が終わってそれなりの日が経った。オークスが迫っている中、疲労が回復したカミノライザンの調教が進んでいる。
猛田と仲村、調教師2人がカミノライザンを見守る。どちらも表情に陰りはなかった。
「なんとか状態は戻ってきとるな。これやったらオークスは大丈夫やろ」
「そうだな。一時期はどうなることかと心配だったが……順調そのものだ」
カミノライザンの状態は良化傾向。オークスまでには十分間に合うだろうというのが2人の見立てだった。
だが油断はできない。目に見えない形での疲労というものもあるから。オークスまで残り2週間を切っている。ラインを見極めていかなければならないだろう。
軽くならした後、本格的な調教へ。カミノライザンはここでも良い動きを見せ、順調だということをアピールするかのように走っていた。
「えぇ感じや。後は……」
「えぇ。後は本番までこの調子を維持できれば、ってとこですね」
仲村の言葉に頷く猛田。今後の展望を考えていた。
調教を終えた後、猛田は富永も呼んでの作戦会議に移る。保茂も参加していた。
猛田が仕切って会議を進める。議題は──カミノライザンの状態、並びにオークスとダービーをどう勝つか。この2つに焦点があてられた。
「早速やけどトミ。姫の調子はどうやった?俺らは見とるだけだからな、実際に乗ったお前の方が分かるやろ」
猛田の疑問に富永は自信をもって答える。
「
「実際に騎乗した富永がそう感じたのなら、間違いはないだろう」
仲村の言葉に全員が賛同する。カミノライザンの経過は良好である、全員の意見が一致した。
そうと決まれば、後は調教の日程を詰めていくだけだ。追い切りのタイミングやその他諸々のことを全員で話し合う。
カミノライザンの調教の話も程々に済んだ──
険しい顔つきの猛田。この場にいる全員に緊張が走る。
分かっているのだろう。ここが……ローテの山場だと。
「さて、こっからが本題や……オークスをどう勝つか?これが一番の問題やな」
猛田が切り出す。全員がそれぞれの考えを巡らせる。
オークスとダービーの連闘。最大の問題は距離だ。同じ府中開催と言えど、どちらも2400mという今までのレースでも最長。それを連闘で走らなければならないという問題。初めての距離を短期間で2回も走るというのは精神的にもキツいはずだ。
加えて、オークスは余力を残して勝つ必要がある。次週開催であるダービーに向けて、できる限り疲れを残さない状態が望ましい。
だが……オークスを余力を残して勝つのは
猛田達も苦々しい表情だ。分かっているのだろう、自分達が置かれている状況が、いかに厳しいか。
「開けれる引き出しはたくさんある……やけど、
「まず、桜花賞のような策は通じない。タマミの距離不安に加えて、あぁまで悠々と差し切ったとなると警戒はカミノライザンに向く。二度目は通用しないでしょう」
富永の言葉に全員が頷く。勿論原因はそれだけじゃない。
桜花賞とて警戒されていなかったわけではない。ただ、策でなんとかなる範疇に収まっていた。タマミにマークを集中させて自分へのマークを散らす、その策が取れるぐらいには。
ここで浮き上がるもう一つの原因……それは、
カミノライザンは皐月賞を勝った。牡馬達相手に勝利したのだ。そんな馬、警戒されて当然である。逃げ馬よりも最優先で警戒される……そうなるのは目に見えていた。
では、皐月賞で取ったロングスパートはどうか?となるが……これも厳しい。
「皐月賞のようなロングスパート……できないことはないですけど」
「ダメだ。疲労のことを考えたら得策とは言えない」
富永の不安が入り混じった言葉を粟田が一蹴する。当然だ、とばかりに。
確かにできないことはないだろうが、疲労のことを考えたら取らない方がいい、という選択に落ち着くだろう。勿論、勝つためだったら取らざるを得ない状況になるかもしれないが……それでもやらないに越したことはない。
ここで刈谷が妙案とばかりに浮ついた様子で答えた。この危機を打開できるかもしれない、そんな策を思いついたとばかりに嬉々として語り出す。
「そうだ!姫はスタートが上手いですし、逃げはどうですか!?あのタマミ相手でも競り合って逃げれるんです、悪い策じゃないと思いますけど!」
「ダメや」
しかし猛田が即座にその案を切り捨てる。
「仮に逃げで勝ったとする。まぁ姫やったら問題なく勝つやろな。スタミナかて問題ないわけやし、オークスを逃げ切ることぐらい可能や」
「だったら!」
「
食い下がろうとする刈谷に富永が理由を話した。逃げという選択ができない理由を。
「ここで逃げの引き出しを切ってしまったら、ダービーはもっと苦戦します。逃げれるという選択肢を相手に与えてしまったら、その対策だってしてくる。オークスを勝ったとしても……その先がないんですよ」
「おまけに大外枠を引いた時が悲惨やな。そん時は先行にシフトすりゃええ話やけど、それでも逃げはなるべく取りたくないってとこや」
「つまり、逃げを取れない理由は……」
猛田は頷く。
「オークスはな、ただ余力を残して勝てばええっちゅう話やない。
確かにカミノライザンならば逃げで勝つことはできるだろう。では、逃げで勝ったとしてその後のダービーはどうするか?という話になる。
引き出しというのはできるだけ見せない方がいい。4歳牝馬ステークスのレースでタマミと競り合ったことから逃げも走れる、ということは他陣営の頭にもあるだろうが、ここまで一度も走っていないから意識の外に追いやっている可能性が高い。つまり、隠し玉になりえる。
逃げという引き出しは、ここぞという場面に取っておきたいと猛田達は考えている。それも……皐月賞の時のような形で。
それに、オークスにもタマミは出走してくる。道中タマミと延々競り合い続けなければならないのだ。スタミナの消耗も激しいものになるだろう。だからこそベストな位置取りは先行の位置……いつものカミノライザンの位置こそがベストであると判断していた。
差しと追い込みができない理由も、スタミナの消耗が激しいから。これに尽きる。距離のロスをしたくないのに、必ずと言っていいほど外に振らされる差しと追い込みは真っ先に除外した。
刈谷も納得したようで、大人しく引き下がる。目に見えて意気消沈していたが、それに気づいた猛田がフォローを入れる。
「俺らかて、最初はそうしよ思うとったんや。やけど……やっぱタマミの存在が気掛かりでな」
「いえ、大丈夫です……よくよく考えればそうですよね。マークもキツいからどんどん前へ前へと押し出されるでしょうし」
「ライザンは動じないから問題はないと思いますけど、十全に行くのであれば逃げはベストとは言えません。やはり、前目につけるいつもの競馬が一番かなと」
最終的に、カミノライザンは前目につけるということで決まった。マークはキツいだろうが、そこは騎手の腕の見せ所だと富永が言った。富永は自信満々に、胸を叩いて宣言する。
「任せてください!俺がベストな位置取りをしますよ!」
「……まだ3年目やのに、ホンマに位置取り上手いからなトミ」
「実際信頼度が凄いよね。頼りにしてるよ富永君」
「はい!ありがとうございます、保茂さん!」
富永の騎乗技術はこの場にいる全員が認めている。まだ若いのに、とも思っているが。
これで作戦は決まった。後は……運否天賦に身を任せるだけである。
「後は馬場がようなることを祈るだけやな。良馬場……最悪でも稍重。そうなってくれると嬉しいんやけど」
「必要なパワーが違ってきますからね。重馬場のタフな競馬にならないことを祈らないと」
「よっし!今のうちに晴れるようお祈りしに行こう!」
それぞれが良馬場になって欲しいと口にしている中……保茂だけは浮かない表情。
そう、保茂は知っている──この年のオークスが、どのような馬場になるのかを。
(こういう時だけ都合よく変わらないかな~……無理か)
あっさりと結論を出して、それでも保茂なりにやってみることにした。
◇
オークスまでの日々は順調だった。調教も難なくこなし、体調も万全……というにはちょっとアレだったが。
『う、う~ん、う~ん……た、体調が……!』
「しっかりしてよライザンちゃん。猛田さん達心配するからさ」
『も、もうあの人達も分かり切ってるだろ……!オークスまでには整えるって……!』
いつものプレッシャー負けである。猛田達もレースまでには整えるだろうとそこまで心配はしていなかった。念のため、獣医も呼んだが異常はこのプレッシャー負けのみだった。
オークスまでの間に、タニノムーティエとアローエクスプレスが出走したNHK杯が開催。結果は──
「NHK杯はアローエクスプレスが勝ったみたいだよ」
『確か……廉田さんがゴール間違えたんだっけ?しかも軽い外傷持ち。それで2着ってタニノムーティエ化物過ぎんだろ』
「その化物に勝った君も大概だよライザンちゃん」
『知ってる』
2人は軽い調子で会話をしている。もっとも……内心はかなり焦っていたが。
猛田達は焦っていた。それはNHK杯の勝者のことではなく──NHK杯の馬場。これが猛田達の頭を悩ませた。
「不良馬場開催……や、やけど!オークスまでは1週間ある!それまでには回復するやろ!」
「そ、そうですよ!今の天気は悪くないですし、オークスまでには!」
きっと天気は回復する。来週のオークスまでには馬場も回復するだろう。猛田達は、そんな希望的観測を抱いていた。平日も晴れと曇りを繰り返していたのできっと大丈夫だと。そう思っていた。そんな中、カミノライザンはオークス前の最終追い切りを済ませる。
各々がオークスまでに自分にできることを精一杯やった。後はなるようになれと、どうか良馬場開催であるようにと祈った。
そして迎えたオークス。祈りの結果は──
前日の夜から降り続いた雨、当日になっても晴れることはなかった大雨の影響による、極悪の不良馬場と化した東京競馬場という最悪の結果だった
不良馬場開催のオークス。主人公陣営にとって最悪の馬場での勝負です。